19
「ちゃっちゃと済まして帰るよ~!」
――落ち着けペペ、刀は明晴のビートを使うんだ。お前のビートには畏怖が無いだろう――
「おっと、そうだったね!」
そう言うと、ペペさんは自分の刀を一瞬のうちに数珠形態へと変換させる。
「そんじゃ、明晴の借りるよ!」
――借りるって……――
僕への返答をしないままに、ペペさんは右腕を天へ雄々しく掲げる。
――うわあああああああああ!――
ペペさんの右の掌に、僕が、僕の魂が急激に吸い込まれ、彼女の体内へと僕が広がっていく。
――こ、これは……?――
パニックが一通り過ぎると、再び別の景色が広がる。
「見える? それは私が見てる世界。そしてこれが!」
タイミングを合わせたかのように、ペペさんの右手に刀が現れる。
「君のビートだよ!」
――これが……?―― その刀は、僕がこの領域に入って初めて創った刀に比べ、とても長く、そして太くなっているように思えた。
「そう。体でも、魂でもない。君が生きていることを証明する根本的なモノ。それがこのビートさ!」
根本的なモノ。僕が僕である証明。
――ボーっとするなペペ! 高火力レーザー来るぞ!――
「おっけーい!」
刀をくるくるっと二回転程回し、両手で力強く掴む。
「ばっちこ~い!」しかしそのフォームは、どう考えても刀を使用するときのそれでは無かった。
レーザーに体の左側を向けてホームラン宣言。明らかにフルスイングする気満々である。跳ね返す気か? あんな重いものを?
上空が先程のカーマインに染まっていき、チャージ完了のタイミングを、僕は過去二回の経験を軸に感じ取る。
――来ますよペペさん!――
「おうよ~!」
発射の瞬間、空の色はカーマインの深さを超え、どす黒いワインレッドにまで濃縮される。
今までの光を更に超える、光が来る。
「よっこい……しょお!」
光が届く瞬間ペペさんは右足で思いっきり地面を蹴り、レーザー側から見て右側へ五メートル程の長距離バックステップを成功させる。明らかに人間業では無い。おそらく僕のビートを強制変換した時、同時に自分のビーヅも何らかの脚力強化の媒体に変換させていたのだろう。その証拠に彼女の脚部が不自然に発光している。
「せえええええええりゃあああああああああああ!」
一瞬のうちの長距離バックステップの完了と同時に、ペペさんは刀をレーザーに向けてフルスイングする。
――だ、大丈夫ですかペペさん? それ、相当重いんじゃ……――
「へっへぇ! 余裕余裕! 見ときなって!」
いいや、彼女には受け止める気も跳ね返す気も無いのだろう。刀は刃の側がレーザーの方に向いている。跳ね返す気があるのならば、峰の方を向けてのフルスイングが普通だろう。
彼女の狙いは別にある。対抗とはまた別の感情が彼女から流れ込んで来ているから、それが分かる。
「入ったぁ!」
刃がレーザーに吸い込まれていき、刀によって一部を二つに分断されたレーザーは地上へと流れていく。
――光を斬ってる……! そんなことが……――
「この空間はイメージのみで構成されてる。私のイメージがアイツのイメージを上回っただけだよ。私がレーザーを固体だと思い込んだ。イメージした。だからこの空間ではその形で存在したんだ。固体なら斬れるでしょ?」
――無茶苦茶ですね……――
「無茶苦茶に決まってんじゃん、人の心だもん」
刀から右手を外し、ペペさんは真二つになったレーザーの間に自分から体を捻じ込み、峰の部分に右手を添える。
「このままダッシュで行くよ~!」
――ダッシュ?――
ペペさんは意味の解らない言葉を残したまま、レーザーの正面に立ち、ゴースト本体に向かって足を動かし出す。
「うりゃりゃりゃりゃりゃりゃ~!」
ペペさんは空中を奔る。立ち塞がるワインレッドを二等分にして地面へと流し、ゴーストに向かって奔走する。
「せえりゃあ!」
十秒も経過させないうちにワインレッドの空間を抜け、その先に待ち構えていたゴースト本体に到達する。
ペペさんは透明な膜を破り、ゴースト本体へとその刃を押し込む。が、余りにも硬質なゴーストに僕のビートは全くと言って良いほど入っていかない。
「駄目だ、全然刀が入らない。実体が堅過ぎるんだ」
――だが壁は殺した! 十分過ぎる一手だ!――
「んじゃあお次は……」
――一旦退くんだペペ! 目標に近づく度に小型レーザーの火力が上がってきている! この距離の火力じゃ、バリアが長く持たないぞ!――
