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番外編〈ステイルの願い――秘められたリストと戦慄のルカヌス――〉

ルカヌスが執務室に入ると、ステイルは「おお、もう来たのか。今日は早いな」と言いながら、バサバサと音を立てて慌てて書類を隠した。


(……兄上、何を隠しているんだ? この間もそうだった。執務で実の弟にも言えないことなどあるのか? ……いや、今は見て見ぬふりをして、兄上が席を外した隙に確認させてもらおう)


お昼時になり、「ルカヌス、私は食事に行ってくる」とステイルが席を立った。

今がチャンスだ。ルカヌスは兄が去るやいなや、先ほど隠された書類を引っ張り出した。


「な……なんだ、これは……」


そこにあったのは、報告書ではなく、驚愕のリストだった。


[彰人が綾乃にしてもらっていた事リスト]

・抱きしめる

・キスをする

・手を繋ぐ

・制服デートをする

・よしよししてもらう

・愛してると言ってもらう

・……(※びっしりと10ページは続いていた)


ルカヌスは次のページをめくる。そこにはさらに血の気が引くような文字が並んでいた。


[まだ私がしてもらえてない事リスト]

・アヤナーラの手料理(彰人の好物とかいう"オムライス"なるものと"肉じゃが"とかいう料理が食べてみたい)

・2月の『バレンタイン』なる祭りの手作りチョコレートなるものをもらう

・制服デートをする

・よしよししてもらう

・……

・……

・あーんしてもらう

・……(※こちらは3ページ続いていた)



ルカヌスの腕に、かつてないほどの鳥肌が立った。


「……気持ち悪すぎる……」


言葉を失い、書類を落としそうになる。兄を見る目が根底から覆されそうだった。


食事から戻ってきたステイル。ルカヌスは隠すこともしない、生ゴミを見るような軽蔑の眼差しを向けた。


「なんだ、その目は?」


ステイルが言い終わる前に、ルカヌスは机にバンッ! とその書類を叩きつけた。


「兄上、一体なんですか、これは。……控えめに言って、本当に気持ちが悪すぎます」


「お、お前……見たのか!? いや、これには深い事情が……」


「事情なんて聞きません。いい歳をして、『手作りのチョコレート?をもらう』『よしよししてもらう』をリストアップする国王がどこにいますか!それにアヤナーラの手作りクッキーは毎日食べてるでしょうが!」


ステイルは顔を赤らめ、最初は焦っていたが、次第にしょんぼりと肩を落とした。


「……だって、私だってしてもらいたいんだ。あいつ(彰人)は毎年『バレンタイン』なるもので、アヤから想いの籠もった手作りチョコレートなるをもらっていたというのに! 私は一度も……一度ももらっていないんだ……!」


「兄上、それは異世界の話でしょう? ここにそんな風習はありませんよ!」


「風習がなければ創ればいい! 彰人がしてもらっていたことは、すべて私にも上書きされる権利があるはずだっ!」


涙ながらに訴えてくる兄に、ルカヌスは激しい寒気を感じて身震いした。


(これはアヤナーラに伝えるべきだ。さすがにこの兄は危険すぎる……!)


食事の後、ルカヌスは足早にアヤナーラの私室を訪ね、事の全貌をぶちまけた。


話を聞いたアヤナーラは、お腹を抱えて笑い出した。

「……もう……やめてくださいっ! 涙が止まりません……!」


アヤナーラは泣き笑いしながら、ようやく落ち着くと、「ステイル、そんなにチョコが欲しかったのね。手料理も? 料理長に相談してみようかしら」と楽しげに微笑んだ。


「アヤナーラ、気持ち悪くないのかい!? あの完璧な兄上が、前世の男への対抗心でリストを作っていたんだよ!?」


必死に訴えるルカヌスを見て、アヤナーラはまたもや「ふふふ!」と笑い転げた。


「いいのよ、ルカヌス様。先日アルベルト殿下に会ったから余計にそんな風に必死になったのかもしれないわね。そんな所もステイルの可愛いところだわ。……よしよししてほしいだなんて、本当に素直でかわいい」


