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番外編〈新たな脅威…前世の推し声優〉

私は今、恋愛小説に没頭している。

誰にも邪魔をされたく無かったため私室にこもって読んでいる。


公爵家の男性が、窮地のお姫様に愛を囁くクライマックス。私の脳内では、前世で愛してやまなかった、どの作品でも一つとして同じ声には聞こえない程、色々な声を操る"十色の声"を持つと言われていた声優・高沢祐希さんの艶やかな低音ボイスが完璧に再生されていた。


『私は君をあの男から救ってみせる。必ず迎えに来る。だからもう少し待っていて』


「……っ、くぅ〜! 高沢さんの声でこれ言われたい! あの"十色の声"で脳を痺れさせたい……っ!」


思わず漏れた本音。しかし、直後に背筋を凍りつかせるような低い、現実の声が響いた。


「……タカザワ。……今度はその男か、アヤ」


「……えっ…?」


思わず体をビクッと震わせ振り向くと、そこには本を読みふける私をずっと監視(見守)っていたらしいステイルが、般若のような形相で立っていた。


「マナトの次はタカザワ。君の記憶には、一体どれほどの男が潜んでいるんだ。しかも……『十色の声』だと? 状況に合わせて声色を使い分け、女を惑わす……。そんな不届きな詐欺師のどこがいい」


「違いますステイル! 高沢さんはそういう術師とかではなくて、声をなりわいとする素晴らしいお方で……っ!」


「救いに行くだの、迎えに行くだの……。そんな言葉、私だって毎日言っているだろう! なぜ、実体のないそいつの声に痺れて、目の前にいる私の声には痺れてくれないんだ!」


ステイルはアヤナーラから本を奪い取ると、そこに書かれたセリフをギロリと睨みつけた。


「……いいだろう。その男が何色なんしょくの声を出そうが、私は君の耳を、私の声だけで満たしてやる。……覚悟しろ、アヤ」


ステイルの「声の特訓」という、新たな暴走の火蓋が切って落とされた瞬間だった。


ステイルは、私が読んでいた小説を奪い取ると、騎士団の号令で鍛えた喉を存分に使い、音読を始めた。


『おのれ! お主を許すことはできぬ!』

地を這うような重低音。――くぅ、胃のあたりに響くこの威圧感、たまらない……!


『待たせたね。やっと君を手に入れた。……もう、離さないよ』

今度は、春の陽だまりのような、どこまでも優しい声音。――ひゃっ!? さっきとのギャップが凄すぎて、耳が幸せで爆発しそう……!


『……もっと私を愛してくれないか? 君のすべてが欲しくて、胸が苦しいんだ』

最後は、湿り気を帯びた吐息混じりの、甘く切実な囁き。


「……ぶはっ……!」

ダメージが、ダメージが大きすぎる。


高沢さんの声は「至高の芸術」として脳に届くけれど、ステイルの声は「熱を帯びた刃」のように、ダイレクトに私の心臓を突き刺してくる。


「……どうだ、アヤ。これでもまだ、その『タカザワ』なる男の声を欲しがるのか?」


ステイルは本を閉じると、この世の勝利者であるかのような凄まじい「ドヤ顔」で私を覗き込んできた。


「……無理、です。……ステイル。どの声も、セリフの解釈が完璧すぎて……心臓がいくつあっても足りません」


私が顔を手で覆ってうずくまると、ステイルは満足げに鼻を鳴らした。


「ふっ。そのタカザワが十色の声だと言うなら、私は百色の声を出してみせよう。……さあ、次はどんなセリフを言わせたい? 恥ずかしがらずに、何でも言ってみるといい」


調子に乗ったステイルの「声攻め」は、どうやら夜が更けるまで終わりそうになかった。


ステイルには流石にこれは無理だろう――そう思って、私は前世でいう「ツンデレ系」のセリフが並ぶ小説を渡してみた。


しかし、ステイルの「アヤを喜ばせたい(俺以外を見させたくない)」という執念を、私は甘く見ていた。


『べ、別にお前のことなんて……これっぽっちも、知らないんだからなっ!』


わずかに頬を染め、顔を背けながら放たれた突き放すような声、そして。


『……本当はずっと…心配してた…』


顔を赤くし照れている声。


――わぁぁ! 完璧! 完璧なツンデレ王子がここに降臨してる……!


