↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/14

第5話:独り立ち

 洞窟に戻ったのは、夜もだいぶ更けてからだった。


 カナメは苔の上に座り込むなり、そのまま後ろに倒れそうになった。背中の火傷が岩に触れて、慌てて身を起こす。


「いってえ……」


「ほら、じっとして。手、出して」

 ミレナが、巻いたばかりの布をほどいた。血を吸って重くなった布の下から、穴の開いた掌が出てくる。焚き火に照らして見ると、思っていたよりひどかった。


 ミレナはカナメの左手を両手で挟み、目を閉じた。


「メディ・レナ・フィール――命の息吹よ、傷つきし身を癒やせ」

 森で小鳥を呼んだときとも、ミロシュの耳元でささやいたときとも違う、静かな声だった。


 掌が、温かくなった。


 さっきミレナの手から感じた、あの手の温かさとは違う。傷の内側から、何かがじわじわと湧いてくる感じだった。むず痒い。肉が、勝手に動いている。


 ミレナが手を離した。


 穴が、なくなっていた。

 手のひらにも甲にも、薄い桃色の痕が残っているだけだった。握ってみる。開いてみる。ちゃんと最後まで曲がる。


「……は?」


「次、背中。向こう向いて」


「いや、待て。今の、何だ」


「治癒の魔術よ。そんなに難しいやつじゃないわ」

 背中に、ミレナの手が当てられた。同じ言葉がもう一度聞こえて、火傷のひりつきが、水が引くように消えていった。


 カナメは、自分の左手をしばらく眺めていた。

「すげえな……。便利すぎだろ、これ」


「でしょ?」


「医者いらねえじゃねえか。俺もこれ使えたらなあ」


「あなたは、まず魔力が分かるところからね」

 ミレナはくすくす笑った。ぐうの音も出なかった。


    *


 焚き火に小枝をくべながら、ミレナが言った。

「ねえ。あんな戦い方、どこで覚えたの?」


「どこって」

 カナメは少し考えた。どこで、と言われても困る。別に誰かに習ったわけではない。


「……たぶん前世? かな?」


「前世」

 ミレナは目を丸くした。


「前世って……あなた、前は何だったの?」


「たぶん、人だった。人間」


「へえ。前世の記憶がある子って、たまにいるって聞いたことはあるけど。本当にいるのね」


「いるらしいな、ここに」


「ふうん」

 それきりだった。ミレナは興味深そうにカナメの顔を眺めていたが、それ以上は何も聞かなかった。


 カナメも、それ以上は話さなかった。


 今まであまり考えないようにしていたが、口に出してみると、妙にすとんと腑に落ちた。


 そうか。たぶん、生まれ変わったんだ、俺は。


 あの時、高架の下で、死んだんだろう。シャツが真っ赤だったのを覚えている。あれで生きてるほうがおかしい。

 茜は元気だろうか。手首の赤いのは、もう消えたか。航は、誰かに相談できているだろうか。社長は、また人手が足りねえって怒鳴ってるかもしれない。親は……あんまり気にしてないかもな。


