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 広大なる《エスペリア大陸》。


 人と、人の種に連なる者達と、魔なる者達が暮らす、広大なる大地。

 人も、亜人も、魔者(ましゃ)も――未だ誰にも統一する事が叶わぬとても広き世界。


 その大陸の南端に広がっている深きテーゼ

 自然の脅威と数多いる魔者によって守られた彼の地に、人の手によって村が作られたのは今よりたった60年近く昔の事。

 歴史の紐を解くと、最も古くから残っている聖王国が当時で既に建国から900年の時を数えているため、60年という時間は短くとも長くとも感じられる。

 その村が出来た国ですら200年という年月が経っていた。


 村の名は《ルーラストン》。

 作ったのは国ではなく《コーネリア教団》。

 村は大陸の東ほぼ全てを治めている《ミネルヴァ帝國》の領土内にあった。

 だが、どの国家にも属さない教団が無法の土地である《テーゼの森》の中に村を作ったため、特例地として取り扱われた。


 大陸各地で頻繁に起こる戦争によって増える孤児達を引き取り育てるという慈善活動も行っている教団は、当然のように孤児の一部をその村で育てた。

 そんな教団に対して、人々は口を揃えて言う。

 可哀想な子供達を救うために村まで作るなんて、教団はまことに素晴らしい組織だと。


 それが、表向きの理由。


 教団は《ルーラストン》の近くに教会を作り、枢機卿を派遣する。

 その目的は、《テーゼの森》の中で発見したとある迷宮を極秘裏に管理するためだった。


 迷宮の類は大陸各地に存在するが、そのほとんどは迷宮がある土地を支配している国が牛耳っている。

 旨味がなく放置されている迷宮も少なくないが、ほとんどの迷宮は国の発展へ大いに貢献していた。

 しかし教団は巨大な組織ではあっても国のように領土は持っていない。

 安定した活動資金となりうる迷宮の所有権は、教団も昔からずっと是が非にでも欲しいものの一つだった。


 その悲願が達成されてから60年の年月が過ぎ去った頃。

 一つの物語が幕を開ける。










 身体が疲れ切っている所に、精神を摩耗させる説教は万病よりもよく効く。

 浅い眠りを何度も繰り返したヴァンはそんな事を思う。


 夜が白み始めているのに気が付き、もうすぐ朝を告げる鳥の声がけたたましく響いてくるのをヴァンは予感する。

 ようやく頭が微睡みの奥に沈みかけた頃、その鳴き声はタイミング良くヴァンの意識を覚醒させた。

 後少しでも遅ければ夢の中で聞けたというのに。

 もう一度睡魔を招き入れようと、もそもそと寝返りをうった後で枕の位置を再調整する。


 しかし。


「これ、起きぬか。ぬしさまよ、今日は早起きして朝練をするんじゃろうが」


 枕元に忽然と姿を現したユフィによって、その眠りは妨げられた。


「あと5分……」


「そう言って昨日は朝餉(あさげ)が冷める時刻になっても眠っておったな。じゃが今日は許さぬぞ。なにせ、ぬしさま自身がそう決めたのでな」


「男にも二言は……」


「二言は許さぬといった筈じゃ」


 有無を言わさずユフィは布団を剥ぎ取る。

 次いで枕を引っこ抜き、最後に鉄扇で軽くヴァンの頭をはたく。

 その一撃にヴァンは痛みを感じなかった。

 が、見上げる景色の中で、狐の耳がついていたらもっと可愛いだろうなと思う美少女が不機嫌な表情を浮かべていたので、渋々と身体を起こす。


「御前、何で勝手に出てこれるんだ……」


 それまで全快だったMPが半分となり、目覚めの気分も一気に最悪へと近づいた精神状態でげんなりと言う。

 MPは精神力に直結している。

 それが半分になったということは、それだけ精神的に疲れたということでもあった。


「召喚獣が勝手にほいほい出てきたら疲れるだろうが。しかも朝っぱらからはきつい。俺の健やかな朝の目覚めの時を返せ」


 少女は人の枠から外れた存在だった。


「誰が召喚獣じゃ。我は獣ではない」


「御前のご主人様は狐の耳と尻尾をご所望だ。そうすればユフィも立派な召喚獣になる。モフモフ属性もついて万々歳」


「うぬ? ぬしさまは猫が好きじゃと言っておらなかったかや? 我は狐で良いのか?」


「似合っている動物の方が可愛い。可愛いは正義」


「一応は褒めてくれておるんじゃろうが……寝惚けておるのか、それとも素の欲望にのまれかけておるのか。そんな状態で言われてもあまり嬉しくない。ほれ、きつけの一杯じゃ。まずはこれを飲んで目を覚まさんかい」