『……ふん、その無防備な表情。俺の前だけにしろよ。……な、なんてこと言うわけないだろっ! ……でも、やっぱり。他の男に見せるのは、絶対に許さない』


乱暴に髪をかき上げ、最後に重く、熱く、独占欲を滲ませた低音。


「……きゃあぁぁぁ!!」


表情、声のトーン、の取り方。すべてが「高沢さん」の演技を研究し尽くしたかのような破壊力。


ダメージが、ダメージが大きすぎて心臓が止まる……!


「……ふっ。アヤ、随分と顔が赤いな。どうやら私の勝ちのようだ」


演技を終えたステイルは、満足げに不敵な笑みを浮かべた。


「タカザワという男が『十色の声』なら、私は君の好みをすべて網羅する『百色のステイル』になろう。さあ、次はどんな男になればいい? 冷徹な暴君か? それとも、年下の甘えん坊か?」

調子に乗ったステイルが、ぐいっと顔を近づけてくる。


彼の「全力のなりきり」は、もはや演技の枠を超えて、アヤナーラを骨抜きにするための最終兵器と化していた。


私が「言われる側」の楽しさを知ってしまった以上、黙ってはいられない。


少しだけお返しをしようと、私は小説のヒロインになりきって、熱のこもった視線をステイルに向けた。


『ああ、公爵様……。本当に、私を助けに来てくださったのですね。ああ、愛しいお方……。私の心は、永遠にあなたのものです』


――ぐはっ……!

ステイルは心臓を撃ち抜かれたかのように胸を押さえ、その場に膝をついた。


「アヤ……その、蕩けるような顔で、私を見ながら……。……もう一度、もう一度今のを言ってくれ……っ!」


追い打ちをかけるように、私は前世で培った「ツンデレ女子」の演技を繰り出す。


『……べ、別にあんたのことなんて大っ嫌いなんだからねっ! 勘違いしないでよ!』


私はプイッと顔を背け、少し間を置いてから、顔を真っ赤に染めて俯き、蚊の鳴くような声で付け加えた。


『……でも……本当は……大好き……なんだから』


――ごふぉっ!

ステイルが、吐血せんばかりの勢いで床に崩れ落ち、そのままうずくまった。


「……なんだ、今の……! 突き放された絶望の直後に、天に召されるような幸福感が……! 一旦落としてから想いを告げるなど、なんと恐ろしく、高度な精神戦術テクニックなのだ……!」


初めて体験する「ツンデレの洗礼」に、次期国王のプライドは木っ端微塵だ。


「アヤ……君は、私をどうするつもりだ。そんな顔と声を……マナトやタカザワにも向けていたのか? 許さない……そんなの、絶対に許さないぞ……っ」


悶絶しながらも、最後には結局「嫉妬」に帰結して、這いずりながら私の足を掴んでくる。

自業自得とはいえ、ステイルの「情緒の忙しさ」に、私は勝利の余韻と共に少しだけ同情してしまった。


ツンデレの破壊力に魅了されてしまったステイルの暴走は、翌日の執務室でも止まらなかった。


「……ふん。別に、お前の報告なんて待っていなかったからな! 勘違いするなっ!」


書類を差し出した若手文官に、ステイルは顔を背けながら言い放った。震え上がる文官を余所に、彼はわざとらしくため息をついてから、不器用な優しさを装って付け加える。


「……だが。……よくやった。お前の努力、嫌いじゃないぞ」


――ヒィッ! と短い悲鳴を上げ、文官は腰を抜かして退室した。


その後も、練兵場では騎士たちに「貴様らの訓練など見ていない!……だが、その……怪我だけはするなよなっ!」と、頬を染めて(演技で)怒鳴り散らすステイルの姿があった。


