表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夕凪  作者: スピカ
PR
4/15

4

 4


 壁に打ち付けられた釘に、ラジオがぶら下がっている。ラジオからは、洋楽のオールディーズが流れている。オリンは「懐かしい」と言っていたが、俺は聞いたことのない曲ばかりだ。オールディーズとは言うものの、俺にとっては真新しい音楽だ。

結論を言うと、悪くない。古い音源がこの場にはよく似合う。

俺とオリンは飛行機作りに没頭していた。俺たちが今担っている作業は、カッターナイフで木材を削り、プロペラの大まかな形を作ることだ。自分でも信じられない程、無心で挑んでいる。雑念が入ると、乱れた気持ちが指先に伝わり、ゆがんだプロペラになってしまう。まるで自分の精神が目に見えるようだ。

「どうだ?曲がってないか?」

「大丈夫じゃねぇか?」

 オリンはゴーグル付きのヘルメットを被っていた。いつの間に?何処で見つけたんだ?

「オレのは?どうよ?」

 オリンのプロペラは、複雑な曲面を鮮やかに表現していた。

「見事だな」

 これは器用さよりも、精神力の差だな。

「うっし。磨こうぜ」

 俺とオリンはサンドペーパーを手に取り、削ったプロペラを磨き始めた。


「オリン、前から気になってたんだけどさ」

「何だよ?」

 俺はプロペラでコックピットを指した。

「この飛行機、3人乗りだよな?」

「そりゃそうだろ」

「美夕は2年前から作り始めたって言ってたよな?」

「あぁ、確かな」

「作り始めた頃から、3人で乗るつもりだったのかな?」

「多分そうだろ」

「作り始めた頃から、俺たちを誘うつもりだったのかな?」

「さぁな。本人に聞いてみろよ」

「ん・・・」

 どうして俺たちだったんだろう?どんな理由が?何故2年経った今、誘われたんだろうか?

 また思考の罠に掛かってしまった。しかし、以前ほどの煩わしさはない。むしろあれこれ想像できて、楽しささえ感じる。俺の中で何が変わったんだろう?

「凪、オレたちのボスが来たぜ」

「ボス?鬼軍曹の間違いだろ?」

「凪、今何て言った?」

 聞こえてしまったらしい。・・・どうしよう。

「いやぁ・・・別に」

 俺は助けを求めるようにオリンを見た。オリンは俺の眼差しには気が付かず、口元を緩めていた。楽しいのか?困っている俺を見ているのが?

「ま、どうでもいいけどね。それより、午後の作業は中止ね」

「何でだよ?せっかく気分が乗ってきたってのによ」

「実は、もう食料が無くなりそうなんだ。干し肉も野菜も残り少ない。だから、食材を確保しなきゃいけない」

 食料の確保。という言葉に、俺は田舎に居るんだ。と、改めて認識した。

「ここでは自給自足が基本なんだろ?任せろ、オレの得意分野だ」

「森に入っちゃ駄目だからね」

「分かってるって。釣竿があったろ?オレは魚を確保するぜよ」

 オリンの奴、また野生化しそうだな。

「じゃあ、お願い」

「餌はあんのか?」

「その辺ほじくればミミズが出てくるから、それ使って」

「餌も自給自足かよ」

「それがここの掟なの」

「俺は?何をすればいい?」

「私は町に行って買い物するから、それを手伝ってよ」

 一緒に買い物。俺は少し考えた。

「オリン、お前が町に行けよ。釣りは俺がやるからさ」

「釣りは俺の得意分野だ。分相応なんだよ。お前が町に行け」

 俺なりに気を遣ったつもりなんだけどな。

「お前がそう言うなら」

まぁ、オリンらしいと言えばオリンらしい。あまり気にしないことにしよう。

「逃がさないよ」

 美夕は俺の肩を掴んで言った。やっぱり鬼軍曹だ。


 バスで町まで行くと思っていたが、甘かった。美夕は何処からか自転車を引っ張り出してきた。

「さ、漕いで」

「・・・町までどれ位だ?」

「さぁ?1時間位かな」

 二人乗りで1時間・・・。結構な運動量だ。

「まいっか。いい運動になるだろうし」

「そうそう。何事も前向きに、ね?」

 美夕は俺の両肩をポンと叩いた。

「行くぞ」

 俺は力いっぱいペダルを踏みつけた。呆気にとられる程に、自転車はスムーズに動き出した。

「あれ?」

「どうしたの?」

「いつもより軽いや。・・・痛で」

美夕は俺の横腹を抓った。

「私がオリンより重いと思ったの?」

 俺は学校まで自転車で通っている。後ろにオリンを乗せてだ。そのことを、美夕は知っていたようだ。

「そうじゃないって」


 学校に着くまでには坂道がある。オリンは坂道に差し掛かっても、意地悪をするように、自転車から降りようとはしなかった。最初の頃は登りきれなかったが、2年生になる頃にはそれが可能になった。継続は力なり。日々の鍛錬の賜物だ。