「寝起きに水分補給すれば、血液がサラサラになって健康に良かったんだったか」


 そんな事をぶつくさ言いながら、ユフィが差し出してきたコップをヴァンが受け取り、何ら警戒することなく口をつける。

 瞬間、ヴァンの顔がまるでよく切れる刃の如き鋭さを帯びる。

 意識が細く研ぎ澄まされる。

 研ぎ澄まされすぎて、危うく意識を飛ばしそうになった。


「おい、これ……」


「どうじゃ、目が覚める味じゃろう?」


 してやったりとケラケラと笑うユフィに、ヴァンは狐は悪戯好きだったのを思い出す。


 ユフィが差し出してきた水は、果汁100%のサンレモンジュースだった。

 分かっていて口を付けてもあまりの酸っぱさで顔をすぼめてしまう程なのに、起き抜けで不意打ちという攻撃の効果は絶大である。

 見ると、半分に減っていたMPが更に半分へと減っていた。


 ちなみに、MPが0になると気絶する。


「ほれ、ぐだぐた言っておらんで早く起きぬか。朝の稽古を始めるぞ」


 有無を言う暇もなくベッドから引き出され、ヴァンは朝霧が立ちこめる森の奥へとユフィと二人で入っていくのだった。









 静かな湖畔の森の中で、男と女の声がする。

 ――という奇妙な歌詞と歌を思い浮かべながら、朝から盛大に汗を掻いたヴァンは目の前の質素な食事を口へと運びお腹の虫を黙らせていく。

 ここには湖畔はないし、声の方も男の悲鳴ばかりだったような気がしないでもない。


「それにしても寂しい食堂だな。他に泊まり客はいないのか?」


 案内された中央のテーブルで一人寂しく食事をしているヴァンが独り言を零す。

 目の前には湯気の立つ暖かいスープ。

 それが急速に冷めていく錯覚を感じてしまう。


「あんた達の他に一人、昨日来た客がいるけどねぇ。ただ、あれを客と言って良いのかどうか」


 決して広くはない食堂で呟いた言葉は、たまたま炊事場から顔を出したスープの調理主の耳に届けられた。

 この宿の女将でもある女性が、腰に巻いている前掛けで手を拭いながら答える。

 年の頃は20代半ば。

 人当たりの良さそうな整った顔に、短めに切り揃えられた髪を水玉模様の三角巾でまとめあげ、重量感を思わせる胸元を隠す気がないのか真正面から見ても谷間が見え隠れてしていた。

 袖はまくり上げられ二の腕まで解放されている。

 前掛けよりもスカートが短いのは厨房の仕事が熱を伴うからだろう。

 女将も額に若干汗を浮かべ、少女には持ち合わせる事の出来ない怪しい色気を僅かばかり魅せていた。


「客じゃないのか?」


 そんな誰にでも守備範囲に入ってしまいそうな女性の胸元に視線を奪われそうになりながら、ヴァンは食事の手を止めて聞く。


「あたし達のお仲間だよ。しかも元は同業者ときた。中央の宿で働いていたみたいなんだが、なんか訳ありなのかねぇ」


「応援……」


 他に客のいない食堂を見渡す。


「という訳でもないか」


 ヴァン以外に誰もいない閑散とした光景があった。


「見ての通り人手は足りてるからね。あたし一人だけでも十分対応出来るぐらいさ」


「そんな所を訪れた俺は、酔狂な客という訳だな」


「そういう訳でもないけどね。こっちの迷宮に巣くう魔者を定期的に掃除しに来てくれる客以外でも、あんたのようにふらっと現れる一見客ぐらいはいるさ」


「ふらっと現れた気は無いんだが。いや、似たようなものか」


 ヴァンが中央のルーラストンで噂を聞きつけ、その西側にある《ウェストン》の宿を訪れたのは一昨日のことだった。

 方角さえ見失いそうな深い森の中にあった獣道を慎重に進み辿り着いた、村とは決して言えない宿だけの村。

 娯楽もほとんどない。

 唯一、その宿から更に西へ行った先に迷宮があるくらいか。

 果たしてそれを娯楽と言って良いのかどうかは疑問が残る所だが、それ以外に娯楽を捜すとなると、目の前にいる女将とこの宿で彼女のお手伝いをしている少女一人に目を向ける以外に無いだろう。


 宿は、その西の迷宮への中継地点として申し訳程度に作られたものだった。

 《ルーラストン》からは流石に遠すぎて、迷宮に通うだけで一苦労。

 迷宮内では魔者が自然発生するし、もしくは繁殖して数を増やしていくので、放っておけば魔者はどんどん外へと溢れ出てきてしまう。

 迷宮内の魔者が少ない内は外に出てくる魔者もほとんどいないが、飽和状態になるとその分短時間辺りの魔者増加量も増えるため、早々放っておくことは出来ない。

 下手すれば迷宮の周囲一体を魔者に占領されてしまいかねず、実際にそういう例も少なくなかった。


 60年前に村が作られる前は広大な《テーゼの森》に住まう種々様々な魔者達によって食物連鎖の如く駆逐されていたので問題は無かったが、村が出来た今となってはそうも言っていられない。

