第49話
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その一話目。
男の言葉が古い記憶の中にある言葉と重なって響いた。
『一度だけ機会をやるよ。俺達全部を叩きのめしたら、お前らは自由だ』
八年前、私とアーシュに投げつけられた言葉と同じ声、同じ内容。やっぱりこの人はあの時の盗賊の残党なのか?
クロちゃんが果敢に男に襲いかかった。男は軽く避けてクロちゃんと蹴り飛ばす。クロちゃんの小さな身体はボールみたいに飛んで行って地に叩きつけられた。更に追い打ちで【風刃】が唸りながら襲いかかる。血と黒い毛が無数に飛んだ。
「クロちゃん!」
慌てて駆け寄ろうとした私の手を、男がとらえた。
反射的に【風盾】を展開し、振り切ろうとした。けれど、風は動かない。なんで?!
「おっと。残念でした、お姫様。【中和】させてもらったよ」
男が鼻で笑った。
【中和】って! 驚いて一瞬すくんだ私の腕に、パチリと腕輪を嵌めた。この腕輪八年前に私をアーシュの魔力を封じた腕輪と同じ?
更に、【拘束】の魔術をかけられる。
もう、動けない。
動かない視界の端に、よろよろと立ち上がるクロちゃんが映る。あんなに傷ついているのに、まだ闘志を失ってない。けど、無理だ。
「動いちゃだめ! 傷が広がっちゃう!」
聖獣は普通の獣よりは頑強だけど、クロちゃんはまだ幼体。しかも、契約者のアーシュはここにいない。回復力も魔力もアーシュに依存しているクロちゃんは脆い。傷が大きくなれば命が危ない。
「逃げて!」
クロちゃんは私の声を無視した。「ウォン」と一声鳴きを待ってる魔力を凝縮した【放電】を展開する。一気に放つ。バチバチと青白い強力な閃光が四方に走った。
男は全く動じてない。
さも面倒くさそうに銀色のナイフをクロちゃんの足元に投げて突き刺した。ナイフを中心に黄色の魔法陣が広がる。
青い電撃がナイフに引きつけられ魔法陣に吸い込まれて消える。と、同時に爆発してクロちゃんを吹き飛ばした。
「……ったく、変わり映えのしねぇ攻撃しやがって。面白みも何もねぇ。大体、お前が【雷】使うのは八年前に見てんだよ。何も対策してないとでも思ってるのか」
男はクロちゃんに近寄ってナイフを取り上げ、勢いをつけて蹴り飛ばそう足をあげた。
「止めて!」
クロちゃんが反撃にでた。、軸足に襲いかかって牙を立てる。男がたたらを踏んで後退する。
クロちゃんの牙から魔力が流れでて、男の足に吸い込まれる。
その直後、体勢を立て直した男に、クロちゃんは蹴り飛ばされ空を舞い、地に叩きつけられた。一転二転しついにピクリとも動かなくなる。
「クロちゃん!」
「死んだか? ん?」
驚く間もなく、クロちゃん身体が闇に融けて消えた。私と男が見ている前で。
「何だ今の? 最後のあがきか? 聖獣って死んだら消えんの? なあ、お姫様、教えてくれよ」
頷いた。はらはらと涙を流れる。クロちゃんが死んでしまって……悲しい。
「嘘じゃないよな」
「……聖獣はもとは精霊だから……死んだら元の精霊に戻るの……」
「へぇ」
男は私の顎を掴み強引に上を向かせた。数秒……いや数十秒もの間、じっとりと見分していた。その間にも私は涙を流し続けた。ついにに男が根負けして手を離した。
「……まあ、いいか。あのチビが生きていようが死んでいようが大した障害にもならんだろう」
嘘はついてない。
聖獣が死ねば精霊に戻るのは良く知られた話だ。
でも……クロちゃんが本当に”精霊”に戻ったのかは……知らない。だって、私は聖獣が死ぬ所なんて知らない。
クロちゃんが消える前に、ごく僅かに魔力が動いた。どういった術なのかはしらない。でもきっと……クロちゃんは生きている。
そう信じて、私はクロちゃんの”死”を嘆く。
「嘆いている所を悪いが、お姫様には一緒に来てもらう」
「……私を? どこへ?」
「そのうち分かるよ。お姫様」
男が私の頭に手をかざし、私を眠らせた。
*****
『アーシュ、こっちよ』
『わ、引っ張らないで、セラ。……どこに行きたいの?』
『丘の上、桜草が咲いてるの!』
皆で行ったピクニック。ピンクの桜草がたくさん咲いてる。エリー兄さまもキーラもクロちゃんもチーちゃんもいる。
『皆一緒、たのしいね』
『うん』
アーシュが笑ってる。よかった。もう寂しい表情も苦しい表情もしてない。昨日は凄く寂しそうだったけど、今は違う。
『セラはなんでそんなに嬉しそうなの?』
『アーシュがいてくれて嬉しいから』
『えっ? 僕?』
『うん、アーシュ、大好き』
『え、ええっ?』
『兄さまもクロちゃんも、皆大好き』
『そ、そうだよね……うん』
アーシュ……笑ってる。
お願い、その笑顔を絶対に消さないでね……。
「へぇ、そう? そんなことがあったの? でもそんな無駄で邪魔な思い出はない方がいいかな。……うん、全部忘ようか、ね?」
*****
「お目覚めですか? お嬢様?」
揺り動かされて目が覚めた。
……頭が重い。どんよりとした幕がかかってるみたいだ。
「お嬢様? お加減が悪いのですか?」
「ううん、そんなことないよ……。キーラ」
目を開けたら、つやつやした絹張りの天井が見えた。多分寝台の天蓋だと思う。寝台はごく薄い紗で覆われてて、その向こうに誰かが控えてる。
「なんか、御伽話の……お姫様の寝台っぽい……」
「何かおっしゃいましたか、お嬢様」
紗を捲ってメイドが声をかけた。キーラ? あれ、違うメイド? 全然見覚えがない……けど?
