第52話
5日連日更新4日目です。
『お出で、セラ』
ああ、ご主人様からの合図だ。彼を殺しに行かなければ。
「セラ……」
彼が私を見る。宝石みたいに澄んだ青緑の瞳で。そして、その顔を歪ませる。ひどく傷ついたように。
「……これは一体……。何をした、答えろ」
怒りを込めた視線でご主人様に問いかける。ああ、やはり、この人が悪い魔術師なんだ。
ご主人様は笑ってる。まだ大丈夫。ご主人様は余裕があるようだ。
「可愛いだろ? 僕の一番新しいお人形だよ」
ご主人様が寄ってきて私の髪を掬う。そしてその髪に口付けを落とした。
途端に、黒髪の魔術師が苦痛に満ちた表情になった。
――
魔術師の表情が歪むのを見てご主人様が上機嫌な笑い声をあげた。
「この子は【光属性】だろう? 【光】がどこまで【闇】に耐えられるかの実験をしてみたんだけど、意外と抵抗が強くて。”自我を歪めて従わせる”のがどうしても上手くいかなくて、そうしたら自我が薄っぺらのぺらぺらになっちゃったんだ。そのままだと動かないままで面白くないから、途中から【催眠】で暗示を与えてる。今のこの子には何を言っても無駄だよ。だって、考える自我を失ってるから。まあ、端的にいうと”壊れちゃった”ってことかな」
ご主人様がとても楽しそうだ。何がそんなに楽しいのだろうか。
鋭い目でご主人様を見ていた黒髪の魔術師がいきなり近寄ったと思うと、銀色に輝く短剣を閃かせた。私の側に控えていたメイドが彼とご主人の間に入る。その剣先はメイドの腕をかすめ、飛び散った血の一滴が私の頬にぴしゃりとかかった。
――
黒髪の魔術師が怯んで動きが止まる。間を置かずメイドに両脇から拘束された。
「おやおや、だめだね、フィリス。この子に悲鳴を上げさせるなんて。この子、血とか傷とかに弱いんだろう? しかもしっかり心因的な障害になってるって話じゃないか。もっと壊れちゃうよ」「……セラが……トラウマ?」
「あれ? 知らないの? 君、この子の事好きだったんじゃないの? この子も君の事信頼してたんじゃない? もしかして、本当は嫌われてたり? おかしいね、君たち」
「……黙れ」
「まあ、良いよ別に興味ないし。じゃあ、僕の番だね。『僕の可愛いセラ。僕の敵を、僕の弟フィリスを僕の代わりに殺して』」
私は頷く。
「はい、ご主人様」
メイドに短剣を渡された。それをしっかり両手で握り、黒髪の魔術師の前に進み出る。ゆっくりと慎重に近寄る。
「セラ」
彼が何か言っている。
「セラ、僕だよ。分からない?」
彼の声が今にも泣き出しそうに震えてる。
彼の前に来た。青緑の瞳が私を悲しそうに見下ろしてる。
私はナイフをゆっくり突き出した。
ナイフが彼に届く寸前。彼が囁いた。
「……好きだよ、セラ」
――アーシュ。
そうだ、私はセラフィカ・アズリ。フロワサールの森番の娘。
大好きな兄がいて、大好きな友達がいる。
ずっと好きな人の側にいたいと願ってる。
「……アー……シュ」
彼が目を見張る。
「アーシュ」
怖いの。怖かったの……貴方を殺すなんていやだ。貴方を失うなんていや。助けて。
「……だいすき……」
貴方を傷つけるなら、貴方が傷つけられるなら……私が死んだ方がいい……。
◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
「……アー……シュ」
もう駄目か、諦めかけたその時に奇跡が起きた。
「アーシュ。……だいすき……」
セラはアーシュリートを認識した。自分で攻撃を止め、彼を見て微笑んだ。そして糸の切れた人形のように彼の目の前で崩れ落ちる
「セラ?」
奇跡は二度は起きない。セラは瞳を固く閉じたまま、何の反応もない。
「ああ、フィリス。可哀想に。君の一言がこの子の心を壊しちゃったね」
ライル・ストラトスが冷笑する。
「何を……」
「僕は当事者じゃないから憶測でしかないけど、君の呼びかけで起きた自我の残骸と僕の命令が反発して、傷つけあって壊れちゃったんだろう」
「……」
「上手いこと糸一本で繋がってた心の均衡を、君は元に戻って欲しい一心で無理矢理壊したんだ。悪いのは君だよ、フィリス」