 村の近くに発見された迷宮は大小含めて全て《コーネリア教団》によって管理されている。


「ところで、お付きのお嬢ちゃん達はどうしたんだい? 一人で食事は寂しいじゃないか」


「ほっとけ。あいつらは水浴び中だ」


「ここは見ての通り中央から離れてるから水は貴重なんだがね。高くつくよ」


「問題ない。自前の法術で出している」


「おや、そうなのかい。なら後で少し売ってもらおうかね。それであんたのその食事の代金ぐらいは帳消しにしてやっても良いよ」


「……」


 忘れていたかった現実を思い出してヴァンはげんなりする。

 昨日、2人から財布は別々の管理にすると言い渡されていたので、女将の提案が叶えられる事はなかった。


 尚、召喚されている身の上に加えて食事を必要としない存在なのだからお金は必要ないだろうとヴァンは言ってみたが、娯楽のためのお小遣いが欲しいという言葉で押し切られていた。

 絶対服従の契約でもなく本人達の意思によって色々助けられている身なので、ヴァンは強く言えない。

 勝手にヴァンの精神力を消費して現れても、文句は言わない。

 美少女が近くにいてくれるだけで十分嬉しい事なのだから。


「それで、覗きにいかないのかい?」


 まるでそれが当たり前の事のように女将は言う。


「昨日、命の尊さを色んな人から教えられてね。女将さんもその中に入っていた気がするんだが、さて」


「あんた、馬鹿だねぇ。お嬢ちゃん達があんたに水浴びすることを告げたって事は、命を賭してでも覗きにきてねと言ってるようなもんだろうに。礼儀がなってないねぇ」


「いや、礼儀って」


「あんたが覗きに行かなければ、お嬢ちゃん達は自分に魅力がないって結論に至っちまうんだ。そんなの可哀想だろう? だから、あんたは絶対に覗きに行かなければならない。それが男としての礼儀」


「理不尽な」


 しかしヴァンは動かない。

 千切ったパンをスープに浸して食事を続行する。

 礼儀云々は理解したが、それでも命を賭ける気にはなれなかった。

 覗いた瞬間にシェイニーが法術の矢で射ってくる可能性は、ヴァンの頭の中では100%を超えていた。

 その後にユフィの鉄扇で頭を打ち振るわれ、倒れた所にシェイニーが踏んでくる。

 続いて吐き捨てられる言葉は紛うことなく死の宣告だ。

 有言実行、その先の未来はもう考えたくなかった。


「なに、そんなに難しく考えなくても大丈夫。外で物音一つでも立てて引き上げてくれば良いだけだよ。重要なのは、覗こうとした事実。ちなみにその先へ行ってしまったら、あたしも黙っちゃいないからね」


「……それをする俺のメリットは? 絶景を目にする事も出来ず、お仕置きされる未来だけが待っているだけなんだが」


「お嬢ちゃん達の面目が守られる。同時に、あんたがお嬢ちゃん達に少なからず好意を持っているという事がしっかり伝わる。男女の仲を進展させるためには有効なスパイスだね」


 面白がって覗きを促しているようにしか思えないそんな笑みを女将は浮かべていた。


「ほら、これをあげるからさっさと行ってきな」


「これは……」


 昨日も今日もお世話になりっぱなしの果実を見て、ヴァンが本当に嫌そうな表情を浮かべる。


「サンレモンなんて、いったい何に使うんだ?」


「なんだ、知らないのかい? こいつを薄めて身体を拭えば、身体は綺麗になるし良い香りもつく。想像してみなよ。お嬢ちゃん達と思わず急接近した際に、こいつの香りがうっすらと漂ってくるのを。いつもよりもドキッとしてしまう気がしないかい?」


