第十四話 断末魔(後編)
【作者より】
本日も数ある作品の中から本作を開いていただき、ありがとうございます。
丈一郎とモモの旅路はさらに加速し、物語は熱を帯びて広がっています。
読者の皆様からいただく感想やブックマークこそが、僕がペンを走らせるための最高の「ガソリン」です。
「この先の展開も気になる!」と思っていただけるよう全力で執筆していきますので、ぜひ二人の旅の同行者として、末永く応援していただけると嬉しいです!
「ガッ、……ギギギッ!」
蔵の奥底、増殖の源流点。
一振りの刀を中心に渦巻く「情報の津波」は、もはや物理的な質量を超え、空間そのものを圧死させようとしていた。
丈一郎が展開した黄金のリングは、周囲から押し寄せる数千本の「偽物の刀」と数万冊の「複製本」に挟まれ、火花を散らして軋んでいる。
一歩踏み出すたびに、足元の茶器が砕ける乾いた音と、それが即座に自己複製して足首を締め上げる嫌な感触が伝わる。
重い。
空気が、文字通り「情報の密度」で固形化し始めているのだ。
一呼吸置くごとに、肺の中にまで墨の匂いと古い紙の繊維が入り込み、内側から体を情報の壁で塗り潰されるような錯覚に陥る。
「……クソが、これじゃ締め技をかけられてるのと変わらねぇぞ!」
丈一郎は歯を食いしばり、右腕を突き出した。
「キィィィィィィィィィン!!」
バングルが、九重の調律に応えるように高周波の咆哮を上げる。
以前の耳障りな不協和音ではない。
それは、神聖なまでの鉄槌の音だ。
丈一郎はリングを五枚、連結させたまま一気に膨張させた。
空間固定の力で、迫りくる物質の波を強引に数センチだけ押し戻す。
そのわずかな隙間に、彼は長年の修練で培った最速の踏み込みを叩き込んだ。
だが、情報の核、台座に鎮座する『刀』は、自らを守るように情報の障壁を幾重にも張り巡らせる。
「カシャン! カシャン! カシャン!」
蔵の四方から飛来した「複製された皿」が、空中で整列し、物理的な盾となって丈一郎の進路を塞ぐ。
一枚叩き割れば二枚に増え、二枚壊せば四枚に増える。
数学的な絶望が、蔵の闇を埋め尽くしていく。
その増殖スピードは、もはや丈一郎の打撃の速度を凌駕しようとしていた。
「……数で勝負しようってのか。……いいぜ。だがな、俺のバングルを直した爺さんは、そういう『数』の暴力が一番嫌いなんだよ!」
丈一郎は、右腕のバングルを左手の掌で強く叩き、全神経を黄金の環に同期させた。
「ぬん!」
黄金の環が、一瞬だけ白銀の光を放つ。
その一瞬の空白。
丈一郎は懐から「和紙のお守り」を十数枚、指の間に挟み込んだ。丈一郎の体が、情報の海の中を弾丸のように滑った。
複製される刀の林を、体捌きですり抜ける。
肩をかすめる偽物の切っ先が、半纏を無慈悲に切り裂き、二の腕の皮膚を薄く削いだ。
熱い血が流れるが、丈一郎は瞬き一つしない。
痛みは、ここが現実であることを繋ぎ止める唯一の錨だ。
刀の「核」まであと二メートル。
そこには、持ち主の執念か、あるいは鑑定への呪いか、ドロドロとした黒い澱みが渦巻いている。
「……お前、本物になりたかったんだろ?」
丈一郎の声が、鼓膜を揺らすノイズの渦の中に響く。
「だがな、本物ってのはな……こうやって、『痛み』が伴うもんなんだよ!」
丈一郎は、右腕のバングルを「核」の刀身へ直接叩きつけるべく、拳を振り上げた。
刀から放たれる拒絶の波動。
空間が歪み、丈一郎の腕の骨がミシリと不吉な音を立てる。
法則を書き換えようとする刀の意志と、それを現実に固定しようとするバングルの意志が、丈一郎の右腕を戦場にして衝突した。
「ぐ、……ぉぉおおおっ!」
バングルの黄金と、刀の紫の光が真っ向から衝突し、蔵全体を揺らすほどの衝撃波が走った。
壁の漆喰が剥がれ落ち、瓦が崩れる音が外まで響く。蔵そのものが自らの質量に耐えかね、断末魔を上げている。
丈一郎は、圧迫感で潰れそうになる肺を叱咤し、全ての力を右腕一点に集中させた。
「ふんぬぅっ!!」
