第7話:奇妙な同行者
抜く気だ。
肘が、わずかに後ろへ引かれた。柄を握った指に、まだ力は入りきっていない。
カナメは二歩で卓の脇まで詰め、右の掌を、男の手の上から柄頭に被せた。そのまま、鞘のほうへ軽く押し込む。
刃は、指一本ぶんも出なかった。
「まあまあ、落ち着けって。こないだは悪かったな」
「え……はあ? なんだお前?」
男は柄を握ったまま、目を白黒させていた。もう一度引こうとして、肘が途中で止まる。カナメの手は、柄頭の上から動かない。
近くの卓で飲んでいた何人かが、ちらりとこちらを見た。
「今度は争う気ねえって。仕事探しに来たんだよ」
「し……仕事? お前は、だって……」
男は何か言いかけて、ぐっと口をつぐんだ。目だけが、周りの卓をさっと撫でる。喉が上下した。
言えねえよな、こんなとこで、とカナメは思った。
「ちょうどよかった。どうやって仕事受けるんだ? とりあえず飯食いたいんだわ」
男は、口を半開きにしたまま固まった。
柄を握る手から、少しずつ力が抜けていくのが、掌越しに伝わってきた。
*
「ルカー、受けてきたよ。ゴブリンのやつ、ちゃんと――」
受付台のほうから、明るい声が近づいてきた。
杖を抱えた若い女と、細身の男だった。女は丸めた紙を振り回しながら歩いてきて、男の肩越しにカナメの顔を見た。
「ひ……!」
紙が床に落ちた。
細身の男のほうは、声を上げなかった。右手が腰の後ろへ回りかけて、そこで止まる。カナメの手が金髪の剣を押さえていること、その金髪がまだ生きて座っていることを、順番に見ていた。
「よう。そっちの二人も、こないだは悪かったな」
カナメは空いている左手を上げた。掌には、薄い桃色の痕が残っている。
「な、ななな、なんで、ここに……!」
「そ、そうだ! なんでここにいる!」
金髪が我に返ったように柄を握り直した。カナメの手の下で、また力が入る。
「もう一回このやり取りやんのかよ。もういいって」
カナメがうんざりした声を出したところで、隣の卓から椅子を引く音がした。
「おいおい、ルカぁ」
髭を伸ばした大柄な冒険者が、ジョッキを片手に身を乗り出していた。顔が赤い。昼間から、もうだいぶ飲んでいるらしい。
「なんだよ、そのべっぴんさんは。手なんか握り合っちまって」
「にっ、握り合ってねえ!」
ルカの声が裏返った。
「紹介しろよ。お前にゃもったいねえ」
同じ卓の連中が、どっと笑った。
「おう、カナメだ。よろしくな」
カナメが空いている左手を上げると、髭の男は目を丸くして、それから嬉しそうに手を振り返した。
「カナメちゃんか! いい名前じゃねえか。どっから来たんだい」
「どっからって、森の――」
「わーっ!」
杖の女が、カナメと髭の男の間に割って入った。
「な、なんでもないです! ちょっと、知り合いで!」
周りの卓から、面白がるような視線が集まりはじめていた。
細身の男が、小さく息を吐いた。落ちた紙を拾い、受付台のほうをちらりと見る。受付の女が、帳面から顔を上げてこちらを窺っていた。
「……ここじゃまずい。外で話そう」
「なんだよ、連れてっちまうのか。つれねえなあ」
髭の男の声を背中に聞きながら、三人はカナメを囲むようにして、ギルドの裏口へ向かった。カナメはそこでようやく、剣の柄から手を離した。
*
ギルドの裏手は、薪が積まれた狭い空き地になっていた。井戸がひとつあるだけで、人の気配はない。
「ルクス・メンテ・ヴェラ・クストス――光よ、心を真実のままに守れ」
杖の女が、呪文を唱えた。何か淡い光のようなものが三人の頭にしみ込んでいった。
どうやら、何かの魔術に備えているらしい。
金髪は、ようやく自由になった剣の柄に手をかけたまま、カナメの正面に立った。杖の女はその少し後ろ。細身の男は、井戸の縁に腰をかけた。
「なんなんだお前……サキュバスだろ?」
「らしいなぁ」
「らしいって何!?」
杖の女が、金髪の背中から身を乗り出した。
「自分のことでしょ!?」
「いや、俺もよく分かってねえんだよ。生まれてまだ十日も経ってねえし」
「お、俺……?」
「そこかよ」
金髪が振り返って杖の女を見た。杖の女は、だって、と口の中でもごもご言った。
