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1月。
何度電話しても、美夕につながることはなかった。新年を迎えたというのに、俺は電話を握り締めて、コタツの中で丸くなっている。こんな新年は寂しすぎる。甘えたい気持ちを抑えるように、俺は更に身を丸くした。
年明けの朝、俺は電話の音で飛び起きた。
「美夕?」
と、思いきや、オリンだった。思わず電話を投げ捨てようと振りかぶってしまった。
「・・・何だよ」
俺は投げやりな声で電話に出た。
「新年早々シケた声出すなよな」
「ああ、悪かったな」
「本心じゃないなら言わなくていい。それより、初詣に行こうぜ」
「・・・初詣?」
正直、そんな気分ではなかったが、美夕に会えるかもしれないという思いが、俺の足を動かした。
「おみくじ引かないのかよ?」
「どうせ大吉だろ」
「そう悲観すんなよ」
「無理な話だ」
俺たちは今、神様に祈りを捧げる為に並んでいる。牛のようにノロノロと前に進みながらも、人ごみの中から美夕を探し続けている。
「ポケットに手を突っ込んで、携帯を握り締めているお前を見ていると、痛々しくなる」
「女々しいか?」
「いや、そうは思わないけどな」
何処にも、美夕はいない。全然似てない人を見ても、思わず声を出しそうになる。
電話も鳴らない。ちゃんと電波があるのか、何度も何度も確かめた。
何処にも、美夕の気配はない。影もない。もしかして、この世界にいないのか?
「おい、順番が回ってきたぞ。ほれ、神に祈りな」
「・・・おう」
ただの妄想だ。
俺は気を取り直して、神に祈ることにした。こんな時にだけ祈られても、神様にはいい迷惑かもしれないが。
「・・・よおし」
俺は賽銭をありったけ放り込んだ。
「美夕に会いたい、美夕に会いたい、美夕に会いたい。美夕に会いたい、美夕に会いたい、美夕に会いたい」
「声に出すな、心の中で祈れよ」
「声に出した方が聞こえやすいだろ?相手はじい様なんだ、耳が遠いかもしれない」
俺は更に大きな声で、形振り構わず祈り続けた。
見かねたオリンが、俺を引きずり出そうとした。
「頼んだぞ、粗末にしないでくれよ」
「もういいからこっちこい」
「ったく、周りの迷惑を考えろよ」
「これで届くだろ。716円捧げたしな」
「しっかり数えてんじゃねぇよ。それに微妙な金額だ」
俺はやり遂げた時の溜め息をつきながら、木に寄り掛かって座った。これで全てが終わったわけじゃないけど。
「恥じかかせて悪かったな」
「いいって、形振り構わない人間は嫌いじゃない」
自分でも、こんなことをするなんて思いもしなかった。出来る人じゃなかったはずだ。
分かってる、あの夏からだ。目まぐるしく、自分が変わっているのは。
「オレもお前を見習うか」
「え、何?」
オリンは突然、木に登り始めた。そして太い枝の上に立ち、辺りを見回した。
流石だ、俺とはやることが違う。
「おい凪、上見てないでお前も・・・」
「・・・どうした?」
オリンは身を乗り出し、目を細めて遠くを凝視し始めた。
「凪、携帯を鳴らしてみろ」
俺は言われたとおりに携帯を取り出し、美夕の名前で埋め尽くされているリダイアル画面を開いて、ボタンを押した。
「・・・間違いない。いたぞ、美夕だ。行列の向こう・・・」
オリンが言い終える前に、俺は走り出した。この機を逃したら、もう二度と会えない気がしたからだ。
体を横にして、人ごみを掻き分ける。人でできた壁を抜け出すと、電話を握り締め、見つめている美夕がいた。
俺はこの瞬間、神様を信じた。
「美夕」
驚いたように顔を上げる美夕。俺は駆け寄りながら電話を切った。
「やっと・・・会えた」
俺は唾を飲み込みながら、搾り出すように言った。
「凪・・・あの・・・」
美夕は言葉が続かなかった。
分かるよ、俺だって何を言えばいいのか分からない。
俺は荒れる息を抑えながら、無意識に美夕の手を取った。
「手・・・冷たいな」
ずっと、待ってたのかな?
