第10話:使い魔登録
東の街道筋の商隊護衛は、二人組に回す。北の沼地の薬草採取は、新人の三人組でいい。去年の秋に同じ依頼で怪我人を出しているから、注意書きを一行足しておく。
ヴェラは依頼書に印を押し、決裁箱へ滑らせた。
ギルドの担当職員というのは、外から見るほど華やかな仕事ではない。受付台に座って笑顔で書類を受け取る、それは仕事のほんの端っこだ。依頼が本当に依頼書どおりの中身なのかを調べ、危険度を見積もり、どの冒険者に回すかを決め、終わったら仕事ぶりを評価する。誰に何を任せるかで、ギルドの評判も、冒険者の寿命も変わる。
ヴェラは、この仕事が嫌いではなかった。
とりわけ、担当している冒険者が一段上の仕事をこなせるようになっていくのを見るのは、悪くない。こなせる冒険者が増えれば、ギルドに溜まった厄介な案件が片付く。片付けば、ヴェラの評価も上がる。
誰も損をしない。いい仕事だ。
「ヴェラくん」
向かいの机から、声がかかった。
書類の山の向こうに、猫背の男が埋もれている。部長のクラウスだ。何年着ているのか分からない上着は肘のところが擦り切れて、襟がくたびれていた。
「ルカくんたちは、まだ帰ってきてないのかい?」
「まだですね。予定では今日の昼過ぎです」
「ゴブリンの巣だろう? ちょっと荷が重かったんじゃない? 大丈夫かなぁ」
「大丈夫ですよ」
ヴェラは次の依頼書を手に取りながら答えた。
「そろそろ彼らにも、あのくらいはこなしてもらわないと」
ルカたちのパーティは、結成して一年ほど。ルカの剣は堅実で、ラデクの下調べは丁寧で、エリシュカは若いのに五律まで扱える。小さな失敗はあっても、大きな失敗はしない。ゴブリンの巣ひとつ、そろそろ任せていい頃合いだった。
あれが片付いたら、次は街道沿いの山賊の見回りあたりを回したい。
「とにかく、冒険者は大事にしてね。何かあったら、怒られるのは僕なんだから」
「はい、承知しております」
にこりと笑って、ヴェラは聞き流した。この人の「怒られるのは僕なんだから」は、一日に三回は聞く。
そのとき、執務室の扉が勢いよく開いた。
「部長! ヴェラさん!」
若い職員が、息を切らして飛び込んできた。
「ルカさんたち、戻りました!」
「ああ、よかったぁ」
クラウスが、書類の山の向こうで胸を撫で下ろした。ヴェラも、ほっと息をついた。予定どおりだ。
「それが……」
若い職員は、言いにくそうに口ごもった。
「洞窟で、オークと遭遇したそうで……」
執務室が、静かになった。
ヴェラの手から、依頼書が一枚、ひらりと落ちた。
「はぁ!?」
クラウスと、声が揃った。
*
応接室の卓の上に、麻袋の中身が並べられていた。
黄ばんだ牙が二本。それぞれ、ヴェラの腕ほどの長さがある。布に包まれた肉の塊が、卓の端からはみ出している。そして、拳ほどの大きさの、濁った赤黒い石がひとつ。
魔石だった。
ゴブリンから取れるような、爪の先ほどの欠片ではない。
「……本当に申し訳ない!」
クラウスが、卓に額がつきそうなほど頭を下げていた。
「無事でよかった、本当によかったよ……」
「事前の調査で把握できていなかったこと、ギルドとしてお詫びいたします」
ヴェラも、丁寧に頭を下げた。
頭を下げながら、腹の底では、別のものが煮えていた。
調査部の連中、何を見てきたのだ。
ゴブリンの巣の奥にオーク。それも、魔石がこの大きさの。羊の被害の出方、足跡の数、村の証言。どこかに兆候はあったはずだ。それを見落としたのか、見たうえで書かなかったのか。
いや。まだ分からない。調べてみなければ、本当に兆候がなかったのかもしれない。
分からないが、後で調査部長の机に、この牙を一本置いてきてやろうか。
「素材は、相場で買い取らせてもらうよ。それとは別に、想定外の危険に対する手当も出す。ね、ヴェラくん」
「はい。規程の上限で申請します」
「まあ、いいっすよ」
ルカが、頭を掻きながら言った。
「なんだかんだ、無事でしたし」
「今後は注意してもらいたい」
ラデクは腕を組んだまま、淡々と言った。
「さすがに冷や汗をかいた」
「もう、本当に大変だったんですよー!」
エリシュカが、身を乗り出した。
「洞窟の奥から、ずしーん、ずしーんって! あんなの、聞いてないですから!」
三人とも、ひどい顔色をしているわけではなかった。怪我らしい怪我もない。エリシュカだけ、少し疲れて見える程度だ。
ヴェラは、少しだけ安心した。それから、少しだけ引っかかった。
