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第十三話 断末魔(前編)

 あー、クソ。

 九重の爺さんに持っていく「写本」を探して棚をひっくり返してたら、埃で鼻が馬鹿になった。

 おまけに、溜まったお守りを仏壇で供養するたびに、店の中が妙に線香臭くなってかなわねぇ。

 世の中、捨てる神あれば拾う神ありなんて言うが、俺の周りにゃ「毟り取る神」しかいねぇのか。

 ……ん? モモ、その名刺、いつの間に咥えてきた。……城下町の不動産屋?

 「蔵の掃除」……ほう。報酬の桁が、一個多いんじゃねぇか、これ。


 「ナッ」


 三毛猫のモモがカウンターの上で、一円玉ほどの大きさしかない「和紙のお守り」を、爪を立てるようにしてチョイチョイと突き、床に落とした。

 畳の上に頼りなく落ちたそれは、一見ただの紙切れに見えるが、昨晩、駅前のガード下で「歩行者の歩数を盗んでいた怪異」の成れの果てを中に封じ込めたものだ。


 「おい、モモ。それを床に転がすなと言ったろ。……あーあ、埃がついちまった。これから供養するんだぞ。少しは敬意を払え」


 丈一郎は「よっこらしょ」と、もはや口癖になったボヤキと共に腰をさすりながら立ち上がった。

 床に落ちたお守りを指先で拾い上げると、表面についた埃を慎重に吹き払い、店の奥へと足を進める。

 店内の突き当たり、カウンターのさらに奥にある薄暗い一角。


 そこには、環家に代々伝わる古い仏壇が置かれている。


 観音扉をゆっくりと押し開けば、そこには九重の手によって完璧な調律を施された『黄金のバングル』が、静謐な光を湛えて鎮座していた。


 その隣には、顔も知らぬ先祖たちの位牌。


 丈一郎は、吸い込ませた残滓で微かに重みを増したお守りを、位牌の横にある小さな香炉へと供えた。

 マッチで線香に火を灯し、手首を軽く振って火を消す。


 細く立ち上る紫煙がお守りを包み込むと、紙の表面に一瞬だけ黄金の紋様が回路のように浮かび上がり、次の瞬間、内側に封じられていた「淀み」が霧散するように消えていく。

 バングルが発する無音の共鳴が、怪異の情報を浄化し、環家の因縁へと組み込んでいくのだ。


 「……これで良し。さて、昨晩の上がりは、と」


 白檀の香りが立ち込める仏壇を閉じ、丈一郎はカウンターに戻ってレジの引き出しを覗き込んだ。

 依頼主が慌てて置いていった、シワだらけの一万円札が五枚が入っていた。


 そこからモモの餌代を引き、自分の安コーヒー代を差し引き、さらに昨日の往復のガソリン代を計算に入れても、お金が手元に残る。


 「……差し引いてもいいね。いやぁ、疲れた」


 丈一郎はカビ臭い店内の空気に溜息を吐き、力なくカウンターに突っ伏した。


 視界の端で、モモが「これを見ろ」と言いたげに前足で一枚の名刺を弾く。

 熊本城の膝元、古い武家屋敷が今も立ち並ぶ一等地に居を構える「旧家・西園寺さいおんじ」の資産管理を請け負う不動産屋の名刺だった。


 裏面には、万年筆による端正な字で、震えるような執念を感じさせる文章が綴られていた。

 『蔵の物品が、物理的な飽和状態にあります。至急、環様の手による「間引き」をお願いしたい。前金として十万円、完遂後にさらに百万円を提示します』


 「……ひ、百万……?」


 丈一郎の乾いた瞳に、久方ぶりの熱が灯った。


 百万。


 その数字は、今の彼にとって単なる通貨の単位ではなかった。

 九重の爺さんに差し出す、あの「禁書の写本」の穴埋めができる。


 雨漏りが激しくなり、バケツが手放せなくなった屋根をプロの業者に頼んで修繕できる。

 そして、モモに、最高級カリカリを買い与えられる。


 「ナッ」


 モモが、まるで丈一郎の脳内の電卓を覗き見ているかのような、醒めた鳴き声を上げた。

 彼女の瞳には「この飼い主が割のいい話に飛びついた時ほど、さらにひどい、世知辛い結末が待っている」という確信が宿っていた。


 「……分かってるよ。蔵の物が『膨らんでる』んだろ? 空間の歪みか、あるいは複製系の質の悪い怪異だ。面倒なのは百も承知だ。だがな、モモ。今の俺には、リスクを天秤にかけるだけの『重り』がねぇんだよ。……金という名の、現実を支える重りがな」