「へぇ、早いじゃない」

「脚力だけなら、オリンにも負けない自信がある」

 俺は顎を上げ、少し後ろを向いて、大きな声で言った。横目に映った、髪を押さえている美夕は、学校で見る美夕とは違って見えた。



「おじさん、これ全部で300円にしてくれない?」

 ザル一杯に野菜を乗せて美夕が言った。

「嬢ちゃん、そりゃ厳しいな」

「だって、キュウリは大きくなり過ぎてるし、トマトは普通のより小さいよ。ホウレン草だって夏物だから、栄養価は低いでしょ?」

「手厳しいなぁ」

 息を弾ませている俺は、初めて見る値切り交渉に、少し恥ずかしさを感じていた。

「じゃあ、大根2本買うから、400円でどう?」

「分かったよ、好きにしな」

「交渉成立ね。これから、ここ以外で野菜は買わないよ」

「たまには他所に行ってくれよ」

 八百屋のおじさんは、文字通りお手上げして言った。

「兄ちゃん、こんなに買ったんだ、ガツガツ食いなよ」

 そう言って、野菜を詰め込んだ紙袋を俺に手渡した。

「あ、はい。どうもすみません」

「ほら、次行くよ」

「・・・おう」

 次の犠牲者は誰だ?



「おばさん、豚バラ300gと、鳥の胸肉を200g、それからコロッケ3つサービスして」

「ふう、美夕ちゃんが相手じゃ敵わないね。ちょっと待ってな、今コロッケ揚げるから」

 俺はキョロキョロと辺りを見回し、他人のふりをしようと少し離れた。

「ちょっと、何やってんのよ。こっち来なさいよ」

「・・・おう」

 やっぱり鬼軍曹だ。

「美夕ちゃんの彼氏かい?」

 おばさんは菜箸でコロッケを揚げながら言った。美味しそうな音と匂いが立ち込めてきた。

「そんないい物じゃないですよ」

「大変だね、尻に敷かれてるんだろ?」

「だから違うってば」

 おばちゃんは、器用に箸でコロッケを裏返しながら、大きな声で豪快に笑っている。

 俺はどう反応すればいいんだろう?

「そうだ、牛筋が余ってるんだよ。持ってきな」

「いいんですか?」

「そっちのお兄さんの苦労に免じてね」

 再び、気持ちいい位の豪快な声が響き渡った。

「はいお待ち、また二人でおいで。サービスするよ」

「ありがと」

 美夕は紙袋を受け取ると、すぐさま俺に手渡した。おばさんの笑い声が頭の中に響いた。



次はパン屋だ。美夕は自転車から降りると、背負っていたリュックから、数本の牛乳ビンを取り出した。

「おばあちゃん、牛乳持ってきたよ」

「いつも悪いねぇ」

「いいってば、お互い様でしょ?」

 おばあさんは牛乳を受け取ると、店の奥に行った。

「ここのおばあちゃんはね、家の牛乳じゃないと駄目なんだ。だから週に一回は届けに来るんだよ」

「へぇ、宅配ってやつか」

「まあね」

 美夕と話していると、おばあさんが店の奥から戻ってきた。手に3斤ほどの大きさのパンを持っている。

「はい、いつもの全粒粉のパンね」

「全粒粉?」

「玄米パンのこと。私だって栄養バランスを考えてるんだよ?」

「・・・そっか」

 食事を作るのも楽じゃないようだ。色々考える必要がある。そう思うと、母さんの有難みが身に染みた。

「じゃあね、おばあちゃん。また来るね」

 そう言うと、美夕は店の外へ出て行った。俺は慌てて後を追った。

「なぁ、お金は?パンの代金は?」

「パンは牛乳と物々交換なの」

「・・・物々交換」

 都会では考えられないことだ。土地が変われば、人も習慣も変わるということだ。この町では「ただ通り過ぎるだけの人」は、いないのかもしれないな。

「じゃ、帰ろうか」

「あいよ」

 俺は力いっぱいペダルを踏みしめた。



「なぁ、聞きたいことがあるんだけどさ」

 俺は風を切る音に負けないように、大きな声で言った。

「なあに?」

 美夕は、俺の背中に寄り添うようにし、耳元で言った。少し、ドキッとした。

 俺はスピードを落とし、束の間の凪を作った。

「どうして俺とオリンを誘ったんだ?」

 いつもの口調で、いつもの声の大きさで、今朝の疑問を問いかけた。

「高一の時にさ、授業サボって帰ったことあったでしょ?」

「ああ、あったな」

 そんなの一度や二度じゃない。どの時を言っているのだろう?

