第弐話 続・現代律令ニッポンの歩き方
新幹線――いや、この国における『東海道新線』の車内に、淡々とした自動放送が響き渡った。
「本日も東海道新線をご利用いただき、ありがとうございます。この列車は、京・大坂方面行きの、上り『光』号です」
(上り……やっぱり、京都に向かうほうが『上り』なんだよな)
窓側の席に座った俺は、車内販売で買った緑茶を一口飲んでため息をついた。
大江戸から名古屋、そして京へ向かう列車が「上り」。
そう、この世界には「東京」という言葉自体が存在しない。武蔵国のうち、かつての江戸とその周辺の巨大都市圏をひっくるめて、人々は昔ながらに「大江戸」と呼んでいる。日本のへそであり、天子が座す帝都は京なのだ。大江戸は、ただ人口が無駄に多い東国の巨大経済拠点に過ぎない。
出張の理由は、先週起きたあの大騒動だった。
豊島郡衙の窓口を麻痺させた『電脳帳簿の同期不具合』。大半の住民情報は復旧したものの、一部の電脳人別帳札において、どうしても中央の基幹情報庫と整合しない重篤な不具合が残ってしまった。普通なら電網経由で一発解決するはずなのに、民部省戸籍寮の情報基盤が前時代的な紙の決裁書を求めてきたのだ。
「佐藤くん、大初位上の君が直々に民部省本庁へ出向いて、正条の解任進達書を届けてきてよ」
係長――名札に『少主鑰』と書かれた上司にそう命じられ、桐の箱に収められた公文書を抱えて東海道新線に押し込まれたのが今朝のことだ。
「まもなく近江国を抜けます。これより、畿内特別区・山城国に入ります」
車内放送とともに車窓の景色が変わり、歴史と高度技術が奇妙に融合した京の街並みが近づいてくる。高層ビルの合間に、本物の五重塔や巨大な瓦屋根の寺院が当たり前のように並んでいた。
京駅を抜け、官庁街へ向かう辻自動車の車窓から見えた光景に、俺は思わず息を呑んだ。
街角の豪奢な洋風建築に、巨大な青竜が描かれた黄色い旗――清国の国旗が堂々とはためいていたのだ。
門柱の黒漆の表札には、威厳ある金文字が刻まれている。
『大清帝国 駐日特命全権大使館』
(……大清帝国!? 辛亥革命すら起きてないのか……!?)
中華民国も中華人民共和国もどこへ行ったんだ。日清戦役で「征西大将軍」を立ててドンパチしたこの国の歴史の果てに、一体大陸で何がどう転べばラストエンペラーの王朝が令和――いや、黎和の世まで生き残るのか。眩暈を覚えながら、俺は民部省本庁へと向かった。
大内裏の意匠をそのまま硝子と鉄骨の高層建築にしたような、圧倒的な民部省本庁舎。
正面玄関をくぐり、受付の窓口へ向かう。
「失礼します。武蔵国豊島郡衙から、電脳人別帳の同期不具合に関する進達書を持ってきました」
職員証を掲げて見せると、烏帽子風の制帽をかぶった年配の衛士が、手元の書類から面倒そうに視線を上げてきた。
職員証の『大初位上』の文字を見た瞬間、その細い目がスッと細められ、口元にねっとりとした笑みが浮かぶ。
「……ああ、大江戸の豊島郡衙の方ですか。東の遠いところから、わざわざご苦労なこってすなぁ」
流れるような京言葉だった。だが、声音には隠しようもない見下しの色が滲んでいる。
「あの、書類をお渡ししたいんですが」
「いやぁ、困りましたなぁ。こちらの正面玄関はね、従五位以上の殿上人の方専用になってるんですよ。大初位上の方にわざわざお越しいただくような場所やのうてね」
「……え?」
「六位以下の地下人の方はね、建物の裏手に『地下人控所』の仮設小屋がありますやろ? あそこの勝手口の小窓から、当直の使部に書類を放り込んでおいてくれはったら、それで結構ですので。どうぞお気をつけてお帰りやす」
(検問以前に、身分カーストで物理的に本館に入れない……!)
