第3話 死者の斬撃
「隔壁、開放!」
白峰朱莉の号令とともに、ひしゃげた鋼板が左右へ開いた。甲殻鬼が飛び出す。
全高四メートル。岩を重ねたような六本脚と、正面を覆う黒い装甲。頭部から伸びた角が朱莉の結界へ激突し、通路の空気を震わせた。
朱莉は短槍を横へして受けた。
足元の石床が割れる。
「二班、右から進入! 要救助者三名を確保!」
救難隊員が甲殻鬼の脇を抜ける。怪物が振り向こうとするたび、朱莉は短槍の石突きで装甲を叩いた。攻撃を自分へ集める。穂先が装甲へ当たっても、白い傷しか残らない。
救助と防御に特化した術式だ。
時間は稼げる。
倒すことはできない。
黒瀬は戦闘へ加わらず、壁際を進んだ。
甲殻鬼の装甲についた古い傷を撮影する。幅六ミリ、深さ十二ミリ。次に壁の三本の斬痕を測る。高さ、入射角、刃幅。背後で結界が砕ける音がした。
「技術顧問!」
「残り四十七秒は持ちます」
「本人より先に決めないでください!」
朱莉は新しい結界を展開し、角を受け流した。
黒瀬は返事をせず、転移焦げ跡の中心へ測定杭を打った。
昨日、悠斗が立っていた位置。
死亡残響をもう一度開く。
赤黒い広間。転移直後の平衡感覚の喪失。背後には、仲間の叫びがかすかに残っていた。
『走れ!』
声は悠斗のものだった。
剣を抜く。甲殻鬼へ向かう。一撃目は正面装甲へ弾かれた。二撃目は角に逸らされ、壁を削った。三撃目だけが、前脚の付け根にある継ぎ目へ届いた。
悠斗は逃げ道を探していなかった。転移した先で、怪物を自分へ引きつけていた。元の通路に残った仲間が、逃げる時間を作るために。 甲殻鬼が暴れ、朱莉の身体が結界ごと三メートル押し戻された。
黒瀬は目を開ける。
「白峰隊長。三歩下がってください」
「理由は」
「次の突進を、ここへ通します」
黒瀬は床へ黄色い証拠保全テープを伸ばした。 転移焦げ跡から壁の斬痕まで、三本。過去の斬撃軌道が、広間の中へ黄色い線として現れる。その一本は甲殻鬼の古い傷を通っていた。
「牧野さんの攻撃を再演します」
朱莉が一瞬、怪物から黒瀬へ視線を移した。
「斬撃を動かせるんですか」
「動かせません。過去の現象は、起きた場所から一ミリも」
甲殻鬼が前脚を上げる。
「だから、ボスを牧野さんが剣を振った場所へ戻してください」
「簡単に言いますね」
「左へ二メートル。次の突進は避けないでください。結界で正面から受ける」
「それを簡単と言っています!」
朱莉は叫びながらも、左へ跳んだ。甲殻鬼が追う。位置がずれた。古い傷が黄色い軌道より三十センチ高い。
「もっと低く」
「これ以上は床です!」
「前脚を折らせます。右の壁を背に」
朱莉は通路の柱を蹴り、甲殻鬼の右側へ回った。短槍で傷のある前脚を突く。穂先は通らないが、怪物は激昂した。角を床すれすれまで下げる。突進。
「避けるな!」
黒瀬の声に、朱莉は奥歯を噛んだ。三重結界を正面へ重ねる。
一枚目が砕けた。
二枚目に亀裂が走る。
三枚目ごと、朱莉が押される。
だが、逃げなかった。
甲殻鬼の前脚が、悠斗の立っていた測定杭を踏む。
古い傷が黄色い軌道へ重なった。
「いまです!」
朱莉が叫ぶ。
黒瀬は床へ両手をついた。
残響の中から、一つの現象を選ぶ。
恐怖ではない。
痛みでも、悠斗の姿でもない。
折れる直前の剣が放った、三撃目の斬撃。
測定杭が白く光った。一瞬だけ、誰もいないはずの場所に十九歳の探索者の輪郭が立つ。
右足を踏み込み、腰を回し、剣を振り抜く。
過去と現在が重なった。
死者の斬撃が、甲殻鬼の古い傷へまったく同じ角度で入る。
装甲の継ぎ目が割れた。
「白峰隊長!」
「見えています!」
