第12話:路地裏の仕事探し
昼飯の白パンを二つ、紙袋に入れて抱えたまま、カナメは下層の路地を歩いていた。
ヤナの洗い場の様子を見に行った帰りだった。今日はヤナに町の名前を教えてもらった。ベルノルフというらしい。またお礼を持っていく必要がある。
石畳はとっくに途切れていて、足元は踏み固められた土と水たまりばかりになっている。崩れかけた塀の上で、猫が一匹、退屈そうにあくびをしていた。
角を曲がったところで、道がふさがれた。
前に四人。振り返ると、後ろにも二人。十代半ばから後半くらいの少年たちが、にやにやしながら路地の両側から寄ってくる。
その真ん中に、一人だけ雰囲気の違うやつがいた。
背は高くないが、袖をまくった腕が筋張っている。眉の上に古い傷が一本。目つきが、一番悪かった。
「あんただろ。洗い場のガキに、白パン配ってるっていう女」
「配ってねえよ。お礼で一個やるだけだ」
「あんなガキによこすなんてずいぶん余裕じゃねぇか」
少年は、カナメの抱えた紙袋を顎でしゃくった。
「そんなに余裕があるなら、俺たちにも分けてくれよ」
「ああ?」
カナメは、首をかしげた。
「欲しけりゃ働けよ」
少年たちが、一斉に笑った。
「働け、だってよ」
「聞いたかマレク、働けだってよ」
マレク、と呼ばれた真ん中の少年は、笑わなかった。
「そう簡単に仕事なんか見つかってたまるか」
吐き捨てるように言った。
「いいから寄越せって。痛い目見たくねえだろ」
横にいた小柄な少年が、手を伸ばした。紙袋の口に指がかかる。
カナメは、その手をぱしんと払いのけた。
小柄な少年が、目を丸くした。払われた手を見て、カナメの顔を見る。周りの少年たちも、笑うのをやめていた。
カナメは、口の端を上げた。
「女囲んでパンを奪って……楽しそうだなぁ?」
懐かしい、と思った。
駅前で、校舎裏で、何度も見た顔だった。弱そうなのを見つけて、数で囲んで、ちょっと脅せば済むと思っている顔。
紙袋を、塀の上にそっと置いた。猫が、面倒くさそうにどいた。
「てめえ……!」
*
最初に来たのは、右の大柄なやつだった。
両手を広げて、つかみかかってくる。
カナメは、しゃがんだ。
膝が胸につくほど低く。腕が頭の上を素通りしていく。そのまま片手を地面について、伸ばした脚で、相手の足首を横から刈った。
大柄な少年が、水たまりの中に背中から倒れた。
「なっ……」
次。左から二人。
一人目の拳を、上体をくの字に折って避ける。体がどこまでも曲がる。この体は、硬いところがない。曲げた勢いで地面についた手を軸にして、腰を回す。振り抜いた踵が、二人目の太腿の外側にめり込んだ。
二人目が膝をついた。一人目が振り返る前に、立ち上がりざま、その背中を蹴り飛ばした。一人目は塀に手をついて、たたらを踏んだ。
後ろから、腕が回ってきた。
羽交い締め。腕力じゃ外れない。
なら、外さなくていい。
カナメは膝を抜いて、すとんと腰を落とした。腕の輪から、頭ごと抜け出す。細くて軽い体が、するりと滑り落ちた。相手の腕は、空を抱いた。
落ちたまま、後ろへ脚を跳ね上げる。踵が、相手の膝の裏を叩いた。少年が尻もちをついた。
「なんだこいつ……!」
「当たんねえ……!」
小柄な少年が、腰の引けた構えのまま後ずさった。
カナメは、息を整えた。
腕では押せない。殴っても大して効かない。だが、脚はそこそこ使える。体はどこまでも曲がる。走っても、跳ねても、あまり息が上がらない。
生まれて、ひと月足らず。ようやく、この体の勝手が分かってきた。
ちょっと楽しかった。
*
「どけ」
マレクが、前に出てきた。
仲間を押しのけて、カナメの正面に立つ。拳を、顔の前に軽く上げた。肘を締めて、顎を引いている。
構えが、ほかのやつらと違う。
カナメは、地面を蹴った。
回し蹴り。脇腹を狙う。
マレクは、肘を下げてそれを受けた。腕に当たった感触が、重い。弾かれない。受けたまま、マレクがぐっと前に出てきた。