細身の男が、井戸の縁で脚を組み替えた。
「サキュバスってのは、男から精気を吸って生きる魔物だろ。なんで仕事なんか探してる」
「あー、それ無理なんだわ、俺。だから仕事探してんだよ」
「無理って……」
金髪が眉を寄せた。
「無理ってなんだ」
「無理なもんは無理だ」
三人が、それぞれ違う顔で黙った。金髪は眉間に皺を寄せ、杖の女は口をぱくぱくさせ、細身の男は顎に手を当てて、カナメの顔をじっと見ていた。
「で、ギルドなら誰でも仕事もらえるって聞いたんだけど」
「誰でもって……」
金髪が呆れたように首を振った。
「さすがに魔物は無理だろ」
「そうなのか?」
「ギルドに登録するときは、マナの鑑定を受ける」
細身の男が言った。
「どういう素質か、どのくらいの量か、そういうのを調べて記録する。人間じゃないってのは、たぶんすぐ分かる」
「分かったら、どうなんだ」
「さあな。魔物が冒険者になったなんて話は、聞いたことがない」
「え、マジか」
カナメは、薪の山にどさりと腰を下ろした。
「困ったな。どこも雇ってくれねえんだよな……」
樽運び。皿洗い。宿屋。三軒とも駄目で、最後の頼みの綱がこれだった。パン半分で、どこまで持つか。
「どこもって……」
杖の女が、思わずといった様子で聞き返した。
「腕が細いだの、家出娘だの、理由も言わずに戸を閉められたり。散々だよ」
「それは……まあ、そうだろうな」
金髪が、カナメの頭のてっぺんから足先までを眺めて、なぜか目を逸らした。
「でも、どうするの、モンスターだよ?」
杖の女はまだ警戒を解いていないようだ。心なしか杖の先がこちらに向いている。
「どうするって、俺に聞くなよ」
「だって、放っておくわけにもいかないでしょ?」
「だからって……今は何もしてねえ相手に斬りかかるわけにもいかねえだろ」
「でも……こんな街中にモンスター放置するわけにも……」
「じゃあどうしろってんだよ!」
二人は何やら言い合いを始めた。
細身の男は、そのやり取りには加わらなかった。
井戸の縁に座ったまま、カナメの手元を見ていた。それから、さっき柄を押さえられた金髪の手を見た。
「……なあ、ルカ」
「なんだよ」
「こいつ、連れていかないか」
「はあ!? 何言ってんだお前!」
「サキュバスだよ!? ラデク、正気!?」
二人の声が、狭い空き地に重なって響いた。
「まさか魅了された?? もう一回、守護いっとく??」
ラデク、と呼ばれた男は、少しも動じなかった。持っていた紙を広げて、二人に見せる。
「今日受けた依頼。東の森の洞窟に、ゴブリンが住みついてる。近くの村で家畜がやられて、最近は村の柵のそばにも出てくるようになった。早めに叩かないとまずい」
「分かってるよ、それは」
「洞窟の中で、数が増えてるかもしれない。どのくらいいるかは分からない。中は狭い。前に立てるのは、お前一人だ」
ルカが、口をつぐんだ。
「こいつは、強かっただろ。この前、俺たちが一番よく分かった」
「それは……」
「それに」
ラデクは、紙を丸めながら言った。
「こいつが俺たちを害するつもりなら、この前やられてる」
ルカの顔が、苦いものを噛んだように歪んだ。杖の女――エリシュカ、とカナメは記憶をたどった。あのとき、金髪がそう呼んでいた――も、ぎゅっと杖を握りしめた。
「協力できないなら、最初の予定どおり俺たちだけでやるさ。ただ、手が増えるなら助かる。それだけだ」
「お、いいなそれ」
カナメは薪の山から身を乗り出した。
「俺は飯食えりゃいいぞ」
「お前は少し黙ってろ! ややこしくなる!」
「頼むよー、腹減ってんだよー」
情けない声が、自分の口から出た。出してから、まあいいか、と思った。実際、腹は減っている。
腹が、ぐうう、と長く鳴った。
空き地が、一瞬静かになった。
「……なんでこっちが悪いことしてるみたいになってるの」
エリシュカが、額を押さえた。
「決めるのはリーダーのお前だけどな」
ラデクが、ルカを見上げた。
ルカは、すぐには答えなかった。