「オリンと自転車を二人乗りして、颯爽と自転車を漕いでいる姿を、教室から眺めてて思ったんだ。「あ、この二人なら夢を叶えられるかも」ってね。それで、かな。あの時さ、追い駆けて来る教師をどんどん引き離してたよね。見てて気持ち良かったよ」

「それだけか?」

「ん、まぁ。あんたたち、一緒にいて退屈しなさそうだったし、体力持て余してそうだったしね」

「そっか。それで3人乗りに設計したのか。でもさ、どうして1年の時から誘ってくれなかったんだ?」

「ん・・・どうしてかなぁ…。よく分かんないよ。私だって、自分のこと、全部知ってるわけじゃないしね」

 将来設計をしっかり出来ている美夕でも、自分のことを全部知っているわけじゃない。

何だか、また少し軽くなった気がする。

「誰だってそうでしょ?だから、迷うし、悩んだりもする。人間らしいって、そういうことでしょ?」

 微かな勇気が、俺の胸の内に生まれた。

「よし、行くぞ。しっかり摑まってろよ」

 俺はスピードを目一杯上げた。がむしゃらに、ひたすらに、ペダルを漕ぎ続けた。

 道路から抜け出し、草原の中を疾走し続ける。あまりの気持ち良さに頭の中が白く染まっていく。後ろから美夕の笑い声が聞こえる。

「俺、ここに残って良かっ・・・」

 俺が言いかけた時、無重力感が全身を駆け巡り、自転車が宙を舞った。











 気が付くと、ぼんやりと空を眺めていた。少し離れた場所で、自転車の車輪がカラカラと音を立てている。段差に気が付かず、飛んでしまったようだ。

体に力が入らず、心臓の鼓動に合わせるように、全身に鳥肌が立っていった。自分の心音が、思わずウットリするほど心地いい。


「美夕、大丈夫か?怪我してないか?」

 俺はハッと我に返り、首だけを起こして辺りを見回した。

すぐ隣に、美夕の姿があった。美夕は仰向けになって、前身を小刻みに震わせている。

「だ、大丈夫。どこも・・・何とも・・・ないよ」

 美夕は声が出ないほどの高笑いをしていて、苦しそうに息継ぎをする合間に、そう言った。そんな美夕を見ていると、再び脱力感に襲われた。力なく首を草の上に落とし、目を閉じた。



「ねぇ。空、飛んだね」

 美夕の声に反応して、俺は目を開けた。美夕は足を伸ばして座っていて、片手を草の上につけ、寝そべっている俺を見ていた。

「気持ち良かったねぇ」

 俺は上半身を起こした。

「ああ、ゾクゾクしたよ。頭の中が全部吹っ飛んだ」

「私の夢、凪が叶えちゃったね」

 ドキッとした。もう一度空を飛んだみたいだ。

「こ、こんなもんじゃないだろ?自分たちで作った飛行機で、空に行ったらさ」

 俺は美夕から目を逸らし、散らばった野菜を見ながら言った。

「そうだね。きっとそうだね」

 風が静かに止んだ。


「おおい。買い物は済んだのかぁ?」

 遠くでオリンの声が聞こえた。上半身裸のオリンが、バケツと釣竿を持って歩み寄る姿が見えた。

「あいつ、やっぱり野生化したみたいだな」

 俺はそう言いながら起き上がった。散らばった食材を拾い上げ、紙袋の中へ戻す。美夕も俺に続いた。

「転んだのかよ?」

「ああ、段差に気が付かなかったんだ」

「大丈夫かよ?」

「問題ない。それより、収穫は?」

 オリンは無言でバケツを差し出した。中を覗くと、大きなタコがいた。それと、小さい蟹が沢山詰められていた。

「魚は?釣れなかったのか?」

「駄目だった。フグは釣れたんだけどよ、毒があるから海に帰した」

「もったいない。私フグを調理出来るのに」

「マジか?」

「マジ」

 オリンは大きな溜め息をついた。

「でよ、岩場に蟹が沢山いたからよ、手当たり次第に捕まえたんだ。それから、海に潜ったらタコがいた」

「どうやって捕まえたんだ?」

「素手でだ。手強かったぜ、オレに絡み付いてきやがった。だが、オレは奴を陸に引きずり出した」

 よく見ると、オリンの体にはタコの吸盤の跡が付いていた。まるで心電図の検査を受けた後のようだ。

「陸はオレのテリトリーだからな。負けるわけがねぇ」

 「ご愁傷様」俺は心の中で、タコにそう呟いた。

「さすがに疲れた。帰って飯にしようぜ」

「そうね」

 俺たちは食料を全て拾い、自転車のかごに詰め込んだ。そして、牧場へと歩き出した。



「頂きます」

 手を合わせ、食材に感謝。安くしてくれたおじさんに感謝。コロッケをおまけしてくれたおばさんに感謝。牛乳をパンに交換してくれたおばあさんに感謝。そして、勇敢に挑んだタコに冥福を。

