幽玄の風
幽玄の風
「近年、話題になっている生ゴミ問題ですが、最近はその生ゴミを堆肥として有効活用しようという活動が、盛んになってきています。生ゴミで溢れかえっている国が、それで生まれ変わったという事例も・・・」
真夏を吹き抜ける風。カーテンが揺れるたびに、眠気を誘われてしまう。
「え~、堆肥を作る過程は一次発酵と二次発酵という段階があり・・・」
(カーテンが手招きしているよ・・・)
「他にも、バイオ式、という微生物を利用した方法もあります。これは室内でも出来、寒冷地でも可能な方法で・・・」
(なんだかなぁ~・・・)
こういう、既に知っている内容を改めて習うのは退屈極まりない。
(そんなの知ってるってば)
原理も方法も、私はとうの昔におじいちゃんに教わっていた。
(柔らかい・・・風)
木造校舎に、風が迷い込んだ。教室を自由に彷徨い歩き、ぽわっとしている私を何度も撫でていく。
(空に・・・吸い込まれそう)
体が浮かび上がるような感覚。風に乗って旅立とうとする意識を、私は引き止めなかった。
「・・・、・・、」
遠くで怒鳴り声が聞こえる。
「・・・っ・、」
頬に触れるカーテンを払いながら、窓の外に目を向けた。そこには、自転車を二人乗りして颯爽と駆け抜ける、あの時のシーンが。
風に乗ったように、みるみる先生を引き離していく。
私は頬杖を突いたまま、教室を見回した。瞼に広がる懐かしい風景。それと、学校を飛び出して空っぽになった、二つの席。
(そういうの・・・あったなぁ)
「・・・夕、」
辺りが白んでいく感覚。揺れる体が、心を脅かす。
「美夕、起きなって」
ハッと目を覚ますと、目の前にクラスメートが数人立っていた。
「・・・ん?」
「授業、もうとっくに終わったよ」
「・・・そう」
体が浮かんでいるようだ。火照った手で顔を擦ると、手よりも暑い体温が伝わってきた。
「もう夏休み気分?」
「珍しいね、あんたが居眠りなんて」
「・・・ん~~?」
肩を張り、背伸びをすると、心地良い浮遊感が私から抜け出ていった。
「昨日は遅くまで起きていたからさ、そのせいだよ」
「男?」
「まさか、もっといい事」
何処にでもありそうな女子大生の会話を交わしながら、私は校舎の外を眺めた。当然、自転車に乗った二人はそこにはいない。
「帰ろうか」
徐にカバンを持ち、私達は学校の外へ。そして校舎の裏にある駐車場へ。
「美夕も買ったら?原チャリ」
「考えたことはあるんだけどね」
「自転車の方がいい?」
「まぁ、便利だし、タダだし」
それだけじゃなかったけど・・・言う気にはなれなかった。
「じゃ、またね」
と、手を振って私たちは別れた。白い煙を吐き、長い髪を靡かせて、バイクは走り去っていく。
(・・・私も帰ろう・・・)
スポーツに勤しむ人達の声と、恋人を待つ人達を尻目に、私はペダルを踏みしめた。
照りつける道路を走り続けていると、園児を乗せたバスが私を抜き去って行った。この場所に差し掛かったときに、このバスとよく出会う。
バスの後ろの窓から、私に向かって園児が手を振る。私はペダルを力いっぱい踏みしめ、バスを追いかけながら手を振って答える。信号の無いこの道路で、バスが見えなくなるまで、それは続く。
私が作った作物を食べ、この子達は大人になるのかもしれない。大地の恩恵をその小さな体に宿し、歩き、巣立っていく。
そう思うと、笑みが零れてくる。
「大人になったら何になりたいですか?」
卒園の前に、そんな質問に対して文章を書いた記憶がある。私はただ一言、
「魔女」
と書いた。
私にとって魔女とは、実在する人だった。それは、私のおばあちゃん。
夜の星空を見上げただけで、明日の天気を言い当てたり、風の匂いを嗅いだだけで、雨が降ることを言い当てた。
体を触っただけで病気が分かったり、山にあるものだけで薬を作ったり。その姿は、私にとって魔女だった。
その不思議な力に憧れた私は、夏休みや冬休みになる度にここへ通い、その魔力を習おうとした。いつの日か、遠い未来でもいい、私も子供や孫に「魔女」と呼ばれてみたい。
おばあちゃんが魔女なら・・・おじいちゃんは?