近い。
胸ぐらをつかまれた。
そう思ったときには、もう体が浮いていた。腰に乗せられて、背中から地面に投げ落とされる。
カナメは、落ちる瞬間に顎を引き、腕で地面を叩いた。衝撃が背中に広がる。転がって、膝をついて起き上がる。
マレクは、もう間合いを詰めていた。
左。左。右。
拳が、矢継ぎ早に飛んでくる。カナメは腕を上げて受けた。前腕に、拳が食い込む。重い。骨に響く。
下がる。下がる。蹴りを出す間合いがない。脚を上げれば、その隙に顔に入れられる。
うまい。
こいつ、蹴りを出させないように、ずっと近くにいる。
背中が、塀に当たった。
マレクが、口の端を吊り上げた。
「どうした。さっきまでの威勢は」
右の拳が、大きく引かれた。
とどめのつもりだ。
カナメは、両手を前に突き出した。
マレクの顔の、すぐ目の前で。
ぱんっ、と打ち合わせた。
乾いた音が、路地に響いた。
マレクの目が、反射的に閉じた。肩がびくりと跳ねる。引いていた拳が、一瞬止まった。
カナメは、塀を蹴った。
低く。マレクの踏み込んだ前足の、膝の内側へ。脛を、横から叩きつけた。
マレクの膝が、がくんと折れた。体勢が崩れて、前のめりになる。カナメはその肩を押して、向きを変えてやった。マレクは、そのまま水たまりの中に、両手をついて倒れ込んだ。
カナメは、マレクの顔の横に、すとんと足を下ろした。
「まだやるか?」
マレクは、泥のついた顔を上げて、カナメを睨んだ。
「……汚えぞ、今の」
「喧嘩に汚いもくそもあるか」
「クソが……」
マレクは、水たまりの中に拳を叩きつけた。泥が跳ねた。
「いってえ……膝、外れたかと思った」
「外れてねえよ。外してねえもん」
「偉そうに言うな!」
*
少年たちは、それぞれ肩や膝をさすりながら起き上がってきた。誰も、もう殴りかかってはこなかった。
ただ、カナメが何を言い出すのか、身構えるように見ていた。
カナメは、塀の上から紙袋を取った。白パンは無事だった。
それから、まだ地面に座り込んでいるマレクを見下ろした。
「で、お前ら、仕事がねえんだっけ?」
「……は?」
「さっき言ってたろ。仕事なんか見つかってたまるか、って」
「言ったけど……」
「よし、じゃあ仕事探しに行くか」
路地が、静かになった。
「……は?」
マレクが、もう一度言った。
「お前、何言ってんだ」
「だから、仕事探しに行くんだよ。ねえんだろ? 探しゃいいじゃねえか」
「探して見つかりゃ苦労しねえんだよ!」
「探してみなきゃ分かんねえだろ」
カナメは、紙袋を抱え直して歩き出した。
「ほら、行くぞ」
少年たちは、顔を見合わせた。
小柄な少年――ペトル、とあとで名前を聞いた――が、おずおずとマレクを見た。マレクは舌打ちして、立ち上がった。膝が少しふらついていた。
「……付き合ってやるよ。どうせ無駄足だけどな」
*
一軒目は、家具を作っている工房だった。
カナメが戸口で声をかけると、奥から髭面の親方が出てきた。カナメを見て、それから、後ろにぞろぞろと並んだ少年たちを見た。
親方の目が、マレクのところで止まった。
「……お前、去年の冬、うちの裏から材木持ってったやつだな」
マレクは、黙って目を逸らした。
「こいつら、仕事探してんだ。雑用でも何でもやるって」
「お嬢さん、悪いことは言わねえ」
親方は、カナメにだけ聞こえるように声を落とした。
「誰か、身元を請け合ってくれる人はいるのか。紹介状は。ないなら、うちには置けねえ。工房には道具も材料もある。盗られたら終わりなんだよ」
戸が、閉まった。
「……な?」
マレクが、肩をすくめた。
*
二軒目は、川沿いの荷揚げ場だった。
力仕事なら、どうにかなるだろう。カナメはそう思っていた。
「人は足りてるよ」
帳簿をつけていた男は、顔も上げずに言った。
「今年は荷が少ねえんだ。いまいる連中に回す分だって、ぎりぎりでな。悪いが」
「一日だけでも」
「一日だけでもだ。こっちだって、頼まれりゃ雇いてえよ。仕事がねえんだ」