「……まぁ、確かに」


 酸味を含んでいる汗よりも遙かに上品な香り。

 全く悪い気はしなかった。


「保険の口実としては十分だろう?」


 丁度良く食事を終えたヴァンが、仕方なくと言った風に席を立つ。

 ただ、乗り気ではなかったが興味がない訳でもなかった。

 表面上は渋々とした態度を女将に見せながら、行動は迅速に。


「ちなみに、これは貰えるんだよな?」


 女将が悪戯顔がまだ少し残る顔で頷く。


「武勇伝を待ってるよ」


「そういうのは出来れば迷宮へ向かう時に言ってくれ」


 そう言い残して食堂から消えていったヴァンが、巫女服姿の少女に引き摺られて食堂へと戻ってきたのは、それから数分ばかり経ってからのこと。

 食堂の掃除を終えて炊事場に戻ろうとした女将がそれを見て、おやまぁと白々しく驚いた声をあげる。


「まぁ、それはそれとしてじゃ。女将よ、少し迷宮の話を聞かせてくれぬかの」


「はいよ。あたしに答えられる事なら何でも答えてあげるよ」


 誰の入れ知恵か見抜かれているのを確信しながら、女将は少女が座っているテーブルの向かいの席につく。

 もう一人は床にうち捨てられたが、気にしない事にする。


「本来なら昨日の時点で聞いておくべき事なんじゃがな。例の迷宮について教えてくりゃれ」


 その質問をするべき者をチラッと見てユフィは言う。

 ヴァンは事前調査をほとんどしないまま迷宮に潜るという愚を冒していた。


「何が知りたいんだい?」


「そうじゃの……まずは出現する敵を聞いておくかの」


「あの迷宮じゃ、大した魔者は出てこないね。昨日は2階層まで進んだのかい?」


 ユフィが首を横に振る。

 その理由がどこにあるのか女将はすぐに察する。


 視線を下にずらして見ると、ヴァンの瞳は死んだように動いていなかった。

 だが女将はそこに確かな光を見る。

 意識を断たれるほどのお仕置きを受けた訳でも無いのに死んだように動かないヴァンに、女将はその理由もすぐに察する。

 きっとその視線の先には絶景があるのだろうと。


「おやまぁ」


 思わせぶりに足を組み直すだけで女将は居住まいは正さなかった。

 焚き付けた者としてそれぐらいはサービスする。

 自分にはまだ魅力が残っている事を嬉しく思いながら。


「我の目算じゃと、半分も進んでおらんじゃろうの」


 女将が僅かに浮かべた苦笑でそれに気付いたユフィが足位置を変える。

 それにしては随分と動きに勢いがあり止まる際にヴァンの顔面にぶつかったが、テーブルの上では何事も無かったかのように会話が続けられる。


「昨日は様子見って事かい。なら、人型のゾンビと合体するスライム、それと奇襲で襲い掛かってくるハウンドヴォルフあたりの説明は不要かね」


「犬コロとは遭遇しておらぬの。その代わりでっかい蝶とは一回だけ出会うとる」


 女将の瞳が少し見開く。


「おや珍しい。ダンジョンバタフライと出会ったのかい。銀色に光ってる奴かい?」


「近づいてくる前に射落としたからの。銀色に光ってたかどうかは分からぬ。もしかしてレアものかや?」


「レアものだよ。あの蝶の羽根を持って帰ってきてくれれば、結構な額で換金してあげられるんだけどねぇ。射落とした場所を覚えてるならすぐにでも回収しにいった方が良いね」


「なら今日の最初の目的地はそこじゃな」


 そんな二人の会話を聞きながら、ヴァンは微睡みの中へと落ちようとしていた。

 朝早く起きた上に、たっぷりと運動した後の食事。

 ヒンヤリとして気持ち良い床に放置された事で、ユフィの足下で丸くなった猫の様な境地に達する。

 勿論、すぐに叩き起こされた。


「銀狼の迷宮と聞いていたから狼がもっと出てくるものと思っていたんだが、あまりいないのか?」


 ユフィの隣に腰掛けたヴァンが会話に加わる。


「あたしは潜った事がないからハッキリとは分からないけど、1階層にはあんまりいないみたいだよ。ただそう思わせておいて突然襲い掛かって来るみたいだから警戒は必要だね」


「蝶と比べてどっちが遭遇しやすい?」


「断然、ハウンドヴォルフの方だね。蝶は2階層がメインなんだけど、ごく稀に1階層にも迷い込んでくるんだ。ただどうしてか1階層に出る蝶はたまに銀色に光る奴がいてね。強さも段違いだけど、ここに来る連中にとっちゃ雑魚も同然。出会ったら幸運以外のなんでもないね」