(・・・職人かな?)
匠とも言える。
おじいちゃんは私をよく山に連れて行ってくれた。そこで木登りを教わり、草笛を覚えた。蛇の捕まえ方も教わった。
(役に立ったことは無いけど)
山に行くとおじいちゃんは、背負ってきた籠に枯葉を詰め込み、家へと持ち帰った。それを畑の土に混ぜた。不思議なことに、そうやって作った土は踏むとギュッと音が出る。私は面白がってよく踏んでいた。
夕方は二人で紙飛行機を作る時間。
私の作った物が空を飛ぶ。そのことに、私は言い表せない感動を覚えた。テラスから見える景色が白で埋め尽くされるまで、私は紙飛行機を空へ送り出していた。風に攫われても、風凪を突き抜けても、感動が生まれていた。
(今思えば・・・それが始まりかも)
二人は私と違って、大学にも高校にも行っていない。それでも二人は農家をやっている。誰よりも素晴らしく、だ。
(自然から学んだと、よく言っていたっけ)
そんな二人は、今では私の先生である。どんな講師よりも優秀な先生。誰よりも、私を導いてくれる。
3人で人力飛行機を作った夏。その夏を過ごした家にもう着く頃、風が静かになった。
こんな風が吹くと、とある映画を思い出してしまう。この家とよく似た家が出てくる映画だ。それを思い出すと、途端にここが異国に見えてくるから不思議です。
「・・・」
ポストの前で自転車のスタンドを立てる。
おじいちゃんが作った手製のポスト。地面に杭を打ち立て、その上にポストを固定させたもの。
「・・・」
私は毎日、学校から帰ると先ずポストを覗く癖がついた。
(・・・あいつのせいだ)
一度も届いたことのない便り。今日こそは、今日あたり、今日はきっと、と期待を抱いて空のポストを開ける日々。
(こんなの・・・私らしくない!)
と思っても、やっぱり開けてしまう日々。
(・・・バカみたい)
と、口を尖らせる。やきもちに似た感情が私の中に芽生えた。
(開けてやんないから!)
と、杭を蹴とばした。そしてポストを開けずに、私は家に入った。
2階にある自分の部屋に入り、服を脱ぎ捨てて着替える。そしてすぐ、ベッドに飛び込んだ。
(・・・こんな気持ち、)
心の声が漏れないよう、枕に顔を押し付ける。
(・・・持たせないでよ!)
私のこんな気持ちとは関係なく、今日も窓から柔らかい風が吹き込んでくる。
(・・・切り替えよう)
私は手を伸ばし、手帳を取った。学校の予定と、農作業の予定が書き込まれた手帳。一枚ページを捲ると、そこは白紙になっていた。
(そっか・・・夏休みか)
それは余計なキーワード。再び、心を駆け巡る恋心。
(くぅ・・・ん~~~)
私はペンを掴み取り、今の気持ちを白紙のページに書いた。殴るように、叫ぶように。
(・・・なんだかなぁ~)
ちょっと落ち着いた頃、私はベッドから体を起こした。
テーブルに置いてある紙飛行機。風が忍び込む度に、カタカタと翼を揺らしている。
(・・・飛びたいの?)