「……嘘だ」
「多分、もう元には戻らないよ。気の毒に、君と関わらなければこの子はごく普通に暮らしていけたのに……」
「黙れ!」
両腕に魔力を込めて、力任せに振り切る。
そのまま、勢いに任せてライル・ストラトスに突っ込んで行った。予測していたのか、大ぶりの拳をライス・ストラトスは笑いながら躱した。
「おっと、危ない。駄目だよ、フィリス。君は”魔術師”だろう。こんな乱暴な体術で僕を殺そうなんて。魔術師なら魔術師らしく、魔術の勝負をしようじゃないか。ああ、そうだった、この城は僕しか魔術を使えないんだった……ごめんね、フィリス。どうやらどうやっても君に勝ち目はなさそうだ」
整った顔立ちに嗜虐の色を浮かべてる。
反吐が出た。
「なんだ、その顔。そうか、まだ諦めないのか、仕方がないなぁ」
ライル・ストラトスが小さく詠唱を唱えた。
彼の影が怪しく蠢き、傍らにいる数人のメイドを取り込み魔力を吸い尽くし放出した。影は蠢き分裂と統合を繰り返し、増殖する。やがて、人とも幽鬼ともつかぬ怪しい化物が数百、姿を現した。
【影の奉仕者】。
生きた人間の魔力と生命力を生贄に、影を”下僕”を作り変える禁術だ。贄となった人間の生命力は二度と元には戻らない。そして、生命力の尽きた人間は取り込まれて死ぬ。
その影の化物がこんなにも数多く居ると言うことは。
兄は人殺しだ。
「どうしたの、フィリス。怖いかな? 君には使えない魔術だからね。天才児と言われても、君は普通の魔術しか使えないただの魔術師だからね。僕みたいな”禁術使い”を見たことないんだろうね」
「……」
「怖くて声も出ないのか?」
アーシュリートは待っていた。
今まで反撃を最小限で抑えていたのは、機を伺っていたからだ。
耳を澄ます。小さな羽ばたきが聞こえる。
青い小鳥は一直線に主人に向かって飛んでくる。
ピィーー。
影の化物の隙間を縫い、懸命に主人にたどり着き、胸の上に舞い降りた。降りたと同時に薄い光の幕が小鳥の主人を覆っていく。
「なんだ、その小鳥は……」
アーシュリートが叫んだ。
「【再始動】」
城内の空気が変わった。
アーシュリートは術式を展開する。
氷魔術【氷霧】。アレンジで通電性の高い液体を結晶させた氷の霧を、城中にあまねく張り詰める。
少し遅れて、雷魔術【神雷槌】。神の豪雷を再現する雷の最上位魔術を制御しうる最大限の魔力で展開する。
二つの魔術は入り混じり複合して、轟音と轟かせ空間を引き裂き、数百数千の影の番人を打ち倒していく。
「な、なんだ……これは……」
咄嗟に影で雷撃を防御した。その惨状にライル・ストラトスは驚愕のあまり目を見開いた。影の下僕は無惨に引き裂かれ焼け焦げ灰と化していた。
「あなたの言うとおり僕は天才じゃない。ごく普通の二属性並行展開が限界だ」
「並行展開? そんな、そんな……常識外れな……魔術が」
「あるんだよ。貴方が知らないだけで」
「まさか……禁術以上の術なんて……。まやかしだ! そ、それにここは僕しか魔術が使えないはずだ」
「それ? 書き換えた」
「か、書き換え?」
アーシュリートは特別な才能がある魔術師ではない。師匠やエリーなどの非凡な魔術師に比べると魔力が大きいだけの普通の魔術師だ。だから、二人に付いて行くためにずっと努力を重ねてきた。修行を重ねて、やっと並行展開を覚えた。
その普通の魔術師の彼が唯一、二人に誇れる特技が”魔法陣への干渉と書き換え”だ。
この部屋に来る前に、アーシュリートは防御魔法陣の主石を探り当て、【書換】した。その術式は合図により、魔法陣の効力を反転させる。
つまり、この城の術者限定で魔術が使用可能という条件を反転させ、限定した術者以外が魔術を使用可能ということに。この城に居る限り、今までとは逆にライル・ストラトスはもう魔術を使用出来ない。
「そんな、そんな魔術が……」
禁術こそ全ての魔術の上位に存在する、と捉えていたライル・ストラトスは、想像したこともない魔術に無惨にも打ちのめされ立ち上がれない。
