英雄の影
無言のまま、廊下を並んで歩く少女たち。両者はいわば両極端と言えるような容姿なのだが、一つだけ共通項があり、それはどちらも万人を魅了してしまうほどの容姿を持ち合わせている、という事である。
その片方は真紅の長い髪に、どこまでも澄み渡るようなほど清純で高貴な雰囲気を漂う少女。
対してその隣にいる女性は、高貴な雰囲気を漂わせているのだが清純と称するには少し無理がある。その健康的な小麦色の肌をほとんどさらけ出し、娼婦をも思わせる踊り子装束を着こなす紫色の髪をした女性。
そんな二人が並んで歩いているせいか、廊下が異様に慌ただしくなっている。
ある者は廊下の端で背筋を伸ばし、またある者は廊下の喧騒に釣られ部屋から顔を覗かせたまま動きを止めている。シャルド最高の宿というだけあり、分別のある冒険者や貴族が泊まっているのだが、それでも彼らあるいは彼女らは声を出しその光景を見ずにはいられない。
「……」
「……」
それでも耳目を集めている当の本人たちは気にした様子も無く、言葉を発せずにただ迷いのない足取りでどこかに向かっている。
そして彼女たちは少ししてとある一室の前で歩みを止める。
「ノックしますね……」
ルナが隣にいるフィリアーナに確認するように呟く。彼女もコクンと小さく頷き、それを見たルナはスーッと軽く息を吸って、そして扉を叩いた。
コンコン、と木の渇いた音が控えめに廊下に響く。そのまま少しの間が空いてから「誰だ?」と中から不躾ながらやる気のない声が聞こえてくる。
その声にルナはどこか安心したような笑みを浮かべ、フィリアーナは緊張したような面持ちを浮かべる。
「ルナです」
そう返事をすると、中から「だったらノックしなくてもいいのに……」と苦笑いを浮かべていることが伝わるような声が返ってきた。
それを聞いた二人は意を決したように部屋に入った。
「たっだいまー、マフユ!!」
扉を開けると真っ先にルナの髪の隙間から妖精が飛び出し、美しい2対の羽を羽ばたかせながら部屋の奥へと飛んでいた。
二人はその様子に少し呆気に取られながらも、後に続くように部屋の奥に歩みを進める二人。
「お帰り、フィン。と言ってもそんな時間が経ってはいないと思うが」
二人の目的である人物は部屋の奥、窓際のテーブルセットの椅子の一つに軽く腰を掛けながら、苦笑い気味に相棒である妖精の相棒の頭を指先で撫でていた。
その姿はどこにでも良そうな、おそよ冒険者と言える人物にはおそよ見えない。いつもの枯れ草色の外套は羽織らずに、どこか安そうな服を着ている。ものすごくラフな格好で寛ぐ青年は外で鬼神のごとき戦闘を見せていた者とは思えない。
(本当に不思議な人物ね……)
外套を羽織っていないせいで、その細い身体の線は良く視える。もちろん鍛えられた筋肉がその身体を覆っているのだが、それでもやはり細い、というのがフィリアーナの正直な感想だった。
「そんなとこに突っ立てないでとりあえず二人とも座れよ。ほら」
そんなフィリアーナの視線に気が付いたのか、気が付いていないのか分からないがマフユは自分の座っていた椅子とその対面に置かれた椅子を軽く並べながら座るように勧める。
二人はそれに従うようにゆっくりと腰を掛ける。それを見届けた後、自身はというとベッドに腰を掛け、二人を順繰りに見た。
そして二人が口を開くのを待つかのように、目を軽く閉じた。
肩の上には愛くるしい相棒のフィンが居座り、目の前には見麗しい二人の少女がキュッと口を結び、どう話を切り出していいか困ったよう戸惑っている。
(はぁ……どうしたもんかね)
目を瞑りながら俺は前に座る美女たちが口を開くのをただ待っていた。
室内は静寂に包まれ、ただひらすらに時間だけが流れていく。部屋の外はなにやら騒がしい。まあ、こんな美女二人が並んで歩いていれば、相手がいるのかとか気になっていしまうのも無理はないだろう。現に聞こえてくる喧騒の大部分は男たちの興奮したような声なのだから。