俺は美夕の言葉を待ちながら、両手で美夕の手を温め続けた。
「私・・・電話に出る勇気がなかった」
久しぶりに見る、美夕の白い息。
「携帯で、何度も凪の名前を出したんだけど、ボタンを押す勇気がなかった」
懐かしい・・・そう感じる声。
「見つけてくれるのを待ってた。・・・それってずるいよね?」
「もういいって」
俺は反対の手を取り、包んだ。
「私、考えてみたんだ。自分がもし、世界に旅に出るとしたらって。そしたら、凄く楽しい旅が想像できた。でも、考え続けていたらね・・・凄く怖くなったんだ」
美夕は暖かくなった手で、俺の手を握り返した。
「知らない場所を歩くのって、凄く勇気がいることだって分かった。それをやろうとしている凪が、凄い人だって分かった。それなのに・・・私は電話に出る勇気すらなかった」
俺の、胸の痛みが変わった。
「もういいよ」
俺は生まれて初めて、好きな人を抱きしめた。
「牧場で待っててよ、必ず会いに行くから」
美夕は俺の胸に顔を埋め、ゆっくりと頷いた。
答えを受け止めた俺は、美夕の綺麗な髪に頬を乗せた。
どれ位時が過ぎたか分からない。俺は思い出したように、美夕を見つけてくれたオリンに手を振ろうと顔を上げた。
木の上にオリンの姿はなく、折れ曲がった枝が、風に吹かれて揺れていた。
「・・・どうしたの?突然笑い出して」
俺は笑いながら、美夕から腕を解いた。
「いや・・・何でもないよ。それより、振袖を着て来なかったんだな」
「・・・見たかった?」
「うん、見たかった」
「凪がそう言うなら・・・着替えてきてもいいよ」
「よし決まり。さ、行こ行こ」
美夕にわざわざ振袖に着替えてもらい、俺たちは初詣をやり直した。
空白の時間を埋めるように、雪だるまを作り、そばを食べた。そしてもう一度、神様に祈りを捧げた。感謝の言葉を添えて。
ちなみに、おみくじは二人とも大吉だった。
「ただいま」
「お帰りなさい」
「あれ?父さんは?」
「友達と釣りに行くって言って、錆び付いた釣竿持って出てったよ」
「新年早々?若いねぇ」
あの日から、父さんは活気に満ち溢れていた。その変化は嬉しい限りだが、家族の時間も大事にしてほしい。
・・・今の俺に言えることか?
「凪、ちょっと座って」
「・・・うん」
言われるままに腰を下ろすと、母さんは熱いお茶を出してくれた。
「凪の、将来のことだけどね」
「・・・ああ」
俺は湯飲みに手を伸ばした。
「もう反対しないから、好きなようにしなさい」
「え、本当?」
想定外の言葉だった。
「本当よ。子供のやりたいことを妨げるなんて、親のすることじゃないって思ったのよ。もう子供じゃないんだから、見守るのが親の勤めでしょ?」
「・・・母さん」
「でもね、これだけは分かって。親からすれば、子供はいつまでも子供なの」
母親とはそういうものなのだろう。俺は母さんの言う意味が、何となくだけど分かった。
「それとね、ハラハラしながら見守るのは心臓に良くないから、ちゃんと便りを出しなさいよ」
「大丈夫、分かってる。・・・母さん、本当に嬉しいよ」
この時俺は「神様は本当にいる」とは思わなかった。全て神様のおかげにしてしまったら、努力した意味がなくなってしまう。そう思ったからだ。
「今帰ったぞ。見てくれ、鯛を釣ったぞ」
「買った、の間違いだろ?」
「お父さん、幾らしたんですか?」
2月。
この半年で様々な痛みを知った。本気でぶつかり合う度に、そこには痛みがあった。俺は今まで、その痛みが怖くて衝突を避けていたのかもしれない。けどようやく分かった。その痛みが、未来を作るのに必要不可欠な経験だということを。
家族とも、美夕とも分かり合えた。もう思い残すことはないな。
「お前さ、聞き取りはまぁまぁ出来るけど、発音は悪いな」
「・・・やっぱりそうか」
「聞けても話せないんじゃなぁ」