男は、ようやく顔を上げた。少年たちを、気の毒そうに見た。
「下の連中は、みんなそうだよ」
*
大通りの掲示板に、一枚だけ、上等な紙の貼り紙があった。
カナメには読めなかった。ペトルが、指でなぞりながら読み上げた。
「住み込みの下働き、募集……若い男、健康な者……三食付き、日当……」
ペトルの声が、途中で止まった。
「日当、いくらだ」
「……荷揚げ場の、三倍くらい」
「いいじゃねえか!」
カナメは、貼り紙の前で手を打った。
「これにしようぜ。どこだ、これ」
「やめとけ」
マレクが、低い声で言った。
「なんでだよ。いい条件じゃねえか」
「いい条件だから、やめとけって言ってんだ」
マレクは、貼り紙の下の、封蝋のような印を顎で示した。カナメには、それが何の印なのか分からなかった。
「お屋敷筋の仕事だ。去年、ヨゼフってやつがこういうのに行った。住み込みで、三食付きで、日当もよかった。それっきり、帰ってこねえ」
「帰ってきたやつもいるけどさ」
大柄な少年が、ぼそりと言った。
「なんか、ぼーっとしててよ。何聞いても、よく覚えてねえって。痩せてたし」
「何させられたか、誰も知らねえんだ」
マレクは、貼り紙から目を逸らした。
「割のいい話には、裏があんだよ。下で生きてりゃ、それくらい分かる」
カナメは、貼り紙を見上げた。
読めない字の並ぶ、上等な紙。
なんとなく、気に入らない。
*
それから、酒場を三軒。商店を四軒。荷車の集積所を二か所。
どこも、駄目だった。
人は足りている。紹介がない。前に何かやっただろう。顔を見ただけで首を振る店主もいた。
日が傾くころ、カナメは広場の噴水の縁に、どさりと座り込んだ。
「おう……こりゃつらいな。ほんと見つからねえじゃん……」
「だから言っただろ!」
マレクが、勝ち誇ったように指を突きつけた。
「だから言っただろ、最初っから! 見つかってたまるかって!」
「言ってた!」
「マレク、言ってた!」
少年たちが、次々と声を上げた。なぜか全員、得意げだった。
「……半分くらいお前らのせいだろうが」
カナメは、頭を掻いた。
「なんだと……!」
「……わるかったよ。なめてたわ。もっと簡単に見つかると思ってた」
少年たちが、ぴたりと黙った。
マレクが、突きつけていた指を、ゆっくり下ろした。
「……なんだよ。急に」
「いや、本当に見つかんねえんだもん。お前らの言うとおりだった」
マレクは、何か言い返そうとして、口を開けたまま、言葉が出てこないようだった。
カナメは、空を見上げた。
ギルドのことを考えた。
自分だって、どこにも雇ってもらえなかったのだ。ヤナに教えてもらって、ルカたちがいて、それでようやく仕事にありついた。
それから、食堂のことを考えた。
「……そうだ」
カナメは、噴水の縁から立ち上がった。
「ヘルガに聞いてみるか」
*
「今度は何を連れてきたんだい」
ギルド食堂の厨房の前で、ヘルガが腕を組んでいた。
カナメの後ろには、泥だらけの少年が六人、所在なさげに並んでいる。食堂にいた冒険者たちが、ちらちらとこちらを見ていた。
「こいつら、仕事探してんだ。どこも雇ってくれなくてさ」
カナメが事情を話すと、ヘルガは少年たちを一人ずつ、上から下まで眺めた。マレクのところで、少しだけ目が止まった。
「皿洗いと、裏の薪割りなら、一人か二人は使えるね」
「ほんとか!」
ペトルと大柄な少年が、顔を見合わせた。
「ただし、二人までだよ。六人全部は無理だ。うちだって、そんなに余裕はないんでね」
喜びかけた少年たちの顔が、半分だけしぼんだ。
「だよなぁ……」
ヘルガは、少し考えるように顎に手をやった。
「……クラウスのとこに行ってみな」
「部長?」
カナメは、首をかしげた。
「あのおっさんに?」
「ああ見えて、こういう厄介ごとは得意なんだよ、あの男は」
ヘルガは、口の端を少しだけ上げた。
「昔から、そうさ」
*
「あれ……カナメくん」