「銀色が出る確率は?」


「2割ってとこ。ただ、あの迷宮にたまに潜る連中の話を聞く限り、今の所4回連続でハズレなんだ。だから、案外あんた達はアタリを引いてる可能性は高いんじゃないかい?」


 事前の情報収集の大切さを噛みしめながら、ヴァンは話を続ける。


 1階層に出てくるのは、まずユニオンスライムが最も多かった。

 決まった大きさがなく、好き勝手に分裂したり合体したりを繰り返す最下級のD級魔者。

 体内にある半透明の核を潰せば倒せるが、合体したばかりのスライムの核は暫く分裂したままなので、物理的に斬ったり潰すよりも法術でまとめて破壊する方が倒しやすい。

 弱点は火。


 次に多いのが、ゴーストゾンビ。

 死霊が濃い瘴気を浴びて具現化した不死者だった。

 肉体に固執しているため死霊よりも怨念が弱く、仮初めの身体のため動きも遅い。

 頭を破壊すれば死を再認識し消滅する。

 言い換えれば、頭を破壊しない限り活動を終える事はない魔者。

 強さは勿論D級。


 そして、ヴァン達がまだ出会っていないハウンドヴォルフ。

 1階層で最も警戒すべきD級魔者。

 優れた嗅覚により獲物の発見に優れているため、風上である迷宮の奥に行けば行くほど発見される確率が跳ね上がっていく。

 ただしハウンドヴォルフは動物系の魔者のため、粘体生物であるスライムや不死者のゾンビに比べると、攻撃を当てさえすれば倒すのは容易かった。

 剣などの武器を持っていれば、の話だが。


「後は、2階層から上がってくる奴だね。さっき話したダンジョンバタフライがここではそうだよ。鱗粉の毒と火の息に注意。特に鱗粉は燃え広がるから、自前の羽根で風を起こしての鱗粉散布から火の息攻撃は厄介だよ」


「前みたいに、近づかれる前に射落とせば楽勝だろう」


「近づかれても我の鉄扇で一扇ぎすればすむ話じゃ」


 他の敵と遭遇する可能性はあまり無かった。

 何故なら、階層ボスを越えてこれるのは飛んでいるダンジョンバタフライだけだったため。


「ここの迷宮には階層ボスがいるんだな。中央の迷宮にはいなかった」


「いるいないは迷宮によって違うらしいね。ここウェストンにある銀狼の迷宮は全4階層の迷宮だけど、1階層あたりの広さは中央の迷宮とは段違いだからね。いても不思議じゃないさ」


 一般的に、階層数が少ないほど迷宮の攻略難易度が低く、得られる物の価値も低くなっていく傾向にあった。

 その例に漏れず、銀狼の迷宮もたった4階層しかないため、実入りもほとんどない。

 中央の迷宮以外にも迷宮が見つかった当初は教団も大いに喜んだものだが、すぐに攻略が完了した事でその価値は一気に下がった。


 すぐ近くに大迷宮と言っても良い迷宮があるのに、たった4階層しかない低レベルの迷宮があるというのは、ハッキリ言ってお荷物でしかない。

 何故なら、実入りが少ないだけでなく、放置すれば迷宮の中から多数の魔者がゾロゾロと出てくるため。

 迷宮の存在を秘匿しているが故に人をあまり呼び込めないため、迷宮に潜って魔者を退治してくれる者も当然少ない。

 結果、余計な管理の手間が教団には発生していた。


「だから、あんた達みたいなのが来てくれるのは非常に有り難いんだよ。その分、報酬にもちょっとだけ色を付けている。試しに昨日あんた達が狩った分の査定をしてみるかい?」


