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夕凪  作者: スピカ
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 ここに来てもう1週間が過ぎた。早起きにはすっかり慣れたが「早起きは三文の徳」という言葉が真実なのかは今でも分からない。

草原や、崖越しの海、牛やヤギのいる牧場、新鮮だった光景は全て見慣れたものになってしまった。新鮮な気持ちはいつか消え失せる。人間はどんなものにも慣れていくんだろうな。

人力飛行機作りも順調に進んでいる。「空に少しずつ近づいている」その気持ちが、二人のやる気を引き出しているように思える。そんな二人には申し訳ないが、俺はいまだ、集中し切れないでいた。俺に全くやる気がないわけじゃない。けど、夢を追っている二人の間にいるのが、辛く、惨めな気持ちになるのは事実だ。


「少し休憩しようか」

「ちょっと、待て、もう少しで、ひと段落、する、から、よっと」

 オリンはのこぎりで、木材を短冊状に切り終えた。切った木材を拾い上げると、俺と美夕の所に歩み寄り、腰を下ろした。

「結構重労働だな、美夕がたくましいのはこのせいか?」

「どういう意味よ」

 美夕は怒りながらも笑顔で突っ込んだ。

「まぁ、なんだ、気にすんなよ」

 先のない話題に自爆したオリンは、紙やすりで手に持っていた木材を擦り始めた。

「「この牧場を継ぐのが夢だ」って言ってたけどよ、具体的にはどうすんだ?」

「あ、俺も聞きたいな」

 興味があった。どのように夢を見つけたのか、叶えるには何が必要なのか。

「大学の農学部に通って勉強するよ」

「どこにある大学?」

「この町。この家からだと、通学に大変なんだけどね。でも現場で実践しながら学べるわけだから、それくらいは我慢しないとね。大学には推薦で入るつもり。先生は「入学は堅いだろう」って言ってたけど、ハッキリするまでは安心できないね」

「どうして農家になりたいって思った?」

 俺が一番知りたい部分だ。

「幼い頃からよくここに遊びに来てたんだ。おじいちゃんからチーズの作り方を教わったり、乳絞りを教わったりして、それが面白くてさ、もっと学びたいと思った。それがきっかけかな」

 清々しい顔の美夕。本当に好きなんだろうな。この牧場や、自分の選んだ道が。

「私は運がよかったと思うよ。こういう環境を持って生まれたんだから」

 羨ましかった。ただただ、羨ましかった。

「オリンは?卒業したらどうすんのよ?」

「まだ決めてないぞ」

 きっぱりと、清々しく言い切った。

「どうしてそんなに気持ちよく言えるんだ?焦りはないのか?」

 俺は自分でも驚くほど、大きな声でそう言った。

「高校を卒業するまでに将来を決めなきゃいけないって、誰が決めたんだよ?」

「え?」

「美夕みたいに、学びたいことがあるなら進学する。やりたい職があるなら就職する。そうだろ?」

「そうだよ」

「卒業までにやりたいことが見つからないなら、卒業してからも探せばいい。オレは浪人がカッコ悪いとは思わない。「とりあえず」って気持ちで進学して、親に大金出させたり、適当に選んだ会社に入って、無心で働く方がよっぽどカッコ悪ぃぜ」

 強い意志の宿った言葉が、俺の心に突き刺さった。

「親は?お前の親父さんは?何にも言わないのか?」

「最初は「将来どうするんだ?」って言われたけどよ、今と同じことを言ったら、親父はニヤって笑って何も言わなくなったぜ」

 再び、羨ましいという気持ちが湧き上がってきた。俺は人の世界を羨んでばかりだ。そんな自分が、ひどく憎い。

「ちなみに、今のオレの目標は、親父に勝つことだ」

「何それ」

 美夕は笑いながら言った。

「オレは親父に一度も勝ったことがねぇんだ。一度くらい勝たねぇと気が済まねぇよ」

「そんなに強いんだ?」

「強いぞ。格闘家としても、人としてもな。ところで美夕、この木材どこに使うんだ?」

「今教えるよ。じゃあ再開しようか」

 俺たちは作業を再開した。始めは世間話を交えながら作業していたが、次第に口数は減り、没頭していった。それは虫の声が聞こえるまで続いた。



 俺は今まで何をしていた?自分のこと、真剣に考えたのか?

