第48話
「なに~、この不細工な生き物。でも可愛い~」
クロちゃんがサジェに抱き上げられて、短い尻尾を千切れそうなくらい振っている。どちらもまんざらでもなさそうだから、相性はいいのだろう。良かった。暫くクロちゃんはこの部屋に住み着く事になるから気が合うに越したことがない。
クロちゃんは私の護衛代わりらしい。そうエリー兄が言っていた。エリー兄が何を危惧しているのか話してはくれないのが困るけれど、きっとそうする必要があるのだろう。おとなしくその時が来るのを待っていよう。
図書塔の出来事は単なる事故として処理された。私とユリカ嬢も注意(吹き抜けの張り出しテラスで騒がないようにとの事)を受けたけれど罰則はなかった。ただ……一部で変な噂が出ている。「アーベンス嬢がアズリ嬢を突き落とした」「アズリ嬢がアーベンス嬢を焚き付けて落とさせた」等、事実ではないのは勿論分かっているし、その都度否定しているけれど、なかなか消えてはくれない。でも一体どうして、そんな噂が流れているのだろう……。
そんな不穏な空気の中、リュスラン殿下が学院に戻ってきた。
「殿下、お疲れ様!」
「お帰りなさい」
いつも通り、殿下と殿下の側近の方々とマリアーネ様とでサロンに集まった。ちなみに、アーシュは別件で用があって今はいない。
出された紅茶をのみ干して、殿下は大きく伸びをした。
「やっと帰れた……お前たちの顔が見れて一安心したぞ」
「それは良かったです。ですが、残念ながらご不在だった分それなりに課題が溜まっていますよ。今日から何日かは徹夜になるでしょうね」
「……言うな、カミーユ。今だけでも開放感に浸らせてくれ……」
「そうだぞ、カミーユ。殿下、俺も手伝ってやるからさ、そんなに悲観すんなよ!」
「……果たして、ヒュイスがどれだけ役に立つのか……多いに疑問ですが?」
「ひでー。俺だって一応学院の代表なのに」
「”一応”がついてしまうのが残念ですね……」
いつも通りのカミーユ様達との会話が始まる。でも……その輪の中にマリアーネ様は何故か入らない。当たり障りのない挨拶を交わした後、すっと立ち上がって優雅に辞去の挨拶を述べた。
「……殿下、わたくしそろそろ失礼致します。お許し戴けますか?」
「あ、ああ。マリー。勿論だ。また時間があったら来てくれ」
「ありがとうございます」
じろりと周囲の目が殿下に集まる。殿下は何時になく眉をへの字に下げて首を横に振った。
「何もしていないぞ」
殿下はそう言うけれど、何かあったとした思えない。気になる。
マリアーネ様が悩んでいるなら力になりたいけれど、きっと私には何も言わないだろうな。私は頼りないから……。でも、早く元気になって欲しい。マリアーネ様は笑っている方が似合うもの。
それからしばらくして、カミーユ様とヒュイス様もそれぞれの用事で退席していった。
私もそろそろと思った所で、殿下より呼び止められた。
「……セラフィカ。そこに座ってくれるか?」
「は、はい……」
言われたとおりソファーの片隅に腰をかけると、殿下は改まった様子で頭を下げた。
「洞窟ではお前に助けられた。感謝する」
「え、いいえ。私は別に何も……」
「何もしてないなんて言うなよ。お前がいたから私は今でも剣が握れる」
「それは……は、はい……」
「だがな、一つだけ言わせてくれ。お前は自分の命を軽んじすぎる。無理だけはするな」
そう言って、殿下はごく自然に手を伸ばして、指先で私の頬に触れた。
思いがけない事にびっくりして私は目を見張って殿下をみる。殿下はすぐに私の様子に気がついて、苦笑混じりで私の髪を一筋掬い、その髪に口づけを落とした。
騎士が淑女に誓いを立てる古風な礼式だ。そう知識はあった。それでもやっぱり驚きは隠せない。思わず手をはねのけてしまいそうになったけど、やっとのこと思いとどまった。
