少女の戸惑い
何とか間に合った。
相変わらず主人公は出てきません。
フィリアーナは明らかに心臓の鼓動が早く、強くなるのを感じた。同時に身体は石像のように強張り、視野が狭まったように思えた。
眩暈のようなモノを感じて、思わず右手で頭を抑えるフィリアーナ。
「大丈夫ですかっ!?」
そんな彼女をルナは心配そうに眺めている。その態度がフィリアーナにはどこか皮肉気にも思えてしまい、思わずかぶりを振った。彼女にそんな真意はない、と。
「大丈夫よ、少し眩暈がしただけだから」
「お水、お持ちしましょうか?」
そう言って立ち上がろうとするルナをフィリアーナは手で制して、自らの足で水を取りに行く。
コップの半分ほどまで注いだ水を一気に飲み干し、嫌な感情を腹の奥底に追いやろうとする。
ふぅ、と天井に向けて冷えた息を吐き出す。身体に染み渡る冷たさが、頭の奥に溜まった熱気も冷ましてくれたようで、幾分思考がクリアになる。
「自分の卑しさがここまで酷いとはね……ルナがそんなことするはずないのに」
自分を姉のように慕ってくれる少女の顔を思い浮かべながら、反省するようにそっと呟く。
それでも心は別のようで頭ほど簡単に割り切れておらず、どこか暗い感情がいまだに身を潜めている。
(全く……嫌になるわ)
内心で自分の卑しさを糾弾しながら、二つのコップに水を注ぎルナのもとに戻る。
「大丈夫でしょうか?やはり体調が優れないなら出直しますが……」
心の底から自分を心配してくれるその瞳と言葉に、フィリアーナはどこまでも心を痛めた。
こんな儚げで無垢な少女を疑った自分が恥ずかしく、思わず涙が出そうになった。
そんな彼女への贖罪として、でもないが、気丈に「大丈夫よ、ごめんね」と告げる。そして心の中で決意した。
――――彼女と彼の事を応援しよう、と。
「それで、何が効きたいのかしら?」
ルナの前に水を置き、ログチェアに深く腰を掛けてから話を再開させるフィリアーナ。その瞳はどこまでも優しげなものをしている。
そんなフィリアーナの様子を知ってか知らずか、ルナは単刀直入に告げた。
「フィリアさんは、私と同じ姫巫女ではありませんか?」
「へぇ……どうしてそう思うのかしら?」
カップの水で喉を潤しつつ、尋ねるフィリアーナ。それに対してルナはどこか自信が無さそうであるが、それでもコレを聞かないといけない、という矜持のもと話を続ける。
「確証はありませんが……その所作や容姿、そして何よりどこか近しいモノを感じるので……」
「ふーん……仮に私が姫巫女だったとして、ルナは私に何を望んでいるのかしら?」
その問いかけにルナは思わず、言葉を詰まらせる。仮にフィリアーナが本物であるなら真実を告げても問題は無いのだが、いかんせん違っていた場合無用な混乱を招く恐れがある。それは王族としても、一個人としても望むことではない。
それでもその迷いも一瞬のことで、ルナは真実を告げることにした。半ばフィリアーナが本物だと確信があったのかもしれない。
「今、冥界の神を蘇らせようと画策している者たちがいます。それを止めるためにどうか、私たちに、マフユ様にお力を貸していただきたいのです」
深紅の髪を垂らしながら頭を下げるルナ。それを見るフィリアーナは目を見張っている。だが、それも一瞬のことですぐに居住まいを正し、何やら思案する素振りを見せる。まるで何かをしているかのような、そんな雰囲気がある。
「なるほど、ね。事情は分かったわ。確かに私はルナの推測通り、戦の女神・ミネルヴァ様に遣える姫巫女よ。だけど、どうして……マフユに力を貸すのかしら?確かに強いのは分かるけど……」
マフユと言う名を口にするのに多少の抵抗があるのか、一瞬躊躇いを見せるフィリアーナ。それでも何事も無いかのように振舞えるあたり、さすがとしか言いようがない。
「えーっと……それはですね、」
ここにきて初めて躊躇いを見せるルナ。それもそのはずで、マフユはそもそも自分を英雄だと認める気も無ければ、喧伝したがらない。それどころかそう呼ばれる存在であったことを知られるのを嫌う節すらもある。そんなことを許可なく勝手に口にしていいのか、ルナは迷った。