いっそ哀れを誘うほどの憔悴を見てなお、アーシュリートの怒りは収まらなかった。
右手に【氷剣】を展開させる。
彼の怒気に気づいたライル・ストラトスは、小さく悲鳴を上げつつジリジリと後ずさった。
「逃げるな」
「…………」
あれ程饒舌だった男が今は言葉をなくして狼狽えている。
アーシュリートは冷笑を浮かべた。
ゆっくりと近寄る。
彼等の距離がほぼなくなった。
氷の剣を振りかぶる。
「さよなら、兄上」
「……あーしゅ……だめ」
セラの声が聞こえた。
――嘘だ。
振り返る。セラがこちらを見ていた。その瞳に意思がある。アーシュリートは歓喜した。
「……せ、セラ?」
「ころ、し、ちゃだめ」
口が回らないのか途切れ途切れの言葉。
「……どうして? 駄目なの、セラ」
「……あーしゅ、きずつく、よ。おにいさん、まだ、すき」
どうして? どうして分かるのかな……。
ずっと気付かないふりをしていたのに。
僕がどうしても兄を嫌いになれないことを。
「あーしゅ、やめて」
知らない間に【氷剣】の術式が解けた。
セラがアーシュに手を伸ばす。
その手を取ろうとして躊躇った。
さっきまで激情で人を屠ろうとしていた手だ。
城に入って何人も怪我させてきた手だ。
そんなに沢山の人を傷つけた手で、彼女に触れてもいいのか……。
迷って動かないその手に、セラの指先が触れた。
「だいじょうぶ、だよ」
「セラ……セラ……」
セラを抱き上げ抱きしめた。そのまま【転移】を展開して、飛んだ。
*****
「ここは……」
彼は周りを見回した。
転移陣を展開したまでは覚えている。でも終点を意識していなかった。失敗せずにこれたという事は、彼にとって尤も強い印象を持った場所ということになる。
僅かに傾斜がある緑の野原が広がっていた。ずっと先には鬱蒼とし森の木々の闇。眼下には懐かしいフロワサールの館が見える。
「フロワサールの丘……か」
――そうか、僕が一番帰ってきたかった場所はここなのか……。
彼は一人納得した。
この場所には、忘れられない優しい思い出が沢山ある。
セラを抱きしめたまま、アーシュリートは草の上に腰をおろした。セラは再び深い眠りに付いている。
目覚めの時をただ待ち続けた。
稜線の向こう側がほのかに明るくなっている。夜明けが近い。
アーシュリートの腕の中でセラが身動ぎした。
「アーシュ?」
「セラ、気がついた?」
セラは小さく頷いた。
「……ここ、どこ?」
「多分、フロワサールの丘の上」
「……おか?」
「そう、覚えてる。良くここで遊んだよね。エリーやクロやチェルシーと」
「うん……。たのしかった」
「そうだね。僕もだ」
「……くろちゃん、は?」
「クロは大丈夫。元気だよ」
それきり、セラは口を閉じた。
アーシュリートも黙ってセラを抱きしめていた。
陽が登る。
光が闇を照らしていく。
アーシュリートの心の中が鎮まっていく。
「アーシュ……」
気がつくと腕の中から、セラの戸惑うような声が聞こえた。
「なに、セラ?」
「なかないで」
セラの手がアーシュリートの頬に当てられた。
アーシュリートはセラに言われて初めて涙を流しているのに気がついた。
何で僕は泣いてるんだろう。
セラが生きているから? セラが無事だったから?
どうかな……理由なんて分からない。
はらはらと涙が流れる。
みっともないとは思っても彼には止められない。
セラは困ったようにアーシュリートを眺め、やがて彼の首に両手を回してそっと呟いた。
「アーシュ……あのね」
「うん?」
「私、あなたが好き」
「……本当に?」
「うん。だから、これからも一緒にいて。私を離さないで…………泣かないで、ずっと笑っていて」
涙を流しながら、アーシュリートは笑った。
「……これじゃ、逆だよ。セラ」
「今はいいの」
「うん、そうだね。セラ……僕も、愛してる」
セラは嬉しそうにふわりと微笑み、アーシュリートはセラを更に強く抱きしめ、その唇に優しくキスを落とした。
お読みいただきましてありがとうございました。
次回は、明日(日曜日)の午前0時、第53話と閑話の2話を更新予定です。
よろしくお願いします。