「お起こししてすみませんがご城主様がずっとお待ちでいらっしゃいますので。お着替えの用意は出来ております。お急ぎ下さい」
「ご城主様?……行かなくちゃいけないの?」
「もちろんでございます」
それより、ここはどこ? ご城主様って誰?
ふっと浮かんだ疑問はすぐに消えた。頭が重くて長くは考えていられない。
再三促されて寝台から降りた。
すぐに黒い揃いのお仕着せを来た数人のメイドに囲まれる。一人一人顔立ちは違うのに、皆、同じ無表情の人形みたいに見えるのがとても不思議でちょっと怖い。
用意されていたドレスは、黒のアンティークドレス。袖と裾にレースとフリルがたっぷりつけられてる。リボンは紫暗の色で、アクセサリーは暗めの紫水晶だ。痩せっぽちでちびで色味の寂しい私がこれを着たら、幽霊みたいになると思う。きっと出会い頭で悲鳴をあげられるだろうな……。
「あの……もう少し色があるものはない?」
「良くお似合いでございます、お嬢様。さながら、闇夜に生まれた精霊のようです」
「闇の精霊……? それ、あまり好きじゃないかも……できれば違うものの方が」
「さすがご城主様がご用意されたもの。本当にお綺麗でございますよ。お嬢様」
「……そう……」
どうやら聞いてくれなさそうなので諦めた。
姿見に写った私を見てため息をつく。黒は嫌いじゃない。けど、これは私の好みじゃない。
「ではお嬢様。ご城主様の元へご案内します。どうぞこちらへ」
寝かされていた部屋から外に出る。
むき出しの石壁が長く続く廊下を歩いて行く。
「すみません、ここはどこですか?」
「お城にございます」
「どこのお城ですか?」
「湖の近くのお城にございます」
「ご城主様はなんとおっしゃる方なのですか?」
「ご城主様はご城主様にございます」
「……どんな方なのですか?」
「お会いになれば分かります」
どんなに尋ねても私が欲しかった答えは来ない。はぐらかされているのか、それとも彼女達も知らないのか。何を聞いても無駄な気がして口を噤んだ。
暗い。廊下の両脇には蝋燭の燭台があるけれど、炎は弱い。それに、とても脂臭い。
――灯りって、こんなに暗かったかな……。それにどうしてこんなに臭うんだろう? もっと明るくて匂いのしないものがあったと思うけど……。
「……を使えばいいのに」
「何かおっしゃいましたか、お嬢様?」
あれ? 私、何を使えばいいと思ったのだろう……?
一瞬前の自分の事なのにわからなくて首を傾げた。頭の中に靄みたいなものがかかっていて、つかもうとするとスルリと逃げてしまう。そんな感じがもどかしい。
そんな些細な差異が降り積もった頃、先を行くメイドが告げた。
「こちらでご城主様がお待ちでございます」
促されて、中に入る。
思った以上に大きな食堂だ。長いテーブルには二人分の食器が用意されている。
上座の席に座っていた男性が私の姿を見て立ち上がった。
年は二十代後半から三十代にかけてくらいかな。細身で背が高い礼儀を正しい紳士のように見える。灰茶の髪を綺麗に梳かして瞳の紫暗色と同じ色のリボンで括っていた。
彼は口元柔らかく微笑んでいる。
――私、この人……知ってる?
