第7章 暴走する魔力と揺らぐ均衡
炉心区画。
重苦しい空気の中、結界膜を抜けて足を踏み入れたクロエとノアールの視線が、ただひとつの影に吸い寄せられた。
台座の前にしゃがみ込む人影。その腕に抱えられているのは——失われたはずの“本物のコア”。
青白い輝きが影の顔をわずかに照らし出し、その存在を容赦なく浮かび上がらせていた。
「……なにを……してるの……?」
声は喉の奥で震え、言葉にならないままに洩れた。
影がゆっくりと振り返る。
光を受けて現れたその横顔に、クロエの呼吸が止まる。
「な……なんで……」
唇がかすかに開き、次の言葉を押し出すまでに数拍の沈黙が走る。
「なんでここにいるの?!」
「——フェルナー!」
ここにはいるはずのなかった親しい人の名は、心の奥底を切り裂くように絞り出された。
その名を聞いたノアールの瞳が鋭く光る。
「なぜ、おぬしが……」
室内の空気が凍りついたように重くなる。
クロエの胸を締めつけるのは、動揺と——裏切りの痛みだった。
⸻
その頃、爆発の痕跡に残る微かな魔力の残穢を辿りながら、フィオナは列車の奥へと歩を進めていた。
脈のように途切れ途切れに漂う力の波は、見覚えのある――だが、どこか歪んだ気配を帯びている。
(……これは、妹の魔力? いや……違う。もっと……私自身に近い……)
額に滲む汗を拭う間もなく、視界の先に“影”が揺らめいた。
腰まで流れる長い髪、細い肩の輪郭。淡い光に包まれたその姿は、まるで妹を思わせる――。
だが、直感は別の答えを突きつけていた。
(あれは……私?……)
影は振り返らない。ただ、静かに手を伸ばし、先を示すように指し示すと、溶けるように消えた。
残穢が濃く渦巻く方角へと。
「……待って!」
思わず声をかけるが、返事はない。残るのは胸を締めつける不安だけ。
それでもフィオナは歯を食いしばり、導かれるように炉心区画へと足を踏み出した。
⸻
フェルナーは一瞬だけ目を伏せ、抱えたコアをそっと台座へ載せ直す。結界膜の縁が低く唸り、脈打つ光が台座の紋へと流れ込んだ。
「戻している。――間に合ううちに」
短い呼気。迷いを飲み込んだ声だった。
「どういうことか、説明して」クロエは乾いた喉で言葉をつなぐ。
「私がこれを奪った。……だが、爆発で“伝達格子”が傷んでいる。コアを戻すだけじゃ駄目だ。魔力の流れが途切れ途切れで、推進も制御も“つながりきらない”。足りない分をどこかで補わねば――」
「補う、とは?」ノアールが目を細める。
「一時的に“人の魔力”を噛ませる。伝達の欠損を埋めるだけの量を、正しい位相で」
言いながら、フェルナーの眉間に深い影が落ちる。
奥歯を噛みしめ、言葉を継いだ。
「ただそれには莫大な量の魔力が必要だ。今、列車に乗っている魔法使いたちの魔力を合わせても……足りるかどうか……」
その時、駆け足が近づき、結界の口がわずかに開きフィオナが飛び込んできた。
「えっ、みんななんでここに……?……って、え、フェルナー?」
フィオナが息を弾ませて立ち尽くす。驚きと混乱の視線が、クロエとフェルナー、そして台座のコアを行き来した。
ノアールが肩で均等に呼吸を刻みながら言う。
「……フィオナの魔力なら、あるいは——足りるやもしれん」
「ちょ、ちょっと待って。なんの話?……」
クロエが素早く言葉を継ぐ。
「爆発で“伝達格子”が傷んで、コアを戻しただけじゃ列車は止まらないの。制御の流れが途切れてて、どうしても埋められない部分がある。その欠損を……人の魔力で補うしかない」
「……人の、魔力で……?」
フィオナの胸にざらついた痛みが走る。
「そうだ」フェルナーが低くうなずく。
「ただし莫大な魔力が要る。……だがフィオナなら、繋がるかもしれぬ」
ノアールが続けた。
「無理だよ!」フィオナが声を荒らげた。
「あの時だって……私……! 抑えきれなくて……!」
言葉が喉で詰まり、視界の端が白く跳ねた。
「また、あれが——」
熱、轟音、抑えきれず溢れ出す奔流——あの“暴走”の記憶が閃光のように甦る。
「大丈夫。私が位相を合わせる。ノアール、暴れそうになったら抑えて」
クロエが素早く床の補助陣に触れ、結界の周波を微調整する。
「承知した」ノアールが尾で軽く床を叩いた。
フィオナは震える指先を台座の導魔紋の上へ——ほんのわずか、触れない距離でかざす。
「……いくよ」
深く息を吸い、吐く。胸の内側で膨らむ圧が喉元まで迫る。
フィオナの指先が導魔紋に近づいた瞬間、空気が震えた。
コアから立ち昇る光脈が一斉に活性化し、伝達格子の亀裂を縫うように流れ込んでいく。
——だが、次の瞬間。
「っ……!」
フィオナの全身を駆け抜けるのは、制御を逸した奔流だった。胸の奥で膨れ上がる熱が一気に喉を突き抜け、叫びそうになる。結界の膜がきしみを上げ、導魔紋の刻線が一瞬にして赤く灼ける。
クロエが即座に介入した。
「フィオナ、集中して! 呼吸を合わせて、ほら!」
彼女の指が補助陣を叩き、周波を必死に揃える。
「ぬうっ……! これは……強すぎるぞ!」
ノアールが尾で床を打ち、符を散らして奔流の一部を吸い込むように抑え込む。だがそれでも圧は揺らぎ、光の奔流が壁や天井を這う。
「だ、だめ! 止まらない……!」
フィオナの足元にひび割れたような光が走り、結界そのものが共鳴を始める。
「我が抑えておる、今はまだ持つ! クロエ、さらに合わせろ!」
「言われなくても!」
クロエの手が震えながらも符を叩き続け、ノアールは体毛を逆立てて結界を押し返す。
やがて奔流はわずかに収束し、コアと格子が辛うじて繋がった。
フィオナの肩が大きく上下し、全身から汗が滴り落ちる。
「はぁ……はぁ……今の……本当に……」
膝が折れそうになるところを、クロエが支えた。
ノアールも視線を鋭くして言った。
「今は我とクロエが支えておるゆえ、どうにか均衡しておる。安心して魔力の制御に集中するのだ」
フィオナは満身創痍になりながら軽く微笑み頷いた。
やがて、結界の唸りが安定したかと安堵した時——
「待って……制御は戻ってるけど、ブレーキが効いてる感じがしない…なんで…?」
クロエの声に戸惑いが滲む。
フェルナーの目が大きく見開かれた。
「ば、爆破の影響で、物理ブレーキが……破損している……!」
このままでは列車の暴走は抑えられても肝心のブレーキをかけることが出来ない。握った拳が震え、胸の奥でただひとつの名を呟いた。
(エリシア……!)
その瞬間、クロエの羅針盤が強く輝きを放った。




