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第三十七話【異世界出張編】        ② 煙と馬車(前編)

 ……禁断症状ってのは、異世界を救う情熱よりも人を動かすらしい。

 

 俺の人生、ニコチンで補強されてたんだなって、改めて思う。

 あー、どこかに「煙草」でも落ちてねぇかな。……あ、火がねぇわ。


 耳の奥で鳴り止まない耳鳴りと、視界の端が絶えず歪み続ける感覚。


 「空間操法」の副作用は、丈一郎の精神をじわじわと削っていた。


 まるで、世界そのものが「お前はここに居ちゃいけない異物だ」と拒絶反応を起こしているかのような、悍ましい吐き気。

 

 王宮騎士団、不法所持品一時保管庫。


 石造りの重厚な扉が開くと、カビと鉄錆、そして長い間放置された魔法の残滓が混ざり合った、鼻を突くような悪臭が溢れ出した。



 「……おい、丈一郎。本当にこんな場所で満足なのか? 貴様の功績なら、金貨をもっと積ませても良かったのだぞ」


 

 背後で、女騎士の団長が怪訝そうに眉を寄せている。

 


 「団長さん、商売ってのはね、『金』そのものより『種』の方が大事なんだよ」


 

 丈一郎は営業スマイルを貼り付けたまま、迷わず倉庫の最奥へと足を進めた。

 彼の「嗅覚」が、そこにあるはずのない、しかし魂に刻まれた香りを微かに捉えていた。



 「ナッ(まるで野犬だな)」


 

 「うるせぇ。……これだ、これに違いねぇ」


 

 丈一郎は、埃の積まった棚の隅で、頑丈な魔導封印が施された木箱を見つけた。

 かつて「勇者ココ」……あの九重のクソ爺さんがこの国に持ち込んで、「有害な幻覚物質」として没収された禁忌の品。

 

 丈一郎は右腕をかざした。


 空間の「継ぎ目」を読み解く。


 爺さんの仕掛けだ。


 同じ系統の力を持つ丈一郎には、その解除パスワードが「空間の振動」として直感的に伝わってきた。

 

 カチリ、と錠前が外れる。

 

 木箱をこじ開けると、そこには異世界の宝石よりも眩しい、色褪せたビニールのパッケージがぎっしりと詰まっていた。



 『煙草バニラ』

 


 「……ああ。……あああ……」

 


 丈一郎の口から、感嘆とも嗚咽ともつかない溜息が漏れた。

 熊本の環古書店のカウンターで、売れない劇画を読みながら燻らせていた、あの甘ったるいバニラの香り。

 

 封印の魔法は、図らずも最高の「ヒュミドール(保湿箱)」として機能していたらしい。

 丈一郎は、震える手でパッケージを破り、一本を抜き取った。


 指先に伝わる乾燥した葉の感触。


 それは、この狂った異世界で唯一、彼が「知っている」感触だった。

 

 箱の隅に転がっていた、爺さんお手製の「火打石の魔導具」を手に取る。

 念じるだけで小さな火花が散り、煙草の先端が赤く爆ぜた。

 

 深く、肺の最深部まで吸い込む。

 


 「…………っ、ふぅぅぅぅぅ…………」

 


 紫煙が、薄暗い倉庫の天井へと立ち上っていく。

 その瞬間、全身を支配していた「歪み」が、劇的に収束していった。

 

 ニコチンが毛細血管を駆け巡り、空間操法でオーバーヒートしていた脳細胞を強引にクールダウンさせていく。

 ペラペラに見えていた世界が、しっかりとした三次元の厚みを取り戻す。

 


 「……生き返った。これだ。これがないと、俺は自分の名前すら忘れちまうところだったわ」


 

 「ヌッ(好きだのぅ)」

 


 「お前にゃ分かんねぇよ、モモ」


 

 一息ついた丈一郎の目は、既に商売人としての鋭さを取り戻していた。

 彼は煙草を咥えたまま、木箱のさらに奥に眠る「別の財宝」に手を伸ばした。


 

 「東方の禁書」として一括りにされていた、ボロボロの和綴じ本の束。


 

 (爺さんの日記、走り書きのメモ……それに、これは……漫画雑誌の付録のレシピ集か?)


 

 異世界の人間から見れば、それは「神の言語」で書かれた解読不能な奥義書だ。

 だが、丈一郎には分かる。爺さんがこの世界で何をしようとしていたのか。

 

 『バイカホーンのステーキ:味噌だれ風(要・代用魔力素材)』


 『魔法を使った、絶対腐らない肉の保存法』


 

 「……使える」


 

 丈一郎は、それらの本を次々と小脇に抱えた。


 情報の格差は金の格差。


 この世界で日本語を読み解き、かつ空間の理を理解している自分なら、これら一冊一冊を白金貨に変えることも不可能ではない。


 だが、商売をするには「店」が必要だ。


 一箇所に留まれば、騎士団や権力者に利用されるだけ。ならば、逃げ足の速い店がいい。

 