そう考えると俺は美女二人を部屋に招き入れると言うかなりのプレイボーイな真似をした豪胆な者という事になるのだが、いかんせん部屋の中の空気はそんな浮いたモノではない。まあ浮いたら浮いたで俺がおそらく一番狼狽するのは目に見えているが。
(そんなことはどうでもいいとして……やっぱりか、というのが率直な感想になるな)
片目だけ薄ら目を開き、盗み見るようにして二人を観察する。
俺の婚約者である真紅の髪をした女性――――ルナはまずは何から話すべきか悩んでいるように見る。
対してその隣にいる紫色の髪をした踊り子風、というか正真正銘の踊り子であるフィリアーナはルナが口を開くのを待っていると言った感じである。まあ唐突に話を切り出すのも難しいからな。
フィンの話を聞く限り二人、特にフィリアーナの方は俺の過去について知りたいらしい。まあ、本人が姫巫女と言うなら俺も協力を得るためには話すのはやぶさかではない。
ただ、やはりそれを話すのはどうしても苦手である。主に英雄として扱われたくないという部分が大きい。
(まあフィリアーナはどちらかと言えば、いい獲物として目を付けられそうだが……)
考えただけで背筋がゾッとしそうになり、無理やりその思考を奥深くに追いやる。
「マフユ様、まずはご報告からさせていただきます」
内心で必死にかぶりを振る中、ルナが意を決したように口を開いた。
「こちらにいるフィリアさんは、マフユ様の予想通り私と同じ姫巫女でした。それで……」
「どうして貴方が私の力を借りたいのか、その説明をして頂戴」
言い淀みながら横に座るフィリアーナをチラッと視線を向けるルナ。そのルナの視線に応えるかのように、フィリアーナは感情を一切退けた、事務的な口調で俺に問いただしてきた。俺が何者なのか、と。
俺はその姫巫女としての義務と何か別の感情がせめぎ合う瞳を見据え、フーッと息を一つ吐き出す。
「ああ、お前の協力を得られるというなら俺もきちんと話すさ。俺が何者で、どんな咎人なのか、な」
肩の上でフィンがムッと顔を顰めている。どうやら俺を自らを咎人と称し貶めたことを怒っているらしい。相変わらずいい相棒だな、と思いつつ、静かにしていてくれと視線で訴えかける。フィンは不承不承ながらも俺の願いを聞いてくれたようで、口を閉ざしていてくれるらしい。
「さて、まずは何から話すべきかな……」
視線を部屋に巡らせる。
やはり実際自分のことを語る、となるとどこから始めるべきか悩んでしまう。それだけ俺の人生は荒れており、普通じゃない。
そもそも俺が誰なのか、それが俺の人生の全ての始まりであり、逃れることの出来ない運命に翻弄されることになった戦いの結末とも言えるだろう。
その結論に至った俺は視線を二人に戻し、ゆっくりと口を開いた。
「まず俺の真名だが……マフユ・オルクス。お前たちと同じ神の血族に連なる者だ。だが、決定的に違うとすれば、それは俺の名は穢れているとでも言えばいいかな。なんせ冥界の神の名、だからな」
それを聞いたルナは沈痛な表情を浮かべ胸元で両手を握りしめ、フィリアーナは瞠目した。まあその反応は正しいし、むしろ驚かなかったら俺はフィリアーナを疑ってしまうかもしれない。
それは兎も角として俺はそのまま話を続ける。
「つまり俺は冥界の神の血族であると同時に、かつて冥王と呼ばれた者の子供でもある。そしてその冥王を討ったの英雄の一部の、俺だな」
「え、ちょ、ちょっと待ってっ!?色々と混乱しているのだけど……」
「それが正しい反応だな。とりあえずゆっくり理解してくれ」