 大学や専門のパンフレットに目を通したり、学校に集まる就職情報を読んだりはした。

 それは違うだろ?俺はただ見ただけだ。考えたり、悩んだりしたのか?未来を想像したか?

・・・してたさ。

違うね。俺はただ、何に属するかを考えていただけだ。その姿に信念はない。それで自分のことを真剣に考えたと言えるのか?

「うるせぇよ」

 自分の大声に驚き、俺は布団から飛び起きた。


辺りは真っ暗で、窓の外の虫の声と、破裂しそうな心の鼓動だけが聞こえている。俺の体は、怖い夢から覚めた子供のように震えている。

気持ち悪い汗を拭いながら、隣に寝ているオリンに目を向けた。オリンはタオルケットを跳ね除け、俺に背を向け、腕を組んで眠っている。俺の大声に気付いていないと分かると、心音は少しずつ静けさを取り戻していった。


 窓辺に立ち、外を眺める。俺の荒れる気持ちとは反対に、穏やかな風が流れている。綺麗な星空に気が付き、上を見上げる。月に照らされ、銀色に輝く立体的な雲が、風の吹くままに流れている。

「あれに手が届くのかな」

 小さく、掠れた声でポツリと呟いた。

 俺は本当に空に行きたいのか?

 俺の内側から、再び声が響いた。悪夢はまだ覚めていないようだ。

 行きたいさ。そう思っている。

 じゃあ、何で二人と一緒にいて申し訳ないって思うんだよ?どうして劣等感を感じる?

 ・・・分からない。どうしてだ?

 リアルじゃないからさ。俺が空に行きたいと思う気持ちはな、映画のワンシーンを見て「いいなぁ」って思う程度のものなのさ。自分の力でやってみたいとは思わない。だから、本気で努力している二人に、後ろめたさを感じる。違うか?

 ・・・そうかもしれない。


「もう・・・帰ろうかな」



 朝霧の中を、静寂を保ちながら歩く。バス停の隣に並んでいる、少し湿ったベンチに腰を下ろし、密かに、静かにバスを待った。

「結構楽しかったなぁ」

 それももう終わりだ。俺はもう、あいつらとは一緒にいられない。いてはいけないんだ。

「・・・ごめんな」

 俺は牧場に向かって呟いた。そして、肘を膝の上に乗せ、靴紐を見下ろすように俯いた。後ろから波の音が聞こえる。波の音と共演するように、草原の音が混ざった。もしかしたら、もう二度と、聴くことはないかもしれない音。そう思うと、愛おしさを感じる。俺は目を閉じて、自然の音に耳を傾けた。



 誰かがベンチに座る音がした。目を開け、隣の足元を見ると、泥の付いたスニーカーが見えた。

「始発はまだのようだな」

 聞き覚えのある声にドキッとした。少しずつ顔を上げると、汗をかいたオリンが腕時計を見ていた。

「駅まで約10キロ、それを40分で走った。悪くないだろ?」

「オリン・・・」

「自己ベスト記録なんだぜ。環境の違いのおかげなのか、目標のおかげなのか、どっちだろうな」

「俺・・・」

「両方かもしれねぇな」

「・・・帰ろうと思うんだ」

 遠くで車のライトが光った。タイヤが土を踏む音を立て、車は霧を引き裂くように近づいてくる。その車は、スピードを緩めずバス停の前を通り過ぎていった。車の音が遠ざかり、聞こえなくなると、沈黙が訪れた。