 丈一郎は再び仏壇に向き直ると、安置されていたバングルを右腕へと滑り込ませた。

 受け取った瞬間、バングルは丈一郎の皮膚に吸い付くように馴染み、鋭い感覚が脳を貫く。 


 九重が叩き直した黄金は、以前よりも鋭敏に、世界の法則から外れた「情報」を検知し始めていた。

 ヨレヨレの半纏を羽織り、リュックに和紙のお守りの「束」を詰め込む。


 一度の封印では到底足りないだろう。


 「おい、モモ。上手くいきゃ、帰りに熊本名物の馬刺し、それも一番いい部位のパックを買ってやる」


 「ヌッ(その言葉、供養のついでに位牌の前で誓っておけ)」


 モモは相変わらずの現金な足取りで、椅子の上へと飛び乗った。


 「……あ、レジ裏の煮干し、勝手に食うなよ。あれは俺の深夜作業用の非常食なんだからな」


 「フンッ」


 三毛猫のモモは、丈一郎の殊勝な言葉などどこ吹く風といった様子で、椅子の上で優雅に毛繕いを始めた。その素っ気ない態度は、「とっとと稼いで帰ってこい」という彼女なりの激励なのだろう。


 丈一郎は苦笑しながら、一人で店を出た。


 サビだらけの原付が、今日は心なしか力強い排気音を上げ、寂れた商店街を後にする。

 向かうは、歴史と伝統が情報の過密によって腐りかけている、西園寺家の「開かずの蔵」。

 俺の、一獲千金を賭けた「大掃除」が、春の湿った風と共に幕を開けた。


 熊本城の威容を遠くに仰ぐ城下町の一角。


 そこは、現代の喧騒から取り残されたように静謐な、高い漆喰の塀が続く武家屋敷街だった。

 サビだらけの原付が、その格式高い静寂を不躾に引き裂きながら、西園寺家の重厚な門前で停まる。


 「……ここか。豪華さが、うちの店とは次元が違うな」


 丈一郎はヘルメットを脱ぎ、額の汗を拭った。


 門を潜り、屋敷の奥へと案内されるにつれ、肌にまとわりつく空気の質感が変わっていく。 

 

 湿気ではない。


 それは「密度」があまりに高まりすぎたことで生じる、物理的な圧迫感だった。


 案内された敷地の隅。


 そこには、本来なら威厳あるはずの白壁の蔵が、まるで内側から巨大な怪物が暴れているかのように歪み、壁のあちこちに不気味な亀裂を走らせていた。

 蔵の隙間からは、本来の入り口ではない場所から、古い和本や掛け軸の端が、まるで内臓が飛び出すかのように「溢れ出して」いる。


 「……おいおい、『間引き』なんてレベルじゃねぇぞ、これ」


 丈一郎は、右腕のバングルが今までにない激しさで脈動するのを感じた。

 九重に叩き直された黄金は、蔵の内部で起きている「怪異の暴走」に対し、警告の振動を脳髄へ直接送ってくる。


 以前の不快な異音ではない。


 それは、獲物を前にした猛獣が喉を鳴らすような、鋭く、研ぎ澄まされた共鳴だった。


 「環様、お待ちしておりました……。ご覧の通りです。中の物品が、一刻も休まずに『増え』続けております。先祖代々の家財が、自らをコピーし、空間を圧迫しているのです。……もう、扉を開けることすら我々にはできません」