「詳しい経緯は、別途報告書にまとめてもらえるかな。調査部にも回したいから」
クラウスが、手元の帳面に何か書きつけながら言った。
「ところで、どうやってオークを倒したんだい?」
何気ない調子だった。
筆を走らせたまま、顔も上げずに、クラウスは続けた。
「君たちのマナじゃ、オークはちょっと厳しいだろう?」
ルカの手が、頭の後ろで止まった。
エリシュカが、ぱちりと瞬きをした。ラデクの組んだ腕に、わずかに力が入った。
三人が、顔を見合わせた。
ヴェラは、クラウスの横顔を見た。くたびれた上着の、猫背の、いつもどおりの部長だった。
ルカの剣。エリシュカの五律。ラデクの目と判断。三人とも身体強化は人並みに使えるが、それでオークとの差が埋まるわけではない。この三人でオークを相手にするなら、エリシュカの一撃を当てるしかない。だが、詠唱の間、誰があの巨体を止めておくのか。ラデクが術者を守るなら、前に立てるのはルカ一人だ。正直、厳しい。
この人は、それを分かっていて聞いている。
「皆さん」
ヴェラは、居住まいを正した。
「ここでのお話は、ギルドの守秘義務に則って扱います。それに、今後同じような依頼を調べるうえでも、必要な情報です。説明していただけますか」
三人は、もう一度顔を見合わせた。
ルカが、観念したように、深く息を吐いた。
「……実は」
*
「なんだこれ、うめぇな!!」
食堂に足を踏み入れた途端、その声が耳に飛び込んできた。
昼下がりのギルド食堂は、いつもどおり騒がしかった。依頼帰りの冒険者が酒を飲み、仕事待ちの連中がカードを広げている。その喧騒を突き抜けて、隅の卓から、威勢のいい声が響いていた。
「でっしょー! 女将さん特製のソースがポイントよ!」
給仕のニカが、頭の上の耳をぴんと立てて胸を張っていた。
その向かいに、少女が座っていた。
腰まである黒髪を、首の後ろで無造作に括っている。地味な麻の服。目の前には空になった皿が三枚重なり、手には肉の刺さった串を握っていた。頬に、ソースが一筋ついている。
顔立ちは、ヴェラがこれまで見たどんな女性よりも整っていた。
整っていたが、口いっぱいに肉を頬張っていた。
「あれが、例の……」
エリシュカが、なんとも言えない顔で言った。
「変なサキュバスです」
少女が、こちらに気づいた。串を持ったまま、片手をぶんぶん振る。
「お、ようやく来たか! わりぃ、我慢できんかった!」
ヴェラは、その場に立ち尽くした。
隣のクラウスも、立ち尽くしていた。
サキュバス。男の精気を食らい、人の心を惑わす魔物。都市に紛れ込み、発覚すれば討伐対象になる。ギルドの依頼書で、何度もその名前を見てきた。
それが、ギルドの食堂で、串焼きを食べている。
周りの冒険者たちは、誰も気にしていない。何人かはちらちらと少女を見ているが、それは魔物を見る目ではなかった。
「なんで……」
クラウスが、かすれた声で言った。
「ギルドの食堂で、モンスターが飯を食べてるんだ……?」
ヴェラは、我に返った。
「と、とにかく、応接室に来てください!」
「え、待ってくれよ」
少女は、心底困ったという顔をした。
「これからオルクス芋のフライってのが来るんだ」
「おいおい」
ニカが、少女の肩にぽんと手を置いた。
「食事中のお客を連れていこうってのかい? 部長とはいえ、そりゃ許せないね!」
「いや、ニカくん、結構、こう……緊急事態というかね?」
クラウスは情けない顔で、厨房のほうを振り返った。
「ヘルガさぁん……!」
厨房の奥から、前掛けで手を拭きながら、大柄な女が出てきた。腕の太さは、そこらの冒険者に引けを取らない。食堂の女将、ヘルガだった。
ヘルガは少女とクラウスを見比べて、苦笑した。
「はいはい、わかったよ。そこのべっぴんさん、食事は持ってってやるから、行ってきな」
「お、それならいいか」
少女は、あっさり立ち上がった。
「あと、さっきの甘いやつも頼む。果物の」
「はいよ。代金は、そこの金髪の坊やにつけとくからね」
「俺!?」
ルカが間の抜けた声をあげた。
*
応接室の卓から、オークの牙と肉と魔石が片付けられた。
代わりに、揚げたての芋が山盛りになった皿と、果汁の入った杯が置かれた。
「うまっ。なんだこれ、外カリッカリじゃねえか」
少女――カナメというらしい――は、芋を一本つまんで、はふはふと口の中で転がしていた。
ヴェラは、上着の内側から、細い革紐のついた単眼鏡を取り出した。