「分かってたぜ。夜にそう呟いてたからな」

 オリンは、珍しく小さな声で言った。

「起きてたのか」

 音量を合わせるように、俺も小さな声で言った。

「あれだけデカイ声出したら、普通起きるだろうが」

 「うるせぇよ」の一言のことを言っているのだろう。

「生きることがそんなに怖いか?」

「生きること?そこまで大げさに考えてないよ」

「大げさ?将来を決めるってことは「そうなるように生きる」ってことだろうが。違うかよ?」

「それは・・・そうだけど」

 俺は歯切れが悪くなった。

「結局、お前はその程度にしか考えてないってわけだな」

 俺は、何も言い返せなかった。たった一つの言葉さえ、浮かんでこなかった。

「中途半端な悩みに食われたか。お前、いつからそんなに弱くなった?」

 俺はずっと弱いままだ。今も、今までも。

「俺が思うに、お前は探究心がなさ過ぎるんだ。「テレビで見た。新聞に載ってた。本にそう書いてあった」お前さ、今まで自分の目でどれだけのものを見てきた?」

 俺はオリンの、強い熱意が宿った青い瞳を見た。心の中を、隅まで覗かれるような気持ちに駆られ、目を逸らそうとした。

「目を逸らすな」

 声に押され、俺は再び焦点を合わせた。


 しばらくすると、オリンは突然、ニッと笑った。そして、俺の右頬を軽く抓った。

「弱くなったのは、オレの思い過ごしのようだな」

「はぁ?」

「目ぇ逸らすなよ。仲間から、自分から、親や自分の環境から。もっとよく見ろ、自分の目でな」

 オリンは勢いをつけて、俺の頬から指を離した。抓られた場所に、じんわりと温かさが帯び始めた。

「世界は広いぜ、お前が思っているよりもずっとな。世の中には、お前の知らない生き方が沢山ある。それをもっと、見て知るべきじゃないか?」

 オリンは俺なんかよりずっと大人だ。信念を持ち、美学を持ち、人を惹きつける魅力を持っている。俺は頬を撫でながら、それを再確認した。

「で?帰る理由は?」

 オリンは俺の方に向き直り、ベンチの背もたれに肘を乗せた。

「俺、ここに来てからも、ずっと将来のことで悩んでた。いつも頭の中で、自問自答を繰り返していた。だから、飛行機作りにも集中できなかったんだ。本気のお前らを見ていると、申し訳なくてさ・・・。こんな奴、いない方がいいと思ったんだ」

 俺が話し終えると、オリンは何かを思い出すように、上を向いて髪を撫でた。

「お前さ・・・あれだ。仕事ミスって「責任取ります」って言って辞表を出す会社員みたいだな」

 スーツを着た俺がそうしている映像が、容易に、鮮明に想像できた。

「それって馬鹿だよな。責任取るなら、キッチリけりつけるのが正しいだろ。辞めるってのは、投げ出すってことだ。それはただの逃げだぜ」

 再び遠くから、タイヤが土を踏む音が聞こえてきた。土の中に小石を無理やり押し込む音も聞こえる。いつの間にか、少し霧が晴れていたのでよく見えた。バスが来た。

「オレたちは18だ、まだ大人じゃねぇ。責任が取れる歳じゃない。けどよ、ガキでもないんだぜ?自分のことは自分で決めなきゃいけねぇ。だからオレはお前を引き止めない。逃げ出すか、これからを改めるか、お前の好きにしろよ」

 バスはゆっくりスピードを落とすと、バス停の前に停まった。プシュっと炭酸の気が抜けるような音と共に、ドアが開いた。

「帰るんだろ?」

「・・・帰るよ、牧場にな」

 俺がそう言うと、オリンはニヤニヤしながら俺のバッグを持ち、草原に向かって歩き始めた。俺はオリンの後に続いた。ふと振り返ると、バスは随分と薄くなった霧の中へと、消えて行った。

「凪、早く戻ろうぜ、腹減ったよ」

「俺もだよ」

 自分の目で見ろ・・・かぁ。

 俺は空を見上げた。

もっと近くで、自分の目で空を見てみよう。それができるように、もう少しやってみよう。


 家に入ると、朝食を準備し終えた美夕が、不機嫌そうに椅子に座っていた。

「遅い、二人で何処行ってたのよ?」

「散歩してたんだ、そう怒んなよな」

 美夕の視線が、俺のバッグに向けられた。

「へぇ~。バッグ持って散歩?」

「そうさ。いいだろ?ちゃんと帰ってきたんだからよ」

 オリンがそう言うと、美夕は声を出さずに笑った。

「お帰り」

 美夕は俺を見て言った。

「ただいま」

 俺は目を逸らさずに答えた。



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