――ペペさん!――
「おっけ! そういうことなら退きますよっ!」
落下をするのかと、地上に戻るのかと僕は思った。当たり前だ、人間が本来いるべき場所は地上なのだから。
しかしペペさんは天へと奔る。ゴーストを通り抜け、更に上へ、どんどん上へと昇っていく。彼女の超速は青空を切り裂き、景色を歪ませた。
「二人とも見て……!」
遥か上空に到達した時点でペペさんは振り向き、刀を使ってゴースト本体を指し示す。目標を、米粒ほどにまで小さくなってしまったゴーストを。
――いや、見えないですよ……――
「見えるよ。ハセガワも入っているんだもん。見ようとして……? ここでは限界は無いんだよ?」
――わかりました……!――ふんっと力を入れて、ペペさんの眼球より目標を視認する。すると、僕の視力は何かのたかが外れたかのように急激な上昇を始め、遂には目標のディティールまで細かく観察できるまでになった。驚いた。が、その感想は目標外観のインパクトによって、跡形も無く掻き消されてしまうのだった。
――なんだ、これ……――
切っ先の示す先。ゴーストの正体は、デザインは、僕の想像力だけでは、とても描ききれるような代物では無かった。
――怠惰型か――
ゴースト自体の特徴を言うのならば、やはりその驢馬の顔と、額から伸びる二本の角、臀部から伸びる細く長い尻尾を順当に挙げていくのが普通なのだろうが、これは何というか……、それ以外の物、オブジェクトのインパクトが強すぎるような気がする。
そう、ゴーストは、それら悪魔のような特徴を持ちながら、尚且つ純白であり巨大であり硬質な洋式の便器に留まっていたのだ。
――下からじゃ白しか見えないわけだ……――
「コッテコテの怠惰型。ベルフェゴールだね」
刀を肩に担ぎ、ペペさんはそう言う。
――ベルフェゴール?――
「そう、怠惰の悪魔さ。自分が生前怠けていたことについて悔やんでいるんだね」
――人間関係の精製についてだろうか……――
「どうだろ、人間関係はあったっぽいけど……。心を開くことじゃないかな、彼の最大の怠惰は。ま、もうどうでもいいことだけど」
――そうですね。悩みを解決したところでなんのメリットも無いようですし……――
「うん。彼には生前そうだったように引き籠っていて貰わなくちゃ」
――遠距離での戦法に近距離での急激な拒絶。なるほどだな。この時代の人間らしい――
「でも心の壁を人間は乗り切れるんだ。こんな思いももう少しの辛抱だよ」
――……そうだな――
「さぁ! ケリをつけるよ! ハセガワ! この距離なら小型レーザーも射程外だ! 壁はもういいから刀に入って!」
――オーケー!――
ペペさんの申し出にハセガワさんが快諾すると、刀が発光を始め、その長さも目に見えて延長される。
「ファンキー・ビート二重奏!」
切っ先をゴーストに向け、輝く両足で空を奔り、再び目標への急接近を開始する。
「うりゃりゃりゃりゃりゃりゃ~!」
ゴーストに近づくにつれ段々と小型レーザーの波が荒くなる。しかしそれらはペペさんの速度に全くと言っていいほど付いて来られない。
切っ先がみるみるうちに悪魔へと接近する。
――高火力レーザー!――
「知るもんか! 二人に一人が勝てるかよ!」
悪魔から、最早赤か黒か解らないレベルのどす黒いレーザーが発射される。
チャージが極端に早い。威力もペペさんの肌を通してビリビリと感じるほどだ。相手も全力の一撃だろう。
しかし、こちらの刀は難なくそれに侵入する。
ペペさんは黒の中をひたすら奔る。恐怖も畏れも無しに闘争心だけで足を動かす。
「負けねえよ、クソチキンがぁ!」
黒の中を進み続けた末、刀が何かに刺さる感触が腕へと届く。
「キエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!」
超音波のような断末魔が耳に届いた後、周りに広がる黒が一斉にその姿を消す。
――浅い!――
「分かってるよっ!」
ペペさんは刀から両手を離し、体を空中で前回りに一回転させたのち、刀の柄のてっぺん、頭金に右足を乗せる。
「ハセガワ! 三半規管!」
――耳も目も始めから一式変更してある!――
「ありが……とっ!」
刀を思い切り蹴り、ビートを利用した渾身の大ジャンプを繰り出す。
先程までのものとは距離がまるで違う。ゴーストの姿は遂に毛ほども見えなくなってしまった。