 女将はまるで催促するように提案する。

 昨日一日の討伐量を知る事でヴァン達の力量を値踏みするのと、滞納している宿代をこの場でせしめてしまおうという算段である。

 宿代の徴収が出来なかった場合には、それを理由にこの後ヴァン達から買う水の料金を値切ってしまおうとも考えていた。


「うん? 換金は教会にいる枢機卿を一回通さないと出来ないんじゃなかったのか?」


「それは中央にある迷宮だけだよ」


「そうなのか」


「どうする? 換金するかい?」


 テーブルの上に査定用のアイテムを置いて、女将はもう一押しする。

 教団発行の特殊な法術がかけられている迷宮紋章具をヴァンが出しやすいように、ヴァンのやや右手前に置く。

 隣にいる少女が口を挟んでこないので、女将は勝利をほぼ確信した。


「いえ、まだやめておくわ」


 しかしその確信は、いつの間にかヴァンの背後に立っていた黒髪の少女によって粉々に砕かれた。

 まるで棍棒によって叩き潰されるような錯覚を女将は感じてしまう。

 何故なら、その少女――シェイニーが鬼のような威圧感を振りまいていたために。


 シェイニーが右手に棍棒を持ってヴァンの真後ろに仁王立ちしている。

 それに気が付いたヴァンが、蛇に睨まれた蛙のように固まる。

 メデューサにの瞳と目があってしまったかのように、まるで石と化す。


「覗いたら殺すと言わなかったかしら?」


 女将は知っている。

 その棍棒がいったい何のためにあるのかを。


 昨晩も女将はシェイニーから相談を受けていた。

 曰く、連れの男が素手のままではまともに戦えないので、何か武器となるものがないかと。

 生憎とここは宿であって、武器となるようなものは置いていなかった。

 女将が持っている護身用の短剣や、調理用の包丁も譲る事は出来ない。

 なので女将はこの近くにある堅い木で棍棒でも作ってはどうかと提案した。

 削るだけなら簡単な法術で出来そうね、と呟いたシェイニーが早速森の中へと入っていく。

 夜ももう遅いというのに、シェイニーが頑張ったということを女将は知っている。


 その棍棒が、目の前で無慈悲に打ち落とされていた。

 本来の目的とは違う用途で。


「……さて、そろそろあたしは仕事に戻るとしようかね」


 自嘲気味に呟いてみるが、残っている仕事はほとんどなく、放っておいてもこの宿にもう一人いるお手伝いの少女が片付けてしまう。

 今しがた壊されたばかりのテーブルの後始末という仕事は増えたが、弁償金は迷惑料込みできっちり取る予定だった。


 ヴァンを煽ったとばっちりが飛び火しないうちに女将はいそいそと炊事場へと引き上げる。


「ああ、そうそう。言い忘れてたけど、スライムにも銀色に光る奴が混じっている場合があるからね。ただ、舐めてかかると燃やされるから注意しな」


 そう告げたものの。

 じゃれ合う3人の耳に届いたとは、とても思えなかった。










 メタルスライムの存在。

 あんな状況下でもその情報をきっちり聞いていたヴァンは、シェイニーから受け取った棍棒を手に、予定を変更してスライム探しに躍起になっていた。


「お金は大事だが、やっぱり夢を追い求めないとな。一気にレベル2桁狙いだ」


「棍棒を持ったらレベル1になってしもうたぬしさまが倒せるとはとても思えぬのじゃがな」


 昨日の時点でヴァンのレベルは3まで上がっていた。

 その時の職業は、闘士。

 しかし棍棒を装備した事で職業が強制的に戦士となったため、レベルは1になっていた。


 ちなみに、棍棒を装備から外しても戦士のままである。

 素手の状態ならば職業を闘士にも戦士にも変更する事は出来るが、棍棒を持った状態では闘士には変更する事は出来ない。

 武器の種類によってなれる職業が決まっていた。


「4回当てれば倒せる! もしくはクリティカル一発だ!」


「それはいったいどこの情報なんじゃろうの。夢と妄想を一緒にするでない」


「馬鹿は1度死んでも治らないのね」


 ユフィは舞闘士レベル6。

 シェイニーは弓士レベル9。

 パーティーを組んで戦っているのにレベルに開きがあるのは、戦闘に参加したかどうかだけでなく、個々に与えたダメージ量に関係していた。

 遠距離攻撃の出来るシェイニーが一番攻撃回数が多く、場合によってはダンジョンバタフライなどのように接近される前に倒してしまう事もしばしば。


「レベルが追いつくまで、2人はサポートに徹してくれ」


 2人は元々サポートに徹していたのだが、ヴァンがあまりにも不甲斐なく、救助してたら勝手にレベル差が開いていっただけなのだが。

 指摘する気も失せた2人は空返事を返して、ヴァンの後ろに付き従って迷宮内を進む。


「昨日よりはマシな動きをしておるの。早起きして特訓した成果が早速出てきたかや」


「私が作った棍棒の性能じゃないかしら? 私の目にはまるで成長していないようにも見えるんだけど」


「せいやっ!」


 真正面から襲い掛かってきたゾンビの胴を、バットをフルスイングするかの如くヴァンが殴り飛ばす。

 本来は弱点の頭を狙うのが正解だが、後ろにゾロゾロと続いていたためその一撃は将棋倒しのように巻き添えをうむ。


「たぁっ!」


 飛び上がり、倒れてもがくゾンビの一体目掛けて棍棒を打ち落とす。

 ぐしゃっという手応え。

 年齢性別ともに不明なゾンビの頭が呆気なく潰れ、少しして黒い霧になって消滅する。


 昨日はこれを素手で行わなければならなかったので、躊躇している間に反撃を受けてユフィとシェイニーが救援というパターンが多かった。

 もしくは大抵が物量戦となっていたので、最初から戦闘に参加して数を減らしていた。


「ふぅ……また詰まらぬものを潰してしまった」


「何を悠長に決め台詞を吐いておるかのぉ。さっさと次を倒さぬか」


「流石にこの数を一匹ずつこの重たい棍棒で倒していくのは骨が折れる。明日は筋肉痛だな」


