Act.4 消失
「あなた、誰……?」
そう問い掛けてくる人物の顔に、巧は心当たりがあった。
「水嶋、暁奈?」
彼女は自分と同じ学校に通っている、学年の中では結構な有名人だった。
成績優秀で運動神経も抜群、おまけに可愛いし人当たりもいい、という評判を和真が聞きつけ、顔を見に行こうと無理矢理連れて行かれた事があった。
もちろん声を掛けるなんて事はせず、遠巻きに顔を確かめた程度だった。だから向こうがこっちの事を知らなくても無理はない。
「私の事知ってるの?」
然して驚いた様子もなく、暁奈は自分に尋ねてくる。
学校の有名人と、こんな所で出くわすなんて予想もしていない。そんな風に思いながら、巧は躊躇いがちに言葉を返す。
「いやその、あんたと同じ学校に通ってるからさ」
「え、そうなの?」
「ああ、俺はあんたの顔見た事あるんだ。あんた結構有名人だから――」
そう言って何気なく視線を下ろした巧は、彼女の左手に握られている物を見て眼を瞠った。
彼女の左手に握られているのは、銀色の弓だった。
だがそこが一番肝心なのではない。問題なのは、弓に埋め込まれている宝石のような玉。牡丹色のそれと似た玉に、巧は見覚えがあった。
自分が発現した『心羅』の力。その長剣に埋め込まれていた玉も、色は違うがこんな形をしていた。
まさか、と巧は思う。
「あんた……、それ」
「え?」
巧が右手で指を差すと、暁奈は不思議な顔でその指の示す先の物体に目を向けた。そして気まずい様子も見せず、軽い調子で言う。
「ああ、これ? これはね、『心羅』っていう力なんだって。幻影の道化さんがそう教えてくれたわ」
「!」
やっぱりそうかと、巧は内心で驚きながらも納得する。
まさか彼女まで『心羅』に目覚めるとは……。
そう考えていると、彼女の背後からもう聞き慣れた声が聴こえてきた。
「遅かったね。ついさっきまで、彼女が『災魔』と戦ってたんだよ」
軽い調子の声に目を向けると、幻影の道化がニコニコとした顔でこちらを見ていた。なんだかうんざりした気分で巧は問い掛ける。
「どういう事なんだよ? 水嶋まで力に目覚めるなんて」
「だからそれはボクに聞かれてもわからないよ。彼女にもそういう素養があったって事なんじゃないのかな?」
そう言ってわざとらしく首を傾げる仕草に、巧はやれやれと溜め息をついた。
すると、そのやり取りを見ていた暁奈が、眼を丸くして尋ねてくる。
「あれ……? 二人は知り合いなの?」
巧と幻影の道化。二人の間に立っている彼女の言葉は、どちらに対する質問なのかわからない。が、とりあえず先に巧が答える。
「まぁ、な。俺も今日知り合ったばかりだけど――」
そう答えていてふと思い出した。そういえば、自分はまだ自己紹介をしていない。
「悪い、自己紹介がまだだったな。俺は神藤巧。あんたと同じ高校一年だ。よろしくな」
「ええ、よろしく。私の名前は……、ってそっか。もう知ってるんだよね」
自然な感じで微笑む彼女は、前評判通り、人当たりのいい性格のようだ。
それがわかった事で巧は少し安堵していた。『心羅』に目覚め、『災魔』と戦った彼女が混乱を来していないだろうか、と危惧していたのだが、どうやら無用の心配だったらしい。
挨拶も済んだ所で、巧は気を引き締め直した。目的の人物も見つかったのだから、ここに長居する必要もない。この世界の事を調べるのは、一度現実世界に戻ってからでもいいだろう。
「――さてと。じゃあ早くこの空間から出よう」
「えっ? どうして?」
暁奈はキョトンとした顔で、巧の提案に疑問の声を上げた。
「いや、どうしてって……」
彼女の奇妙な発言に、巧は違和感を覚えた。さっきまで彼女は混乱していないと安堵していたのだが、それが覆されたような気がした。
「こいつから聞いてないのか? 『災魔』たちはこの『鏡界』に落ちた人間を喰らおうと襲ってくるんだ。そんな危険な場所に、いつまでもいられないだろ?」
「大丈夫よ。だって私には『心羅』の力があるんだから、襲われてもまた退治できるわ」
「それはそうだけど……、現実の世界に帰りたくないのかよ?」
「無駄だよ、神藤巧くん」
暁奈との会話の間に、いきなり幻影の道化が割って入ってきた。今度はなんだよと言いたげな顔で、巧は乱入者の方を見た。
「その子、水嶋暁奈さんはね、キミと違って非日常の世界に憧れてるんだよ」
「!?」
巧は自分の耳を疑った。目の前にいる少女が、非日常に憧れてるだって? それはつまり、この『鏡界』という世界に来たがっていたという事か?
