第参話 続続 現代律令ニッポンの歩き方
上洛出張から大江戸へ戻って一週間。京の仮設小屋で味わった地下人の屈辱も薄れぬうちに、豊島郡衙にはさらなる胃痛の種が待ち構えていた。
年に四度の定例行事――『豊島郡左院分院定例会』、いわゆる区議会の開会である。
しかも、この世界の議会には前世のような「事前質問通告」という生温い官民協調の文化は存在しない。
議員が議場で何を口走るかはその瞬間まで分からず、答弁に立つ督掌(部長)や主政はぶっつけ本番の一発勝負を強いられる。そのため、議場裏の控室に詰め込まれた俺たちヒラの地下人官吏は、電光表示板から流れてくる議員の発言を一言一句書き起こし、電脳端末で猛スピードで関連法条を検索しては、青ざめた上司たちの手元へメモを走らせる肉体労働に従事させられていた。
「佐藤くん、次来るよ! 黎民公地共産党の赤嶺議員だ。公地公民と労働環境周りの条文、すぐ出せるように画面開いておいて!」
少主鑰から悲鳴のような声が飛ぶ。
黎民公地共産党。
大化の改新における「公地公民」こそが至高の共産主義社会であると説き、聖徳太子をマルクスと同列の階級闘争の始祖として崇める、神仏習合もびっくりな土着型マルクス主義政党である。
控室の電光表示板には、議場の中継が映し出された。
壇上に立った赤嶺議員は、真紅の衿紐を締め、胸元には黎民公地共産党の象徴である「鎌と稲穂」の記章と党内位階を表す小礼(薄紅)の記章を誇らしげに光らせている。
『議長! 私は我が豊島郡における、駅前再開発に伴う中小商人の立ち退き問題、および電光高札の更新予算について、大領(区長)の見解を糺すものであります!』
凛とした声が議場に響き、控室に緊張が走る。
『そもそも聖徳太子の御定式、十七条憲法第九条には何とあるか!いわく、「信は是れ義の本なり、事毎に信有るべし。善悪成敗、必ず信に在り」と! 信義こそが正義の根本であり、行政の要諦であると太子は喝破された!然るに郡衙は、豊島駅前の小規模な両替屋や長屋の住民に対し、十分な説明もせぬまま立ち退きを迫っている!これは民草に対する信義を踏みにじる暴挙ではないか!』
(憲法九条ってそっちの九条かよ……!でも言ってることはめちゃくちゃリアルな区議会案件だ……!)
俺は心の中で激しく突っ込みながら、打鍵機を叩いて駅前再開発の都市計画決定の経緯を呼び出す。
画面の中では、赤嶺議員の声音が更に熱気を帯びてきていた。
『さらに言えば、第九条後半の御精神、「群臣信有らば何事か成らざらん」を忘れてはならない!ここに言う群臣とは、烏丸の特権貴族・殿上人のことではない!日々現場で泥水をすすり、電脳帳簿の不具合を徹夜で尻拭いさせられている、郡民や郡衙の地下人官吏のことである!』
(烏丸の特権貴族・殿上人って、霞が関のエリート官僚のことか……?あと、頼むから俺たち現場職員の名前を議場で出すな……!)
『大領!答弁を求めます!駅前に設置する電光高札に数万貫もの公費を投じる余裕があるならば、それを全額、地下人官吏の超過勤務手当と公立撫育所の整備へ回すべきではないか!』
矢継ぎ早の追及。控室で主政が「高札の予算根拠! 地方主計法条文どこだ!」と叫び、俺は画面の頁を書付け用紙に殴り書きして走り、主政の背後から滑り込ませた。
答弁席に促され、豊島郡衙の頂点たる大領・高極美雪(従五位下)がすっと拡声器の前に進み出た。
端正に整えられた裾揃えに、落ち着いた濃紺の背広。武蔵国庁の生え抜き官僚から豊島の大領へと転じたその姿には、隙のない選り抜き行政官特有の冷徹な知性が漂っている。
彼女は差し入れられた書付けに視線を落とすこともせず、正面の赤嶺を見据え、落ち着いた滑らかな声で答弁を放った。
『……赤嶺議員の御質問にお答えいたします。まず、十七条憲法第一条におきましては、「和を以て貴しと為し、忤ふること無きを宗とせよ」と定められております。議員におかれましては、階級対立を殊更に煽るがごとき言辞はお慎みいただき、豊島郡八十八町の安寧と発展に向けた「和」の精神をもって、建設的な審議にご協力いただきたく存じます。
また、電光高札の整備は、平時における郡民への情報伝達高札、そして災害時においては緊急令達および避難布告の迅速な伝達を目的とした公地公民の危機管理インフラであり、過年度の予算措置に照らしても極めて適正でございます。――なお、詳細な仕様および経理の内訳につきましては、担当主政より答弁いたします』
(第一条でカウンター当てた……! しかも国庁仕込みのノータイム完璧答弁……!)