「心配するな、通じないときは紙に書けばいい。言葉を伝えられるのは口だけじゃない」
「へぇ・・・お前がそんなことを言うようになるとはな」
正直、自分でも驚いている。たった半年で、これだけ変われるなんて、思ってもみなかった。
「変われたのは、お前と美夕のおかげだけどな」
「それは違うぜ。変われたのは、お前がそう望んだだからだ」
「そうだけどさ、そのきっかけをくれたのは間違いなくお前と美夕だ」
「きっかけなんて何処にでも転がってるさ。目には見えても、心が動かないから気が付かないだけだ。お前が変わりたいって思わなかったら、オレと美夕が何をしたって変われなかったと思うぜ」
オリンらしい言葉だ。自分を棚に上げず、全てを対等に見る。大した奴だ。
「それとな、世の中には、言葉を伝えても通じない奴もいる。そういう奴に出会ったら、まず逃げることを考えろ」
「俺の護身術は通用しないってことか?」
「そうじゃねぇ。強いから死ぬ、そういうこともあるって言いたいんだ。お前は心が強くなった。だけど、果敢に挑むことだけが正解じゃない。退くことも大事な選択の一つだ。絶っ対に忘れるなよ」
「・・・分かった」
「もしお前が誰かに襲われたら、オレはそいつを殺しに行かなきゃいけねぇ。オレを監獄に入れるなよ?」
「ああ、分かったよ」
俺は照れながら言った。
携帯がブルブルと震えだした。
「美夕だ」
「出ろよ」
オリンはみかんを取りながらそう言った。
俺はオリンに手を合わせ、電話に出た。
「はい」
「今大丈夫?」
「ああ」
「今、何処にいるの?」
「オリンの家、言葉を教えてもらってたんだ。美夕は?外か?」
電話の向こうから、微かに風の音が聞こえる。
「あ、うん。凪の家の前にいるんだ」
「そうなのか?」
「あ、でもいい。また次の機会で」
俺はオリンに視線を向けた。オリンはみかんを食べながら、シッシッと手を振っている。
「今終わったところなんだ。今行くから待ってて」
俺は返事を待たずに電話を切った。
「悪いな」
「さっさと行け」
俺は上着を取り、オリンの家を後にした。
外に出て、自分の家の方を見ると、オレンジ色の明かりが灯った電柱の下に、美夕の姿があった。俺は美夕の傍に駆け寄った。
「ごめんね、勉強の邪魔しちゃって」
「丁度終わったところだったよ。それより、どうかした?」
「これ、渡そうと思って」
美夕は俺に紙袋を差し出した。
「できれば今日の内に渡したくてさ」
俺は紙袋を受け取った。
「開けてもいい?」
「どうぞ」
俺は丁寧にシールを剥がし、袋を開け、掌に傾けた。すると、中から零れ落ちるように、御守りが出てきた。
「これって・・・」
テレビで見たことがある。安全祈願で名高い御守りだ。
「これ・・・俺のためにわざわざ?」
これを売っている神社は、新幹線で二時間は掛かる場所にある。
「わざわざなんて思わなかった。「そうしたい」って思ったら、電車に飛び乗ってたよ」
「美夕・・・」
「私が出来ることはしてあげたい。神頼みでも何でもね」
俺には、神も女神もいるようだ。
「このお返しは、無事に私の所に帰って来ることでいいよ」
美夕は後ろで腕を組み、右のつま先で、道路をトントンとノックしながら言った。
「分かった、絶対に帰って来る。世界に絶対はないのかもしれないけど、これは絶対に絶対だ」
揺るぎない何かが、俺の中に現れた。
「それともう一つ、お返しにしてほしいことがあるんだけど、分かる?」
俺は何も言わず、美夕を腕の中へ誘った。
「ん・・・正解」
満ちゆく気持ちを表すように、力を込める。
「思い残すことはない」その言葉が今、嘘に変わった。このままじゃ、後悔してしまう。
「これだけじゃ・・・足りない」
素直に、そう洩らした。
「・・・私も」
「これから・・・」
「・・・うん」