しばらくの上昇が終わり、上方向への加速力が失われる。ペペさんの体は宙にフワッと浮き始める。
ペペさんはビートの力でゆっくりと空中に立ち、更に上を見上げる。
この高さでは、僕らを取り巻く色はすっかり青一色である。
「明晴は高いとこ嫌い?」
――そうでもないですよ。今に至っては体が本来感じる筈の不快感がまるでないですし、それになにより……、青空が近い――
「青空って……、私の創った偽物の空だけどね。この空の果てに宇宙は無いよ。どこまでも続く偽物の青だけ」ペペさんは呆れたように、そして優しく微笑む。
――たとえ偽物でも綺麗ですよ。僕はこの空大好きです――
ペペさんの体温が上昇し、心臓の鼓動が早くなる。
「流石私の運命の人だね……。ビートが強くなっちゃった……」
――駄弁っている暇は無いぞペペ。これだけ離れていては私と明晴のビートが弱まってしまう。奴が刀を引き抜こうとしているのが見えた。確実に決められるうちに決めておけ――
「オッケー……!」
トンと宙を蹴り、前回りを半回転。
「幸せになってね、馬鹿野郎」
ペペさんはそう言うと、右足で力強く青空を蹴り、重力を味方につけて、今日一番の加速を見せる。
加速の途中で再び前方宙返りを半回転決め、ペペさんの体はキックの格好を取り始める。
「せええええええええりゃあああああああああ!」
目標が突然視界に現れたと思えば、次の瞬間にはペペさんの右足は刀の頭金に到達していた。
「キエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!」
はるか上空より刀に蹴りを喰らわせ、悪魔の体に刀を強制的に貫通させる。悪魔の体からは真っ黒な液体が弾けだし、青の世界を汚していく。しかし、圧倒的な青の前では、その黒の液体は雫同然である。みるみるうちに青は黒を飲み込み、それらの存在を消していく。
勢いのままに、ゴーストは便器ごと地上へと落下するが、刀の切っ先は便器を貫通することは無く、硬質な石をカリカリと引っ掻くだけに留まった。
「君の存在なんて、一片たりとも残してやんないよっ!」
その言葉に応えるように、ペペさんの靴は力強く発光し、そのエネルギーは刀の方向へと移動していく。
「ファンキー・ビート……、三重奏!」
刀の上から右足を外し、体を柄の部分まで落として両手で刀をゴーストへと沈めていく。
便器は、元からそこに何もなかったかのように刀をするりと通し、そして遂に切っ先は地面へと到達する。
「僕が……、苛められた僕が悪かったの……?」
悪魔は体を痙攣させ、涙を流し、ペペさんに向けて手を伸ばす。それはまるで、神様からもたらされる救いの刻を待っている信仰者のようだった。
「違うよ、死んだ君が悪いんだ」ペペさんはゴーストの質問に淡々と答える。
「生きていたって、いいことは何一つとして無かった。それでも僕は死んじゃいけなかったの?」
「僅かな希望を創り出してでも生きなきゃいけなかったんだよ。君の人生は決して君を超えることはないからね」
「誰かに愛して欲しかった」
「もがけばよかったじゃないか」
「誰も愛してくれなかったんだ」
「それならもっともがくだけだよ。人はいつだってそうして来たんだ」
「もがいたさ。でも無理だった」
「無理だと思ったのなら逃げればよかったのに」
「だから僕は逃げたんだ」
「君は投げ出しただけだ」
「じゃあどうすればよかったの?」
「別の幸せを追えば良かった」
「別の幸せって何?」
「逃げることも出来ないんだね」
「わからないよ」
「わからないだろうさ。君の世界は狭すぎる」
「なんで僕はわからないの?」
「若いから」
「君も十三歳じゃないか」
「人類は進化している」
「僕はどこに行くの?」
「次の世界に行く」
「次の世界では僕は幸せになれるかな?」
「なれないよ」
「どうして?」
「君もまた、君を超えられないからね」
沈黙の中、ゴーストの体は崩れ、次第に悪魔の肉片と便器の破片が地面にポロポロと落ちていく。腐臭が漂い、瘴気がうねる。
――潮時だ――
「ばいばい」ペペさんのその言葉を合図に、空色の大きな爆発がゴーストを中心にして巻き起こる。
爆発の中、彼は一切声を発することは無かった。
刀の先にはもう何もない。
ゴーストは、己の生きた証明をどこにも残すことなく空色の空間にその存在を溶かしていった。