執務室の扉を開けると、クラウスが書類の山の向こうから顔を上げた。カナメの後ろに続いて入ってくる少年たちを見て、目を何度も瞬かせた。
「また何か連れてきたの?」
「こいつら、仕事探してんだ」
カナメは、今日一日のことを話した。工房のこと、荷揚げ場のこと、酒場や商店のこと。貼り紙のことを話したとき、クラウスの眉が、ほんの少しだけ動いた。
クラウスは、しばらく黙って聞いていた。
それから、のろのろと立ち上がり、壁際の古い棚の、一番下の引き出しを開けた。埃が舞った。
「……あったあった」
取り出したのは、紙の束だった。端が黄ばんで、角が丸くなっている。
「地下水路の泥さらい。東の防護柵の修理。外壁の、ひびの補修。どれも、もう半年くらい誰も受けてくれない依頼だね」
「なんで受けねえんだ」
「地味で安いから」
クラウスは、あっさり言った。
「急ぎでもないし、報酬も安い。冒険者は、もっと稼げる仕事に行っちゃうからね」
クラウスは、紙の束をぱらぱらとめくった。
「本当はね、仕事にあぶれた冒険者のために、こういうのを少し取っておいてるんだ。腕がまだ足りない子とか、怪我明けの子とかが、食いつなげるように」
「へえ」
「でも、最近は、そういう子がいなくてねぇ。それで、溜まっちゃった」
クラウスは、困ったように頭を掻いた。
「……じゃあ、俺らが冒険者になれってことか?」
マレクが、身を乗り出した。
「いや、それは無理」
クラウスは、即答した。
「冒険者の登録は、マナの審査があるし、身元とか、人柄とかも見るからね。君たちが、今日いきなり冒険者になるのは無理」
マレクの顔が、さっと曇った。
「だから、こうしよう」
クラウスは、紙の束を机に置いた。
「この依頼は、ルカくんたちのパーティに受けてもらう。魔物が出たときの対処と、依頼の責任は、ルカくんたちが持つ。君たちは、冒険者じゃなくて、作業の補助として雇われる。泥をさらったり、材木を運んだり、ね。で、君たちのまとめ役は、カナメくん」
「俺?」
「ルカくんたちの使い魔として同行するカナメくんが、補助の子たちを連れていく。そういう形なら、書類は通せるよ」
クラウスは、指を一本立てた。
「ルカくんたちが引き受けてくれるなら、だけどね」
「おー、ならオッケーってことだな!」
「いや、ちゃんと手続きするんだよ?」
クラウスは、慌てて両手を振った。
「ルカくんたちに話して、承諾をもらって、受注の書類を出して、補助人員の届け出をして。順番にね。勝手に始めちゃ駄目だよ。僕が怒られちゃうからね」
「分かった分かった」
カナメは、少年たちを振り返った。
少年たちは、まだぽかんとしていた。何を言われたのか、うまく飲み込めていないような顔だった。
「……仕事、あるってことか?」
ペトルが、恐る恐る聞いた。
「あるってことだ」
カナメが言った。
「ルカたちに頼んでからだけどな。あいつら、たぶん断んねえよ」
一拍、間があった。
「……うおお!」
大柄な少年が、両腕を突き上げた。
「いえーい!」
ペトルが跳ねた。
誰からともなく、手が上がった。ぱん、ぱん、と掌を打ち合わせる音が、執務室に響く。少年たちが、互いに肩を叩き合う。
「おい、カナメ!」
マレクが、片手を上げていた。
カナメも、片手を上げた。
ぱんっ、と、いい音がした。
マレクは、打ち合わせた自分の手を見て、それから、なんとも言えない顔をした。さっき、同じ音で負けたのを思い出したらしい。
「……お前の手、ちっせえな」
「うるせえ」
二人とも、笑っていた。
*
クラウスは、机の向こうからその光景を眺めていた。
昼間、カナメの紙袋を狙っていたという少年たちが、今は、カナメと一緒になって執務室で跳ね回っている。
クラウスは、そっとカナメを手招きした。カナメが机の横まで来ると、クラウスは声を潜めた。
「……カナメくん」
「ん?」
「魅了とか、本当に使ってないんだよね?」
「いやだから使えねぇってば」




