夏の美凪
夏の美凪
「・・・変わってねぇな」
開け放たれたバスの窓にそう呟いた。
「・・・」
ここは記憶どおりの世界。風の匂いも、潮の香りも、
「錆びたバス停も」
バスが停車し、車内にアナウンスが流れ始めた。聞き取りにくい声を聞きながら、オレは荷物を持ち、バスを降りた。
迎えの風はあの時と同じ暖かさだった。
(・・・さて、)
褪せていない景色を歩き始める。赤い屋根の、ポーチがある家を目指して。
「・・・おっ!」
胸が高鳴り、その躍動を感じ取る。
「楽しくなってきやがった!」
足取りも浮くような感じだ。
(ガキじゃあるまいし)
走りたい感情を抑えながら、自身にそう促す。
家の前に立ち、赤い屋根を見上げる。心に湧く、帰ってきたという感情。特別な感慨深さに、オレは思わず笑みを零した。
(・・・)
ペンキが剥がれかけた、3段しかない階段を登る。軋む音すら懐かしい。
ポーチの隅にある白いテーブルと椅子に目を向けたまま、オレは玄関の前へ。そしてノックする。
「・・・」
返事が無い。
もう一度ノックする。
「・・・美夕?」
呼びかけても、風の音しかしない。
「・・・」
ドアノブを掴み、引いてみると、何の抵抗も無くドアが開いた。
「・・・美夕?」
ドアの隙間からそう呼びかけたが、返事は無い。
「・・・入るぞ?」
オレは忍ぶように足を踏み入れた。
部屋は昔と変わっていない。家具も、雰囲気も。
「・・・っと」
ソファに横になり、眠っている美夕の姿に気が付いた。
「・・・」
スヤスヤと寝息を立てている。
(眠れなかったか?・・・オレと一緒だな)
「久しぶり」
小声でそう伝える。
ソファの向かいのテーブルには、あの夏にみんなで取った記念写真が置いてあった。4つに折られ、ボロボロになっている、あの時の写真。
その脇に置いてある、開かれた手帳には、
「バカ」
と書いてあった。その字は乱暴で、何度もなぞられていた。
(やれやれ・・・)
オレは音を立てずに荷物を置いた。
(置かせてもらうぞ)
そう心で語り、オレは外へ出た。
ポーチに置いてある椅子に座り、柵越しの草原を見渡す。何ら変わりの無い様子に、どこか安心を感じる。時代は移り変わっても、ここだけは変わらないだろう。
(そういうの・・・いいよな)
と、心で念じながら、オレはテーブルに楽譜を開いて置き、風に飛ばされないようハーモニカのケースを置いた。
そして静かに、奏で始めた。
(・・・風の音)
草原を吹き分ける、風の音。
恵みを届ける、風の音。
暖かさを贈る、風の音。
薄目を開けると、その音はより鮮明になった。
(・・・眠っちゃったんだ)
目を擦り、窓に目を向ける。するとそこには、風の奏者がいた。
(・・・ふぅ)
「・・・新しい趣味?」
「まあな。色々あって、やってみることにした」
「・・・久しぶり。オリン」
「久しぶり・・・美夕」
オリンと会うのは卒業式の日以来だった。親しい人と、そこまで別れたことが無かった私は、少し不安だった。面影すら残ってなかったらどうしよう、と。そんな事は無いと分かっていても、不安は消えない。そういう感じだった。
けど・・・やっぱり無駄だったみたい。目の前にいるのは、紛れも無く、オリンそのものだから。
「起こしちゃったか?」
「いいの。出迎えようと待っていたところだったから」
「・・・そうかい」
「入って。ほうじ茶入れるから」
「悪いな、先に荷物を置かせてもらった」
「いいよ、全然」
と答えながら、私はテーブルに置かれていた手帳を素早く閉じた。そしてチラリとオリンを見ると、
(もう遅い)