朱莉は結界を解除した。解放された力で前へ踏み込み、短槍を割れ目へ突き込む。
穂先から救難術式を逆流させた。守るための結界が、装甲の内側で膨張する。
甲殻鬼が咆哮した。
六本の脚が崩れ、巨体が黄色い線を押し潰して倒れる。
広間に静寂が戻った。
『要救助者三名、確保!』
『生命反応、全員安定!』
隊員の声が遠く聞こえた。黒瀬の視界は白く明滅している。耳の奥で金属音が鳴り、床が左右へ傾いた。一つの残響につき、一つの現象。強い現象ほど、再演する身体へ同じだけの負荷が返る。
鼻から温かいものが落ちた。膝が折れる。床へ倒れる前に、朱莉が肩を支えた。
「全員を生きて帰すんでしょう」
「それは、白峰隊長の方針では」
「あなたが言わせたんです。あなたも人数に入れてください」
黒瀬は何か答えようとしたが、耳鳴りに消された。
測定杭の周囲で、悠斗の残響が白く焼けていく。
あの斬撃は、もう二度と再演できない。
だが、今度は三人を生かした。
***
救助された作業員の一人が抱えていた耐衝撃箱には、悠斗の装備が収められていた。黒瀬は救難隊の簡易治療室で横になったまま、保全作業を見守った。医療術師には安静を命じられたが、意識を失うほどではない。
朱莉が破損した転移タグを透明袋へ入れる。
「作業員は、これを回収するために奥へ?」
「はい。グランドアークから廃棄指定が出ていたそうです」
「証拠品を廃棄に?」
「会社側は、監理庁の一次保全が終了したと説明していた」
黒瀬は起き上がった。
「内部バッファは確認されていません。外殻が壊れて、通常接続ができなかった」
「通常でなければ?」
「給電せず、受動読取器を使います」
資格端末がなくても、遺族から委任された装備の保全はできる。朱莉が監理庁の遠隔立会回線を開いた。黒瀬はタグを固定し、薄い読取板を下へ差し込んだ。
環状の記憶領域を、一周ずつ読み出す。
ほとんどは黒いノイズだった。
事故時刻の直前、三十二バイトだけ正常な列が残っている。
朱莉が画面をのぞき込む。
「命令種別……強制転移」
「受信時刻、十七時三十九分十二秒。指定先は、遺体発見地点と一致」
「送信元は?」
実行者署名の欄は、ゼロで埋められていた。だが権限種別は消えていない。
班長権限。
「個人識別情報だけ削られています」
「では、誰が送ったかは分からない」
「この記録だけでは」
黒瀬は画面を保存した。隣の観測機器には、先ほど再演された斬撃の魔力波形が残っている。悠斗の剣の内部ログと照合すると、固有の揺らぎまで一致した。
黒瀬が見た残響は、誰にも見せられない。しかし、斬撃の波形は救難隊の機器が記録した。壁の斬痕、甲殻鬼の古い傷、悠斗の剣の損耗も同じ結論を指している。
牧野悠斗は、囮地点にいた。そこで甲殻鬼と戦った。そして、自分の意思で歩いて行ったのではない。
監理庁の立会官が、回線の向こうで告げた。
『本記録を受け、牧野悠斗氏の単独行動を前提とする一次事故分類を保留します。強制転移の可能性を含め、再調査を開始します』
朱莉は目を閉じ、短く息を吐いた。
「これで、牧野さんの汚名は晴れますか」
「まだです。単独行動と断定できなくなっただけです」
「相変わらず、喜ばせるのが下手ですね」
「調査結果は、喜ばせるために調整しません」
「知っています」
朱莉は少しだけ笑った。監理庁から、事故当日の班員一覧が送られてくる。班長権限を持つ端末は一台。登録使用者の名を、朱莉が読み上げた。
「榊原拓海」
黒瀬は頷いた。悠斗を最後に見たと証言し、命令を無視して走り去ったと説明した男。そして死亡残響の中で、悠斗の肩へ触れた手は、班長用の黒い手袋を着けていた。