「お前がいなくなったら、私は悲しむ。私だけではないぞ。そういう人間が一人でもいることを忘れてくれるな。命は大事にしてくれ」
「で、殿下……分かりました。分かりましたので……その、髪、離して下さい……」
何度かお願いしてようやく、リュスラン殿下が解放してくれた。
殿下の口元には苦笑いが浮かんでた。多分、誂われたんだ……。殿下も人が悪い……。
「……からかうなんて酷い……」
「ん? からかったつもりはないぞ」
そう言った殿下はいつもの殿下で、私は少しほっとした。あんな騎士然とした殿下は似合い過ぎて心臓に良くない。
そんな私の様子を殿下は少し寂しげに眺めている。そして、小さく呟いた。
「諦めた……諦めなければと思ってはいるが……ままならないな」
ごくごく小さな声。私には何を指しての言葉なのかは分からない。でも、もどかしいさは伝わってくる。
だから思わず聞いてしまった。
「殿下……何かあったのですか?」
聞いた瞬間に後悔した。殿下が今まで見せていた自然の表情が一瞬で無くなったから。
「うん? 何もないぞ」
そう答える殿下はいつもの飄々とした殿下だ。
「本当ですか?」
「ああ」
「でも、殿下もマリアーネ様も、変です。……何だか寂しそう」
「……そうだな……マリーには悪い事をした」
「やっぱり、何かあったのですね」
「…………そうだな、セラフィカには特別に教えてやろうか。実はな……私は呪われてしまったんだ」
「はい? 殿下が呪われた? 何の冗談ですか」
一般的に【光属性】を持つものは、個人差もあるけれど呪いや毒に耐性がある。その中でも殿下の呪い耐性は特に強い。その殿下に果たしてどんな呪術師が呪いをかけられるというのだろうか。
「本当ならその呪術師……根性がありますね」
「根性では魔術は使えんぞ……本気にしてないな」
「はい。誰であったも殿下を呪えるとは思いません」
「そうか? でもな、そのせいでマリーとの婚約が危うくなっている」
「ええっ。婚約、なくなっちゃうんですか」
だからか……だからマリアーネ様があんなに沈んでいたんだ。
「ああ、なにせ呪われてしまったからな」
「どうして呪われたからって婚約出来ないんですか? 一体どんな呪いなんです?」
「なんとな……私は女性に触れられないらしい」
「は?」
「一生不犯で過ごすらしいよ」
「……嘘」
「嘘じゃないぞ」
「嘘です。だって、殿下、さっき私に触ってたじゃないですか」
一瞬、殿下の顔から表情が抜け落ちた。口をあんぐり開けて、心底びっくりしたような顔。
「私がセラフィカに触れていた……?」
殿下、もしかして無意識で触れてきたの……。それはそれで困る。
「はい。びっくりしました。これからは突然はおやめ下さい」
「……セラフィカ、お前気分が悪いとかはないか?」
殿下は私の抗議は聞き流すつもりらしい。
「いいえ。ありません」
「触れた場所に痛みとかは?」
「ないです」
「……もう一度、触れてもいいか」
「……変な場所でなければ」
私が了承すると、殿下は私の手をゆっくりと取った。そして、そのまま動かなくなった。
暫くして、このままでは何時終わるか分からないと思った私は、そっと殿下の手を押し返した。
「もうよろしいでしょうか、殿下?」
「……あ、ああ。悪かったセラフィカ」
「あの、もう遅いですし、退出してもよろしいでしょうか?」
「……ああ、いいぞ……」
何故か、殿下はぼんやりと何か考えていて、空返事だ。
でも、殿下の了承は取ったのだから、と私は立ち上がって辞去の礼をした。
私が帰りかけたその瞬間、リュスラン殿下が尋ねてくる。
「セラフィカ……お前達は上手く行っているのか?」
「え?」
「アーシュリートとは上手く行っているのかと聞いている」
「アーシュ? なんで? あ、え、……ご、ごめんなさい、ししし、失礼します!」
なんで殿下が知ってるの!