魔物の鑑定に使う、携帯用の魔道具だ。レンズ越しに覗けば、相手がどういう種の魔物で、どれほどのマナを抱えているかが分かる。討伐の現場で、目の前の相手が本当に依頼の魔物なのか、手に負える相手なのかを確かめるためのものだった。
「少し、失礼しますね」
「ん? おう」
カナメは芋をくわえたまま、こちらを向いた。
ヴェラは単眼鏡を右目に当てた。
レンズの向こうで、少女の輪郭に重なるように、淡い文字が浮かび上がる。
種別、サキュバス。
間違いではなかった。
続いて、マナの総量。
「……え?」
ヴェラは単眼鏡を目から外し、レンズを袖で拭いた。芋の湯気で曇ったのかもしれない。
もう一度、覗いた。
変わらなかった。
単眼鏡を軽く振って、レンズを吹く。埃が一つもついていないことを確認する。
もう一度、少女に向けた。
やはり、変わらなかった。
「どうしたんだい」
クラウスが、横から手を伸ばした。
ヴェラが黙って単眼鏡を渡すと、クラウスはそれを目に当て、しばらく覗いていた。それから、単眼鏡を下ろして、黙った。
低い。
サキュバスとして低い、という話ではない。登録したばかりの駆け出しの冒険者と比べても、なお低い。人の心を惑わす魔物が、これでどうやって生きているのか分からないくらいに。
マナの総量は、魔物の危険度を測るうえで重要な指標のひとつだ。扱える魔術や身体強化の規模にも関わるため、おおよその脅威を推し量ることができる。
もっとも、実際の強さはそれだけで決まるものではないが。
だが、単眼鏡に見えるのはそこまでだった。このマナの量で、この少女がどうやってオークの前に立ったのか、サキュバスだというのに、何を考えてここで芋を食べているのか、そういうことは、レンズのどこにも浮かんでこない。
ヴェラは、クラウスから単眼鏡を受け取って、少女を見た。
少女は、二本目の芋に手を伸ばしていた。
「……なんなの、君?」
クラウスが、困り果てた声で言った。
「カナメっていうんだ。よろしくな」
カナメは、芋をくわえたまま答えた。
「サキュバスだ。そっちは誰だい?」
「ああ……クラウスという。冒険者ギルドの職員だね」
「おー、そうか! ちょうどよかった。俺も冒険者として働きたいんだ! どうしたらいい?」
「えぇ……」
クラウスが、天井を仰いだ。
ヴェラも、何を言えばいいのか分からなかった。
サキュバスは、男の精気を食って生きる。わざわざ働く必要などない。人間の町に紛れ込むのは、狩りのためだ。それが、なぜ冒険者として働きたがるのか。
「ま、まあ」
ルカが、居心地悪そうに口を挟んだ。
「今回同行しましたけど……悪いやつじゃないみたいですよ」
ヴェラは、ルカの顔をじっと見た。
目は濁っていない。受け答えもおかしくない。それでも、相手はサキュバスだ。
「ルカさん。魅了されていませんか?」
「定期的に防護してます!」
答えたのは、エリシュカだった。即答だった。
「ギルドの裏でかけて、洞窟の前でかけ直して、さっきもかけました!」
それなら、少なくとも三人の判断は本人たちのものだろう。
とはいえ、問題はそこではない。
ヴェラは頭の中で、規程を一から順にめくった。ギルドへの登録は、人間に限る、とどこかに明記されていただろうか。いや、明記されていなかったとしても、魔物を冒険者として登録した前例など聞いたことがない。仮に登録したとして、何か起きたときに誰が責任を取るのか。依頼主にどう説明するのか。
「オーク討伐の、第一功でもあります」
ラデクが、静かに言った。
「使えるなら、使った方がいいんじゃないですか」
「モンスターなのに?」
ヴェラとクラウスの声が、また揃った。
その横で、カナメは小皿に添えられていたソースに、芋の先をちょんと浸していた。
「お、これうめぇな。味変いいじゃん」
「あじへん……?」
ヴェラは思わず聞き返した。誰も答えなかった。
真剣に、ギルドとしての対応を考えている。サキュバスという魔物を、どう扱うべきか。
その目の前で、魔物が芋を食べて喜んでいる。
ヴェラは、こめかみを押さえた。考えているのが、だんだん馬鹿らしくなってくる。
なってくるが、相手がサキュバスであることに変わりはない。
*
「つまり、だ」
クラウスが、帳面を閉じた。
「この子は、今のところ誰にも危害を加えていない。君たちは、同行を認めた。そして、オーク討伐では、むしろ君たちを助けた。そういうことだね?」
「……はい」
ルカが頷いた。ラデクも頷いた。エリシュカは、渋々という顔で、小さく頷いた。