さすがにこれだけの情報を一挙に教えられれば混乱するのも無理はないだろう。むしろ、今の話の全てを真実だと受け入れ、理解しようとしているフィリアーナに俺は驚きを隠せない。 普通こんな突拍子もない話、信じろと言う方が無理なのだから。
だからこそ俺は彼女が落ち着くのをただ待つことにする。
「……浮世絵離れし過ぎていて未だに理解が追いつかない気もするんだけど、要するにあなたは冥王を討った英雄であると同時に冥界の神の血筋に連なる者でもあると」
未だに困惑を隠せないようだが、それでもフィリアーナは信じられないとは一言も発さなかった。
そして何より俺のことを特別視もしなければ、嫌悪の視線も向けてこない。何よりもそれが俺には嬉しかったかもしれない。
「それだけ理解してくれれば十分以上だよ。俺だって突拍子もないことを話している自覚はあるからな」
俺はそう言って肩を竦めて見せる。するとフィリアーナも俺のその態度を見てどこか安心したような表情を浮かべてくれた。
「確かに突拍子もないけど……今までのあなたの戦いとか言動を見ていると何となく理解もできるのよね。むしろ貴方が英雄だと言う方がしっくり来るわ」
「英雄って呼ぶのは止めてくれ。俺には似合わないし、そもそもこんなみすぼらしい英雄はいない」
どうにも人から英雄と呼ばれるのは苦手なようで苦い顔を浮かべてしまう。それでもフィリアーナが普段通り、でもないかもしれないが、特別な畏怖とも言える視線を向けて来なかっただけでもありがたい。
「さて……話が多少脱線してしまったが、俺が姫巫女の力を借りたいと思っている理由だが……」
チラッと静観しているルナに視線を向ける。
それに対してルナは、俺の言いたいことが伝わったようで軽く頷き返してくれた。今世界で起きている異変について知っていることは話してあるらしい。それなら俺はその辺は省いて目的だけを告げることにする。
「ルナから説明があったように、世界の異変のためにもう一度戦わないといけないらしい。そのためにお前たちの力を借りたい。端的に言ってしまえば俺にはかつての力が無いからな」
嘲るような口調になってしまう。それほどまでに俺は英雄として相応しくない。
俺は平和への礎にはなれず、むしろ破滅へと導く象徴とも言えるのだから仕方ないと言えば、仕方ないのだが。
「……わかりました。そういうことなら私も力を貸すわ。それで、具体的には私はどうしたらいいのかしら?」
すっかり部屋内は緊張感漂っており、フィリアーナも格好に似つかわずその口調からも分かる通り、どこか固くなっている。
「とりあえずミネルヴァ様に合わせて欲しい。そのあとのことは……すまないが分からない」
その提案に対して、フィリアーナは少しだけ思案する素振りを見せたあと、すぐさま快諾してくれた。
断れる可能性も無きにしも非ずだったために思わずフーッと息が漏れてしまう。ようやくこれで目的の一つが達せいされ、一息つけると思った矢先、目の前に座る少女たちがいまだに何か聞きたそうな顔を浮かべているのに気が付いた。
ん?と思わず首を傾げてしまう。俺の肩の上では相棒が何やら知った雰囲気を発している。
(他に何か用事あったか?)
フィンから言われたことを思い出してみるが、その用事はすべて消化したはず。詳しい話はしていないとはいえ、これ以上俺には話す必要があることなど思い至らないし。
うーん、と頭の中で必死に唸っているとルナとフィリアーナが示しを合わせたかのように、同時に俺に視線を向けてきた。その2対の瞳は何か決心しているらしく、思わず俺がたじろいでしまいそうになる。
そして次の瞬間二人から問われた質問に俺は驚かされてしまった。
「マフユ様、実はお聞きしたいことがあるんです……」
「貴方は、そのどうして、笑わないの?」
思わず瞠目しながら、ふと思った。
――――本当に俺の事、良く視てるよな
そんなどこか喜んでいるようなことを俺は思ってしまった。