口を少し開けたまま言葉を紡げないでいる巧に、幻影の道化は続ける。
「正直、彼女をここから連れ出すのはかなり難しいと思うよ。彼女は『心羅』を持ってるからね。他の人間より死ぬ確率が低い事は確かだ。彼女に自分から出ようという意思がない以上、キミにできる事はないんじゃないかな?」
「なっ……。だからって、このまま放っとけって言うのか?」
「そうは言ってないよ。ただ、難しいんじゃないかって言ってるだけさ」
そう言ってニコニコしながら、わざとらしく肩をすくめる。その態度が気に喰わなかった巧が、幻影の道化に詰め寄ろうとした時だった。
「ちょっと待って」
不意に厳しい表情の暁奈が、そう言って二人の会話を遮った。
その視線は二人にではなく、巧が走ってきた方向に向けられている。
「何か来る……」
厳しい表情のまま暁奈は牡丹色の弦を引き、いつでも矢を放てる状態で静止する。その動作に促され、巧と幻影の道化も暁奈と同じ方を向いた。
「……? 何だ、あれ?」
巧の目に留まったのは、遥か後方から歩いてくる人影のような物だった。
しかもよく見ると人影は大勢いる。ざっと見ただけでも二十人。それが軍隊のパレードのように横一列に並んで歩いて来ている。
「人……、じゃない。鎧……?」
近付いてくる人影は、全員が西洋の鎧を全身に隙間なく纏い、両刃の煌めく刃渡り一メートル程の剣と、直径七十センチ程の円形の楯を持っていた。ファンタジーに出てきそう西洋の鎧の騎士の集団。その騎士たちは、剣と楯、鎧に至るまで全てを赤褐色に染め上げられている。
鎧特有の重苦しい音が幾重にも重なり、距離が縮むに連れて大きくなっていく。
「……どう考えても『災魔』だよな。今まで見た奴に比べたら、人間らしい形だけど」
向かってくる鎧の騎士の集団は、動きが規則正し過ぎて気持ち悪い。機械的に寸分違わないその動きは、人間味を全く感じさせない。
しかもこの『鏡界』には、人間が存在しないという大前提がある。その点から見ても、目の前の集団が人間でない事は明らかだ。
巧は緊張した面持ちで身構える。暁奈の方も、厳しい表情のまま構えを崩さない。
だが幻影の道化だけは違った。構える訳でも、逃げる素振りを見せる訳でもなく、ただそこに呆然と立ち尽くしている。
「? おい、どうしたんだよ。前みたいに逃げないのか?」
呆然としている青年に巧は嫌味っぽく笑って声を掛けた。
だが返事がない。あの集団が現れてから、幻影の道化は一言も発していない。
さすがに様子がおかしいと思い、巧は真顔に戻って強く呼び掛ける。
「おい、幻影の道化! 返事しろ! 聞いてるのか?」
「神藤くん。あいつらが!」
「!」
暁奈の呼び掛けで巧は前方に視線を向けた。
見ると鎧の騎士の集団は、巧たちと三メートル程の距離を開けて静止している。あれだけ重苦しい音を出していた集団は、今は不気味な程静まり返っている。
巧は即座に『心羅』を発現させ、長剣を強く握り締めて構えた。すると横合いから驚きの声が掛かる。
「! あなたも『心羅』を使えるのね」
「そういえば言ってなかったな。でも今は、そんな事気にしてる場合じゃないぜ?」
巧は視線を交わさず言葉だけを掛ける。今別の事に意識を向ければ、それだけで隙を作ってしまう。相手は大人数。気の緩みは無くすべきだ。
「――来タ」
「?」
不意にどこかから声が聴こえた。暁奈や幻影の道化、まして巧の声でもない。少しくぐもった機械的な声。
まさかと、巧は目の前の鎧の騎士を改めて見る。声は間違いなく、そこから聴こえていた。
「『心羅』ヲ持ツ者ガ来タ」
「『心羅』ヲ持ツ者ガ現レタ」
「モウ充分ダ」
「オマエノ役目ハ終ワッタ」
「捕エヨ」
「捕エヨ」
鎧の騎士一体一体が数珠のように言葉を紡ぐ。まるで催眠術に掛けようとでもしているように繰り返し聴こえてくる声は、聴いていて気持ちの良い物ではない。まして相手の声が機械的なら尚更だ。
「何なんだお前ら? 『災魔』なのか?」
確か『災魔』には言語機能が備わっていないのではなかったか? だが目の前の鎧の騎士たちは、機械的な声とはいえ当然のように言葉を話している。
すると巧の言葉が通じたのか、鎧の騎士たちの言葉の内容が変化する。
「人間。今、オ前タチニ用ハ無イ」
「ココカラ去レ」
「去レ」
「我ラハ、幻影の道化ヲ捕縛スルノミ」
「オ前タチニ用ハ無イ」
「!?」
巧は自分の耳を疑った。幻影の道化を捕縛するだと?
