第伍話 新・現代律令ニッポンの歩き方
波乱に満ちた春の人事異動――式部省からの辞令が乱れ飛ぶ恐怖の『春の除目』を辛くも現状維持で乗り切ってから、およそ二ヶ月。
風薫る五月下旬、大江戸の初夏は穏やかに訪れる……はずだった。
「佐藤くん、君、税務寮経験者だったよね。今日から二週間、税務寮――雑税係の窓口へ助太刀に行ってほしいの」
一条少主鑰から朱印が押された応援達を手渡された瞬間、俺の胃壁がキュッと引き攣った。
五月。それは各戸に今年度の固定資産税――この国で言う『地子雑税』の賦課決定通知書が一斉に届く、税務部門が最も血みどろになる魔の季節の一つである。
地下人専用の狭い通用階段を降り、一階の税務寮窓口へ向かう。
受付台の向こう側からは、案の定、怒号が響き渡っていた。
「だーかーら! なんで先祖代々の土地と長屋に、民部省の雑税がこんなにドカンと課されてんだよ!」
バン、と受付台を叩いているのは、藍染めの作務衣を着た初老の男性だ。胸元には大江戸の旧家を誇る家紋の記章。手元には、電脳帳簿から打ち出された朱文字だらけの納額告知書が握りしめられている。
「お客様、落ち着いてください。こちらは墾田永年私財法の特例規則に基づきまして、適正に算定された租税でして……」
「墾田永年だと!? 寝言は寝て言え! わしら大江戸の民草が、徳川の公方様がおられた頃から汗水垂らして切り拓いてきた土地だぞ!公方様がおられた頃はなぁ、御府内の町屋敷にゃ『年貢免除』の御墨付きがあったんだよ!こんな京のお公家どもが考えそうな、おためごかしのねちっこい巻き上げ方はしなかったんだ!」
(公方様がおられた頃は……って、江戸時代を昨日のことのように語るなよ……!)
俺は心の中で激しく突っ込みを入れた。
この世界の関東人――大江戸の住民は、前世の京都人そっくりの屈折した誇りを抱えて生きている。
政治の中枢を京の太政官に奪い返された東国の民は、隙あらば「公方様(徳川将軍)がおられた二百六十年間こそが、日本が真に栄えていた黄金期だ」「上方なんぞ、公方様のおかげで食わせてもらっていたド田舎だろうが」と、徳川幕府の遺産を盾にして中央官僚に噛みつくのだ。
応対していた無位の会計年度任用職員が半泣きになっていたので、俺は咳払いをひとつして前に進み出た。
「失礼いたします。地子雑税担当の佐藤です。お客様、ご納得いかないお気持ちはよく分かりますが……」
「なんだお前は!若い使部風情が、すっこんでろ!」
使部――いわゆる無位の雑務係と決めつけられた俺は、胸元の職員証をスッと掲げてみせた。
『武蔵国 豊島郡衙 郡民生活寮 主帳 佐藤和真(従八位下)』
「従八位下です」
下級とはいえ、朝廷から賜った正規の位階を帯びた官吏である。
無位の使い走りではなく、国の位階を持つ有責者が誠意を持ってお相手しております――という証明。これを見せることで、「責任者を出せ」という理不尽な門前払いを防ぎ、かつ、国が後ろ盾の権威を示すことで、対等な土俵に引きずり込むのが、この世界で官吏をやるための必須防衛スキルだ。
「……チッ、位持ちかよ」
「お客様、今回の税額が跳ね上がっている原因ですが、地子雑税そのものだけでなく、昨年亡くなられた先代からの相続に伴う『立体開墾特例』の期限切れによるものです」
「ああん? 立体開墾だぁ?」
男性が怪訝そうに眉をひそめる。
この世界の税制において、土地は原則として「公地公民」――すべて国家の所有物である。しかし、それでは国土の開発が遅々として進まなかったことから、天平十五年に時の聖武帝が墾田永年私財法を発布し、開発開墾が一気に進むこととなった。
だが、この黎和の世で国土が開発され尽くし、過密化する大都市の不動産開発が行き詰まると、民部省は奇妙な起死回生の一手を編み出した。高層集合長屋などの高層建築を「上空の未利用空間を立体的に切り拓いた『立体開墾地』」と定義し、墾田永年私財法の特例として、建設から数十年間は床面積ごとの私有と地子雑税の減免を認めていたのだ。
後輩が広げた図面を指さしながら、俺は淡々と説明を続けた。
「お客様のご実家、敷地の一部を不動産屋に貸して、地上三十階建ての高層集合長屋の底地にしておられますよね。先々代の開墾から五十年が経過し、先代、そして今回のお客様へと二度の家督相続を迎えられました。これにより、立体開墾に伴う私財保全の特例期間が満了となり、本則通りの課税が適用されたのです」
「な、なんだと……!? じゃあ、相続したら、減免も何もかもなくなって、莫大な税金が毎年取られるってのか!?」
「そうなります。また、土地評価額が開墾時と比べて著しく値上がりしている場合、評価額に応じた相続加算税の国庫納付が義務付けられます」
「ふざけるな! そんなの、事実上の没収じゃねえか!」
男性が怒声をあげる。
(……あ)
その瞬間、俺の脳裏に日本史の教科書の一節が電撃のように閃いた。
土地を新しく開墾させ、一定期間は私有を認めるが、期限が切れれば結局は国家に回収される。
三代相続を繰り返せば、累進税と減免打ち切りで富を吸い上げられ、私財を手放さざるを得なくなる――。
(……これ、墾田永年私財法なんて名乗ってるけど、実態は完全に『三世一身の法』じゃないか……!?)