そう語りかけながら手に取る。
(私も・・・飛びたいよ)
空が懐かしい。焦がれながら見上げていた空に手が届いた日。あまりに美しく、褪せない光。人はそんな瞬間を知ってしまうと、その思い出から動けなくなってしまうようだ。
窓辺に立ち、草原を眺める。海の匂いと、風の匂いが私の鼻を撫でた。
(ここを・・・自転車で駈けて、飛んで)
草原に、あの時の残光が映りだす。
(・・・)
溜め息を一つ。
「・・・らしくない。らしくないよ」
前を見て、上を見て、私は生きてきた。
「・・・なのに」
今は後ろを向いて、下を向いている。
「待っていられない・・・未来がある」
私は手にしていた紙飛行機を空へと放った。
風が止み、道を作る。
凪の空は紙飛行機を運ぶ。何処までも、何処までも。
(今・・・何処を飛んでいるの?)
風凪にそう問い掛ける。すると、風が再び吹き始めた。優しい風が部屋に訪れる。
(もうすぐ・・・って?)
そう・・・私は解釈した。
「待っていられない・・・未来がある!」
なら私は・・・。
「・・・やりますか」
飛行機を造る。また空へ行くために。
海に落ちてから3年。私はウインドベルに改良を加えてきた。初めは、海に不時着した飛行機を思い出とし、そのままの形で残しておこうと考えた。だけど、作業場はそんなに広くなく、材料のコストを考えると、やはり改良した方がいいと私は判断した。
そう考えると途端に、
「ウインドベルは一機でいい」
と思うようになるから不思議です。
(3人の合計体重を、170Kとして・・・その分の揚力を生み出さないといけないから・・・)
何度も同じことを考える。
(翼の角度を変えて・・・?いやいや、速度を上げればいいのかな?・・・それとも両方かな?)
腕を組み、首を傾げる日々。そういうのは嫌いじゃなかった。
(L=1/2CLPV2S・・・だから、)
何度も方程式を見直す日々。
(待って、そもそもあの時は浮いていた。墜落したのはプロペラが壊れたからだ)
レポート用紙に新たな文字と数字が加わっていく。
(プロペラの耐久度を上げて・・・違う、プロペラと機体を繋ぐ関節の部分を強化すればいいのか。でも・・・その分重くなる。って言うか、みんなの体重はどうなんだろう)
2人の3年後を想像してみる。
(オリンは増えてそうだなぁ・・・自衛隊に入って、ますます筋肉質になってそうだ。凪は・・・痩せてそうだなぁ。ちゃんと食べているのかな・・・?)
手が止まり・・・レポート用紙に映った凪の顔を見つめる。
(脚力も落ちてそうだけど・・・)
考えているのはそんなことじゃない。それは、自分でも分かっている。
(・・・はかどらないや)
止まる手に、数字でグチャグチャのレポート用紙。ふと机に目を反らすと、同じような紙が何枚も重なっていた。
結局のところ、足踏みをしているということだ。作業に関しても、昔ほど熱が生まれない。
(あの夏を知ってしまったからね・・・無理も無いか)
と言っても、私の夢は変わっていない。この翼で、世界記録を破ることを。
(3人で・・・やってみたい!)
人力飛行機の世界記録は116km。それを今度は越えてみせる。
(・・・っと、もうこんな時間)
夢を追う時間は、不平等と思えるほど速く感じる。
照明を落とす前に、ウインドベルを眺める。実のところ、一人で出来る部分は全て終わっていた。後は、メンバーが揃わないと先に進めない。私もウインドベルも「その時」を待っているのだ。
家に戻る途中、夏の風が草原を吹き抜けた。髪を抑え、その行く先を見つめる。
(あの夏と・・・同じ風だ)
ふとそう思う。そして気がつく。
(・・・ポスト)
帰宅した時に蹴とばしたポスト。そのポストに何かが挟まっていた。
(・・・?)
近づいてみると、それは紙飛行機だった。夕方前に、窓から投げた紙飛行機。
(・・・開けろって?)
仕方ないなぁ。といった強がりを示しながら、私はポストに駆け寄り、紙飛行機を摘み上げてからポストを開けた。
そこには、夏の思い出が届いていた。




