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〈王子の自負:慈愛の薔薇と銀の守護者〉

活気に満ちた市場の喧騒の中、アヤナーラの存在はそこだけが発光しているかのように眩しかった。


「アヤナーラ様だ!」「慈愛の薔薇に祝福を!」

民衆から上がる割れんばかりの歓声。アヤナーラはステイルの隣を離れ、駆け寄ってきた汚れなき子供たちの目線に合わせるように、躊躇なく石畳に膝をついた。


小さな手を握り、慈しみ深く微笑む彼女。その瞬間、市場の埃っぽささえもが浄化され、周囲の空気がパッと明るく華やぐのを、ステイルは数歩離れた場所から静かに見守っていた。


かつてのステイルなら、この光景に耐えられなかっただろう。


彼女が自分以外の誰かに向ける無防備な笑顔、自分以外の誰かに触れるその指先。それらすべてに焼けるような焦燥を感じ、「私だけを見ていろ」「私の隣から離れるな」と、彼女の自由を奪うようにその腕を強引に引き寄せていたはずだ。


しかし、今のステイルの口元には、穏やかで気高い微笑みが浮かんでいた。


(……ああ、美しい。彼女がこれほどまでに愛されているのは、私の選んだ女性が誰よりも慈しみ深く、素晴らしいからだ)


かつて彼を支配していた「奪われる恐怖」は、少しずつ彼女の伴侶であることの揺るぎない「誇り」へと昇華されていた。


「ステイル様、驚きました。……以前のあなたなら、今頃周囲を氷漬けにせんばかりの殺気を放ち、騎士団を総動員してでもアヤナーラ様を隔離していたはずですが」


隣で警護にあたっていたユリウスが、信じられないものを見る目で主君を仰ぎ見る。ステイルは視線をアヤナーラに固定したまま、低く、心地よい声で答えた。


「……私の器が、彼女の光を閉じ込めるほど小さくはなくなったということだ。ユリウス、彼女が民を愛し、民が彼女を愛する……その幸福な光景を守り抜くことこそが、王子としての、そして夫としての私の役目だと気づいただけだよ」

その時、アヤナーラがふと顔を上げ、こちらを振り返った。


民衆に囲まれ、子供たちに縋られながらも、彼女が投げかけたのは、この世で最も甘く、深い情熱を秘めた「一番の笑顔」だった。


数多の人間の中にいても、彼女の瞳は真っ先に自分を探し、自分だけを求めている。


ステイルは確信した。彼女がどこで誰に微笑もうと、最後に帰る場所は、世界でただ一人、自分の腕の中だけなのだと。


(……だが、やはり。これ以上は私の理性が保ちそうにないな)


ステイルはゆっくりと、優雅な足取りで歩み出した。群衆が割れ、道が開く。


「良い子たちだ、王子妃を少しだけ返してもらえるかな? 彼女の笑顔をこれ以上独占されると、私の寛大さが限界を迎えてしまいそうなんだ」


優しく、けれど有無を言わせぬ王子の威厳。子供たちは誇らしげな王子の姿に気圧されながらも、笑って彼女を解放した。


ステイルはアヤナーラの手を取り、指先を絡める。引き寄せたその距離は、もはや風さえ通さない。


「誇り」は持っても、「独占欲」を捨てたわけではないのだ。むしろ、彼女が輝けば輝くほど、それを唯一所有しているという優越感が、彼の愛をより深く、重くさせていた。


ステイルは彼女の耳元に唇を寄せ、自分にしか聞こえない密やかな声で囁いた。


「……よく頑張ったね、私の薔薇。だが、今夜は覚悟しておいてくれ。君を愛でた民衆の視線を、すべて私の熱で上書きして消し去らなければならないからね」


その独占欲に満ちた言葉に、アヤナーラが頬を染めて視線を伏せる。ステイルは満足げに彼女をエスコートし、再び民衆の歓声の中を歩き出した。その背中は、誰よりも傲慢で、誰よりも愛に満ちた、一人の「男」のそれであった。


----


市場での喧騒が遠い夢のように思えるほど、寝室は深い静寂に包まれていた。


重厚な扉が閉まり、カチリと鍵がかかる音が響く。その音は、ステイルにとっての「解放」の合図だった。


ステイルの強い腕が彼女を背後から拘束した。


「……ステイル? そんなに急がなくても……」


「……急ぐさ。三時間だ。市場で君を、あんなにも多くの目に晒してから三時間も経ってしまった」


ステイルは彼女の項に鼻先を埋め、深く、飢えたように彼女の香りを吸い込んだ。昼間の彼は、民衆を慈しむ王子妃を「誇らしい」と称える余裕を見せていた。しかし、二人きりになった今の彼は、そんな理性の仮面など微塵も残っていない。


「民たちの声が、今も私の耳に障る。君に触れた子供の手も、君を『薔薇』と呼んだ男たちの視線も……すべてが私を苛立たせる」


「……あんなに優しく、彼らを許していらしたのに?」


アヤナーラが少し揶揄うように見上げると、ステイルは彼女の肩を掴んで自分の方へ向かせ、そのまま壁際へと追い詰めた。逃げ場のない空間で、彼の銀色の瞳が昏い情熱に揺れている。


「……許したのではない。耐えたんだよ、アヤ。君を『一国の王子妃』として輝かせるために。……だが、今はもうその必要はないだろう?」


ステイルの大きな手が、彼女の頬を、そして首筋を、自分の存在を刻みつけるように愛撫する。


「……私の前でだけ、その声を、その涙を、その名前を呼ぶ唇をさらけ出してくれ。……今日、君に向けられたすべての『愛』を、私のこの熱で上書きしてやる」


ステイルの唇が強引に彼女の言葉を奪った。

それは、昼間の穏やかな微笑みからは想像もできないほど、激しく、独占欲に満ちた口づけだった。


アヤナーラの指先が、ステイルのシャツをぎゅっと掴む。彼の熱が、肌を通じて自分の内側まで侵食してくるのを感じ、彼女の意識はみるみるうちにとろけていった。


「……アヤ、見てくれ。……君を愛しているのは、あんな群衆ではない。……私だ。世界で唯一、君の魂を揺さぶることができるのは、私だけだと言ってくれ……」


「……っ、ステイル、……。愛して、います……。私は、あなたの、もの……っ」


その言葉を聞いた瞬間、ステイルの瞳から最後の理性が消えた。

彼は彼女を抱き上げ、乱暴なほどに急いでベッドへと誘った。



深夜。


銀色の月明かりが差し込む部屋で、ステイルはぐったりと横たわるアヤナーラを、これ以上ないほど愛おしげに抱き締めていた。


彼女の肌に刻まれた微かな紅い痕跡。それは、彼が「王子」としてではなく、ただ一人の「男」として、彼女を完全に所有した証だった。


「……アヤ。明日の朝、君が目覚めたとき、一番に思い出すのが私の名前であるように。……いいだろう?」


ステイルは彼女の額にそっと、誓いのような口づけを落とした。


嫉妬も、独占欲も、消え去ることはない。それは、彼が彼女を愛し続ける限り、永遠に燃え続ける「はじまりの光」なのだから。


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