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第5章 隠し部屋と揺らぐ心


 男は再び炉心区画の前に立っていた。

 さっきは一歩引いた足を、今度は迷いなく前へ運ぶ。

 ——あの声が、まだ耳の奥で響いている。

「……お父さん、助けて」

 娘の、泣き笑いの混じった声。

 それを思い出すだけで、胸の奥が焼けつくように痛む。


 結界膜の向こう、台座にはやはりコアはない。

 だが、自分だけが知っている“隠し場所”には本物が眠っている。

 それを抱えて黒幕に渡せば——娘は助かる。

 他の何を失っても、彼女だけは……。


 拳を握りしめ、通路を駆ける。

 保管区画の奥、壁際に手を当て、黒幕から渡された薄い金属板のような装置をはめ込む。

 低い唸りと共に刻印が光り、目の前の壁がゆっくりと変質していく。

 やがて、石の中から溶け出すようにコアが姿を現した。

 冷たい金属の感触を掴むと、指先から腕へ、ずしりと重さが伝わる。

 その重さが、命の重さのように思えた。


 コアを布に包み、胸元で押さえながら客室側へと戻る。

 足音を潜め、周囲の視線を避ける——その途中で、ふと動きが止まった。


 視界の先、窓際の席で笑い合う家族。

 母親が小さな子を膝に抱き、父親がその髪を撫でる。

 その光景が、かつての自分と娘の姿と重なった。


(……これを渡せば、娘は生き延びる。だが……)

 ——この列車にいる何百人もの命はどうなる?

 犠牲にしてまで、残された人生に笑顔はあるのか?

 助けたはずの娘が、これを知ったら……?


 足が動かない。

 視線はコアに落ち、胸の奥で何度も答えを探す。

 冷たい金属の感触が、今はやけに重苦しい。


 やがて、静かに深く息を吐き、踵を返した。

 進む道は決まった。決まっていた。

 炉心区画へ——コアを、

 元の場所へ。


⸻


 ほぼ同じ頃。クロエはノアールと保管区画の別通路を進んでいた。壁の継ぎ目に薄く走る魔法痕を、指先でなぞるように確かめる。

「……さっきの“ねじれ”が、ここで増幅してる」

「む、鼻にもほんのり来るのう。金属の熱と、封印の匂いじゃ」


 薄い残光の集まる一点に、クロエは掌サイズの砂時計を置いた。

「リヴァース・クロニクル・グレイン」


 砂が逆流し、薄膜の裏側に“過去の残響”がにじむ。

 ——マントを羽織った影。白髪とも銀髪ともつかない髪が、光を受けてさらりと揺れる。

 影は“何か”をコアらしきものに対して行っている……ように見えるが、魔力が乱れて肝心の手元が波打ち、詳細は読み取れない。

「……入れ替え? 隠匿? いずれにしても“二度目の手”が入ってる」

 クロエは小さく息を吐く。「服装はあの時と似てる。けど、はっきり断定はできない……」


「つまり、“また銀髪っぽい誰か”じゃな」

「言わないで。名前を決めない。証拠が足りない」

 ノアールは肩で小さく頷くと、ヒゲをぴくりと震わせた。

「それと、甘い匂いが混じっておる」

「……え?」

「ほれ、そこの角。包み紙が一枚。誰かがさっきまで飴を舐めておった形跡じゃ」

「現場に関係ない“手がかり”はしまっておく」クロエはそっけなく言い、器用に指でつまむとポケットに滑り込ませた。

「……今の“間”は何じゃ」

「気のせい」


 ノアールの耳がピンと立つ。遠い客室側から、人のざわめきと、聞き覚えのある足取り。

「クロエ、フィオナが別区画で聞き込み中じゃ。ひとりじゃどこに行くか分からんからな。合流してやろう」

「行って。私はもう少し痕跡を見る。終わったら炉心側へ回る」

「承知」

 ノアールは軽く尻尾を振り、客室側へ駆けた。


⸻


 少し後。フィオナは単独で乗客の聞き込み中だった。

「すみません、銀……いえ、白っぽい髪の人を見ませんでした?」

「さっき、そっちに——」

「そっちって北ですか?」

「え、ええと……進行方向の右?」

「……進行方向の右は北だっけ?」

「違う」——合流したノアールが、迷いなくツッコミを入れる。

「来たの? ナイスタイミング」

「我が鼻は道標にもなるのじゃ」


 そこヘ、つばの広い帽子に立派な作り物の口ひげを付けた車掌(のつもり)の男が、ぎこちない敬礼で割り込んできた。

「お、お困りのようですね、お客さ……いえ、えー……探偵さん?」

「え? あ、はい」

「わたくし、列車サービス向上委員の者でして。迷子の落し物(?)なら、たしか三号車の——パン売り場の、裏の棚の、下の箱の、さらに下に」

「……それ、ぜったい嘘でしょ」

 ノアールがすっと目を細める。「その口ひげ、粘着力が足りぬぞ」

 男は慌ててひげを押さえた。「……ナ、ナンノコトデショウ」

「質問。あなた、何を探してるの?」フィオナが反問する。

「“真犯人”。そして“看板”」男はなぜか胸を張った。

「看板?」

「看板は大事だ。特に頭に落ちるとIQが——じゃなくて、沿線の安全が——」

 ひげがぽとりと落ちた。

「……」

「……」

「(覚えてないのかよ……)」小声でぼやくと、男は取り繕うように立ち上がり、「が、頑張ってください!」とだけ言って早足で去っていった。

「今の人、何者?」

「“変な人”でよい」


 その後も、同じ“変な人”が別の変装で現れては、通路標識をわざと逆向きに置き直していったが、フィオナとノアールがすぐに正した。

「こっちが北——」

「違う」

「……甘いもの食べたい」

「今は違う」

「じゃあ、終わったら」

「それは大いに賛成じゃ」


⸻


 保管区画では、クロエが砂時計を拾い上げていた。

「ここで一度、打ち切ろう。痕跡は動いてる。次は“向こう側”で見たほうがいい」

 視線は真っ直ぐ、列車中央の奥。

「——炉心区画」


 列車は走り続ける。

 通路の金属がときおり低く軋み、遠くの隔壁で警告灯が淡く瞬き、床下を伝う振動には、まだ不規則な波が混ざっていた。


 男はコアを抱きしめたまま、無言で歩く。

 選んだ道は、間違っていない。

 ——はずだ。


 終点までの残り時間は、誰にもやさしくはなかった。

ここまで読んでいただきありがとございます✨

応援、ご感想頂けるととても嬉しいです!

今後もよろしくお願いします☺️


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