↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/16

第6話:パン半分の恩

 町の中は、外から見たよりもずっと騒がしかった。


 石畳の大通りには荷車がひっきりなしに行き交い、両脇には店がぎっしり並んでいる。焼いた肉の匂い、香辛料の匂い、馬の匂い。呼び込みの声と、値切る声と、車輪の音が混ざり合って、頭の上でわんわん響いていた。


 カナメは腹をさすりながら、通りを見渡した。


 金はない。一枚もない。ミレナも、そういうものはくれなかった。そもそも持っているのかどうかも知らない。


 とはいえ、そこまで困ってもいなかった。

 忙しそうなところに行って、飯の代わりに働かせてくれと頼めばいい。引っ越し屋のバイトだって、最初は社長に頭を下げて始めたのだ。荷運びでも皿洗いでも掃除でも、体を動かす仕事なら何でもやれる。


    *


 最初に目についたのは、倉庫の前で荷馬車から樽を下ろしている男たちだった。


「なあ、手伝わせてくれよ。飯一食分でいい」


 声をかけると、髭面の親方が振り返った。カナメの頭のてっぺんから靴の先までを眺めて、それから大声で笑った。


「お嬢さん、冗談はよしてくれ。その腕じゃ樽の下敷きだ」


「やってみなきゃ分かんねえだろ」

 カナメは足元の麻袋に手をかけた。


 持ち上げようとして、ぴくりとも浮かないことに驚いた。


 重い。


 いや、この程度、前なら片手で担いでいた。そういえば、この体はやたらと細いのだった。


 カナメは袋の口を少しずらして中身を片側に寄せ、角を膝に乗せてから、腰で起こすようにして持ち上げた。どうにか胸の高さまで来た。腕がぶるぶる震えていた。


「……ほら、持てた」


「持てたっていうか、潰れかけてるじゃねえか」


 親方はカナメの手から袋を取り上げ、ひょいと肩に担いだ。


「危なっかしくて見てられねえよ。悪いことは言わねえ、よそ当たんな」


    *


 二軒目は、昼時で客がごった返している食堂だった。


 厨房の奥では、恰幅のいい女将が鍋を三つ同時に振っている。皿は流しに山積みになっていた。


「皿洗いさせてくれ。飯一杯でいい」


 女将は手を止めた。カナメの顔を見て、手を見て、それからまた顔を見た。


「あんた、どこの家の子だい」


「は?」


「その手。水仕事なんかしたことない手じゃないか。言葉遣いはまあ、あれだけど……立ち方だって、ちゃんとしたとこのお嬢さんの立ち方だよ」


「いや、俺は――」


「家出かい? 親御さんが心配してるよ。悪いこと言わないから、衛兵の詰所に行きな。ちゃんと家まで送ってもらえるから」


 女将は本気で心配している顔だった。鍋を置いて、カナメを店の外まで連れていこうとする。


 カナメは、その手から慌てて逃げ出した。


    *


 食堂の前の通りを歩いていると、横から声をかけられた。


「お嬢さん、ひとり?」


 若い男だった。小綺麗な上着に、香油で撫でつけた髪。商家の手代か何かだろうか、愛想のいい笑顔を浮かべている。


「腹、減ってない? そこの店、焼いた鳥がうまいんだ。奢るよ」


「マジか!」

 カナメは、思わず身を乗り出した。


 なんだ。この町にも、いいやつがいるじゃねえか。


「いいのか? 俺、金ねえぞ」


「いいって。その代わり、ちょっと付き合ってくれれば」

 男が、カナメの隣に並んだ。肩が触れるくらいの近さだった。手が、さりげなくカナメの腰のほうへ回ってくる。

「食べたらさ、この先にいい宿があるんだ。ゆっくりしていこうよ」


 男の目が、カナメの顔から首筋へ、それから胸元へ、ゆっくり降りていった。


 背筋を、冷たいものが這い上がった。


 知っている目だ。前の世界で、駅前で女の子にしつこく絡んでいた連中と、同じ目。


 それが今、自分に向いている。


 腕に、ぞわりと鳥肌が立った。


「……いや、いいわ」

 カナメは、腰に回りかけた男の手首をつまんで、ぽいと外した。


「え、なんで。奢るって」


「腹、いっぱいになった。今」


「いや、さっき減ってるって――」


「減ってねえ。じゃあな」


 振り返らずに歩いた。自然と早足になった。角を二つ曲がるまで、背中のむず痒さが消えなかった。


 焼いた鳥の匂いが、まだ鼻の奥に残っていた。


 もったいねえ、とは思った。思ったが、戻る気には少しもならなかった。


    *


 三軒目は、裏通りの宿屋だった。


 戸口で掃き掃除をしていた中年の男に、掃除でも何でもやると申し出た。


 男は顔を上げて、カナメを見た。


 その顔から、すっと表情が消えた。


「……悪いが、他を当たってくれ」


「人手、足りてねえんじゃねえのか」


「足りてる」


 それだけ言って、男は箒を抱えたまま中に引っ込み、戸を閉めた。閂を下ろす音まで聞こえた。


 カナメは、閉まった戸の前でしばらく突っ立っていた。


「……なんなんだよ」


 働くって言ってるのに、なんで駄目なんだ。


 樽は、まあ分かる。この腕では無理だった。だが、皿洗いや掃除くらい、誰がやったって同じだろう。お嬢さんだの家出だの、意味が分からない。最後のやつに至っては、理由すら言わなかった。唯一、飯を食わせてやると言ってきたやつは、論外だ。


 腹が、ぐう、と鳴った。


    *


 大通りから一本入った路地は、急に薄暗かった。


 建物の間に洗濯物が渡され、地面は湿っていて、どこかから腐った野菜の匂いがする。カナメは空の木箱に腰を下ろして、壁にもたれた。


 さすがに、少し腹が減りすぎてきた。昨日の昼から何も食っていない。この体は前より燃費がいいのか悪いのか、それもよく分からない。


 さて困ったな。


「返せよ!」


 子供の声がした。


 路地の奥、角を曲がった先だった。カナメは木箱から立ち上がって、覗き込んだ。


 子供が二人、壁際に追い詰められていた。


 前に立っているのは、十歳くらいの女の子だった。痩せていて、継ぎ接ぎだらけの服を着て、両腕を広げて後ろの子をかばっている。後ろの男の子はもっと小さくて、汚れた布の包みを胸にぎゅっと抱えていた。