「美味い。やっぱ働いた後の飯は違うな」

 一口食べたオリンがしみじみと言った。ちなみに、夕食のメニューは、食材を手当たり次第に入れたシチューだ。コロッケはいいが、器から不気味にはみ出ているタコの足はどうかと思う。

 それともう一品。味噌汁だ。オリンが獲ってきたカニを茹で、すり潰し、裏ごしして作った物だ。

「どうした?早く食えよ」

「・・・おう」

 シチューを一口食べてみると、見た目とは違い、見事な味をしていた。一日の苦労が報われていく。

「人はこうやって生きていくんだな」

 俺は感慨深く言った。

「急にどうしたの?」

「いや、今まではさ、何もしなくても飯が出てきたからさ。食べることに苦労を感じたことなんか、一度もなかった。それが母さんのおかげだなんて、考えたこともなかった」

 こんな当たり前のことを、俺は18歳になってやっと分かった。

「帰ったら母親孝行しろよ」

 オリンは羨ましそうに言った。

「・・・そうするよ」

 何をすれば一番の親孝行になる?俺が立派に生きることか?健やかに生きることか?きっと、どちらも欠けてはいけないのだろうな。

「こんな美味い飯が毎日食えるならよ、農家になるのもいいよな」

「農業はそんな簡単じゃないよ。家畜が病気になったり、作物が病気になることだってある。何かと天候に左右されるしね」

 現実はそんなに甘くはないってことか。

「私は農業を楽しいと感じている。でもね、楽しいとだけ感じるのは、私に責任がないからよ。要するに、まだまだ子供ってこと。農業の全てを知って、それでも楽しいって思えるように、私はなりたい」

 同じ18歳でも、俺とは随分違う。俺も見つけなきゃな、俺を熱くさせる何かを。

「もう何年も手伝っているけど、自立して農家をするのは私にはまだまだ無理」

「そうなのか?」

「そうよ。だから、大学に通って学ぶんでしょ?」

 俺は熱弁を振るう美夕に感銘を受けた。全身がゾクゾクしている。

「凄いよ。カッコいいよ。尊敬するよ」

 俺は椅子から立ち上がり、頭を過ぎる言葉を全て口に出した。

「お、大げさだってば」

「そんなことない。今のその気持ちは誇るべきだ」

「オレもそう思うぜ」

「は、早く、食べなよ」

 美夕はバレバレの照れ隠しで言った。

俺は今まで、美夕の何を見てきたのだろうな。「気が強い人」としか思っていなかった自分が、恥ずかしく思えた。ものの見方や考え方を変えるだけで、人の違う一面が見えてくる。そのことにもっと早く気が付けば、学校生活がもっと楽しくなっていたのかもしれない。

「凪、醤油取ってくれ」

「・・・何にかけるんだよ?」



 夜が深け、暑さが退いた。もうすぐ就寝時間なのだが、俺は外に出て、人力飛行機を作っている建物の方へと歩いた。その途中にある、洋風のトラックのドアを開け、中に入った。最近よくここに来る。何故だか自分でも分からないが、妙に落ち着くからだ。

 ギアのレバーに左手を乗せ、右肘をドアの窓辺に乗せる。たったこれだけで、心に静けさが訪れる。

 目を閉じて、ここに来てからのことを思い出した。始めてみる風景、いのししを捕まえたオリン。人力飛行機作りに、帰ろうとする俺。オリンの言葉と、美夕の言葉。買い物に行った時のこと、タコを獲ったオリン。