という顔をした。まぁ・・・隠すつもりは無いけど・・・それでも、ね。
「土産がある。最近山岳訓練で遠くに行ってな、そこの地ビールだ」
オリンはそう言って瓶ビールが6本入った木箱を私に手渡した。
「来る時に1本飲んだけど」
見ると確かに、1本空き瓶が混じっていた。
「地ビールとか興味あるかと思ってな。そういうのは造らないのか?」
「大学で勉強はしたけど、そこまで手は伸ばせないよ」
「人を雇えよ。風来坊なヤツ」
私達は笑い合った。たったそれだけなのに、不思議と空白の時間が埋まっていった。
「その写真、お前のじゃないだろ?」
受け取った湯飲みを持つ手で、オリンがテーブルに置かれた写真を指差した。
「そう。あれは凪が持っていた写真」
私は写真を手に取り、オリンに手渡した。
「・・・ボロボロだな」
「裏、見てみなよ」
言われたとおり、オリンは写真を裏返した。
「・・・エアメールか」
「手紙の代わりにしたんだよ」
「I‘ll be back soon.すぐ戻る、か。届くモンだな、こんな手紙でもよ」
凪らしさ。を思わせる行いだと、私は思った。
「夕飯、何がいい?」
「イノシシ以外なら何でも」
日が暮れるにつれ、美夕の気持ちがどこか落ち着かなくなっていることに、オレはふと気が付いた。食事をしている最中も、気持ちがザラついていつような感じが見受けられた。
考えてみれば、美夕がダイニングで人を待っていること自体、その現れだったのかもしれない。・・・居眠りもそうか。
(人を待つって・・・楽じゃないんだな)
「おかわりは?」
「いや、大丈夫」
何か喋るたびに、目伏せるような感じになる。
(・・・)
「あいつは3年間、全く連絡をよこさなかったのか?」
「・・・ん。オリンにも?」
「まあな。つっても、オレは家を出たし、教えようにも連絡がつかないからな」
「・・・私も同じ」
大方、携帯があるから大丈夫と考えていたのだろう。
とは言え、もうすぐ帰ってくると便りを出したんだ。再会の時はすぐに訪れるだろう。
「会ったら、何て言うんだ?」
「え?」
不意を突かれたように、美夕はオレの顔を直視した。オレは堪らず目を逸らした。
「やっぱり、考えておくものなの?」
「あ、さぁ?聞いてみただけだ。別に必要ないんじゃないか?」
「そう?・・・そう」
余計だったらしい。
「やぁ?久しぶり?お帰り?こんにちは?元気だった?・・・何だかね」
鼻で笑いながら溜め息をつく美夕。
(・・・何だかな)
「あのよ・・・振っといてあれなんだけど、その時の気分でいいんじゃないか?」
「その時?」
「言葉に正解なんて無いし、考えたとおりに言えるほど人は単純じゃない。だったら、その時の自分に従えばいい」
そう言うと、美夕は目を細めながら首を傾げた。そして鷲掴みするように拳を握った。
「・・・掴みかかるかも」
「それもいいさ」
ようやく、美夕が笑った。
(・・・それでいい)
「休みはいつまで?」
「1ヶ月位だ。その間に、もう一度空を飛びたい」
「それは大丈夫、抜かりないよ」
「頼もしいねぇ。流石だ」
「私だって、この時を待っていたから」
心の奥にある密かな決意。あの時と変わらない光を、今も抱いている。
「次の風を待つなんて・・・オレ達らしくないからな」
同じ夢を見る。そんな瞬間を感じるのは、やっぱり心地良い。それに、軽くなる。
「ところでさオリン、お父さんには勝てたの?」
「あぁ?あぁ・・・」
飛行機の整備をしながら、オリンは口を濁した。
「ここへ来る前に家によって挑んだけどな、ダメだったぜぇ・・・」
オリンの夢は空を飛ぶより難しいらしい。