いきなり思いがけない爆弾を落とされてしまい、私は混乱して一目散でその場を逃げ出した。
◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
その後男子寮にて、通りすがったアーシュリートをリュスランが呼び止め、話があるからと彼の部屋に向かった。
部屋に入り、人払いをした後で、リュスランはおもむろに口を開く。
「まどろっこしいのは性に合わないので率直に聞く。お前、婚約話があるそうだな」
「……申請が行きましたか?」
「いや、まだ正式には上がっていないようだが……どうなんだ?」
「養父が、僕の将来の為に”血族の縁”からの離縁を避けたのを逆手に取られました。レドヴィック一族の長より帰還して婚姻せよと命じられる可能性はあります。ですが、受ける義理はありません。僕はブルムスターの者ですので」
”血族の縁”、この国の根強く残る旧習だ。
魔術師の才は血に依る所が多い。故に魔術師は血と血族を重んじる。血族の長の命は時に王命よりも重い。魔術師として大成を望むのならば、血族の後押しが必要だ。
アーシュリートの養父、ジョシュア・ブルムスターは、三代ほど前隣国より移住してきた新興の騎士系貴族である。ジョシュアはアーシュリートを引き取る際、その魔術師としての才能に気づき、ブルムスターに完全に入るよりはと、血族との離縁をしなかった。それが故、アーシュリートは現在苦境に立たされようとしている。
「魔術師としての将来を捨ててもいいのか」
そう聞いたリュスランにアーシュリートは誇らしく笑顔で答えた。
「自分の将来です。自分で掴みとります。誰にも邪魔はさせません」
「……良く分かった……。アーシュリート……泣かすなよ」
アーシュリートは黙って頷いた。
「泣かしません。絶対に」
*****
リュスランの部屋を出て、自室に戻るとエリーが待っていた。
「アーシュ、宿題の答えを持ってきたぞ」
「待ってた。早速だけど見せてくれ」
エリーが携えてきた書類はたっぷりある。それをアーシュリートは念入りに読み込んでいく。
思った通り、レドヴィックの財政はここ三年ほどでだいぶ傾いている。領地経営をことごとく外し、かと言って内実を引き締めるでもなく、今は莫大な借財を背負っている。その借主の一人がナルヴィ伯が抱えるナルヴィ商会と言うわけだ。
――ナルヴィは、商会としては繁盛しているが、貴族としてはうだつの上がらない魔術系貴族。しかも最近では魔術学部入れたものは皆無。なるほど、魔術系を名乗るには烏滸がましい内情か……。だから僕を欲しがったんだな。顔すら知らないのに。
笑うしかない、と彼は思った。彼はレドヴィックやナルヴィにとってはただの商品に過ぎないのだ。
ここまではあくまで表向きの資料にすぎない。
エリーが持ってきた書類の束はもう一つある。それには……レドヴィック家の過去と現在の薄暗い裏の部分が示してあった。
「……これは……近いうちに警邏が動きそうだね」
「やるならその前にしないと。今のままだと巻き添えになりかねないぞ」
「そうだね……明日にでもレドヴィック伯爵邸に行ってくる」
「付き合うよ」
明日、全て終わりにする。
彼等はそう決めた。
だが、事態は彼等の予想を遥かに超えて急速に進んでいた。
◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
私達の部屋でクロちゃんとチーちゃんが子供の時のようにじゃれあってる。
それを横目に、サジェと夕食後のお茶を飲んでい時だった。
部屋の扉を開けたら、顔見知りの侍女さんがいた。マリアーネ様の使いと彼女は名乗り、マリアーネ様が生徒用の簡易キッチンで待っていると伝えられた。殿下と仲直りのお菓子を焼きたいのだそうだ。
「ちょっと行ってくるね」
そう言って立ち上がると、クロちゃんが転がるように足元にきたので抱き上げた。今からなら消灯時間までには焼きあがるかな、と思いながらお使いの侍女さんの後をついていった。
中廊下を過ぎた所でふと思った。
あれ、マリアーネ様の侍女さんって、こんな背が高かったけ?
不思議に思って見上げてると、彼女はにこりと妖艶に微笑んだ。
「何かございまして?」
「いいえ?」
やっぱり、マリアーネ様の侍女さんにしか見えない。私の勘違い? でも……。
「あの、マリアーネ様は……」
「先にキッチンに向かってらっしゃいますよ」
声が……なんで低いの? 枯れてるの? まるで男の人みたい……まさか。
立ち止まった。
クロちゃんが私の腕から飛び降りて、私と侍女さんの間に入り込み低く唸った。
「……誰ですか?」
「お分かりでしょう?」
「お名前を言って下さい!」
私がそう言った途端に全ての霧が晴れた。
多分、精神干渉系魔術【幻装】。己を他者の知り合いの姿として認識させるという高度な魔術だ。
私の目の前にいたのは、侍女ではない。全然女性には見えない。どう見ても背が高くて目が鋭い男だ。だ。
しかも、私は彼に見覚えがある。
私は震える声で問いただす。
「貴方は、誰?」
「久しぶりだな。大きくなったじゃないか。俺が誰かって? 言わなくても分かるだろう」
男はにやりと笑った。あの時と……八年前と同じ笑い方で。
「さあ、再会を祝して、早速はじめようか、新たな賭けを。レドヴィックの天才児が生きてるあんたを助けだしたら……あんた勝ちだよ、お姫様」
お読みいただきましてありがとうございました。
次回の更新ですが、色々考えまして、4月20日前後を目処に次エピソードを纏めて投稿したいと考えています。詳しくは活動報告に書きますので、お時間がおありでしたら覗いてみて下さいませ。よろしくお願いします。




