第2-13話 スライム発見
「迅、ちょっと遅すぎるっす!」
村を出てしばらく。とうとう我慢できなくなったらしいリコが、突然立ち止まった。
「もう一回、私がおぶるっす!」
なぜか少し怒り気味に宣言する。
「いや、別にそこまで急がなくても――」
「水がないと、村のみんなが困るんすよね?」
「それはそうだが……」
「じゃあ決まりっす!」
リコは迅に背中を向け、その場にしゃがみ込んだ。
迅は腕を組み、しばらく悩む素振りを見せる。
「……仕方ないな」
渋々。本当に仕方なく、やむを得ず。
迅はリコの背中へ身体を預けた。
もちろん、内心ではそれほど嫌ではない。むしろ昨夜一度経験しているので、抵抗感はかなり薄れていた。
「しょうがない。村人のためだからな」
「なんで二回言うんすか?」
「気にするな」
どうやら迅は、案外演技派らしい。
「ちゃんと掴まったっすか?」
「ああ」
「じゃあ、いくっすよー!」
「おう――」
直後、リコが地面を蹴った。
「って、速っ!」
青白い雷光が脚を包み、景色が一気に後方へ流れていく。木々も、草原も、岩も、次々と視界の外へ吹き飛んでいった。
昨夜も体験したが、やはり慣れるものではない。
「お前、本当に速いな!」
「まだ余裕っすよー!」
「これ以上出すな!」
「了解っす!」
返事だけは素直だった。もっとも、速度が落ちたようには感じられない。
そうして、迅の感覚ではほんのわずかな時間しか経っていない頃だった。
「着いたっす!」
「……もう?」
リコが足を止めた。
迅はその背中から降りながら、来た方向を振り返る。すでに村の姿は見えなくなっていた。
「お前の足だと、本当に一瞬だな……」
「近いっすよ?」
「お前基準ではな」
迅は周囲を見回した。
確かに普通の村人が荷物を持って歩くとなれば、それなりの距離だろう。毎日の飲み水をここから運ぶと考えれば、かなりの負担になる。
「村の人間が普段使わない理由は分かった」
「私は散歩がてら、時々来てたっすけどねー」
「それ、散歩って距離じゃないだろ」
「そうっすか?」
リコは不思議そうに首を傾げた。
「前に来た時は、ここの水、美味しかったっすよ」
「ほう」
迅は改めて湖へ目を向けた。
森に囲まれた窪地。その中心に、ひっそりと水を湛えた湖が広がっている。
川から流れ込むような大きな水路は見当たらなかった。
「地下水が湧いてるのか……?」
森に降った雨が地中へ染み込み、地下を通ってこの窪地へ湧き出している。そんな構造なのかもしれない。
水面は穏やかで、朝の光を反射してきらきらと輝いていた。底までは見えないものの、目立った濁りもなく、腐ったような臭いもしない。周囲には青々とした草木が茂り、小鳥の声まで聞こえてくる。
少なくとも――。
「見た目は綺麗だな」
川の水より、ずっと安全そうに見える。
だが、迅はすぐにその考えを打ち消した。
「……まあ、見ただけじゃ何も分からないけどな」
鉛だって目には見えない。
透明な水だから安全。美味しいから安全。そんな単純な話なら、分析化学など必要ない。
迅は湖へ歩き始めた。
まずは水を採取する。臭いや色、周辺環境を確認し、可能なら水温や地質も調べたい。そして研究棟へ持ち帰って分析するつもりだった。
「あ、迅」
「ん?」
「湖に近づくなら、気をつけた方がいいっすよ」
「何を?」
「ここ、いっぱい――」
リコが何かを言いかけた、その瞬間だった。
ガサッ!
迅の横にあった草むらが大きく揺れた。
「ん?」
何だ。
そう思って振り向いた瞬間、何かが飛んできた。
「――っ!?」
半透明の塊だった。
拳より一回り大きい程度の、ぷるぷると震える何かが、一直線に迅の顔へ向かってくる。
べちゃっ!
「うわっ!?」
顔面に張り付いた。
冷たい。柔らかい。そして、前が見えない。
「な、なんだこれ!? お、おい! 取れ! リコ、取ってくれ!」
「だから言ったじゃないっすか!」
「まだ何も聞いてねえよ!」
「ほら、じっとするっす!」
リコが迅の顔へ手を伸ばした。
むにっ。
そして、引っ張る。
びよーん。
「伸びてる! なんか伸びてるぞ!」
「暴れないでくださいっす!」
「顔に謎の生物が張り付いてて、落ち着けるか!」
「もうちょっとっす!」
ぺりっ。
ようやく顔から剥がれた。
「ぷはっ!」
迅は大きく息を吸った。
「なんなんだ、こいつ……」
リコの両手の中で、それはぷるぷると震えていた。
半透明で、丸いとも四角いとも言えない不定形の身体。内部には小さな核のようなものが浮かび、目らしいものも口らしいものも、ほとんど見当たらない。
それなのに、確かに動いていた。
「……生き物?」
「そうっすよ」
リコは当たり前のように答えた。
そして――。
「スライムっす」
「…………」
迅は硬直した。
もう一度、その生物へ目を向ける。
ぷるん。
スライムが震えた。
「……スライム」
「スライムっす」
「これが?」
「これがっす」
ぷるん。
「…………」
ゲームや漫画なら何度も見たことがある。
異世界、魔法、獣人。ここまで来たのだから、スライムがいても不思議ではない。
だが、実物を目の前にすると話は別だった。
「……本当にいるのかよ」
迅は思わず呟いた。
その時だった。
ガサガサッ。
「ん?」
再び草むらが揺れた。
今度は一か所ではない。
右、左、後ろ。そして湖の周囲。至るところから音が聞こえてくる。
「リコ」
「はいっす」
「さっき『いっぱい』って言いかけてたよな?」
「言ったっすね」
「何がいっぱいなんだ?」
リコは満面の笑みで答えた。
「スライムっす!」
ガサガサガサガサッ!
「先に言えぇぇぇぇ!」
森の中から、次々と半透明の塊が飛び出してきた。