剣の柄から手を離して、腕を組む。カナメを見て、ラデクの手の中の紙を見て、それからエリシュカを見た。エリシュカは不安そうに唇を結んでいたが、ルカと目が合うと、小さく首を振った。駄目、というより、分からない、という振り方だった。
ルカは、深く息を吐いた。
「……今回だけだ」
「ルカ!?」
「村の連中が待ってる。前が足りねえのも、本当だ」
ルカはエリシュカにそう言ってから、カナメに向き直った。指を一本、カナメの鼻先に突きつける。
「いいか、裏切ったら真っ先にぶった斬ってやるからな!」
「おう、そんときゃよろしくな」
「よろしくじゃねえ!」
ルカが叫び、エリシュカが頭を抱え、ラデクが井戸の縁で小さく笑った。
*
「そういや、名前聞いてなかったな。俺はカナメ」
「……ルカだ」
ルカは、渋々という顔で言った。
「エリシュカ……」
エリシュカは、ルカの肩の陰から、ほとんど聞こえない声で言った。
「ラデク」
「知ってる。こないだ呼ばれてたよな」
ラデクは片眉を上げただけで、何も言わずに依頼書をもう一度広げた。薪の山の上に置いて、四人で覗き込む形になる。
「村まではここから歩いて半日。今から出れば、日が暮れる前に着く。今夜は村で話を聞いて、明日の朝に洞窟へ入る」
「村の人たちは?」
エリシュカが聞いた。さっきまでとは声の調子が違った。仕事の話になると、こうなるらしい。
「自警団はいるけど、洞窟の中までは無理だって話だ。森に入れなくて、畑仕事も薪拾いも止まってる。今のところ怪我人はいないが、時間の問題だな」
「巣があるかもしれないんだよな」
ルカが腕を組んだまま言った。
「奥にな。数が分からないのは、それもある」
カナメは、紙に書かれた字を眺めた。ミミズがのたくったような文字の羅列が見える。何を書いてあるか皆目見当つかないが、洞窟内の地図のようなものが書かれているのはわかる。
「なあ、ゴブリンって、どんくらいのやつだ」
三人が、同時にカナメを見た。
「知らないのかよ」
「知らねえよ。生まれて十日だぞ」
ルカは何か言い返しかけて、やめた。
「……子供くらいの背で、すばしっこい。頭はそんなによくないけど、数で来る。一匹ならお前でも――」
そこまで言って、ルカは口をつぐんだ。自分が誰に向かって「お前でも」と言いかけたのか、思い出したような顔だった。
「一匹なら、私でもなんとかなる」
エリシュカが、ぼそっと付け足した。
「数で来るってのが面倒なんだな。武器は」
「棍棒とか、どっかで拾った錆びた刃物とか。弓を使うやつもたまにいる」
「分かった」
カナメは頷いた。それ以上は、行ってみないと分からない。
*
話がまとまったところで、カナメの腹がもう一度鳴った。
今度は誰も驚かなかった。
ラデクが立ち上がり、ギルドの表のほうへ顎をしゃくった。
「出る前に食わせてやる。倒れられても困るから、前払いだと思え」
「マジか! お前いいやつだな!」
「報酬の取り分は、終わってから話す。役に立ったらな」
「おう、それでいい」
広場の屋台でルカが串焼きを四本買い、エリシュカとカナメに一本ずつ渡した。自分の分を手に取ると、残った一本もカナメに差し出した。
「……一本じゃ足りねえだろ」
「いいのか?」
「いいから食え」
カナメは、両手に一本ずつ持って、かじった。
塩が効いていて、脂が甘い。肉だ。生まれ変わってから、初めての肉だった。
「こりゃおいしいなぁ! ありがとう」
「……おう」
ルカは、なぜか居心地悪そうに目を逸らした。
エリシュカは、自分の串焼きを持ったまま、カナメとルカを交互に見ていた。食べるのを忘れているようだった。
ラデクは、もう雑貨屋で縄と松明と油を買い込んでいた。
*
東の門を出たのは、日が少し傾きはじめたころだった。
街道の先に、森の影が見える。
ルカが先頭を歩こうとして、カナメがその横に並ぶと、ルカは足を速めた。カナメもなんとなく足を速めた。
「前歩くな!」
「並んでるだけだろ」
「並ぶな!」
エリシュカは二人から三歩離れて、杖を抱えてついてきた。時々、ルカの背中を見て、カナメの背中を見て、小さくため息をついている。
最後尾のラデクは、そんな三人の背中を眺めながら、黙って歩いていた。
奇妙な四人組は、そうして東の森へ向かった。