 依頼主である西園寺家の現当主は、青白い顔で蔵を指差した。

 その手には、前金である十万円の入った封筒が握られている。


 丈一郎の目が、一瞬だけ鋭くその封筒を射抜いた。

 この十万、そして終わった後の百万。

 それが今の丈一郎を支える唯一の現実的な「重り」だ。


 「……増殖、ね。座標の重複を許容するほどの『淀み』か。いいでしょう。だがな、旦那。中の物は保証できねぇぞ。俺がやるのは『掃除』だ。ゴミを片付けるように、情報の核を叩き潰す。……文句はねぇな?」


 「構いません! このままでは蔵が弾け、この屋敷どころか近隣まで押し潰されます。どうか……!」


 丈一郎は、十万円の封筒を無造作に懐へねじ込むと、バングルの感触を確かめた。


 蔵の重扉の前に立つ。


 隙間から漏れ出す空気は、古い紙と墨の匂いが濃縮されすぎて、まるで毒ガスのように喉を焼く。


 「……よし。やるか」


 丈一郎が扉のかんぬきを外した瞬間、ドォッ、という地鳴りのような轟音と共に「情報の濁流」が溢れ出した。


 それは、ただの骨董品ではない。


 実体を持ちながらも、輪郭がブレ、重なり合ったまま無限に自己複製を繰り返す掛け軸や茶器の波だ。

 一本の掛け軸が、空中で二本、四本と分裂し、物理法則を無視した圧倒的な質量となって丈一郎を押し潰そうと迫る。


 「……チッ、初手からこれかよ!」


 丈一郎は即座に右腕を突き出し、バングルを起動させた。


 「キィィィィィン!」


 九重の調律を経た黄金の音が、混沌とした空間に強制的な「境界」を引き直す。

 丈一郎の周囲に展開された透明なリングが、押し寄せる骨董品の波を物理的に押し留める。


 だが、相手は意思を持たない『怪異』だ。


 止まることを知らず、リングの端からさらに増殖し、丈一郎の四肢を絡め取ろうとする。


 一冊の古本が丈一郎の肩をかすめた。


 その瞬間、その本は丈一郎の服に触れたまま分裂を開始し、瞬く間に十冊、二十冊となって彼の右半身を拘束しようとする。


 「……この紙屑が!」


 丈一郎は本が「増えすぎる前」にその中心をバングルで殴り飛ばした。


 「中心に『核』があるな。全部を相手にするのは無理だ。元凶を叩く!」


 丈一郎は、増殖する「情報の床」の上を、重心を極限まで低く保ちながら疾走した。

 一歩踏み出すごとに、足元で茶器が粉々に砕け、その破片がまた分裂して足首に絡みつく。


 それを力任せに振り払い、リングを二枚連結させて「回転刃シュレッダー」のように振り回しながら進む。

 中に入れば入るほど、外光は遮られ、視界は「文字の羅列」のような電子的ノイズで覆われていく。


 蔵の最奥、そこには一振りの古い『刀』が、台座の上で異様な紫の光を放っていた。

 その刀の周囲では、何百、何千という「偽物の刀」が、まるで生き物のように蠢き、蔵の天井を突き破らんばかりに増殖を繰り返している。


 その全てが、本物の名刀として認識されたいという、情報の肥大した欲望そのものだった。


 「あれか……。名刀になりたかった未練か、それとも持ち主の歪んだ自尊心か。……どっちにしろ、うちの仏壇で寝かせてやるには、ちと騒がしすぎるな」


 丈一郎は、リュックから「和紙のお守り」を十数枚、懐に入れた。

 バングルが、獲物を定めた猛禽類のように、低く、鋭い共鳴を始める。


 一人きりの蔵の中。


 百万の報酬を懸けた、情報の濁流との真っ向勝負。

 丈一郎の瞳から生活感の淀みが完全に消え、冷徹な「掃除屋」の光が、情報の闇の中で鋭く宿った。

【作者より】

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

いかがでしたでしょうか。

ここからさらに密度を増し、物語は熱く広がっていきます。


皆様から届く感想やブックマーク、評価のひとつひとつが、彼らをより遠くへ走らせるための何よりの「ガソリン」になります。

「早く続きが読みたい!」と思っていただけるよう、全開で執筆していきますので、ぜひ物語の同行者としてこれからも応援よろしくお願いいたします!

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