三世一身の法。
古代律令期、開墾を奨励するために私有を「本人・子・孫」の三代に限って認め、その後は公地に回収したという、僅か20年で撤回されたあの幻の法制だ。
太政官政府は「墾田永年私財法」という耳触りのいい看板を掲げながら、その裏側に複雑怪奇な特例期限と相続税の罠を張り巡らせ、現代の民草から確実に土地と富を国庫へ巻き上げるシステムを構築していたのだ。
鳥肌が立つのを覚えつつも、俺は官吏の仮面を貼り付け直した。
太政官の狡猾さに内心で戦慄したところで、目の前の怒れる江戸っ子を宥めるのが今の俺の仕事だ。
「お客様。お気持ちは痛いほど分かります。ですが、公方様の時代であっても、検地帳に墨で書かれた石高は誤魔化せませんでした。公方様の昔から、大江戸の民草は知恵で勝負してきたはずです」
「知恵……だと?」
「ええ。確かに立体開墾の特例は切れましたが、今年度中に『地域振興頼母子講』への信託登記変更を行えば、翌年度以降の雑税を再減免する道が残されています。京の官吏が作った制度なら、京の官吏が作った抜け道を使ってやりましょう」
男性は目を丸くし、やがて鼻を鳴らした。
「……ふん。若いのに、少しは話のわかる官吏もいるじゃねえか。その、頼母子講の申請書ってのはどこにあるんだ」
「あちらの第二窓口で、電脳人別札をかざしていただければすぐに出力できますよ」
「わかったよ。……おい、従八位下」
踵を返しかけた男性が、最後に振り返ってニヤリと笑った。
「公方様の御世が続いていれば、お前さんみたいな要領のいいやつは、勘定奉行所の与力あたりに取り立てられてたかもしれねえな」
「恐れ入ります」
苦笑いして頭を下げ、男性の背中を見送る。
ふう、と深く息を吐き出すと、隣の後輩が目を輝かせていた。
「すごいですね佐藤さん……! 大江戸のうるさ方を相手に、公方様と頼母子講で丸め込んじゃうなんて!」
「丸め込んだんじゃないよ。明日からまた別の窓口で、同じ説明をあと何百回もしなきゃいけないんだ……」
首の後ろを揉みながら、俺は天井を見上げた。
公地公民、立体開墾、そして現代に蘇った三世一身の法。
千年以上前の法制を電脳空間で弄び、民草から富を搾り取る国家の巨大な歯車の中で、俺は今日も従八位下の職員証をぶら下げて生きている。
「佐藤くん、次は駅前の高層集合長屋管理組合から『立体開墾地の共用部非課税申請』についての相談だ! 至急お願い!」
奥から主政の焦った声が飛んでくる。
「承知いたしました、主政!」
俺は端末の画面を叩き、またひとつ営業用の愛想笑いを作り直した。
この胃の痛む『現代律令ニッポンの歩き方』を、俺はまだうまく熟せそうにない。
【コラム:高層集合長屋と「三世一身の法」】
太政官政府は、大都市の過密化対策として「高層集合長屋は上空の未利用空間を拓いた『立体開墾地』である」と定義し、墾田永年私財法の特例として税の減免を認めています。しかし、開発から三代(約50年)が経過したり相続が二度発生すると特例が失効。跳ね上がった累進相続税と地子雑税(固定資産税)によって富が国庫に没収されるため、庶民からは「看板は墾田永年私財法だが、実態は古代の三世一身の法(三代相続で国有地へ回収する制度)の罠だ」と悲鳴が上がっています。行政機構だけでなく、税制も屋上屋を重ねる改正が乱発され、税理士であっても全容把握が困難と言われる状態です。特に大江戸では、江戸時代までは徳川将軍の威光により御府内は年貢免除とされていたことから、銘治維新後の課税に対して、深い恨みを持ち続けており、各種税賦課の時期は、いずれも各郡衙の窓口は大荒れとなります。




