第四章 第十二話 約束
猫を埋め終わり、ひと息ついたタイミングで奏が、結希に声をかけた。
「結希さん、話があります」
何かを決意した表情で、結希を見つめている。
真剣な眼差しに、俺は気圧されてしまった。
「俺は、席を外したほうがいいか?」
「いえ。久郎さんにも、知ってもらおうと思います」
俺と結希、二人に知ってもらうこと。
いったい何が、告げられるのだろうか。
「私は……元『ゾディアック』でした。うお座だったのです」
ゾディアック。
VRMMOで、ニカやジャンナ、店主が属していると舞先生から説明があった組織だ。
だがそれよりも、「元」という単語の方が気になる。
「以前、私が名乗ろうとしたときに、メアに止められたことを覚えていますか?」
数日前の、アントとの激戦の後のことだ。
「かん……」と名乗りかけて、メアに止められ、橘奏と名乗った記憶がある。
「ゾディアックは、全員名字を捨てております。代わりに『神無月』を名乗っている。それが、ゾディアックの証なのです」
神無月と名乗ろうとして、メアに止められた。
これでようやく、その時の状況を把握することができた。
「でも、元なのでしょう? だったら、今の奏さんは……」
「無価値な存在です。その証を、今からお見せします」
奏が、手袋を外す。
そこにあったのは、想像を絶するものであった。
黒ずんで、元の色が分からない肌。
ロープが食い込んだのか、筋状に残っている傷痕。
さらに何度も手首を切った、切り傷まで加わっていた。
「もういい。十分に分かった」
俺は、止めようとした。
だが、奏の決意はその程度で揺らぐものではなかった。
「二人には、確認してもらいたいのです。私が無価値な存在であることを」
そして、上着を脱ぎ出した。
衝撃的な行動に、俺は対応できずただ立ちすくんでいた。
いくら生垣があるとはいえ、庭で行う行為ではないだろう。
だが、直後にあらわになったものを見て、納得せざるを得なかった。
それは……凄絶としか、言いようがない有様であった。
体中にある、無数の黒い内出血の痕跡。
根性焼きの、痛々しい火傷の跡。
鞭のようなもので叩かれたような、線状の盛り上がっている傷。
見えている範囲で傷ついていないのは、顔だけであった。
この体を見て、性的な関心を抱ける者がいるとすれば、それはもはや人ではない。
俺の眼前にあるのは、欲望の対象などではなかった。
暴力、悪意、回復魔法の悪用によって、無理やり固定された傷跡の集合体であった。
なぜ、藤花コーポレーションが彼女に「一軒家」を用意したのか。
その真の理由が、明らかになった瞬間でもあった。
「こんな体を、抱くことができる者はいない。それが、無価値である理由です」
あまりにも、重すぎる言葉。
果たして結希は、どうするのだろうか。
結希が取った行動。
それは「歌う」ことであった。
「約束(Promise)」。
アントとの戦いの時と、同じ曲だ。
だが、込められた意味合いが全く異なる。
奏がそれに合わせて、歌い始める。
結希の指が、奏に触れる。
それでも、歌が途切れることはない。
歌のフレーズに合わせて、結希は奏を抱きしめた。
そして、そのまま歌い続ける。
もし、奏に悪意が降り注ぐならば。
結希はそれを振り払うと誓う。
そして、永遠に守り続ける想いを、歌にのせて伝えていく。
これが、真のシンクロニティ。
俺が加わるのは、無粋というものだろう。
歌が終わる。
結希はまだ、奏を抱きしめたままであった。
それが「答え」である。
「奏さん……ううん。これからは、奏って呼んでもいい?」
「分かりました、結希さん。いえ、結希」
誓いの言葉はない。
だが、それよりもはるかに重い契約が、今なされたのは間違いなかった。
「とりあえず、服を着ろ。見ているこちらが恥ずかしい」
俺は、わざと軽い口調で伝える。
奏の顔が、真っ赤に染まった。
奏は、急いで服を着る。
そして、手袋を身につけることで「いつもの姿」に戻った。
「あら? 庭で、凄く綺麗な歌が響いていたのだけれども……」
結希の母が、顔を出す。
絶妙なタイミングというべきか、迷うところであった。




