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第二十話 神様の食卓は高くつく(後編)

【作者より】

本日も数ある作品の中から本作を開いていただき、ありがとうございます。

丈一郎とモモの旅路はさらに加速し、物語は熱を帯びて広がっています。


読者の皆様からいただく感想やブックマークこそが、僕がペンを走らせるための最高の「ガソリン」です。

「この先の展開も気になる!」と思っていただけるよう全力で執筆していきますので、ぜひ二人の旅の同行者として、末永く応援していただけると嬉しいです!


 高級鰹節の削り器なんて洒落たものは、環古書店には存在しない。

 丈一郎はレジの奥から、代々の店主が本の修繕や段ボールの解体に使ってきた、研ぎ澄まされたカッターナイフと、工作用の小型カンナを引っ張り出してきた。


 「……いいか、モモ。今から俺が、お前のために四千五百円を紙吹雪にしてやる。感謝しろよ。この一削りは、俺の昼飯の牛丼一皿分に相当するんだからな」


 カウンターに鎮座するモモは、相変わらず一言も発しない。

 だが、その黄金の瞳は、丈一郎の手元をじっと、一分の狂いもなく凝視している。


 その沈黙は、かつてないほどに雄弁だった。


 『下手な削り方をすれば、お前の在庫を全部寝床にするぞ』


 そんな無言の脅迫を感じながら、丈一郎は気合いを入れた。


 「……ッ!」


 黄金の環が微かに鳴り、空中に分裂した「二つのリング」を打ち込む。

 丈一郎は四千五百円の鰹節をそのリングで挟むように固定した。


 これで、どれほど力を込めても鰹節は一ミリも動かない。……はず。

 本来なら怪異を圧し潰すために使う法則の超越を、彼は今、極上の猫まんまを作るためだけに動員していた。


 シュッ、シュッ……。


 カンナの刃が、琥珀色の断面をなぞる。


 削り出された節は、まるで最高級の絹織物のように薄く、光を透かして店内に舞った。

 瞬時に広がる、濃厚で、それでいてどこか清廉な海の香り。


 古本のカビ臭さと、安タバコのヤニに汚された店内の空気が、その香りだけで一気に浄化されていくような錯覚を覚える。


 「ナッ」


 モモが、短く、だがどこか急かすような声を上げた。

 丈一郎は震える手で、炊飯器の底に残っていた、昨夜の冷や飯(少し固くなっている)を茶碗に盛る。

 その上に、文字通り命を削るようにして用意した鰹節を、これでもかとふんわりと積み上げた。

 仕上げに、なけなしの醤油をひと垂らし。


 「……ほらよ。神様の御膳だ。心して食え。お供え代は出世払いで頼むぞ」


 茶碗をカウンターに置いた瞬間だった。


 モモが一口、その「黄金の食卓」を口に含んだ刹那、店内の空気が物理的な質量を持って震えた。

 モモの背後に、昨夜見たあの「巨大な獣」の影が、蜃気楼のように一瞬だけ揺らめく。


 「……っ!? おい、モモ!」


 丈一郎が身構えたが、モモは覚醒する様子はない。


 ただ、その小さな体から、凄まじい密度の「神気」が溢れ出していた。

 モモが咀嚼するたびに、店内の壁に貼られた段ボールの補修跡が、淡い光を帯びていく。


 「ナッ、ヌッ、ナッ(美味い、これだ、もっと寄越せ)」


 猛烈な勢いで茶碗に顔を突っ込むモモ。

 