 俺は何て面白い人たちと出逢えたんだろう。

二人と出逢えた。それだけで、意味のある人生だと思える。もちろん、これだけで終わらせるつもりはない。


 車の中に、窓をノックする音が響いた。

「駐禁か?」

 そう言った自分が好きだった。心に余裕がなければ言えない言葉だからだ。大して面白くはないけど。

 ノックしたのはオリンだった。俺はドアにあるハンドルを回し、窓を開けた。

「お前、何でニヤニヤしてんだよ?」

「お前のせいだよ」

「あっそ。・・・ほれ」

 オリンはステンレスでできたカップを差し出した。中にはコーヒーが入っている。

「お、気が利くな。隣に乗るか?」

「やめとくよ」

 オリンは俺のカップに、自分のカップを軽く合わせた。

「そこよりも、こっちの方がいい」

 オリンはそう言うと、わらが敷き詰められている荷台に飛び乗った。

「ここなら星がよく見える」

 わらが擦れる音を立てた。車が少し揺れた。背中にオリンの気配を感じる。足を伸ばして寄りかかったようだ。

 俺はコーヒーに映る星を見た後、カップを口に運んだ。

「・・・苦いな、酸味もある」

「人生の味だ」

「仄かな甘さが欲しいよ」

「それは分かる」


 フロントガラスは砂埃を被っていて、ワイパーを動かした跡が、綺麗な曲線となって残っている。俺はガラス越しに、砂埃で濁った星空を眺めた。

「俺はいつも、ガラス越しでものを見ていたんだ」

「ガラス越し?」

 後ろからオリンの声が届いた。

「そう。テレビを見ることで、この国の現状を聞いたり、異国の風景を見たりした。それで全てを知った気になっていたんだ。自分の目で、何一つ見たことないくせにさ」

「別に珍しくない。今の時代、そんな奴ばかりだ」

「本物の草原を自分の目で見た時、こんなに感動するとは思わなかったよ」

 草原だけじゃない。牛やヤギを見たのも初めてだ。買い物しながら、お店の人と話をしたのも初めてだ。勿論、人力飛行機を作るのも初めての経験だ。

「俺はいつの間にか、生きることに現実味を感じなくなっていたんだ。だから、未来が見えなかった」

「成長したじゃねぇか。それで、どうするんだ?」

「まだ分からない。けど、もっと自分の目で、色んなものを見てみたい。もっと、色んな人と話をしてみたい。今はそう思っている」

 車が揺れた。そして、土を踏む音が聞こえた。

 荷台から飛び降りたオリンは、運転席の窓に、腕を組んで両肘を乗せた。

「お前のことだ、「もっと早くそう思っていれば」って考えているんじゃねぇか?」

 俺は無言で頭を掻いた。

「遅すぎることなんて何もないぜ。やるか、やらないかだ」

 オリンはそう言うと、コーヒーを一気に喉へ流し込んだ。

「人を羨んでばかりいるのは、もうやめた。俺も行動するよ。お前みたいに、家族と向き合う。美夕みたいに、やりたいこと見つけるよ」

「それでいいさ。遅す」

「遅すぎることなんて何もない。だろ?」

 オリンは笑って両手を小さく掲げた。


「なぁ、美夕の奴、もしかして飛行機作っているんじゃねぇか?」

 オリンの目線を追うと、いつも作業している建物から、明かりが漏れているのに気が付いた。

「そうかもな、もう寝る時間なのに」

「ちょっと見てくる」

 そう言うと、オリンは俺にカップを差し出した。

「お前が洗えよ」

 俺がカップを受け取ると、オリンはポケットに手を突っ込み、建物へ向かって歩き出した。

「・・・ありがとな」

 俺は、次第に小さくなっていくオリンの背中に向かってそう言った。

俺は残っていたコーヒーを流し込んだ。冷めたコーヒーは、すんなりと喉を通っていった。


「卒業したら、旅に出てみようかな」

ふと、そんなことを考えた。

多くの人と出会い、学ぶ。それが俺にとって、大きな財産になるのではないだろうか?この広い世界を、俺はどこまで自分の足で歩くことが出来るのだろうか?

「・・・窓越しは卒業だな」

 俺は窓を閉め、車から降りた。濁りのない空に向かって背伸びをすると、微かな勇気が生まれた。


「遅いな、オリンの奴」

 建物からはまだ光が漏れている。オリンのことだ、ミイラ取りがミイラになった可能性は十二分にありえる。

「俺も手伝うかな」

 俺は建物に向かって歩き出した。


 もしかすると・・・二人がいい感じになっているのかもしれない。もしそうなら、俺が邪魔するわけにはいかない。

そう考えた俺は、少し開いている扉に忍び足で近寄り、眩しい光に目を細め、耳を扉に近づけた。


「私・・・どうしたらいいのか分からない」

「何が?」

 微かに二人の声が聞こえた。虫の声がうるさくてよく聞こえない。俺は耳をドアに押し付けた。


「私ね、凪のこと、好きになっちゃったみたい。・・・どうしよう」


「どうしよう・・・って、言われてもよ」


 ・・・どうしよう。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