「…………」


ルカヌスは、兄だけでなく、それを受け入れている義姉もまた、ある意味で「重すぎる愛」に侵されているのだと悟り、そっと部屋を後にするのだった。



ルカヌスから「戦慄のリスト」の報告を受けた数日後。アヤナーラは料理長を巻き込み、極秘のプロジェクトを完遂させた。


執務室で、ステイルは相変わらず「まだしてもらえてない事リスト」を眺めては溜息をついていた。


(……やはり、この国にカカオを普及させ、国民全員にバレンタインを義務付ける法案を作るべきか……)


そんな暴君一歩手前の思考に耽っていると、扉が開き、アヤナーラが小さな箱を手に現れた。


「ステイル、少しよろしいかしら?……これ、一生懸命作ったのですけれど、食べてくださる?」


差し出されたのは、不揃いながらも丁寧に固められた、甘い香りのする茶色の菓子――チョコレートだった。


「……っ!! アヤ、これは……!」


「あなたが欲しがっていた『バレンタインのチョコレート』です。あなたへの愛をたっぷり込めたつもりです」


ステイルは震える手でチョコを一口口にした。その瞬間、彼の脳内に花火が打ち上がる。


「……美味しい。きっとあいつが食べたものよりも数万倍美味しい……! ああ、これでようやく、私の魂が一つ救われた……!」


「ふふ、大袈裟ですわ。……それと、リストに書いてあったもう一つのお願いも、今ここで叶えてあげましょうか?」


アヤナーラがステイルの隣に座り、彼の銀髪にそっと手を伸ばした。


「……こちらへいらして、ステイル」


ステイルは誘われるまま、アヤナーラの膝に頭を預けた。国王としての威厳など微塵もない。


アヤナーラは優しく、慈しむように彼の頭を撫で、柔らかい声で囁いた。


「ステイル、毎日お仕事を頑張ってくれてありがとう。……よしよし。私は、今のあなたが世界で一番大好きですよ」


「…………っ」

ステイルは声を失った。


アヤナーラの温もり、自分を全肯定してくれる甘い言葉。そして、念願の「よしよし」。


彼は感極まり、アヤナーラの腰にしがみついて子供のように声を上げて泣き始めた。


「あああ……アヤ……! 愛している、本当に愛しているんだ! もう彰人のことなどどうでもいい! 私は今、世界で一番幸せな男だ……!」


その様子を、書類を届けに来たルカヌスがドアの隙間から見ていた。

膝枕で号泣しながら「よしよし」されている兄。その光景は、ルカヌスの心に深いトラウマを刻むのに十分な破壊力だった。


「……ユリウス。悪いけど、今日の午後の執務は全部キャンセルだ。……兄上の『尊厳』が、今まさに消滅している最中だからね」

「左様で。……私も見なかったことにいたします」


ユリウスとルカヌスは静かに扉を閉め、廊下を無言で歩き去った。


部屋の中では、ステイルがアヤナーラの愛に溺れ、しばらくの間、骨抜きになったまま使い物にならなかったという。




チョコの「よしよし」で一度昇天したステイルに、さらなる衝撃が走った。


その日の夕食。テーブルに並んだのは、料理長ではなくアヤナーラが厨房に立って作った、異世界の家庭料理――「肉じゃが」と「オムライス」だった。


「……アヤ。この料理は………もしかして君が……?」


「ええ。リストにあったオムライスと肉じゃがを作ってみたの。材料がどうしても違うけど…似せて作ってみたわ。お口に合うかしら?」


ステイルは震える手でスプーンを口に運んだ。

その瞬間、彼の理性は完全に崩壊した。


「……っ!!! 旨い……! 彰人が食べていたのは、こんなに神聖な味がするものだったのか!? いや、アヤが私のために作ったのだから、あいつが食べたものより数億倍は旨いはずだ。旨すぎて……涙が、止まらない……」


ステイルは皿を抱え込むようにして完食し、最後には皿まで舐めとらんばかりの勢いだった。


「ユリウス! ルカヌス! すぐに『バレンタイン』を我が国の祭日に制定しろ! そして、全世帯の妻は夫に手作り料理とチョコを捧げるよう法に記せ! この感動を国民全員で分かち合うのだ!」