なぜ『災魔』たちがこいつを捕縛しようとするのか? 彼はこの世界の住人のはずだ。『鏡界』に落ちてきた人間とは違う。それを狙う理由がどこにあると言うのか。
「どういう事だ! 何でお前たちがこいつを狙う?」
「去レ、人間」
「オ前タチニ用ハ無イ」
「去レ」
鎧の騎士たちは巧の質問に答えようとしない。一辺倒な言葉を投げ掛けてくるだけだ。
苛立ち紛れに巧は幻影の道化の方を見つめる。すると今まで放心状態だった青年が口を開いた。
「――そうか。そういう事か」
一度俯いた後自嘲気味に笑って、幻影の道化は顔を上げた。
「仕方ない、キミたちに付いて行こう」
「!? 何言ってんだ、あんた?」
驚きと少々の呆れを混ぜた表情を見せる巧。隣では、暁奈も意外そうな顔付きをしている。
「だって彼らの目的はボクなんだ。ならボクが付いていけば、それで全てが解決する」
「そうじゃなくて、説明してくれよ! あいつらは何なんだ? なんであんたを狙ってる?」
納得がいかないと巧は、幻影の道化に詰め寄る。だが青年は意に介した様子もなく、巧の横を素通りして、鎧の騎士の集団に近付いていく。
「さぁ行こう。キミたちは早く現実世界に帰るといい。……ああ、でも水嶋暁奈さんは帰りたくないんだっけ? う~ん、どうした物かな」
「だから説明を――」
「神藤くん!」
「!」
幻影の道化に近付こうとした巧に向けて、一体の鎧の騎士が一瞬で距離を詰めて斬撃を放った。
暁奈の叫び声で巧はとっさに反応し、赤褐色に染まった剣を何とか受け止めた。互いの剣に込められた力が拮抗し合い、軋んだ音を響かせる。
鍔迫り合いの状態で、鎧の騎士はくぐもった声で再び告げる。
「オ前タチニ用ハ無イ、去レ」
「それはこっちの台詞だ! 退けよ!」
「我ラハ幻影の道化ニノミ用ガアル。邪魔ヲスルナ」
「邪魔なのはお前らだろ! そいつをどうするつもりだ?」
「オ前ニ答エル必要ハ無イ。去レ。去ラナケレバ、斬ル」
「上等だ……! やってみろ!」
互いに剣を弾いて距離を取ると、巧は剣を構え直す。
相対する鎧の騎士が同じように剣を構え直すと、横合いから別の二体が現れた。三体は横並びになると、一斉に巧に襲い掛かった。
「やめろ! 戦う必要なんてない!」
幻影の道化の叫ぶ声が聴こえたが、巧は無視して三体の鎧の騎士に向かって突進する。
するとその直後、風切り音が聴こえたかと思うと、左側にいた鎧の騎士の身体が、牡丹色の爆発を起こした。
チラリと後方を見ると、暁奈が二射目を放とうとしている。
巧は視線を戻すと真っ正面にいる鎧の騎士に斬り掛かった。再び鍔迫り合いの格好となった時、今度は右側で鎧の騎士の身体が爆発した。暁奈の光の矢が命中したのだ。
「オノレ!」
その爆発に鎧の騎士が気を取られた瞬間を、巧は見逃さなかった。
鍔迫り合いの状態から体重を掛けて押し返し、鎧の騎士のバランスが崩れた所に、真上から真っ直ぐに剣線を浴びせた。
巧の剣は剣線を止まらせる事なく、鎧の騎士の身体を頭から股の間まで一直線に分断した。二つに分かれて倒れた鎧は、瞬く間に灰となって消え失せていく。
「――調子ニ乗ルナヨ、人間ドモ」
剣を構え直す巧の前には、さらに五体の鎧の騎士が立ち塞がっていた。
巧の後方では、暁奈がそれに狙いを定めて、弓を引いた状態を維持している。
五体の鎧の騎士が一斉に巧に斬り掛かろうとした、その時だった。
「赤褐色の騎士!」
「!」
幻影の道化が鎧の騎士の名前らしき物を叫ぶと、鎧の騎士たちは瞬時に動きを止めた。そのまま反抗する素振りも見せず、鎧の騎士たちは斬り掛かろうとする構えを解いた。
「キミたちの目的はボクの捕縛のはずだ! 自分たちの盟約に反するつもりか?」
「――」
鎧の騎士たちは無言のまま微動だにしない。
巧は怪訝に思いながらも構えを解かない。鎧の騎士たちが動き出せば、即座に反応できるようにする。暁奈も同様に、弓を引いた状態のまま状況が動くのを待つ。