「ステイル殿下が、絶対におかしい……」


「毒でも盛られたのか? それとも、ついに過労で精神が……」


「次は俺の報告順だ。行きたくない、誰か代わってくれ!」


王宮のあちこちで悲鳴が上がり、騎士団と文官たちの間には「殿下の地雷を踏むな」という緊急警戒態勢が敷かれた。


一方、ステイル本人は「ふむ、皆あんなに動揺して……やはりツンデレの威力は絶大だな。これで私も、アヤの心をより強く掴めるはずだ」と、部下たちの恐怖を『照れ』だとポジティブに勘違いし、一人で満足げに頷いているのだった。


ついに耐えかねたユリウスとルカヌスが、死体のような顔をしてアヤナーラのもとへ駆け込んできた。


「アヤナーラ様! 殿下は一体どうしてしまったのですか!? 何か……何か変なこと(毒とか呪いとか)を教えられたのですか!?」


血走った目で詰め寄る二人に、アヤナーラは引き気味に、けれど申し訳なさそうに白状した。


「……すみません。ちょっと、前世の記憶の話をしていまして。声を生業にする私の『推し』……あ、崇拝していた方の話をしたら、殿下がそれに対抗心を燃やしてしまって。今はその、いわゆる演技の練習中といいますか……」


「「エ、エンギ……?」」


二人は顔を見合わせた。殿下が「勘違いするなっ!」と顔を真っ赤にして部下を怒鳴り散らしているのが、ただの『練習』だというのか。


「理由はどうあれ、現場はパニックです! 騎士団の中には『殿下に嫌われた』と遺書を書こうとしている者までいるのですよ!」


「皆様のお仕事にこれ以上支障が出るのは放っておけませんね。……分かりました、私が責任を持って止めます!」


その言葉を聞いた瞬間、ルカヌスは呆れた表情で肩をすくめ、ユリウスはまるで聖女を仰ぎ見るかのようにその場に膝をつき、深く頭を下げた。


「……よろしく、お願いします。我々のメンタルは、アヤナーラ様に託されました……!」



「いいですかステイル!お仕事中の『練習』は一切禁止です! もし次に部下の方を困らせたら……この間みたいな愛の言葉、もう二度と言ってあげませんからねっ」


アヤナーラがツンと顔を背けて言い放つと、ステイルの顔から一瞬で血の気が引いた。


「……っ、な、二度と言わないだと……!? アヤ、それはあまりに、あまりに残酷すぎる……!」


ステイルは、奈落の底に突き落とされたような絶望に打ちひしがれた。


あのソファでの熱烈な告白。耳元で囁かれた、とろけるような「大好きだもん」の一言……。ステイルはそれを、公務の合間や寝る前のひとときに、何度も何度も脳内で反芻しては、一人で悶絶して活力を得ていたのだ。


(次はあんな風に言わせたい、今度はこんなシチュエーションで……と、秘かに計画を練っていたというのに!)


「わ、分かった……!仕事中は、いつもの私に戻る。絶対に部下を『ツンデレ』とやらで翻弄しないと誓おう! だから、その……禁止令だけは、どうか、どうか取り下げてくれ……っ」


頭を抱えて懇願するステイル。その姿は、一国の王子というより、お気に入りの玩具を取り上げられそうになった子供のようだった。


「……約束ですよ?」


勝ち誇ったように微笑むアヤナーラを見て、ステイルは安堵の溜息を漏らしつつも、内心では(ならば、プライベートの時間で、どれだけ私を『トウトイ』と思っているか徹底的に言わせてやる……!)と、新たな独占欲の炎を静かに燃やし始めるのだった。


その日の執務は、異例の早さで片付いた。ステイルは一度も「ツン」も「デレ」も見せず、冷徹なまでに完璧な王子として振る舞い、部下たちを(別の意味で)戦慄させて戻ってきたのだ。