 神様の威厳もへったくれもない、ただの食い意地の張った猫の姿。

 だが、その「食」の儀式が完了に近づくにつれ、丈一郎の左腕のバングルが、嫌な熱を持ち始めた。


 九重の言葉が脳裏をよぎる。


 『土地の霊気と、次元の楔を混同すれば、次はお前の腕ごと弾け飛ぶぞ』


 モモが神気を溜め込めば溜め込むほど、この「環古書店」という場所の概念が強化される。

 一方で、丈一郎のバングルは、この世界の座標を無理やり歪める「異物」だ。

 「土地」が本来の姿(清浄な神域)に戻ろうとすればするほど、異物であるバングルを排除しようとする力が働く。


 「あたたたた……っ! おい、モモ! 落ち着け! 食い過ぎだ! 」


 丈一郎の腕の中で、黄金の環が激しく火花を散らす。


 バングルが空間に打ち込んだ座標が、モモの放つ「土地の主としての拒絶」によって、力ずくで書き換えられようとしていた。


 「ちょ、待て……! これじゃ、飯を食わせてる俺が、この店から『不法投棄物』として追い出されちまう!」


 カウンターの上の猫まんまから立ち上る湯気が、いつの間にか紫煙のような怪しい色に染まっていた。

 モモは最後の鰹節の一片を飲み込むと、満足げに「フンッ」と鼻を鳴らした。


 その瞬間、店内の空間が、まるで雑巾を絞るようにグニャリと捩れた。


 「うわあああかっ!?」


 丈一郎の体は、自分の店の中にいながら、奈落の底へ突き落とされるような感覚に襲われた。

 激しい眩暈と、耳の奥で鳴り響く不協和音。


 目を開けた時、そこはいつものカビ臭い古本屋ではなかった。


 ……街がない。


 商店街のアーケードも、向かいのクリーニング屋も、路面電車の音も消えている。

 そこにあるのは、どこまでも続く、モノクロームの霧に包まれた「存在しない街」。


 そして、丈一郎の手の中には、いつの間にか九重から渡されたあの「古地図」が、生き物のようにドクドクと脈動しながら握られていた。


 「……嘘だろ。モモ……お前、飯の勢い余って、俺を仕事現場に飛ばしやがったな!?」


 丈一郎は絶叫したが、返ってくるのは冷たい霧の湿り気だけだった。

 ただ一つ、彼の足元に、食い足りなさそうに舌なめずりをする一匹の三毛猫だけが、ちゃっかりと一緒に「転移」してきていた。


 「ナッ(次は、大盛りだ)」


 と言わんばかりの黄金の瞳。


 世知辛いファンタジーは、ついに「現実」を置き去りにして、異界の座標へと足を踏み入れた。




 視界を埋め尽くすのは、色の剥げ落ちた灰色モノクロームの世界だった。


 丈一郎が立っていたのは、見慣れた商店街のアスファルトの上ではない。

 足元にあるのは、湿った苔がへばりつき、不自然な角度で隆起した古い石畳。


 見上げれば、太陽の代わりにどんよりとした鉛色の霧が空を覆い尽くしている。

 そこは、地図の中にしか存在しないはずの、「忘れ去られた街」の残骸だった。


 「……ああ、クソ。やってくれたな、モモ」


 丈一郎は、手の中で心臓のようにドクドクと脈打つ「古地図」を恨めしげに睨みつけた。

 九重から手渡された時よりも、地図に描かれた墨の線はさらに黒く、血管のように生々しく変色している。


 モモが最高級の鰹節を摂取し、店内の神気を臨界点まで飽和させた結果、地図に封じられていた「異界の座標」とバングルの共鳴が、制御不能なレベルで引き合ってしまったのだ。

 物理的な反転が起き、丈一郎は四千五百円の鰹節を献上した挙げ句、本来なら明日の予定だったはずの残業(除霊)現場へと、前払いなしで叩き込まれたというわけだ。


 「……これだから神様ってのは信用ならねぇんだ。人の生活、一ミリも考慮してねぇ。少しは『ワークライフバランス』って言葉を学べってんだ、このデブ猫が」


 毒づきながら周囲を確認するが、足元にいるモモは、どこ吹く風で喉を鳴らしている。

 霧に包まれたこの異様な空間を、まるでお気に入りの日溜まりでも歩くかのように悠然と闊歩し始めた。


 その足取りは、安物のカリカリを食っていた時とは比べものにならないほど軽く、腹を満たしたことで神気スタミナが全回復しているのが見て取れる。


 「おい、待てモモ! ここはもう熊本の商店街じゃねぇんだぞ。迷子になっても探してやらねぇし、ましてや帰り道がわからなくなっても俺は知らんからな。……ったく、筋肉痛がぶり返してきたじゃねぇか」