刀を、この現実世界に「一振りだけ」として再定義する。無限の複製という逃げ道を、黄金の環が、九重の調律によって完全に封鎖した。
次の瞬間、丈一郎の手の中にある「和紙のお守り」が、一斉に発火するように白く光り輝いた。
「……吸い込め、……全部だ!!」
蔵の中に溢れかえっていた数万の複製情報の濁流が、一筋の巨大な渦となって、丈一郎が掲げた和紙の中へと吸い込まれていく。
あまりの情報の流入量に、お守りを掴む丈一郎の指先が、摩擦熱で焦げたような臭いを立て始めた。
紙が物理的な限界を超え、情報の重みで鉛のように重くなる。
「チッ、……まだか! まだ足りねぇのか!」
バングルが熱を帯び、丈一郎の皮膚を焼く。
黄金が赤く染まり、彼の意識を情報の彼方へ引き摺り込もうとする。
だが、彼は踏ん張った。
そして。
「……カキィン……」
何かが砕けるような、あるいはパズルの最後のピースが正しく嵌まったような、小さな音が響いた。
爆発的な静寂が、蔵を支配した。
さっきまでの地獄のような物の溢れ方は消え失せ、暗がりの床には、ボロボロになった一振りの古い刀と、真っ黒に染まって石のように重くなった数十枚の「お守り」が転がっているだけだった。
「……はぁ、……はぁ、……はぁ……」
丈一郎は膝を突き、激しく肩で息をした。
肺が冷たい空気を取り込み、ようやく自分が生きていることを実感する。
右腕のバングルは、役目を終えたように微かな余熱を放ち、静かに脈打っていた。
焼け付くような腕の痛みと、全身を包む脱力感。そして、静まり返った蔵の暗闇。
「はぁ……はぁ……百万。……これで、一円でも値切ったら、……次は屋敷ごと『間引き』してやるからな……」
彼は真っ黒に汚れたお守りを、震える手で一枚ずつ拾い集め始めた。
一枚一枚が、この蔵に溜まった数百年分の「欲」と「執着」の重みだった。
丈一郎は、重く沈んだお守りを懐へねじ込むと、よろよろと立ち上がり、光の差し込む出口、現実の世界へと歩き出した。
蔵の重厚な扉を内側から無理やり押し開き、外の世界へ這い出した丈一郎を待っていたのは、夕闇に沈みかけた城下町の静謐な空気と、腰を抜かして石畳に座り込む西園寺家の当主の姿だった。
「……終わったぞ、旦那。中を確認してくれ」
丈一郎の声は掠れ、肺の奥から絞り出すような響きだった。漆喰の壁から亀裂が消え、内側からの圧力で今にも弾けそうだった蔵が、本来の静かな立ち姿を取り戻している。
その様子を見て、当主は震える手で地面を突き、何度も深く頭を下げた。
蔵の周囲には、丈一郎が「間引いた」情報の残骸が、ただの埃となって夕風に舞い、消えていく。
「あ、……ありがとうございます……。家宝も、この代々続く屋敷も、すべてが助かりました……」
当主は涙を流しながら、約束の報酬が入った分厚い封筒を差し出した。
丈一郎はその重みを確かめるように受け取ると、懐にある前金の十万円と合わせ、リュックのポケットにねじ込んだ。
合計百十万円。
環古書店の数年分の純利益に相当する金額が、今、彼の使い古した布きれの中に収まっている。
だが、代償は安くはなかった。
丈一郎の半纏は刃のような情報の波に晒されてズタズタに裂け、右腕にはバングルの熱が残した痛々しい火傷の跡が刻まれている。
そして何より、懐にねじ込んだ「真っ黒に染まって石のように重くなったお守り」の束。
これだけの情報の澱みを、あの狭い店の仏壇で一人、供養しきらなければならない。
その精神的な疲弊と、今後の「業」の深まりを考えれば、百十万という数字さえ妥当……いや、安すぎるようにさえ思えてくる。
「……刀は蔵の奥、元の台座に置いてある。だがな、旦那。あれはもう、しばらくは触らねぇ方がいい。人間の欲が溜まりすぎたんだ、あの道具も、この蔵もな。これ以上、本物になりたいなんて願わせるなよ」
丈一郎はそれだけ告げると、一度も振り返ることなく、サビだらけの原付へと向かった。
エンジンをかける。
城下町の端正な景観を汚すような不細工な排気音が、静寂の中に響き渡る。