するとまた、鎧の騎士たちのくぐもった声が聴こえてきた。
「盟約」
「盟約ハ守ラネバナラナイ」
「我ラハ駒」
「反スル事ハ許サレナイ」
巧の目の前にいた五体の鎧の騎士は、踵を返して幻影の道化の傍に戻っていく。それを見て、巧と暁奈は同時に構えを解いた。
「幻影の道化。どうするつもりだ?」
巧の問い掛けに、青年は無表情で答える。
「悪いけどキミたちに構ってる暇がなくなった。……と言うか、もうボクの役目は終わりみたいだ」
「!? どういう意味だよ? また何も教えずに行く気か?」
「巧、暁奈。ごめんよ……」
「!」
青年が二人の名前を呼んだ瞬間、辺り一面が激しい閃光に包まれて真っ白になった。
その光の中で巧は確かに見た。
幻影の道化が悲しげに微笑んでいるのを。
◆ ◆ ◆
それはあまりにも突然の終結だった。
ふと気が付くと、目の前に広がっているのは見覚えのある広いグラウンドだった。地面には白い白線が規則的に引かれている。それがトラック競技に使うレーンだと、巧には理解できた。
辺りは薄暗闇だが、少し離れた位置に見慣れた校舎が立っているのがわかる。どうやらここは自分が通っている学校の敷地内らしい。
「……現実の世界? 出口も通ってないのにどうして?」
疑問に思っていると、薄暗闇の中、横合いから聞き覚えのある声が聴こえた。
「そこにいるの、神藤くん?」
「! 水嶋か。――怪我は無いか?」
薄暗闇の中では本人でないとその辺りが確認できない。巧が尋ねると布の擦れる音が微かに聴こえた。どうやら暁奈は自分の身体をあちこち確かめているようだ。
ほんの数秒後、再び声が返ってきた。
「――うん、問題ないみたい。それよりも神藤くん。ここって」
「ああ、どうも現実の世界みたいだ。……でもおかしいんだよ。幻影の道化の話だと、『鏡界』からは毎回決まった出口からじゃないと外に出られないはずなんだ。それなのに今回は無理矢理、有無を言わさずだ。……一体どうなってるんだ?」
突然この世界に戻ってきた事もそうだが、幻影の道化の事も気になる。
彼は、自分の役目が終わった、と言っていた。
そして巧が最後に見た、あの悲しげに微笑む姿。
あれは幻などではない。
恐らく幻影の道化の身に、決定的な何かが起こったのだ。それも悲劇的な何かが。そう考えるのが妥当だろう。でなければあの男が、あんな表情を見せる訳がない。
「何があったんだろうね、幻影の道化さん。私たちに謝ってたよね?」
「ああ……」
何かが起こった事は事実だが、それを確かめる方法が今の巧たちには無い。とりあえず今はと、巧は頭を切り替える事にした。
「とにかく、現実の世界に帰ってきたんだ。今は家に帰ろう」
そう言って巧は腕時計のライトを付け、時間を確かめた。もうすでに日付が変わる時刻だ。
やばいかもなと、怒った顔で玄関に仁王立ちしている和菜恵の姿を想像しながら、巧は暁奈の方を見る。
「とりあえず、明日学校で話そう。あんた、家は近いのか? なんなら送っていくけど」
と言うか、もう深夜になろうとしているのだ。こんな時間に女の子を一人にするのは危な過ぎる。送るよ、と言いかけた巧の声を遮るように、暁奈は軽い調子で告げる。
「大丈夫、家近いから。神藤くんも遅くなったらダメでしょ?」
「いや、まぁそれはそうだけど……」
「平気だってば。――じゃあまた明日、学校でね」
暁奈は巧の返答を待たずに、踵を返して走り去ってしまった。彼女の足音はすぐに聴こえなくなった。
薄暗いグラウンドに一人残された巧は、ぼんやりと考え込む。
彼女は非日常の世界に憧れていると、幻影の道化は言っていた。ならば今、無理矢理現実の世界に戻された暁奈の胸中は、一体どういう状態なのだろう。
暁奈の姿は薄暗闇に阻まれて、すでに見えなかった。