 その前に、男が二人。どちらも二十歳そこそこで、だらしなく着崩した服に、酒焼けした顔をしている。


「いいから寄越せって。どうせ拾ったもんだろ」


「拾ったんじゃない! 洗い場の手伝いして、もらったの!」


「へえ。じゃあ、俺らにも分けてくれよ。仲良くしようぜ」

 男の片方が、女の子の肩を押しのけようと手を伸ばした。


「おい」


 カナメは角を曲がって、路地に入った。


 男たちが振り返る。手前の男がにやりと笑いかけて、カナメの顔を見た。


 笑いが、途中で止まった。


 路地は狭い。男二人が並ぶと、それでほぼいっぱいになる。左の壁際には空の樽が二つ転がっている。奥の男は、手前のやつの陰になって動きにくい。


「ガキのもの取って楽しいか。やめとけよ」

 カナメは男たちとの間合いを測りながら、一歩だけ近づいた。


 手前の男が、カナメの顔から目を離さないまま、一歩下がった。


 奥の男が、その肩を小突いた。


「おい、何びびって――」


 手前の男が、奥の男の耳に何か囁いた。奥の男の顔色も変わった。二人はカナメの顔をもう一度見て、それから目を逸らした。


「……行くぞ」


「ちっ」


 二人は子供たちから離れると、カナメの横を、壁に背中をこするようにして大回りにすり抜けていった。路地の入口で一度だけ振り返り、そのまま大通りの人混みに消えた。


「……なんだ、根性ねえな」


 カナメは、少し拍子抜けした。睨んだだけだ。まだ何もしていない。


    *


「怪我はねえか」


 振り返ると、女の子はまだ両腕を広げたまま固まっていた。男の子は姉の背中にしがみついている。


「……ない、です」


「そっちのチビも」


「チビじゃない」

 男の子がむっとして言い返した。元気そうだった。


「ならいい。じゃあな」

 カナメは手をひらひら振って、路地を出ようとした。


「待って!」


 呼び止められた。


 振り返ると、女の子が男の子の手から布の包みを取り上げていた。包みを開くと、中から黒っぽい小さなパンが一つ出てきた。拳ほどの大きさで、ひどく硬そうだった。


 女の子は両手でそのパンを掴み、力を込めて二つに割った。半分を、カナメに差し出した。


「これ、お礼」


「姉ちゃん!」

 男の子が叫んだ。

「それ、俺たちの飯だろ! 今日それしかないんだぞ!」


「分かってる」


「じゃあなんで!」


「助けてもらったら、ちゃんとお礼しなきゃだめなの。父ちゃんと母ちゃんが、礼だけはちゃんとしろって言ってたでしょ」


「でも……」


「イヴァン」


 女の子が名前を呼ぶと、男の子は唇を噛んで黙った。目にうっすら涙が溜まっていた。


 カナメは、差し出されたパンを見た。


 半分になったパンは、本当に小さかった。二人で分けても、腹の足しになるかどうか怪しい量だ。それをさらに半分にしたのだ。


「いや、お前らだって腹減ってんだろ」


「減ってる」

 女の子は、あっさり認めた。それでも手を引っ込めなかった。

「でも、お礼だから」


 まっすぐな目だった。痩せた腕が、少し震えていた。


 カナメは、パンを受け取った。


「……そうか。ありがとな。もらっとくよ」


 女の子の顔が、ほっとしたように緩んだ。


 その場でかじった。

 硬い。酸っぱい。ぼそぼそしていて、口の中の水分を全部持っていかれる。


 それでも、この世界に来てから食ったもので、いちばんうまかった。


「うまいな、これ」


「洗い場のおかみさんが焼いたやつ」


「そうか」

 カナメは、少しずつ噛んで食べた。急いで食べるのがもったいなかった。