 丈一郎が、ヨレヨレの半纏を直しながら慌てて後を追おうとした瞬間だった。

 霧の向こうから「カシャン、カシャン……」という、巨大な金属が擦れ合うような重々しい音が響いてきた。


 それは、商店街を走る自転車のチェーンの音ではない。

 もっと重く、冷たく、そして生理的な嫌悪感を呼び起こすような、幾何学的に歪んだ「何か」が移動する音だ。

 霧を切り裂いて現れたのは、街灯を継ぎ接ぎして作ったような、高さ三メートルを超える歪な巨体だった。


 その顔にあたる部分には、おびただしい数の「交通標識」が鱗のように埋め込まれ、中心にある赤い目が「進入禁止」の文字を毒々しく点滅させている。

 九重が言っていた、資産家の家を丸ごと飲み込み、住人を連れ去ったという「存在しない街」の門番。

 地図の歪みが、人々の「迷い」を燃料に具現化した、座標の化け物だ。


 「ナッ(出番だぞ、下僕)」


 モモが短く鳴き、丈一郎の背後にさっさと隠れた。

 その黄金の瞳は明確にこう告げている。

 『私は飯を食ったばかりで眠いのだからな』と。


 「……現金な奴め。その鰹節、全部吐き出させてやろうか」


 文句を言いながらも、丈一郎の左腕で黄金のバングルが激しく回転を始める。

 キィィィィィン、という、空間そのものが悲鳴を上げるような高周波の共鳴音が、不気味なモノクロームの世界に反響した。


 丈一郎の瞳から、一円単位の仕入れ値に一喜一憂する貧乏臭い店主の顔が消え、そこには冷徹で鋭利な「掃除屋」の光が宿る。


 「おい、看板野郎。悪ぃが今は機嫌が最悪なんだ。昨夜の寝不足と、さっき失った四千五百円の重み……きっちりお前の座標に叩き込んでやるよ。環家の家計簿の恐ろしさを、その身に刻め」


 丈一郎がバングルを突き出した瞬間、数千の黄金のリングが霧を蹴散らしながら、幾何学的な曼荼羅となって周囲に展開された。


 「いくぜ!」


 空中に打ち込まれる、無数のリング足場。

 丈一郎は重力を無視して地を蹴り、異界の濁った空へと真っ直ぐに駆け上がった。

 

 商店街のガムテープ補強から、異界での命懸けの戦闘へ。


 そのギャップを埋めるのは、いつだって空っぽの財布への呪いと、足元で既に気ままに毛繕いを始めている三毛猫の「フンッ」という、どこまでも他人事な鼻鳴らしだけだった。


 「掃除屋」の仕事ってのは、結局のところ、散らかった世界の後始末だ。

 だが、その掃除代金として支払われるはずの報酬が、猫の高級な餌代で完全に相殺されるなんて、どの経営学の本にも、どの古文書の魔術書にも載っていなかった。


 俺は遠い目をして、まだ味わってもいない今日の昼飯のことを考えていた。


【作者より、大切なお願い】


ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!

実は本作、単行本2冊分(約20万文字弱)のストックを用意して、満を持して連載をスタートさせたのですが……現在、ブックマークや評価ポイントが「0」の状態で、画面の前でかなり頭を抱えております。

贅沢は言いません。

もし、丈一郎の世知辛い現代ファンタジーや、この世界観を「ちょっと面白いじゃねえか」「続きが気になるな」と少しでも思っていただけましたら、どうかページ下部にある【ブックマーク登録】や、【評価の☆☆☆☆☆(ポイント)】をポチッと押していただけないでしょうか。

読者の皆様からの反応だけが、毎日執筆を続けるための唯一の燃料です。

皆様のワンクリックが、丈一郎の旅を最後まで描き切る気力になります。

どうか、おじさんに元気を分けてください。

よろしくお願いいたします!

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