そんな急に言葉を切ったルナに訝しげな視線を送るフィリアーナ。
そんな二者の間で流れる微妙な沈黙を破ったのは予想外の人物だった。
「ルナ、話しちゃってもいいよ!マフユなら多少困ったような顔するだろうけど、怒らないだろうし。何よりマフユはフィリアの事気に入ってる部分もあるからね」
ルナの真紅の髪の間からフワッと現れたのは妖精のフィンだった。しかし、そのどこかのんびりした口調とは裏腹に、心なしかふて腐れたような表情を浮かべている。
予想外の人物の登場にフィリアーナもさすがに驚いたのか、目を少しだけ見張っている。
もちろんフィンはそんなフィリアーナの驚いた表情など気にも留めずに、ストンとテーブルの上に降り立つ。
「フィンさん、よろしいのですか?勝手に話してしまっても……」
「問題ないよ。いくらマフユが嫌がっても事実は覆らないし、フィリアが姫巫女と分かった今なら協力を得られた方がいいわけだしね」
心配そうな表情のルナとは対照的にフィンはと言うと、テーブルの上に飾られた花の香りを楽しんでいる。そんなフィンの対応に困ったような表情を浮かべるルナ。
そんな状況では流石のフィリアーナも助け舟を出せずに苦笑いを浮かべてしまう。
「ンー、なんだったら今からマフユのとこに言って直接話してもらえばいいんじゃない?そうすれば万事解決だし!」
一頻り花の香りを堪能したのか、今度はルナの頭の上に座るフィン。そんなフィンだが、フィリアーナの格好を眺め、ビシッと指を向ける。
「だけど行くならフィリアは洋服着てよね!」
「流石の私も殿方の部屋に行くのにこんな恰好じゃ行けないわよ。そもそも外だって出歩けないわ」
苦笑いを禁じ得ないフィリアーナ。
しかし普段の彼女の格好を考えるとその恰好でも出歩きそうだな、などとルナも失礼ながら多少思ってしまった。
もちろんそんな失礼な考えを表情にはおくびも出さずに「どうなさいますか?」と問うルナ。フィリアーナはそれに間髪入れずに首を縦に振った。
「行くわ。私も姫巫女として、知らぬふりできる状況じゃないみたいだからね」
姫巫女として、という言葉を強調したのは彼女なりのけじめだったのかもしれない。あるいはそういう建前とも言えるかもしれないが。
「分かりました。それじゃあフィンさん、先に戻ってマフユ様にその旨をお伝えしておいていただけませんか?私はもう一つのことをフィリアさんにお聞きしたいので……」
「うん、わかった!そっちの結果はあとで教えてね~」
そう言って、窓から飛び立つフィン。それを見送るとルナはフィリアーナと再び向き合った。
そんなルナの真剣さに押されたのか、フィリアーナは嘯いた。
「安心しなさい、ルナ。前にも言ったけど、私はあなたの大切な人を取る気なんてないわ」
肩を竦めて見せるフィリアーナ。
しかし、ルナにはそれが嘘だと、分かったようでゆっくりと首を振る。
「いえ、フィリアさん。それは嘘です。フィリアさんの本音はおそらくもっと違うと思います」
「……貴方に何が分かると言うの、ルナ?」
声を荒げるようなことはせず、むしろとても静かなモノだった。しかし、言葉の中に多量の怒気が含まれているのは誰でも悟ることができる、それほどまでにフィリアーナから底冷えするような冷たさが感じられた。
しかし、それも無理はないだろう。彼女は好きな男と大切な親友のために初恋とも言うべきものを諦めたにも関わらず、その親友からその男のことをどう思うかなどと問われて怒らない方がどうかしている。
むしろ声を荒げずにいたフィリアーナはすごいとすら感じれる。
そんな冷たさ漂うフィリアーナに対して、ルナは顔をくしゃっと歪めた。
「分かりますよ……だって今のフィリアさんすごく辛そうで、少し前の私を見てるようなんですから」
それからルナは声を震わせながら、マフユとの出会いからここまでの経緯をゆっくりと語った。
