第2-12話 新たな問題
治療が一段落した頃だった。
「賢者殿」
声をかけられ、迅は振り返った。
そこには村長が立っており、その後ろには何人かの村人たちもいる。皆、どこか気まずそうな顔をしていた。
「この度は……村を救ってくださり、ありがとうございました」
村長が深く頭を下げた。
「まだ助かったと決まったわけじゃない。治療した子供たちも、しばらく様子を見る必要がある」
「それでもです。賢者殿が来てくださらなければ、我々は今もあの川の水を飲み続けていたでしょう」
村長は頭を上げると、今度は迅の隣へ視線を向けた。
「そして……リコ」
「……なんすか?」
「お前のことも、疑って悪かった。川の水がおかしいと何度も言っていたのに、私たちは聞く耳を持たなかった」
リコの狐耳がぴくりと動いた。
「嘘つきなどと言って、本当にすまなかった」
村長が再び頭を下げる。
リコは少し驚いたような顔をした後、小さく笑った。
「……いいっすよ」
いつもの明るい笑顔だった。
けれど、迅は気づいた。尻尾が動いていない。
普段なら嬉しいときには分かりやすいほど左右へ振られる白銀の尻尾が、今日は静かに垂れていた。
当然だろう。謝られたからといって、傷つけられたことまで消えるわけではない。
迅は何も言わなかった。それはリコと村人たちの問題であり、自分が口を挟むことではない。
すると村長が、今度は不安そうな表情を浮かべた。
「しかし賢者殿……一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「なんだ?」
「どうして川に毒が混ざったのでしょう。以前は、普通に飲めていた川なのです」
迅も表情を引き締めた。
村長は村の向こうへ視線を向け、言葉を続ける。
「あの川の水がなければ、我々は暮らしていけません。飲み水だけではない。料理にも、畑にも、家畜にも使っております」
その言葉に、村人たちからも不安そうな声が上がった。
「川が使えないんじゃ……」
「どうやって暮らせばいいんだ」
「子供に飲ませる水だってないぞ」
迅は顎に手を当てた。
「川から見つかった毒の正体は鉛だ」
「なまり……?」
「金属の一種だ。少量を取り込んだからといって、必ずすぐに症状が出るわけじゃない。だが、今回検出された濃度は異常だった」
ただし、まだ分からないことがある。
「どうして大量の鉛が川に混ざったのかは、これから調べる必要がある」
そのときだった。
「あっ!」
リコが勢いよく手を挙げた。
「私、思い当たることあるっす!」
「何だ?」
「上流の鉱山っす!」
「鉱山?」
「川をずーっと上っていったところにあるっすよ!」
村長も頷いた。
「確かにありますな。この辺りでは大きな鉱山です」
「最近、人族がいっぱい出入りしてるっす!」
「ああ。採掘量を増やすという話は聞いております。以前より、ずっと多くの人間が出入りするようになりました」
「ほう……」
迅は考え込んだ。
鉱山と金属汚染。関連性としては十分にあり得る。
採掘によって鉛を含む鉱石や土壌が露出し、そこから川へ溶け出したのかもしれない。あるいは選鉱時に発生する廃水や、堆積した鉱滓が原因とも考えられる。
だが、それだけで判断するわけにはいかない。
「その鉱山は、最近できたのか?」
「いや」
村長が首を振った。
「私が若い頃には、もうありましたな」
「私が小さい頃にもあったっす!」
「そうか……」
迅は眉を寄せた。
鉱山そのものは昔から存在しており、村人の話では、川の異変が現れたのは最近になってからだ。
ならば単純に、鉱山があるから鉱山が原因だ、とは言えない。
もちろん、最近になって採掘量を増やしたという話は気になる。
新しい坑道を掘ったのか。今までとは違う地層に到達したのか。それとも、廃水処理が追いつかなくなったのか。
大量の鉱石を掘り出したことで、それまで地下にあった鉛が川へ流れ込むようになった可能性もある。
考えられる原因はいくつもあった。
「まだ証拠がないな」
「鉱山じゃないんすか?」
「怪しいとは思う。でも、怪しいってだけで犯人扱いするのは化学じゃない」
「化学……」
「実際に現地を調べてから判断したい」
「なるほどっす!」
リコが元気よく頷いた。
迅は村人たちへ視線を戻す。
「とはいえ、原因調査より先にやることがある」
「何でしょう?」
「水源の確保だ。原因が分かったところで、水がなければ今日から生活できないだろ。どこか心当たりはないか?」
村長はしばらく考え込んだ。
「少し遠くなりますが……」
「あるのか?」
「川とは反対の方角に湖があります」
「湖?」
「ええ。この村から歩けば、それなりにかかりますが」
迅はすぐに尋ねた。
「村人が使うことは?」
「ほとんどありません。川の方がずっと近いので」
「なるほど」
「ただ……その湖の水まで安全かどうかは、私には……」
村長が不安そうに言う。
「それを調べる」
「え?」
「川と同じだ。見た目が綺麗だからって、安全とは限らない」
水が澄んでいる。臭わない。味もおかしくない。
そんなものは安全の証明にはならない。鉛のように、目では見えない危険はいくらでもある。
「俺が湖を見に行く」
「だったら!」
リコが勢いよく手を挙げた。さっきまで寝ていたとは思えない元気さだった。
「私、案内できるっすよ!」
「もう大丈夫なのか?」
「寝たから元気いっぱいっす!」
「回復早すぎないか?」
「よく食べて、よく寝れば元気になるっす!」
「まだ何も食ってないだろ」
「……そうだったっす」
ぐぅぅぅぅ。
狙ったかのようなタイミングで、リコの腹が鳴った。
「…………」
「…………」
「先に飯食うか?」
「それは非常に名案っす!」
迅はため息を吐いた。この緊張感のなさは、もはや才能かもしれない。
簡単な食事を済ませた後、迅は最低限の道具をバッグへ詰め込んだ。新しい水源の確保を見越し、研究棟から持ってきたものがある。
「よし、行くか」
「はいっす! 湖はこっちっすよ!」
「分かった」
「じゃあ早速、出発するっす!」
「おう――って、おい!」
突然、リコが迅の手を掴んだ。そのまま勢いよく走り出す。
「待て待て待て!」
「急ぐっすー!」
「お前基準で走るな!」
迅は引きずられるように駆け出した。
そして、慌てて後ろを振り返る。
「村長!」
「は、はい!」
「俺が戻るまで、絶対に川の水を飲むな!」
「承知しました!」
「料理にも使うなよ!」
「分かりました!」
村長が大きく頷いた。
それを確認した直後――。
「迅、もっと速く走るっす!」
「無茶言うな!」
「湖までそんなに遠くないっすよ!」
「お前の距離感は信用できないんだよ!」
朝の村に二人の声が響いた。
そのまま迅は、リコに手を引かれながら村を離れていった。
目指すのは、新しい水源。
村人たちが生きていくための水。
そして、迅はまだ知らなかった。
その湖で、この世界の常識を覆す奇妙な生物と出会うことになるとは。