 いつか……帰る、なんてことはできるんだろうか。


 焚き火を眺めながら少し考えて、すぐにやめた。考えたところで、分かるはずがない。分からないことを考えても腹は膨れない。

 まずは、この体で生き残ることか。


 焚き火がぱちりと爆ぜた。


「サキュバスは人を糧にするのよ。前世が人間だったのなら、私が恐ろしいかしら?」

 ミレナの声は軽かったが、縦長の瞳は、まっすぐカナメを見ていた。


 カナメは、小枝を一本火に放り込んだ。


「別に。そんなもんだろ」


「そんなもん?」


「そういう種族なんだろ? ミレナを怖いとは思わない」

 自分もそういう種族になったのだ。怖がってどうなる。

 男を「食う」気には相変わらずならないが。

「俺だって牛肉とか食ってたし。まあ、俺も牛から怖がられたかも……じゃあ怖がるべきかな」


 ミレナは、ぱちぱちと瞬きをした。

 それから、吹き出した。

「牛!」


「なんだよ」


「ううん。なんでもない」

 ミレナは笑いながら、膝を抱えた。何か納得したような顔をしていた。


    *


「でも、困ったわね」

 ひとしきり笑ったあとで、ミレナはため息をついた。


「あの町には、もう戻れないわ。顔を知られているもの。冒険者にも、ミロシュのお父様にも。今ごろギルドに話が回ってると思う」


「冒険者っていうのか? なんなんだあいつら」


「何でも屋って感じ。人にとって危険な種族を討伐したり、森や洞窟を探索して資材を集めたり……。戦いを得意とするやつが多いから要注意ね」


「そんな奴らに目をつけられたってわけか」


「たぶんね。だから、新しい狩場を探さなきゃ」

 ミロシュの顔が、ちらりと頭をよぎった。床に押し倒したときの、ぽかんとした顔。あいつ、大丈夫だったろうか。


「サキュバスってのも大変だな」


「何を他人事みたいに言ってるの」

 ミレナが、カナメの鼻先に指を突きつけた。


「あなたもよ。あなたも、自分の狩場を探すの」


「は?」


「は、じゃないわよ。いい? カナメ」


 ミレナは膝を抱えるのをやめて、カナメの正面に座り直した。


「あなた、冒険者三人を相手にして、殺されずに帰ってきたのよ。剣も魔術も対策も揃えた三人を。私なんか、何にもできなかったのに」


「たまたまだ。結構危なかった」


「たまたまで、あんなことできないわよ」


 ミレナは首を振った。


「だからね、あなたなら一人でも何とかなるでしょ。でも、精気を吸わないと、サキュバスは強くなれないのよ。果物なんか食べてても、ずっとそのまま。あれだけ戦えるのに、もったいないじゃない」


「別に強くなんなくていいんだが」


「そういう問題じゃないの。せめて一度くらい、自分の狩場を探してみなさい。案外お気に入りがみつかるかもよ」


「……行くだけだ」

 実際問題、腹は減るし、いつまでも果実、というわけにもいかない。

 人里に下りて飯を探す必要はある。


「それでいいの!」

 ミレナは、満足そうに頷いた。


    *


「で、お前はどうすんだ」


「私も別の狩場を探すわ。あなたとは別の町でね」


「なんだ、一緒に行かないのか?」


「一緒なわけないじゃない」


 ミレナは、何を当たり前のことを、という顔をした。


「同じところに二人もいたら、獲物の取り合いになるでしょ。あんまり同じ対象から精力を吸っているとすぐに衰弱しちゃうし、冒険者にばれる可能性もあがる。だからサキュバスは基本的に単独行動よ。自分で狩場を見つけて、自分で狩りの方法を見つけなさい」


「そういうもんか」


 ミレナは焚き火を見ながら、少しだけ笑った。

「本当はね、生まれたのを見届けるだけのつもりだったのよ。あなたがあんまりにも危なっかしいから、ずいぶん世話焼いちゃったわ。だって、あなた、何にもできないんだもの。魔法は使えないし、狩りは嫌がるし、果物ばっかり食べてるし」


「むぅ……」


「でも、今日ので安心した。あなた、一人でも何とかなるわ」


「そっか、手間かけてたんだな。ありがとう」


 ミレナはなにかにびっくりしたようにカナメの顔を見つめた。


「な……なんだよ」


「なんか……本当に変わってるわね、あなた」


 カナメは何と言っていいのか分からなくて、黙って焚き火に小枝を放り込んだ。


    *


 翌朝、ミレナは森の外れまで送ってくれた。


 街道が二手に分かれるところで、ミレナは右の道を指差した。

「あなたはこっち。川沿いに下っていくと、大きめの町があるわ。歩いて二日くらいかしら。人が多いから、狩場はいくらでもあるはずよ」


「お前は」


「私は左。もっと遠くに行く」


 ミレナは、焦げた上着の代わりにと、自分の肩掛けをカナメに押しつけた。それから、カナメの髪を括っている紐を、勝手にきれいに結び直した。

「私は私で狩場を探すけど、一か月くらいしたら様子を見に来るから! うまくやんなさいよ!」


「おう」


「おう、じゃなくて!」


「分かった分かった」


 ミレナは、ふん、と鼻を鳴らした。そして、くるりと背を向けると、手をひらひら振りながら左の道を歩いていった。一度も振り返らなかった。


 カナメもしばらくその背中を見ていたが、やがて右の道を歩き出した。


    *


 二日後の昼過ぎ、川沿いの道の先に、町が見えた。


 前の町よりずっと大きかった。石の壁がぐるりと囲んでいて、門の前には荷車と人の列ができている。壁の向こうから、煙と、喧騒と、何かを焼く匂いが流れてきた。


 カナメは列の最後尾に並び、門を見上げた。


 狩場を探せ、と言われた。

 探す気はない。男を誘うなんて、考えただけで首の後ろが寒くなる。


 ここからどうすっかな、と考えたところで、腹が鳴った。


 そういえば、昨日の昼から何も食っていない。

「……とりあえず、飯だな」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。