 一時間後。

 

 それは、先日の襲撃で魔獣に踏み潰され、車軸が折れ、天蓋が引き裂かれた大型の荷馬車だった。



 「団長さん。この『粗大ゴミ』を俺に譲ってくれないか?」


 

 「……貴様、正気か? 骨組みすら歪んでいるのだぞ。薪にするしかない代物だ」


 

 「いいんだよ。俺はね、ボロを直して『本物』にするのが、本業なんだわ」


 

 丈一郎は最後の一服を吐き出すと、袖をまくり上げた。


 その腕には、若い頃、長年の現場仕事で刻まれた細かな傷と、重い工具を握り続けてきた職人の節がある。


 

 「……さあ、見とけよ。これが環古書店の……いや、日本の現場職人の意地だ」


 

 丈一郎は騎士団の整備場から錆びついた大槌と、適当な長さの鉄筋、そして大量の端切れ革をかき集めてきた。

 

 まずは、歪んだ車軸だ。


 ジャッキなんて便利なものはない。


 丈一郎は騎士団員を「馬車を持ち上げる」ためだけに使い、浮かせた隙間に手際よく石を噛ませて固定する。


 

 「……ふぅ。ここからだ」


 

 大槌を振り下ろす。


 ガン、ガンと、中庭に硬質な金属音が響き渡る。


 ただ闇雲に叩いているのではない。


 歪みの「支点」を見極め、鉄の反発を殺すように、的確に、執拗に。

 彼の感覚が、異世界の鉄の「悲鳴」を聞き分け、元の形へと叩き伏せていく。

 

 次に、引き裂かれた天蓋だ。


 丈一郎は、レザークラフトで使う菱目打ちの代わりに、細く削った釘と石を使い、ボロボロになった革に等間隔の穴を開けていく。


 

 「……よし」


 

 指先に力を込め、一針ずつ「物理的に」縫い合わせていく。


 

 「っ……せ、の……ッ!!」


 

 最後、どうしても噛み合わない木材の継ぎ目に、空間操法で「ほんの数ミリ、ズレ」を加え、強引に木組みを完成させた。

 それは「創造」ではなく、あくまで「修理」の延長線上にある。

 

 そして、仕上げだ。


 

 「……この内装を固定するためには」


 

 修理した骨組みが自重で潰れないよう、内側から「つっかえ棒」を固定する。

 

 馬車の内部。

 

 本来なら大人が二、三人入れば一杯になるはずの荷台が、丈一郎の「補強」によって、いつの間にか六畳間ほどの広々とした空間を維持できるようになっていた。


 

 「…………はぁ、はぁ。……魂を込めて修理するのが、一番保ち(もち)がいいんだよ」

 


 煤けた顔で笑う丈一郎の手は、豆が潰れ、真っ黒に汚れていた。

 それは紛れもない、自らの手で「直し尽くした」男の証だった。



 「…………ふぅ。……はぁ。…………死ぬわ」


 

 丈一郎は膝を突き、激しい動悸を抑えながら、完成した馬車の側面を叩いた。

 そこには、即席で作った墨で、力強い文字が刻まれている。

 

 『環古書店・異世界出張所』

 


 「ナッ、ナッ(私の寝床にちょうど良い広さだ)」


 