「マッサージしてあげましょうか? 骨を折るつもりで頑張らせてもらうわよ」


 暇を持て余していたシェイニーが是非にとばかりに提案する。


「……それよりさっきからスライムの一匹も見当たらないんだが。どういう事だ?」


 聞こえなかったフリをして黙々とゾンビを叩き潰していった後、一息吐いたところでヴァンが振り返って後ろにいる2人に問いかける。

 すると、2人が聞こえなかったフリをしながら、背後から襲いかかってきたスライムの大群を黙々と倒し続けていたのをヴァンは目にする。


「いるじゃねぇか」


 最後の一匹目掛けて、シェイニーが弦を引き絞り法術の矢を放つ。

 風をきる音も鳴らさず音速で突き向かった矢はユフィの顔のすぐ真横を通り、一瞬後にはスライムの核を正確に射貫いた。

 それをユフィはまるでどこ吹く風とばかりに気にした様子なく見届ける。

 2人が高い信頼で結ばれている証拠だった。


「……いつのまにそんな高い技術を身に着けたんだ? それに、昨日はそこまで命中率は高くなかった気がするんだが」


 信頼以前に気になった事をヴァンは問う。

 技術の低さを矢数で補っていた昨日を思い返すと、先程のような遠く離れた的の中央を射貫く芸当というのはどう考えても不思議としか言いようがなかった。

 そしてそれはユフィも当然知っている筈であった。


 にも関わらず、一切の感情の揺らぎを生じさせなかったユフィ。

 問いかけの言葉はシェイニーに対してのものだったが、ヴァンの視線はユフィの方にこそ焦点があっていた。


「弓は元から得意よ」


 腑に落ちないその答えに、ヴァンは合点がいかない顔を返す。


「狩りの基本は弓じゃからな。昔の勘を取り戻せば我にもあれぐらいの事は出来る」


「……昨日は試し撃ちをずっとしてたって事か?」


「いいえ、あれが今の私の純粋な弓の技術よ。元々この弓は法術で作った矢を飛ばすようには出来ていないから、普通に弓を引けば命中率はどうしても下がるわね」


 法術で作った矢は安定していない上に形状も全く同じという訳にはいかない。

 そのため、どうしても純粋な矢に比べて軌道は安定しない。

 魔法金属であるミスリルなどで作られた弓や、特殊処理された弦が張られていれば法術で作った矢も安定しやすく命中率もあがる。

 だが、そんな高価な代物がヴァンの懐事情で買えるわけもなく。

 シェイニーが持っている梓弓に使われている弦は普通に麻の繊維を束ねただけのものだった。


「なら、どうして」


「どうしてって。普通に弓を引かなければ良いだけじゃない。そんな事もあなたは分からないの?」


「いや、それは分かるが……いったいどうやって?」


 髪の色と同じ黒色の綺麗な瞳が、やや呆れるように細められる。


「そう、あなたにはまだ見えないのね」


「見えない? 見えるようなものだったのか?」


 ヴァンの言葉に、シェイニーがこれみよがしに溜め息を吐く。

 そのまま暫く待ってもシェイニーの口から答えは返ってこなかった。


 答える気のないシェイニーを見限り、一回りも下にあるユフィの顔へと視線を移す。


「見ようとしていれば、もしかしたらぬしさまでも見えたかもしれぬものじゃったな」


 答えはそれほど難しい事ではなかった。

 シェイニーが行ったのは、基本的に急激な回避行動を取られなければ必中する攻撃方法だった。


 まず、敵に目印をつける。

 次に、目印までの道を法術で作る。

 最後に、その道を通るように矢を放つ。

 後は勝手に矢が法術で作った道を通り、目印へと到達するという仕組みだった。


 例えるなら、始点と終点の間に糸を張り、その糸を伝っていく法術を使ったとも言える方法。

 矢を放った後で敵が動かない限り、まず間違いなく目標の場所へと命中する技だった。


「つまり、その道がユフィには見えていたから避ける必要もなかったと」


「スライムごとき低級の輩なら見切られる事もないからの。実際、狩りをする時にはかなり役立つ技なのじゃよ」


 ちなみに、この技術はそもそも法術で矢を作れないと使う事は出来ない。

 矢を作るだけでなく、敵へのマーキングと、矢の道筋を作る力も必要となる。

 そのため、狩人の誰もが使える技という訳では決してなかった。


 また、対象が遠くなればなるほど必要とされる力も指数関数的に増えていくため、遠くからの狙撃にも実は向いていない方法でもあった。

 何故なら、多くの力を使用する分、対象にも気付かれやすくなるために。

 近距離からのマーキングと道作りならば毛ほども気にならないが、遠距離からだと悪寒やら直感やらが盛大に働くほどの力を感じるようになるからである。


 まぁそれ以前に、必要とする力が距離に対して割に合わないので、誰も実行しようとは思わない訳だが。

 道筋がハッキリ見える分、対象もかなり限られてしまうのも問題である。

 遠距離狙撃する場合には、純粋な技術で勝負するか、もっと楽な別の方法で行うのが普通だった。


「早く俺も法術が使えるようになりたい」


 それからもヴァンは黙々と魔者退治を頑張った。

 相手がゾンビとスライムばかりなので、倒しても何らアイテムは得られない。

 だが、経験値はしっかりと入ってくる。

 棍棒という鈍器を製作したシェイニーの選択は、実は間違いではなかった。


 初心者の場合、大抵の者は剣や短剣などの刃物を好んで使う事が多い。

 だが、腕が未熟な者がいくら刃物を振るおうとも刃筋を通す事がなかなか出来ないため、うまく敵を斬る事が出来ない。

 通常の精神状態でも刃筋を通せないのに、己の生死がかかった戦闘中という精神状態でまともに剣を振るう事など出来るはずもなく。

 初心者が死に至る要因。

 その一つは、腕の未熟さを知らないまま一般的に扱いやすいと言われている剣などを持って戦いに挑み、現実と理想のギャップで頭がテンパっている間に殺されるというものだった。