聖徳太子の言葉で殴り合う地方議会。高度な神学論争なのか、ただの足の引っ張り合いなのか、見ているこちらの胃がキリキリと痛む。
議会が一時休憩に入った昼下がり、俺は完全にすり減った精神を休めるため、郡衙の裏手にある喫煙所へと足を運んだ。
すると、先ほど議場で獅子奮迅の追及を見せていた赤嶺議員が、自販機の缶珈琲を片手に、長腰掛でポツリと煙草を吸っていた。先ほどの鬼気迫る表情は消え去り、くたびれた地方政治家の顔に戻っている。
「……あ、佐藤くん。お疲れさん。裏で書付けを持って走り回ってくれてたろ、見えてたよ」
「あ、いえ……赤嶺先生、お疲れ様です」
俺が恐縮して頭を下げると、赤嶺議員は煙を細く吐き出し、苦笑いを浮かべた。
「悪かったね、現場の地下人を矢面に立たせるような言い回ししちゃってさ。でも、ああやって十七条憲法を引いて大領を突っつかないと、大蔵省から出向してきてる連中はびた一文、福祉に予算を回さないんだよ」
「……はあ、そうなんですね」
「大化の改新の昔から、この国の官僚機構は民草から年貢を吸い上げることしか考えてない。だからこそ、聖徳太子の『信』の精神を盾にして戦わなきゃいかんのさ。まあ、大領も第一条の『和』で逃げるのが上手いけどね」
そう言って赤嶺議員は、缶珈琲を一口すすり、背広の裾を払って立ち上がった。
「午後からは、民部省出身の殿上人議員の質問だ。あいつら言葉遣い一つで見下してくるから、佐藤くんたちも大変だろうけど、めげずに頑張りなよ」
「ありがとうございます……」
去っていく赤嶺議員の後ろ姿を見送りながら、俺は深く息を吐き出した。
聖徳太子とマルクス。古代の道徳と近代の福祉。
どれほど看板が歪んでいようとも、地方議会で繰り広げられているのは、予算と生活をめぐる泥臭い現実の攻防そのものだった。
「佐藤くん、午後の部が始まるぞ! 民部省出向議員から、電脳人別帳の管理規則について突っ込みが入るそうだ!」
建物の中から少主鑰の焦った声が響く。
「はい、今戻ります!」
俺は吸い殻を消し、急ぎ足で控室へと駆け戻った。
通告なしのぶっつけ本番。飛んでくる矢を打ち落とし、なんとか今日も無傷で生き延びるために。
【コラム:黎民公地共産党と「十七条憲法第九条」】
野党「黎民公地共産党」は、「大化の改新における『公地公民(土地の国有化)』こそが真の社会主義革命であり、聖徳太子はマルクスと同列の階級闘争の始祖である」と主張する、神仏習合ならぬマルクス=太子主義政党です。彼らが非武装や労働者の連帯の根拠として振りかざす「憲法第九条」は、日本国憲法ではなく十七条憲法第九条(「信は是れ義の本なり」)。
仏蘭西コミューン人民連邦の熱気を浴びて帰国した中江超民が『大化民約論』を著し、ルソー・マルクスと聖徳太子を習合し、その弟子の幸徳周水らが「赤色尊皇」を掲げて運動を展開したのが黎民公地共産党の始まりとなります。太平洋戦争中は共産圏への忌避から非合法化されたこともありますが、史実の共産党とは異なり、暴力革命を志向することなく、なぜか常に議会闘争方針を堅持しています。
無神論で教会を焼き払うような激烈なフランス・ジャコバン流コミューン思想ではなく、仏教信仰と王権の尊重を全面に打ち出したマルクス=太子主義は、仏教への信仰と王権が生活の根底にある東南アジア(ビルマ、タイ、カンボジア、ラオスなど)において、非常に親和性が高く、毛沢東思想が存在しないこの世界において、「三宝(仏・法・僧)を敬い、天子(王)を戴きつつ、公地公民で地主を解体する」という【太子共産主義】が東南アジア共産党の指導思想として、積極的に取り入れられました。
なお、黎民公地共産党員は、位階制度を「階級差別」として叙位を拒絶する一方、聖徳太子の「冠位十二階」こそ実力本位のプロレタリア功績主義として、党内でガチガチの序列を構築し、激しいノルマ・昇進レースが行われています。