 「……よし、内装はこんなもんだ。モモ、そこは座るな。そのクッション、騎士団の予備備品を無理やり繋ぎ合わせて作った、世界に一つしかない特製品なんだからな」



 丈一郎は額に滲む汗を半纏の袖で拭い、満足げに自らの「城」を見渡した。


 外見は、街の隅で廃材となっていたボロボロの荷馬車。

 だがその内部は、かつての熊本・環古書店の空気を濃縮したような、静謐で埃っぽい、しかしどこか落ち着く空間が広がっていた。


 壁一面を埋める本棚は、拡張の副作用でわずかに歪んで見えるが、そこに並ぶのは九重の爺さんがこの世界に残した、ある意味で「最凶の在庫」とこの世界で仕入れた本だった。



 「ヌッ(誰かおるぞ)」



 モモが耳をピクリと動かし、入り口を覆う厚手の遮光カーテンを鋭い眼差しで睨みつけた。

 丈一郎は咥えていた煙草の二本目を、石の灰皿に押し付けた。


 ニコチンが回り、過敏になっていた神経がようやく商売人としての「定位置」に落ち着く。



 「……分かってるよ。開店早々、ずいぶん足音の重い客だ。……鎧の擦れる音からして、ただの愛書家じゃねぇな」



 丈一郎がカーテンを開けると、そこには一人の男が立っていた。

 豪華な装飾が施された、しかし随所に実戦の傷跡が刻まれた重厚な革鎧を纏った老戦士だ。


 その背後には、彼を護衛するように数人の若い兵士が殺気立って控えている。

 だが、老戦士の視線は、丈一郎の不審な身なりではなく、馬車の横に掲げられた『環古書店』の看板、その墨文字に釘付けになっていた。



 「……その看板の文字。貴様、どこで学んだ。この『聖なる図形』を正しく書ける者は、三十年前に我が王国から姿を消したはずだ」



 地を這うような低い声。


 だが、そこには明確な「飢え」が含まれている。丈一郎は瞬時に察した。

 この男は、力や金を求めているのではない。もっと厄介で、もっと高価なもの「失われた過去」を求めているのだ。



 「古本屋に野暮な質問ですよ、旦那。文字は読むためにある。……中へどうぞ。うちは一見さんでも、価値が分かる客なら歓迎だ。……あ、靴の泥は落としてくれよ」



 丈一郎は手慣れた手つきで、熊本の市場で百戦錬磨の業者を相手にしてきた「営業用の顔」を作り、老戦士を店内に招き入れた。

 一歩足を踏み入れた瞬間、老戦士の瞳が驚愕に見開かれた。


 老戦士を驚かせたのは、棚に並ぶ「九重の本」の放つ気配だった。



 「……これは、なんだ。この、紙から漂う香りは。羊皮紙の獣臭さではない……植物の、清涼な……」



 「『和紙』ですよ。皮紙みたいに、千年経っても腐らない。……さて、何を探してる? 剣の振り方か? それとも、明日死なないための知恵か?」



 老戦士は震える指先で、平台に置かれた一冊の本、九重の爺さんが書き残した『異世界における鉄鋼の熱処理と空間固定の理論・私見』という、およそ一般人には理解不能な殴り書きのノートに手を伸ばした。



 「……読めぬ。だが、魂が震える。この幾何学的な紋様の中に、我が一族が数百年探し求めていた『神の金属』を打つための答えが眠っている気がしてならぬのだ」



 (爺さん、あんた、この世界の職人連中にデカい『宿題』を投げっぱなしで帰りやがったな)



 丈一郎は内心で舌を出しながらも、表情は鉄面皮を貫く。



 「ああ、それは『レア』本ですよ。……何しろ、書いた男がひどい捻くれ者でね。ただ売るわけにはいかない」



 「金なら出す。この街の商館を一つ買い取れるほどの白金貨でも、望むものを言え」



 「いや、金じゃねぇ。その手の古本の基本ルールは『交換』だ。……旦那、あんたの腰に下げられた、その『折れた小刀』。それを見せてくれ」



 老戦士の顔色が、一瞬で険しくなった。


 その小刀は、聖遺物であり、かつて勇者ココに作らせた伝説の武器のなれの果てだった。



 「……これを、知っているのか?」



 「知ってるも何も、断面を見りゃわかる。……九重の爺さんが若い頃に打つ刃物は、いつも仕上げが雑なんだ。強すぎて、自分自身の力に耐えきれずに折れちまう」



 丈一郎は、老戦士から手渡された折れた小刀を手に取ると、九重の印をみつけた。



 「旦那、商談といこう。あんたがもし、持っている『禁書』があるなら……それを俺に貸せ。その対価として、この小刀を元の姿より鋭く直してやる。……もちろん、その本の最初の十ページを、あんたの国の言葉で翻訳して読み聞かせるサービスも付けようか」



 老戦士は沈黙した。


 地下の禁書庫は、王宮の司祭官が管理する最高機密だ。

 だが、目の前の男が放つ「聖なる図形を我が物顔で扱う」異常なまでの説得力が、彼の長年の騎士としての直感を揺さぶっていた。



 「……面白い。貴様がただの詐欺師なら、この馬車ごと藻屑にしてやるところだが……その言葉、信じてみよう。勇者ココの再来か、あるいは災厄の化身か。見極めさせてもらう」



 「再来なんて御免だね。俺はただの古本屋だよ」



 丈一郎は、不敵に笑った。


 取引は成立した。手元には伝説の刃の欠片。そして、爺さんが散らかした「禁忌の知識」へと至る鍵。



 (……さて。仕入れの次は、この世界への潜入か。……日本に帰れる何かあればいいが)



 馬車の外では、夜風に混じって不穏な魔力の震動が、街の地下深くから響き始めていた。

 丈一郎の異世界ビジネスは、単なる日銭稼ぎを超え、かつて爺さんがこの世界に撒き散らした「黒歴史」を清算するための、危険な鑑定行へと加速していく。



 「モモ、行くぞ。……最初の仕事だ」



 「ナッ(飯)」



 二つの月が照らす荒野で、移動式古書店の車輪が、再び静かに、しかし確かな重みを持って回転を始めた。

【作者より】

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

丈一郎とモモの旅もここまで積み重なり、物語の輪郭がより色濃く、深く動き始めています。


僕自身も二人の行く先をガシガシと追いかけるように執筆しています。

皆様から届く感想や評価、ブックマークは、二人が暗闇を突き進むための眩しい「ガソリン」になります。

「次の更新が楽しみで仕方ない!」と感じていただけるよう、常に全開の熱量で書き進めていきますので、ぜひこれからも二人の旅路の目撃者として、熱い応援をよろしくお願いいたします!

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