微笑み方に何故か見覚えがあった。何故だろう。この人とは初対面のはずなのに……。
「はじめまして、闇夜の姫君。ようこそ我が城へ」
大仰な呼称に戸惑いつつもしっかりと挨拶を述べる。
「お招きいただきましてありがとうございます。ご城主様」
「いや、こちらこそ。素敵な挨拶をありがとう。でも、かしこまらなくていいよ。気楽にいていてね。さあ、こちらへどうぞ」
晩餐が始まった。
最初は緊張と警戒でぎこちなかった私だけど、向かい側に座るご城主様は常ににこやかで優しくとても聞き上手な方だ。つい余計なことばかり話してしまう。私の子供時代の出来事や、学院生活等。ご城主様の興味を引いたようで、何度か質問を受けた。
「そう。それで、その時どうしたの?」
「そうか、その殿下と君がねぇ」
「そんなにすごい試合だったの? それで勝敗は?」
ご城主様の質問は多岐に及ぶ。
親しくしている先輩はいるのか、学院内の模擬試合ではどんなことが起こったのか。
話している間に、ちょっとだけ不審に思う。
なんで、私は初対面のこの人にこんな話をしているのだろう。なんで、こんなに気を許してるの? 誰かに似てるから……? 誰に似てるって思うの?
「それで、ヨランディ先生が……」
「ヨランディ? ああ、確かベニトの生き残りだっけ? メルローズにくっついてた奴だったな……。なるほど、あいつが繋がってたのか」
「……メルローズ?」
「ふうん、そこには本能するのか……。あの子の母君だよ。知ってる?」
「あの子?」
「ああ、あの子。それで、ヨランディが何をしたの?」
何かが引っかかる。でも分からない。もどかしい。
「どうしたの? もっと聞かせてくれないかな?」
「……ダンスの練習をして……おしまいです」
「へぇ、そうなの? じゃあ、それからは?」
食後の葡萄酒が出てくる頃には、ほとんど話す事も無くなった。
ご城主様はアルコールの効果もあって、上機嫌で、その上更に饒舌になっている。
「君達はなかなか楽しい子供時代を過ごしてきたんだね。そうかそうか、やっと理解したよ。だから、あの子は笑っていられたんだね」
「……あの子?」
まただ。何気なく彼が口にした”あの子”という単語。それが私の意識の底にあるものを擽った。
「そう、あの子。幼い君がいつも一緒にいた子。凄く仲良しだって報告が来てるよ」
「あの子……誰?」
ご城主様が口元を歪めて笑ってる。今までの紳士風の外見からは想像つかないほど意地悪そうに。
「忘れちゃったの? ここまで言っても思い出さないなんて、あの子も可哀想に。君はあの子を忘れても平気なんだね。あの子は君を大好きなのに? 君は酷い子だね」
あの子? ここまで出かかってるのに、思い出せない。苦しい。
「大切だって思い出もすぐに手放してしまえるんだから、君にとってはどうでもいい子なんだよね」
思い出……子供の時……。
男の子が隣にいた。……幼馴染の……大事な大事な友達……。
――アーシュ?
黒い髪の優しい瞳の彼の顔が浮かんだ。
彼を見る。
整った顔だち、優しい微笑み……。色は違うけれど、よく似ている。
では、彼は誰? アーシュの何?
「貴方は……誰?」
「……やっと【催眠】が解けたか。結構早かったかな。記録は……っとさすがは【光属性】の子だねぇ。あれだけ魔力を注いだのに……魔石に記録しておかないと……」
彼は私の質問には答えない。一体何をしてたの?
「貴方は誰ですか?」
「ああ、ごめんね放っておいて。質問に答える前に確認しておくよ。君は誰? どうしてここにいるのか、覚えてる?」
頭の中で整理する。霧はまだ残ってるけど、もう迷わない。
「私はセラフィカ・アズリ。フロワサールの森番の娘で、魔術学院の一学年生。ここには……誰かに連れてこられた」
「そう、正解。じゃあ、次の質問。ここにいる”僕”は誰だと思う?」
この人の笑顔、口元がそっくりだ。なら、多分……。
「アーシュの……アーシュリート・ブルムスター様の……お兄様」
ご城主様、アーシュの兄がくしゃりと笑み崩れた。
「大せいかーい! でも、ブルムスター呼びはやめようね。あの子はフィリス・アーシュリート・レドヴィックだよ。”アーシュ”じゃない”フィリス”だ。そして、僕は彼の兄。ライル・ストラトス・レドヴィック。レドヴィックの長子で、フィリスの異母兄だ。はじめまして、そしてこれからよろしくね、セラ」
お読みいただきましてありがとうございました。
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