「陛下、落ち着いてください。……自分のノロケを法律にするのはやめてください」

ユリウスの冷たい声も、今のステイルには届かない。


「これは布教だ! 彰人が享受していた幸せを、このヴァレンシュタットに根付かせることで、私は真に前世を超越するのだ! 街中にカカオを植えろ! 卵の生産量を三倍にしろ!」


ステイルの暴走により、翌日からヴァレンシュタットは未曾有の「バレンタイン旋風」に巻き込まれた。


王城の廊下では、ステイルがすれ違う騎士たちに「貴殿の妻はよしよししてくれるか? チョコはどうか? 足りないなら私の幸せを分けてやろうか?」と、聞いてもいないノロケを強引に語って歩く。


被害はルカヌスにも及んだ。

「ルカヌス! 君のところのシャルロットも、チョコくらい作れるだろう? これがそのレシピだ。……もっとも、アヤの愛には到底及ばないだろうがね!」


「……兄上。あなたの幸せが溢れすぎて、周囲が迷惑していることに気づいてください。それに僕たちは白い結婚だと言っているでしょう?その泥沼のようなノロケを押し付けないでください」


ルカヌスは逃げるように去っていったが、ステイルは満足げに鼻を鳴らした。

「ふっ……。あいつにはこの高尚な愛は早すぎたか」


その日の夜、アヤナーラに「ステイル、あまり周囲を困らせてはダメですよ」と優しくたしなめられると、ステイルは「はい、アヤ……」と一瞬で忠犬のような目になり、彼女の膝に頭を預けて再び「よしよし」をねだったという。


結局、法案こそユリウスに握り潰されたものの、数年後には「バレンタイン」はヴァレンシュタットの恋人たちの間で最も愛される祭りとして定着し、ステイルは毎年「アヤのチョコ」をもらうたびに、一人で勝利の美酒に酔いしれるのだった。



「チョコの材料、結構余ってしまったわね。チョコチップクッキーにして、いつもお世話になっている方々に配りましょうか」


そう言ってアヤナーラは、騎士や従者たちへの「義理チョコ」用のお菓子を作り始めた。


アヤナーラが庭園や廊下で次々とクッキーを配っていると、その後ろをステイルが「自分にはいつ来るか」とソワソワしながら、尻尾を振る犬のような期待に満ちた目で見守っていた。

しかし、配り終えても一向に自分の番が回ってこない。


とうとう我慢できなくなったステイルは、アヤナーラの袖を掴んで訴えた。


「……アヤ。私は、その『義理チョコ』なるものをもらっていない……!」


「え? ステイルには私の一番の愛を込めた本命チョコを、さっき差し上げましたよ? このクッキーは、感謝を伝えるための『義理』ですもの。本命のあなたに差し上げるものではありませんわ」


「……っ!!」


ステイルは一瞬、自分が「本命」である事実に至福の表情を浮かべたが、直後に猛烈な絶望に襲われた。


「……いやだ! いやだ! 義理でも何でも、君が作ったものはすべて私が食べたいんだ! 他の男たちが君の手作りを口にしているのに、私だけがそれを知らないなんて耐えられない!」


「もう……本当に仕方のない人ね」


アヤナーラは困ったように、けれど愛おしそうに溜息をつくと、籠に残った最後の一枚を指で摘み上げた。


「はい。……ステイル、あーんして?」


ステイルは目を見開いた。

(……これは! "まだしてもらってないことリスト"に書いていた『あーんしてもらう』ではないか!)


まさかこんな形で願いが叶うとは。ステイルは驚きと歓喜で口を大きく開け、差し出されたクッキーを食した。


本命のチョコとはまた違う、素朴で優しい甘み。そして、何より彼女に食べさせてもらったという幸福感。


「……あ、アヤ……。旨い……。私は、私はなんて幸せなんだ……」


ステイルは再び骨抜きになり、アヤナーラに寄りかかるようにしてその場にへたり込んだ。


その様子を遠くで見ていたユリウスが、「……陛下、義理にまで嫉妬してあんなに幸せそうになれるなんて、ある意味で才能ですね」と、もはや尊敬に近い溜息を漏らすのだった。

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