「まあ、君たちがそう言うならいいか……」
「えっ、部長!?」
ヴェラは思わず腰を浮かせた。
「モンスターですよ!?」
「人襲ったりなんかしないって」
カナメが、芋を飲み込んでから言った。
「な?」
隣のエリシュカに、同意を求めた。
「私に振らないでよ! 知らないわよ!」
「冷てえなあ」
「冷たくない! 当然の反応!」
クラウスは、言い合う二人を眺めながら、顎を撫でていた。
「とはいえ、普通の冒険者として登録するわけにもいかないし……」
それから、ぽん、と手を叩いた。
「あー、ほら。使い魔登録ってあるでしょ」
ヴェラは、一瞬何のことか分からなかった。
少し考えて、思い出した。冒険者が使役する魔物を、ギルドに届け出ておく制度だ。何か問題を起こしたときに、誰が責任を負うのかをはっきりさせておくための。
「ああ……」
ヴェラは、半ば呆れて、半ば感心して、クラウスを見た。
「よく覚えてますね。魔物使いなんて、昨今珍しいのに」
「昔は結構いたんだよ。届け出の書式、まだ書庫に残ってるはずだから」
クラウスは、のんびりと言った。
「ルカくんたちのパーティの使い魔として、この子を登録しておけばいい。何かあったら、まず君たちが対処する。手に負えなければ、ギルドに言ってくれればいい。ギルドも、知らなかったことにはしないから」
「それって、要するに」
ヴェラは、言葉を選んだ。
「書類上だけの話ですよね……」
何も解決してないのでは、という言葉はかろうじて呑み込んだ。
「そうそう」
クラウスは、悪びれもせずに頷いた。
「別に、本当に主従の契約を結ぶわけじゃない。この子を誰かの持ち物にするわけでもない。知ってしまった以上、ギルドとして何もしないわけにはいかないからね。何かあったときに、怒られるのは僕だからさ」
結局そこか、とヴェラは思った。
思ったが、反論が思いつかなかった。
討伐する理由はない。冒険者としては登録できない。かといって、見なかったことにはできない。それなら、とりあえず誰が面倒を見るのかを決めて、紙にしておく。
いい加減だ。
いい加減だが、今日中に片付けられる答えは、たぶんこれしかない。
「……分かりました。書式、探してきます」
*
「じゃあ、登録上の管理者だけど」
クラウスが、ルカを見た。
「リーダーのルカくんで――」
「ちょっと待ってよ!」
エリシュカが、勢いよく立ち上がった。
「ルカがこの子の主人になるの!?」
「いや、主人って……」
ルカが、困惑した顔でエリシュカを見上げた。
「書類上の話だろ?」
「書類上でもダメ!」
「なんでだよ」
「なんでって……! なんでもよ!」
エリシュカの顔が、少し赤かった。ルカは本気で分からないという顔をしていた。
ラデクが、小さくため息をついた。
「だったら、エリシュカでいいんじゃないか」
「……は?」
「魔術師だし、使い魔の管理者としても自然だ。届け出の上でも、そっちのほうが通りがいいだろう」
「はあ!? なんで私なのよ!」
「おお、それなら問題ないね」
クラウスが、ほっとしたように頷いた。
「魔術師が使い魔を登録するのは、一番よくある形だからね。書類の通りもいい」
「確かに、審査で引っかかる点は少なくなりますね」
ヴェラは、書式を思い浮かべながら頷いた。実務の話としては、そのとおりだった。
「それに、エリシュカなら防護の魔術も使えるしな」
ルカまで、納得したように頷いていた。
「ちょっと、ルカ!?」
「いや、だって、そのほうが安全だろ」
「そういう問題じゃなくて!」
エリシュカが、ルカとラデクとクラウスとヴェラを、順番に睨んだ。誰も目を合わせなかった。
ヴェラは、書庫から持ってきた届け出の用紙を卓に広げ、管理者の欄にペンを向けた。
「では、管理者はエリシュカさんで。こちらに署名をお願いします」
「まだいいって言ってない!」
「お名前の綴りは、こちらで合っていますか?」
「合ってるけど! そういうことじゃなくて!」
「いやぁ、よかったよかった」
クラウスが、背もたれに体を預けて、心底安心したように息を吐いた。
「これで、怒られずに済む」
カナメは、最後の一本の芋を口に放り込み、果汁の杯を空にしてから、ようやく顔を上げた。
「お、話まとまったのか?」
「まとまってない!」
「そっか。じゃあ、よろしくな、エリシュカ」
「よろしくしない!」
こうしてカナメは、エリシュカの使い魔、ということになった。




