第4話 肩に触れた手
牧野悠斗の単独行動説が保留された翌朝、黒瀬の顔は二種類のニュースに出た。
一つは、死者の斬撃を再演して甲殻鬼を倒し、作業員三人を救った元調査官。もう一つは、懲戒解雇への不満から契約先へ疑いを向ける危険な能力者。どちらも黒瀬が取材に答えた記事ではなかった。
「世間は二択が好きですね。有能な英雄か、逆恨みの犯罪者か」
雨宮環はそう言い、喫茶店の伝票を黒瀬側へ押した。
「私は三つ目だと思っています。支払いの悪い元上司」
「上司だったことはありません」
「主任の肩書で、解析室へ無理な依頼を持ち込んだでしょう」
「業務でした」
「今日は業務外です。前金」
環は二十九歳。淡い茶色の髪を無造作に束ね、黒縁眼鏡の奥で黒瀬を値踏みしている。東央事故技研のログ解析技師だった。少なくとも昨日までは。
黒瀬は牧野佳代と交わした委任契約の写し、必要作業、報酬額を端末へ表示した。
「遺族側の再解析。正式な外注契約にします」
「払えるんですか」
「分割なら」
「では、利息代わりに一つ教えてください。会社が私へ出した命令を、どこまで知っています?」
環が小型の記録核を机へ置いた。
『牧野悠斗関連ログの作業領域を消去。バックアップを含む』
発信者は東央事故技研の部長。時刻は、黒瀬が暫定報告書を監理庁へ送る七分前だった。
「消したんですか」
「私の仕事を何だと思っています?」
「ログ解析」
「正解。消せという命令もログです。命令を保全してから作業領域を空にしました」
環はコーヒーを一口飲んだ。
「元データは会社の保管庫です。私は持ち出していません。今見せたのは、私宛ての業務命令だけ。そこは間違えないでください」
「十分です」
「十分ではありません。会社は私が命令を保存したと気づいた。今朝から入館権限を止められています」
「解雇通知は」
「まだ。自宅待機という便利な言葉を使っています」
環は契約書へ署名した。
「だから、空いた時間は有料です」
***
借りた解析室で、悠斗の端末と転移タグを並べた。黒瀬は昨夜から二度、死亡残響を見直していた。再演に使った斬撃は白く焼けているが、ほかの感覚断片は残っている。ただし、見直すたびに明瞭になるわけではない。
死者の最後の三十秒は記録映像ではない。恐怖で歪み、痛みで順序が欠け、何者かの干渉によって黒く塗り潰されている。
悠斗の壊れたタグへ触れる。灰色の通路。肩へ触れる手。手首まで覆う黒い革。人差し指の根元に銀色の補強環。グランドアークの班長用手袋だった。
赤い作動光。床が横へ滑る。映像の右半分を、黒い欠損が奪う。
黒瀬は手を離した。
「見えたものは?」
環が聞く。
「班長用手袋。転移直前、肩に触れている」
「それを報告書に書きます?」
「書きません。似た手袋は複数ある。触れたことと転移させたことも、まだ結びつかない」
「安心しました。解雇されて急に雑になったかと思った」
環は悠斗の私用端末から、未送信メッセージが作られた時刻を拾った。
『前に相談した転移タグ、やっぱり変です』
その十六分前、タグは保守接続を受けている。接続元は榊原拓海の班長端末。
「事故直前ではありません」
環が時系列へ印をつけた。
「三日前。定期点検記録では、班の全装備をまとめて点検したことになっている。でも実際に班長端末が接続したのは、牧野さんのタグだけです」
「接続時間は」
「四十七秒。設定領域へ書き込みあり。内容は消去」
「消去時刻は事故後?」
「ええ。牧野さんが死亡した十三分後」
環が復元を走らせる。断片だけが戻った。通常の安全点検では使わない、外部命令待機のフラグ。それ以上は欠けている。
「端末が接続した。何かを書き込んだ。事故後に消した。そこまでです」
「榊原本人が操作したとは限らない」
「分かっています。端末の所有者と実操作者は別。あなたと仕事をしていると、喜ぶタイミングを失いますね」
「早く喜んで、間違えるよりいい」
「そういうところですよ、元主任」
***
榊原拓海は、グランドアーク本部の面談室へ現れた。
監理庁の再調査開始に伴う遺族側聴取。黒瀬と牧野佳代には質問権があり、白峰朱莉は救難記録の当事者として同席した。榊原の隣にはクランの法務担当者が座っている。
榊原は大柄な男だった。右手に黒い班長用手袋。人差し指の根元に銀色の補強環がある。黒瀬は手袋ではなく、机上の端末を見た。
「事故三日前、牧野さんの転移タグへ接続しましたか」
「した」
法務担当者が横を向く。榊原は構わず続けた。
「新人の装備を安全点検しただけだ。悠斗が、たまにタグが熱くなると言ったからな」
「なぜ、点検記録では班員全員を点検したことに?」
「書式がそうなっている」
「設定領域へ書き込んだ内容は」
「診断コードだ」
「事故後に消えています」
「壊れたタグだ。データが飛ぶこともある」
黒瀬は内部バッファの表示を机へ投影した。
「事故時、班長権限の端末から強制転移命令を受けています」
榊原の顎がわずかに動いた。
「あなたの端末ですか」
「識別情報は消えているんだろう」
「はい。だから質問しています」
「なら答えは、分からないだ」
榊原は椅子の背へ体重を預けた。朱莉が口を開く。
「事故時、牧野さんはどこにいました」
「隊列の最後尾だ。崩落警報が鳴って、俺は全員に退避を命じた。あいつだけ逆へ走った」
「走った足跡がありません」
「現場は崩れた。残らないこともある」
「転移焦げ跡は残った」
榊原が初めて朱莉を見た。
「救難隊は、現場に来なかった」
室温が下がったように感じた。朱莉は机の下で拳を握ったが、声は乱さなかった。
「通知された座標へ、規程時間内に到着しました」
「悠斗が死んだ場所じゃない」
「ええ。なぜ違ったのか、あなたに聞いています」
法務担当者が聴取の中断を求めた。黒瀬は端末を閉じた。
「最後に一つ。牧野さんの肩へ触れましたか」
「新人の装備点検だ。肩くらい触る」
「事故当日です」
榊原は答えなかった。法務担当者が立ち、聴取の終了を宣言する。榊原も立ち上がった。扉へ向かい、黒瀬の横で止まる。
「あんたは、三十秒を見たんだろう」
「見たものは答えません」
「だったら最後まで見ろ」
榊原の声は低かった。
「俺はあいつを見捨てたんじゃない」
黒い手袋の指が震えていた。
「あいつ一人を飛ばさなければ、班員全員が死んでいた」




