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夕凪  作者: スピカ
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         8


 墜落した飛行機の左翼の上で、俺は裸足で仰向けになって、さっきまでいた空を眺めている。

太陽に手をかざし、右足の膝から下を海に垂らし、時折海水をかき混ぜる。これも、誰にでも出来る経験じゃないだろうな。

 オリンは靴を脱ぎ捨て、ずぶ濡れになったシャツを脱いで海水を絞り出している。それが終わると、シャツをバサバサと振り始めた。それに合わせるように、機体が大きく揺れだした。

「岸に着くまでには乾くと思うよ」

「だろうな」

 美夕は右翼の上で、裸足になった足を伸ばし、上半身を支えるように、両手を翼の上に付けて座っている。

「すげぇ楽しかったな、空の旅」

 オリンはシャツを上下に振りながら言った。

「草原に帰れなかったね」

「ここでこうしているのも悪くないよ。むしろ、いい経験だと思えるよ」

「オレもそう思うぜ。ドラマには必要なシーンだ」

 美夕は太陽に向かって背伸びをした。

「確かに・・・気持ちいいよね」

 そして、息を吐き出しながら、オレと同じように仰向けになった。


 俺は仰向けのまま、さっきの言葉の続きを言うタイミングを捜していた。一度見失ったものを見つけるのは容易じゃない。けど、言わなきゃいけない。美夕もきっと俺の言葉を待っている。


 カモメが空を飛んでいる。


 弱い波が押し寄せた。


 風が吹いた。


 風が止んだ。


 日が傾き始めた。


 太陽に雲が掛かった。


 再び、風が吹いた。


「あ~あ~あ~。見てらんねぇな。美夕、岸までどれ位かかる?」

「そうね・・・後2時間位かな?」

「そうか、じゃあオレは泳いで先に岸に戻ってるからな」

「お、おいオリン」

 オリンは俺に耳を傾けず、海へと飛び込んだ。

水しぶきの音が止むと、胸の鼓動だけが俺の耳を支配した。


言わなきゃ。伝えなきゃ。


 俺は起き上がり、美夕のいる右翼へと移動した。そして、仰向けの美夕の隣に腰を下ろした。


「・・・聞こえる?」

「何が?」

「俺の、胸の鼓動」

「聞こえな~い」

「あ・・・そっか」


 美夕は上半身を起こした。

「・・・それだけ?」


 何度心の中を弄っても、砂塵のような小さな欠片しか見つからなかった。かき集めれば、一つの言葉が出来上がる。その言葉が何なのか、俺は知っている。分かっている。


「俺さ、美夕のこと、何一つ知らなかった」

 心にある、確かな強い気持ち。

「ここに来て、初めて知ったんだ。大空美夕という人を」

俺はそれを失くしていない。

「気が強くて、自分を持っていて、カッコ良くて、女らしさもあって、時折可愛らしさが見え隠れしてる。そんな人だ」

忘れてもいない。

「いや・・・こんな回りくどい言い方は止めるよ」

 小さな欠片でも、この胸にしっかりと残っている。


大好きな人の名と、その人へ伝える言葉が。


「俺は、美夕が好き。美夕の全てが好き。だからもっと、隣にいたい。もっと近くにいきたい」


 これ以上、言葉は必要なかった。互いの瞳が全てを物語っている。

「なぁ・・・キスしようか」


 美夕は静かに頷き、瞳を閉じた。


 翼に手を付き、身を乗り出した時だ。

「あ」

「れ?」

 飛行機が傾き、俺と美夕は海へ落ちてしまった。


 俺たちは海面へ上がり、翼に摑まった。


「・・・カッコ悪ぃ」

俺は髪をかき上げた後、ゆっくりと顔を撫で下ろした。

「でもさ、私たちらしいよね?」

 俺と向かい合っている美夕は、翼に頬杖を付き、俺の仕草を眺めながら言った。

「こういう「らしさ」って必要か?」

「必要だってば。ホッとする瞬間だよ。変わらない良さもあるからね」

 美夕に言われると、本当にそう思えてしまうから不思議だ。

「心にも、凪の瞬間が必要ってことか」

「そういうこと。そして、私にその凪をくれるのは、凪だけ」

 俺にこのドキドキをくれるのは、美夕だけだ。きっと、これからもずっと。

「ねぇ、こっちに来てよ」

「あ、うん」

俺は海に潜り、翼を越え、美夕の隣へ移った。

「ほら、見て見て」

 美夕は子供のようにはしゃぎながら、空を指差した。

 美夕の指先を目で追うと、言葉を失うほど綺麗な夕日に目を奪われた。

 いつの間にか風と波は止んでいて、茜色をした、静寂の、夕凪の世界が広がっていた。


「ねぇ・・・さっきの続き・・・しようよ」


 目を閉じても、瞼には茜色が滲んでいる。


 震える唇を重ね合うと、俺たちにも凪が訪れた。


 岸に流れ着くまで、夕凪と、三人の靴だけが、二人の凪を見守り続けた。



 海から砂浜へ、ウインドベルを引きずり出していると、遠くからオリンの声が聞こえた。

「よう、もうそっちに行っていいか?」

「ああ、手を貸してくれ」

 俺が答えると、オリンは駆け寄ってきた。久しぶりに三人が揃った。

「何も言わなくていいぜ、見てれば分かる」

 そう言うと、持て余していた力を惜しむことなく発揮した。

「牧場まで運ぶんだろ?」

「勿論。修理して改良を加えるからね」

「そしたらまた空に行けるな」

「今度はこの夕日を飛ぼうぜ」

「あ、それいいな」

 俺たちはまだ濡れている靴を履き、夕日を見送りながら、ウインドベルを押し始めた。

 誰も、何も喋らなかった。全て胸の中で語り続けた。みんなそんな顔をしている。


 心地良い沈黙を保ちながら、ウインドベルを牧場の近くの草原まで運んだ。

「なぁ、さっき牧場に戻ってカメラ持ってきたんだ。記念に撮っとこうぜ」

 もう夏休みが終わる。それをオリンの言葉で実感した。

「そうだな、いい考えだ」

「ウインドベルも一緒に撮るんでしょ?」

「当たり前だろうが。ほれ、写る準備しろ」

 美夕はコックピットに乗り込み、俺は機体に寄りかかった。タイマーをセットしたオリンは、翼を挟んで俺の隣に移動した。

「写真見る度に思い出すんだろうね。ここでのこととか、空のこととかさ」

「写真は思い出の扉絵だからな」

「見る度に「昔は良かった」って言って、甘えるなよな」


 シャッターの音がすると、高校最後の夏が幕を下ろした。

 18年という長くも短い人生の中で、一番長く感じられた時間だった。




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