夜の帷が降りる中、彼は街灯の乏しい帰り道を、ただ黙々と走り続けた。
ハンドルを握る手はまだ微かに震えており、バングルの熱が引いた後の右腕には、どろりとした疲労が鉛のように溜まっていた。
寂れた商店街に戻り、環古書店のシャッターを上げる頃には、日付が変わろうとしていた。
「……ただいま、モモ。いい子にしてたか」
「ナッ(遅い)」
カウンターの上で、モモが不機嫌そうに尻尾を振っていた。
彼女の視線は、丈一郎のボロボロの姿よりも、背中のリュックから漏れ出す「澱み」に向けられている。
丈一郎は真っ先に店の奥へ向かい、仏壇の観音扉を開いた。
九重が命を吹き込み直した黄金のバングルを腕から外し、位牌の横の定位置へと安置する。
そして、真っ黒に変色し、物理的な紙の重さを超えて沈み込んだお守りを、一つずつ、丁寧に香炉へと捧げていった。
「……よし。これで、今回の分は全部だ。……始めるぞ」
マッチを擦り、線香に火を灯す。
白檀の香りが店内に広がり、バングルが放つ無音の共鳴が、黒いお守りから少しずつ「重み」を剥ぎ取っていく。
蔵の中に渦巻いていた数百年分の執着、名刀としての虚栄心、持ち主たちの歪んだ自尊心。
それらが環家の歴史というフィルターを通して、ようやく静かなる無へと還っていく。
それは、派手な格闘よりも遥かに神経を削り、魂を摩耗させる、掃除屋としての「後始末」だった。
一連の儀式を終えた丈一郎は、カウンターに戻り、分厚い封筒をドサリと置いた。
「……見ろよ、モモ。これが今回の戦利品だ。これで、少しは人間らしい生活ができるはずだ」
「ヌッ(中身を見せろ)」
モモが前足で器用に封筒を突き、中から新札の束が顔を出す。その眩しさに、丈一郎は一瞬だけ目を細めた。
「これで屋根を直して、九重の爺さんに渡す写本の穴埋めをして……。あぁ、そうだ。馬刺し。忘れてねぇよ。約束だからな」
丈一郎は、帰り道に唯一開いていた深夜営業のスーパーで、文字通り「清水の舞台から飛び降りる覚悟」で購入した、特売品ではない馬刺しパックを取り出した。
一番いい霜降りではないかもしれないが、今の二人には十分すぎるほどの贅沢だ。
「ほら。……食えよ。俺の分まで残しとけなんて、野暮なことは言わねぇからさ」
モモは満足げに鼻を鳴らし、小皿に盛られた肉を上品に、かつ容赦ないスピードで平らげ始めた。
それを見届けた丈一郎は、自分用に買った一本数百円の少しだけ高い缶ビールを開け、一気に煽った。
ビールを飲むときに震える手が、半纏の破れ目から覗く火傷の跡を照らす
喉を焼くような苦味と、心地よいアルコールが、極限まで張り詰めていた神経をゆっくりと解きほぐしていく。
「……なぁ、モモ。百十万なんて大金、結局、店の修理代払ったら、手元に残るのはそんなにないかもな。……俺たちの人生、いつまで経っても自転車操業だな」
窓の外では、また雨が降り始めていた。
トタン屋根を叩く、聞き慣れた単調な音。
丈一郎は、黄金のバングルが眠る仏壇を背に、古書に囲まれたいつもの万年床へと沈み込んだ。
怪異の濁流を飲み込み、そしてまた明日も、この世知辛い日常を守るためにシャッターを開ける。
黄金の環は、静かに、だが力強く、次の「淀み」を待つかのように闇の中で光っていた。
「……明日こそは、……在庫の山の奥にある、あのアロンアルファ……絶対見つけ出して、……棚の脚、直してやる……」
泥のような眠りに落ちる直前、彼は誰に聞かせるでもなくそう呟いた。
雨音は優しく、そして静かに、掃除を終えたばかりの環古書店を、そして満腹で丸くなった猫を包み込んでいた。
城下町までの道のりは、四十過ぎの腰には「地形そのものが怪異」みたいなもんです。
モモは店番中、椅子の上で熟睡してやがりました。
俺の肩は揉んでくれないくせに、馬刺しへの執着だけは一人前です。
【作者より】
「いつもお読みいただきありがとうございます!基本は木曜更新ですが、週末のお供に楽しんでいただければと思い、本日は先行して投稿しました!」