その話はどこまでも奥手な少女が人付き合いを知らない男に必死に近づこうとして、しかし彼の重荷にしかなれず、何度も悩み苦しみ、諦めようとした話だった。
その中にはどこにも、今のように仲睦まじい二人の面影など無く、恋に苦しむ少女の姿しかなかった。まるで今の自分と同じように苦しむ少女が。あるいはフィリアーナのように彼と背中合わせで戦えない分、余計に苦しんでいたのかもしれない。
そんな話を聞いてフィリアーナは……。
「全く、どんな鈍感よ……」
とぽつりと感想を漏らした。
「マフユ様はどこまでもお優しい方ですから……。詳しいことは私から言えませんが、とある過去のせいでマフユ様は心に大きな傷があるのです。そのせいで自分と一緒にいると不幸になってしまうと、人と触れ合うことを避けて、距離を取ってしまうのです」
沈痛そうな表情を浮かべるルナ。その眼には大粒の涙が浮かんでいる。その表情を見るだけでも、どれだけ目の前の少女がマフユのことを思っているのか、フィリアーナには伝わった。
「ですが、私はマフユ様に、辛い思いをしたからこそ幸せになってほしいのです。そしてそれはきっと私だけでは幸せにすることはできません。私にはマフユ様のお背中をお守りすることが叶いませんから……」
そこで言葉を切り、力の籠った瞳をフィリアーナに向ける。
「そこで、もしフィリアさんが私と同様に気持ちをマフユ様に抱いているなら……」
「なるほど。ルナの言いたいことは分かったわ。確かに私は彼に思慕の情を抱いているし、ルナのその提案もとても魅力的だわ」
「それじゃあ……」
フィリアーナの返事を聞いて喜色の表情を浮かべるルナ。だが――――。
「だけど、私は彼に嫌われているわ。こんな戦闘を愛するような女、嫌って当然だけど……」
「そんな事ありませんっ!」
無理におどけで見せるフィリアーナ。それに対して、ルナは声を荒げた。
ルナが声を荒げるなど考えもしなかったフィリアーナは思わず、目をぱちくりとさせる。
「マフユ様は確かに戦うことを好みませんが、そんなことで人を嫌ったりは絶対にしません。何よりフィリアさんはすごくお綺麗ですし、フィンさんが先にも言っていた通りマフユ様はフィリアさんのことを気に入っている部分がありますから」
少しだけ羨ましそうな、歳相応の表情を見せるルナに思わず心が温かくなるフィリアーナ。だが、それでも一つだけ気になることが心の中で棘のようにチクチクと彼女の胸を刺激している。
「でも私、彼の笑顔っていうモノを見たことがないのだけど……」
哀しげな表情を浮かべるフィリアーナ。だが、彼女の前にいる少女もまた、同様の表情を浮かべている。
「それは……残念ながら私も見たことがありません」
「えっ!?」
その言葉に驚きを隠せないフィリアーナ。
婚約者であり、かつこんな美少女が隣にいても笑わないとはどういう事か、と思わず首を捻る。
そんなとき、窓がコツコツと音を立てた。そちらを見ると、闇夜に金色の髪を靡かせる妖精の少女が立っていた。
ルナが窓を開けると、ふぅと息を吐きながらフィンがフワーッと飛びながら入ってきた。そのままルナの頭の上に着地し、うぅーっと声を上げながら伸びをする。少女たちの間に流れていた微妙な空気を完全に一掃する、気の抜けた声だった。
それに思わず破顔するルナとフィリアーナ。そんな二人を首を傾げながら眺めるフィン。
そんなフィンにルナは丁寧に説明した。
「なるほど、ね。まあ二人がマフユの笑顔を見たことないのは仕方ないよ。何十年も一緒にいる私ですら見たことないからね」
「どういうことです、か?」
その言葉に驚きを隠せない二人。そんな長い間一緒にいる旅の相棒ですら見たことないとは、どういう事か気になった。
「ンー、詳しいことはこのあとマフユに聞けばいいよ。ちゃんと話もつけてきたからさ!だた、言えるのはマフユの心はそこまで壊れてしまったってことかな」
「壊れた?」
「どういうことですか?」
「そのままの意味だよ。マフユの過去が、経験が、運命が、そうさせちゃったんだよ」
窓の外に怪しげに浮かぶ月を眺めながら、フィンは悲しそうにそっと呟いた。