「名前は」


「ヤナ。こっちは弟のイヴァン」


「カナメだ」

 覚えた、とカナメは思った。ヤナ。イヴァン。


    *


 イヴァンは、自分たちの分のパンをさらに半分に割って、片方をヤナに押しつけていた。ヤナが大きいほうを返そうとして、イヴァンが嫌がって、少し揉めた。


「ねえ、カナメさんは、何してる人?」

 結局小さいほうを食べながら、ヤナが聞いた。


「何もしてない人なんだ。仕事探してる。けど、どこも雇ってくれねえ」


「どこも?」


「樽運びは腕が細いって言われた。皿洗いは家出娘扱いされた。宿屋は理由も言わずに戸を閉められた」

 カナメは、指を折りながら数えた。


「あと、変なやつに飯奢るって言われた。断ったけど」


 ヤナはカナメの顔をじっと見て、少し首をかしげた。何か言いたそうだったが、言わなかった。


「じゃあ、冒険者ギルドは?」


「ギルド?」


 どこかで聞いた言葉だった。そういえば、ミレナが言っていた。今ごろギルドに話が回ってる、とか何とか。


「なんだそれ」


「知らないの? 仕事をもらうところ。魔物を退治したり、薬草を採ってきたり、荷物を運んだりして、お金がもらえるの。冒険者には誰でもなれるんだって」


「誰でもか」


「うん。あたしも、大きくなったら冒険者になるの」


「姉ちゃんには無理だって」


「無理じゃない!」


「虫も殺せないくせに」


「殺せるもん!」


 また揉めはじめた。


 冒険者、とカナメは口の中で繰り返した。


 ミレナを狩りに来た、あの三人も冒険者だった。何でも屋みたいなもんだと、ミレナは言っていた。


 まあ、いいか。仕事があるなら、それでいい。


「行ってみるか。どこにあんだ」


「案内する!」


 ヤナがぱっと立ち上がった。


    *


 ヤナとイヴァンは、大通りを少し戻って、広場の角まで連れていってくれた。


「あそこ。看板に剣と盾が描いてある、大きい建物」


「あたしたち、これから洗い場に戻らなきゃいけないから」


「そうか。気をつけろよ。さっきみたいなのに、また絡まれんな」


 ヤナは大きく頷いた。イヴァンは何も言わずに、姉の手を引っぱった。


 二人が人混みに紛れるまで見送ってから、カナメは広場を横切った。


    *


 重い木の扉を押すと、熱気と喧騒がどっと押し寄せてきた。


 思っていたより広い。手前はほとんど酒場で、長い木の卓がいくつも並び、昼間から酒を飲んでいる連中がいる。奥には長い受付台があって、何人かの職員が帳面を広げていた。


 壁の一面に大きな板が掛かっていて、紙が何十枚も鋲で留められている。その前で、剣を下げた男や、弓を背負った女が、腕を組んで紙を眺めていた。


 革鎧の擦れる音。ジョッキのぶつかる音。誰かの笑い声。

 役所と居酒屋をくっつけたみてえだな、とカナメは思った。


 入口に立っていると、何人かがこちらを見た。見て、それから、もう一度見た。

 カナメは気にせず、受付台のほうへ歩き出した。


 酒場の卓のひとつで、椅子が床を擦る音がした。


 短い金髪の若い男が、立ち上がっていた。

 革の胸当て。腰に剣。手にしたジョッキが、口元の手前で止まっている。


 目が合った。


 あ、とカナメは思った。

 あの時の、金髪だ。


「お。こないだの」

 カナメは、片手を上げた。


 男の顔から、さっと血の気が引いた。


 ジョッキが卓に置かれた。空いた右手が、迷いなく剣の柄にかかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。