第2-14話 ぷるん。ぷるるん
「うわあああああっ!」
迅は全力で走った。
湖の周囲に生い茂る草むらから、半透明の塊が次々と飛び出してくる。右から一匹、左から二匹、そして前から三匹。
「多い! 多すぎるだろ!」
ぷるん。ぷるるん。
スライムたちは地面を跳ねながら、迅を追いかけてきた。
一匹ならまだ可愛げもあった。だが、十匹、二十匹、それ以上となれば話は別だ。
「リコ! なんとかしろ!」
「えー?」
悲鳴を上げながら逃げ回る迅とは対照的に、リコはその場からほとんど動いていなかった。むしろ不思議そうに首を傾げている。
「そんなに逃げなくても大丈夫っすよ?」
「顔面に張り付かれたんだぞ!」
「スライムは別に悪いことしないっすよ」
「すでにしてる!」
そこへ、また一匹飛んできた。
「うおっ!」
迅が咄嗟に頭を下げると、スライムはそのまま頭上を通過し、背後の草むらへ落ちていった。
リコがため息を吐く。
「しょうがないっすねー」
そう言って右手を上げた。
「スライムは私と相性いいんす!」
「相性?」
ぱちっ。
リコの指先で青白い光が弾けた。
次の瞬間――。
バチバチバチッ!
電撃が地面を走った。
「うおっ!?」
青白い雷光が枝分かれしながら、スライムの群れへ広がっていく。
ぷるっ。ぷるるっ。
直後、飛び跳ねていたスライムたちが一斉に動きを止めた。
「…………」
数匹が小さく震えている。
やがて一匹が、迅たちとは反対方向へ跳ねた。すると、それを合図にしたように残りのスライムたちも一斉に逃げ始めた。
ぷるん、ぷるるんと身体を弾ませながら、草むらの中へ、木々の隙間へ、湖のほとりへ。
先ほどまで迅を追い回していた大群が、あっという間に姿を消した。
「どうっすか! すごいっしょ!」
リコが得意げに胸を張った。
「あ、ああ……すごいな……」
迅は若干引きながら頷いた。
リコの尻尾がぶんぶんと揺れている。明らかに褒めてもらうのを待っていた。
「雷魔法って、こんな使い方もできるんだな」
「スライムには特に効くっす!」
「へえ……」
迅は足元へ視線を落とした。
一匹だけ逃げ遅れた小さなスライムが、草の陰でぷるぷると震えていた。
「…………」
迅は近くに落ちていた枝を拾い、スライムを軽く突いてみた。
つん。
ぷるん。
「おお……」
もう一度。
つん。
ぷるん。
「……面白いな」
「迅、何してるんすか?」
「いや、こういう生き物が本当にいるんだなと思って」
迅はしゃがみ込み、スライムを間近で観察した。
「いますよ?」
リコは当然のように答えた。
「このスライム、毒はないんだな?」
「ないっす!」
「噛んだりは?」
「口ないっすよ?」
「……確かに」
改めて見ると、半透明の身体は一定の形を持たず、動くたびに表面が揺れていた。内部には小さな石のようなものが浮かんでいる。
迅の研究者としての好奇心が刺激された。
「どういう生態なんだ……」
「せいたい?」
「身体がどういう仕組みで動いてるのかってことだ」
「あー……ぷるぷるしてるっす!」
「見れば分かる」
「あと、ぴょんぴょんするっす!」
「それも見れば分かる」
「たまに顔に飛んでくるっす!」
「それは身をもって知った」
役に立たない。
迅はため息を吐いた。
「基本的には無害なのか?」
「そうっすねー。近くを通ると飛びかかってくることはあるっすけど」
「十分迷惑だろ」
「でも、怪我することはほとんどないっすよ」
「なるほどな……」
迅はもう一度スライムへ目を向けた。
いるんだな、スライム。
異世界に来たという実感が、今さら少しだけ増した気がした。
「なあ、リコ」
「なんすか?」
「この世界には、スライムみたいなモンスターって色々いるのか?」
「モンスター?」
リコが首を傾げた。
「……なんすか、それ?」
「え?」
「モンスターって?」
「いや……こういう、人間とは違う変な生き物というか」
「それなら色々いるっすよ?」
「やっぱりモンスターじゃないか」
「だから、そのモンスターっていうのがよく分からないっす」
「…………」
迅は少し考え込んだ。
そうか。
迅にとってスライムは、ゲームや物語に登場する『モンスター』だ。人間や動物とは別の存在であり、討伐される側。そんな先入観があった。
しかし、この世界の住人にとっては違う。
スライムも、獣も、鳥も、ただこの世界に生息している生き物の一つなのだ。
「なるほどな……」
「何がっすか?」
「いや、俺の世界の常識を、そのまま当てはめちゃ駄目だと思ってな」
「?」
リコは不思議そうに首を傾げていた。
迅は立ち上がる。
スライムの生態、あの半透明の身体、体内にある石のようなもの。どうやって栄養を取り、どうやって増えるのか。気になることはいくらでもあった。
研究者としては、捕まえて持ち帰りたいところだ。
だが――。
「まあ、それは後だな」
ここへ来た目的を忘れてはいけない。まずは村の水源確保だ。
「リコ」
「はいっす!」
「助かった。ありがとう」
「どういたしましてっす!」
リコが満面の笑みを浮かべ、白銀の尻尾が嬉しそうに左右へ揺れた。
感情が全部尻尾に出ている。分かりやすい奴だ。
「ところで迅」
「ん?」
「この湖の水が安全かどうかって、どうやって調べるんすか?」
リコが湖へ目を向けた。
「アイシーピーは持ってこられなかったじゃないっすか」
「ほう」
「なんすか?」
「ちゃんと覚えてたんだな」
「馬鹿にしてるっすね!?」
「してないしてない」
「絶対してるっす!」
迅は笑いながら、背負ってきた鞄を地面へ置いた。
「確かに、ICPほど色々な元素をまとめて調べることはできない」
研究棟にあるICP発光分光分析装置。あれを持ち運ぶなど不可能だ。
電源もガスも必要だし、そもそも巨大すぎる。
「でもな。研究者っていうのは、研究室の中だけで仕事するわけじゃないんだ」
「おお……?」
「川とか湖とか、現場で水を調べることだってある」
リコが目を輝かせた。
「ちっちゃいアイシーピーっすか!?」
「違う」
「アイシーピーの子供とか?」
「違う。いいからちょっと待ってろ」
そう言いながら、迅は鞄の中から小さな機器を取り出した。




