20
空色の空間は次第に薄くなり、体が雨粒を感知し始める。
僕は屋上に腰を下ろした格好で、灰色の空を見上げていた。
「こんのバカ鳥ィ!」
「ブハァ!」
雨に濡れた屋上で、ペペさんがハセガワさんを力一杯蹴り飛ばす。ハセガワさんの体は屋上の手摺に思いっきり叩き付けられ、鈍い音を鳴らして屋上の床に仰向けの状態でポトっと落ちる。
「なんで勝手に明晴を霊域に入れちゃうのさ! 仮身隠しにあったらどうするつもりだったの⁉」
蹴飛ばされたハセガワさんは応答せず、小さな体をピクピクと痙攣させるばかりだった。
「ちょっ、死んじゃったんじゃ……」
「ただの脳震盪だよ。まったくこのクソフクロウは……」
ペペさんの歯軋りがはっきりと耳へと届く。
暫くすると痙攣は収まり、ハセガワさんはよたよたと赤子の様に立ち上がった。
「すまないペペ……、人間の可能性を見たかったのだ……。お前も気付いているのだろう?」
「分かってるよ、双子の炎でしょ? 明晴と出逢った時にすぐわかったよ。あんなに暖かいのは母さん以来だったから……」
「ならば……」
「だからって試さないでよ。無理やり進化させなくていいから」
「でも、聞こえたんだろ? 明晴のビート」
「聞こえたけど……、でもやっぱり双子の炎には謎が多いよ。着いた時には死にかけだったじゃん」
「……すまない」
「……明晴も一発蹴り飛ばしていいよ」
「ひいぃ!」ハセガワさんがらしくない声を張り上げる。
「いや、いいですよ。怪我もすっかり消えてますし」
「あそこで死んだら仮身隠しに遭ってたんだよ? 三次元での体は消えて、魂は永遠に霊域で拘束される。体と魂が切り離されちゃ、ビートも何もあったもんじゃないし、何より生きることも死ぬことも出来なくなる。もう戻って来られなくなってたんだよ?」
脳がスローに回る。ペペさんの声の意味するところにとても辿り着きそうもない。ペペさんはそれを感じ取り、先程の一撃で羽がボロボロになったハセガワさんに向けて人差し指をビッと突き出す。
「やっぱり蹴ってよ。一発ぐらい蹴っても神様は怒らないから」
「いや、でも結局助かりましたし。体のダメージだって、ここまで完全に消えていたら、なんだか全部夢だったみたいで……」
そう、先程までゴーストの攻撃によって穴だらけになっていた体には、傷や痛みなんてものはさっぱりだった。今となっては何が痛かったのかも解らない状態である。
「あんなの夢と変わらないよ」
「なら尚更蹴りづらいですよ。痛くないんです。痛かった時の記憶はもう全て消えてるんです。本当に夢を見てたみたいに」
全てが瞬間で、全てが幻だったような。
「でも、怖かったでしょ?」
「……わかりません」
どこで記憶が失われた? いや、記憶はあるのだ。しかし現実味が無い。体が何も憶えていないのだ。
「ペペよ、これは仕方のないことだ。この時代の人間は四次元空間に疎い」
「喋んな鳥」
「……はい、すいません」
雨が僕の体を冷やしていく。不機嫌そうな空が僕を見つめる。
「でも、暖かかったな……。ペペさんが来てくれた時……」
「それが双子の炎だよ」ペペさんは言う。
「あぁ、さっき話に出てた……」
「双子の炎。日本風に言えば赤い糸だ……。ゲホッ!」
答えたのはハセガワさんだった。蹴りのダメージはまだ癒えてはいないようだ。
「……随分とロマンチックなんですね」
「それが人間の本当だ。暖かかったろう?」
あぁ、とっても暖かかった。
「私と明晴のビートは、同じ色で、同じリズムで、同じ温度で躍動してる。だから私たちは時を超えて惹かれ合ったんだよ」
赤い糸。惹かれ合った。でもペペさんは……。
「運命の人ってわけですか、お互いに。でも、繋がることは無いんでしょう?」
タイムパラドックス。今時なネタだ。
「……そうだね。私と明晴は繋がらない」
ハセガワさんが哀しそうな目でこちらを見つめている。
「きっと明晴は私を求めるようになる。今の私がそうであるようにね。でも、気にしなくていいんだ。マサカドを助けたらすぐに未来に帰るから。私は居ないものと思っていてよ」
ペペさんは心臓にビーヅを当て、その手を空中に翳す。
ペペさんの翳した手の先、何もなかった空中に、全長二メートル弱の暗黒が現れる。
「明晴の家の玄関に通じるワームホールを開いたよ。さ、帰ろう? 今日は休んだ方が良いよ」
「……はい」
ワームホールに向かって、ペペさんの後を付いて行く。
その日、屋上から消えた彼について、思考を巡らせることは一切無かった。考えたくもなかった。
瘴気のせいか。いや、それだけじゃないな。
心が痛い。