バタン、と私室の扉が閉まった瞬間。


「……アヤ、約束通り執務を終えてきたぞ」


背後から抱きつかれ、首筋に熱い顔を埋められる。


正装を脱ぎ捨て、あの「漆黒の軍服」にわざわざ着替えてきたステイルは、喉を鳴らすような低い声で囁いた。


「……ご褒美だ。あの言葉を、今すぐ私の耳に流し込んでくれ。……『タカザワ』など忘れるくらいに、私の名前だけを呼んで、愛していると……」


ステイルはアヤナーラの手を自分の胸元……激しく高鳴る心臓の上に導いた。


「一日中、我慢していたんだ。君の声が聞きたくて、耳が狂いそうだった。……ほら、焦らさないで。私の『トウトイ』ところを、一つずつ教えてくれないか?」


逃がさないように、けれど壊れ物を扱うように優しく、ステイルはアヤナーラをソファへと押し倒す。


その瞳は、もはや演技などではない、本物の熱情と飢餓感に濡れていた。


「……っ、ステイル……。……お、お帰りなさい。……お仕事中の凛々しい姿も、本当は……世界で一番、かっこいいと思っていますよ……?……大好き、です……っ」


限界まで赤くなったアヤナーラが、観念したように言葉をこぼす。


その瞬間、ステイルの顔に、この世の何よりも幸福そうで、それでいて残酷なほどに独占欲の強い微笑みが浮かんだ。


「……合格だ。だが、一言では足りない。……夜が明けるまで、たっぷりと聞かせてもらうよ」


ステイルは満足げに目を細めると、彼女の唇に、そして「ご褒美」を紡ぎ続けるその愛らしい口元に、深い、深い口づけを落とした。


ーーーーー


前日の夜。


王宮近くの酒場の一角。そこだけが、まるで葬儀場のような重苦しい空気に包まれていた。


集まったユリウス、ルカヌス、そして被害に遭った文官と騎士たちは、全員が深いクマを作り、死んだ魚のような目で虚空を見つめている。


「……乾杯」


誰かの覇気のない発声で、静かに飲み会(反省会)が始まった。


お酒が回るにつれ、若手文官が震える声で口を開いた。


「私は……私はただ、予算案を提出しただけなんです……! なのに殿下は、プイッと顔を背けて『別に待ってなかったからなっ!』ですよ!?

あんなに嫌悪感を露わにされて……私、明日には辞表を出そうと思っていました」


「俺なんて、剣の手入れを褒められたと思ったら、顔を真っ赤にして『勘違いするなっ!』と怒鳴られました。……絶対に俺の剣、呪われてます。殿下には邪悪なオーラが見えたんだ……」


騎士が泣きそうに頭を抱えると、あちこちから「俺もだ」「死ぬかと思った」と溜息が漏れる。


「皆、落ち着け。……あれは、兄上の『演技の練習』だそうだ」

ルカヌスが酒杯を揺らしながら、遠い目で呟いた。


「義姉の前世の記憶にある、『タカザワ』とかいう男への対抗策らしい。……正直、巻き込まれるこちらの身にもなってほしいものだが」


その言葉に、酒場が凍りついた。


「タカザワ……何者だ、その恐るべき呪術師は」

「殿下の精神をここまで作り替えるとは、どこの国の間者スパイだ……!」


もはや「タカザワ」は、彼らの中で「国家転覆を狙う稀代の悪党」として刻まれてしまった。


「……結局、殿下を止められるのはアヤナーラ様だけだ。我々の命運メンタルは、すべて王子妃殿下が握っている……」


誰が言うともなく、全員が同じ方向を向いて立ち上がった。


アヤナーラが住む宮の方角へ向かって、酒杯を掲げ、心からの祈りを捧げる。


『「王子妃殿下、どうか……どうか我々をお救いください……!」』


翌日、アヤナーラがステイルに「禁止令」を出すまで、彼らの祈りは夜通し続いたという。

番外編なので時系列はごちゃごちゃしていますが、この時期の話だったんだな…くらいで読んでいただけたら嬉しいです。

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