慇懃無礼極まる京言葉の洗礼を浴び、言われるがまま裏手の仮設小屋へ回る。薄暗い窓口で「大初位上の佐藤です……」と名乗り、ぞんざいに受領印を押された書類を受け取った時、俺の精神力は完全にゼロになっていた。
へとへとになって駅前の商用旅籠に宿泊手続きをし、布団に倒れ込む。
湯浴みして一息ついた時、枕元の携帯電脳端末がけたたましく鳴り響いた。画面には『非通知』の文字。
「……はい、もしもし?」
『もしもし。佐藤和真さんのお電話で間違いないでしょうか。検非違使庁・電脳特別判官寮の者ですが』
低く威圧的な男の声だ。検非違使庁というなら警視庁みたいなものだろう。
「はい、佐藤ですが……検非違使庁が何か?」
『あなたの両替屋口座が、畿内での闇頼母子講の資金洗浄に使われている疑いがあります。このままだと財貨不法の重科として収監令状が出ることになりますよ。身の潔白を証明するために、今すぐ指定の国庫勘定口座へ、預入金の全額を一時的に電脳送金してください』
(……ん?)
俺は端末を握ったまま、数秒間思考停止した。
闇頼母子講? 財貨不法の重科? 国庫勘定口座へ電脳送金?
(これ……オレオレ詐欺じゃないか!)
警察が検非違使になろうが、やる手口は現代の特殊詐欺と完全に一緒だ。むしろ「検非違使に召し捕られる」という脅し文句のせいで、この世界の住民なら恐怖で混乱し振り込んでしまうのだろう。
「あのー、もしもし?」
『早くしてください! 検非違使の指示に従えないんですか!?』
「僕、豊島郡衙の官吏なんですけど。あなたの官姓名と位階、あと所属部署の判官の名前を教えてもらえますか?」
相手は息を呑み、舌打ちの音とともにブツリと通話を切った。
どっと疲れが押し寄せてきた。
旅籠の帳場に降りて「検非違使を名乗る詐欺の電話がかかってきたんですけど」と伝えると、旅籠の支配人は顔を青ざめさせながら頷いた。
「左様でございましたか……! それは間違いなく『匿名・流動型凶賊』の騙りでございますね。手口が巧妙化しておりまして、近頃は畿内でも被害が急増しているんですよ。直ちに最寄りの広域追捕使詰所へ電送通報いたしましょう!」
トクリュウ――こんな世界でも『匿名・流動型』の連中は元気に凶賊をやっているらしい。
数分後、旅籠の前を赤色灯を点滅させた追捕使の警邏車両が、けたたましく警報を鳴らしながら向かってきた。
事情聴取を終え部屋に戻り、窓の外を眺める。
夜の京の街、遠くに見える京都タワー――いや、あれは『禁裏電波塔』と呼ぶらしい――が、怪しく白紫に照明で照らし出されていた。
上り新幹線。大清帝国。地下人締め出し。そしてトクリュウ凶賊。
「……やっぱり、大江戸でヒラやってる方が、まだ平和だな」
俺は缶麦酒を開け、一気に喉へ流し込んだ。
明日、豊島に帰ったら、少主鑰に笑顔で受領書を渡そう。そしていつもの窓口で、また愛想笑いを浮かべながら「人別札をお預かりします」と言い続けるのだ。
たとえどれほど理不尽な身分制度があろうとも、この胃の痛む日常の片隅で、俺は俺の歩き方を見つけていくしかないのだから。
【コラム:治安の要「検非違使」と「頼母子講」詐欺】
畿内の治安と公安・監察を司る「検非違使庁」は、現代で言う警視庁や公安警察に相当する最高強権機関です。しかしながら、その管轄は京を中心に五畿に限られます。
一方、九道八十八カ国は、国ごとに設置される追捕使(県警)が警察機構を担っています。作中の「頼母子講」とは、庶民同士でお金を出し合う古代〜近世の庶民的金融互助システム(いわゆる無尽)。この世界では、その頼母子講が高度に電子化された結果、「検非違使を騙り、闇頼母子講の口座へ電脳送金させる」という、形を変えた現代の「トクリュウ(特殊詐欺)」が横行しています。匿名・流動型凶賊の犯行は畿内に留まらず、全国で広域的に展開しているため、検非違使庁や追捕使では対応しきれず、道をまたいだ活動をする広域追捕使が対策班を設けて専任で対応しています。