「現役軍人に勝つなんて、どうかしてる。やっぱモンスターだな」
夜の作業場に笑いが木霊した。
「でもさ・・・もし、勝っちゃったらさ、その後どうするの?」
「どうした?急に」
「夢を叶えた後って、心にポッカリ穴が開くじゃない?」
「確かに、3年前に空を飛んだときはそうなったな」
「その先を、オリンは考えているの?」
「別に・・・考えてない」
そう答えながら、オリンはペダルを漕ぎ始めた。連動してプロペラが回り始める。
「考えてないけど、きっとまた挑むだろうな。挑み続けて、勝敗に関わらず、強さの意味を少しでも知ることが出来れば、それでいい」
強さの・・・意味。
「何も知らない異国を歩く強さとか、家を出て学ぶ強さとか、何がそうさせるのか、知り尽くすには命が短すぎる」
「探究に終わりはない?」
「そう、それだ」
挑み続ける人生。
学び続ける人生。
知り続ける人生。
同じ教室に座っていた人達が、今は別の世界を歩いている。
当たり前だけど、改めて考えてみると感慨深い。
そして、不思議だ。
「どうよ?プロペラの回転数は?」
「上々、問題なし」
「おおっし!」
席を飛び降りるオリン。
「で?次は?」
「はいこれ」
私はペンキの入った缶をオリンの胸に押し付けた。
「塗るのか?」
「名前だけね。あの時海に落ちたのは、名前をペイントしていなかったからだよ」
「そんなミスが招いた結果だったのか!」
それが終われば、飛行機は完成。後は凪を待つだけ。
「こういうの、実は得意なんだ」
「へぇ、初めて聞いた」
「オレは陸上隊に所属しているんだけどな、戦車に「オレの」ってペンキ塗ったらよ、えらい怒られてな、3ヶ月間の減給処分を喰らった程の腕前だ」
「・・・それは凄い」
それぞれの道が交差する。ここは、そんな場所であってほしいと思った。その場所を守り続けるのも、私の夢なのだ。
永遠に終わらない夢。
(空と・・・同じ)
草原に置かれた人力飛行機。風を感じながら、その時を待っている。オリンは飛行機の中で、美夕は羽根の上で、共にその時を待っている。
草が揺れる音。
風の通る音。
景色に溶け込むようなハーモニカの音が草原に響き始めた。その音を待っていたように、風はその身を潜め、草原は静まり返った。
オリンの奏でる叙情に、耳を澄ます美夕。そして気が付く。あの夏に聴いた「渡り鳥」という名の曲であることに。
静かに心が捲られる。開かれたのは、あの夏の情景。
耳を傾け、目を閉じ、少し俯きながらその景色を見渡す。
高鳴る胸に目を開いても、見えていた景色は変わらない。
旅人を誘う風が吹いた。草原を吹き分け、道を示すように。
その風を、二人は目で追った。
懐かしい足音がハーモニカと共に草原に響く。そして声が届く前に、美夕は駆け出した。
オリンは目を伏せ、二人の時を想い、奏で続ける。
目を合わせながら、美夕は唇から息を漏らしている。
二人が呼び合う声は、風に攫われた。
美夕は今の感情に、自分の心に従い、凪の胸元を両手で掴んだ。
でも・・・言葉が出ない。
「・・ってる?」
「・・・でしょ!」
「・・・たよ」
「・・・って、私が・・・思う?」
「・・・くて、帰って・・・」
「もう、何処・・・・ない?」
「・・ないよ。美夕・・・にいる」
「・スして・・たら、信じてあげる」
「・・、喜んで」
演奏が終わるまで、その瞬間は続いた。
最後の一音が風に消えると、3人は翼の下に集った。夢の続きを追う為に。
その道を示すように、風が空へ飛んだ。目で追いながら、それぞれが想いを言葉にした。同じ言葉。同じ想い。
「風は・・・止まない」
了