 刃筋を通す事が出来ず、剣がただの鉄の棒と化す。

 鈍器としては軽く、また破壊するために思い切り振るう訳でもないため威力も出ない。

 であれば、最初から重量のある斧や、刃筋などまるで関係がない突く事専門の槍を使った方が効率良く敵を倒す事が出来るというものである。

 ヴァンの故郷である世界でも、近代化する以前の戦争では雑兵は槍を持たされる事が多く、剣や刀といった技術が必要な武器は将などの腕に覚えのある者が持つのが普通だった。


 ヴァン自身、平和となった世の中で生を受けた身なので、そもそも武器を手にする機会などまずなかった。

 自分に関する記憶を失っていても、故郷がどういう世界だったかという知識をヴァンは持ち合わせているのだが、もはや剣や刀などは美術品としてしか扱われておらず。

 剣の腕を研く習い事は存在しても、それは精神修養のためのものであり、活人の技術を身に着けるもの。

 活人の技を振るって結果的に死に至る事はあっても、効率良く相手を殺すための殺人技を教わる事はまず出来る世界ではなかった。


「素手じゃった時も思うたが、まるで素人じゃの」


 そして、活人技に染まった技術ですらヴァンは持ち合わせていなかった。


「じゃが、見てくれは悪くともキッチリ敵を倒しておる。どうやら、ぬしが棍棒を作ってきたのは大正解じゃったの」


 殴る事しか出来ない棍棒であれば、思い切り振るうだけでいい。

 棍棒の重さに振り回されようとも、それは威力の上乗せにしかならない。

 その分、隙も多くできてしまうわけだが、動きが遅い敵に対しては致命的になる事はなかった。

 もしもの場合に2人が待機しているので、ヴァンも攻撃に専念できている。


 何も考えず思い切り振り抜く。

 それこそが極意にすらなりかねない棍棒という鈍器は、素人だからこそ活きる武器。

 ゲームの中では最下級の武器としてほとんど見向きされない棍棒だったが、現実には一般人を殺人の位へと引き上げる最も有効な武器ともなる。


「私はただあのクズを殴り殺したかっただけよ」


「ま、そういう事にしておくかの」


 スライムを蹴散らしながら一人で先行するヴァン。

 それを追ってT字路に差し掛かった瞬間に横道から突然に襲い掛かって来たハウンドヴォルフを、ユフィは開いた鉄扇で軽くいなす。

 撃ち払われたハウンドヴォルフにダメージはなかったが、着地のタイミングを狙って放たれたシェイニーの攻撃によってその命は潰えた。

 後には小さな牙だけが残った。


「やれやれ。二日目にしてようやくの戦利品かや」


「迷宮で手に入れた物はすべて教団に提出しないといけないのよね。ネコババする人とかいないのかしら」


「そのための迷宮紋章具じゃろうの。ただ、我の知っている迷宮ではそのようなものは持たされてはおらなんだ。代わりに、迷宮に入るためには契約料と入場料を取っておった。それに加えて、迷宮内で手に入れたアイテムに対する税金も取っておったの」


 そのルールは、当然のことながら迷宮の所有権を持っている者達によって異なっている。

 酷い所では持ち込みに対する税金をかけ、更に迷宮内で死亡するとその仲間や親族に対して法外な罰金まで取るという。

 そんな迷宮には誰も入りたがらないと思う所だが、実際にはそれなりに人気がある迷宮がそのルールを課していた。

 何故なら、確かな実力を持ち合わせてさえいれば、かなり実入りが良い迷宮だったため。


 税金は、なにもお金を得るためだけにかけられるものではない。

 実力のない者が迷宮に入って死ぬ事を防ぐと同時に、それだけその迷宮が危険だという事を知らしめるためのものでもあった。

 それでも不幸な事故というのは起こってしまう訳だが。


「ところで、ふと気が付いてしまった事があるのだけれど」


 ヴァンが調子に乗りすぎてまたスライムの餌食になりかけているのをサラッと無視しながらシェイニーが言う。


「うん、なんじゃ?」


 ユフィも、ここは温かい目で見守っているのが吉とみて助けに入らない。

 痛い目は何度もみてこそ成長する。

 というか、好い加減に学習して欲しいと思っていた。

 そう思ってしまった瞬間、ユフィの瞳がシェイニー同様の冷たい色へと変わり果てる。


「あなたの扇と、私の弓。私達はそれを持ったままアレの中に帰っている訳なのだけれど、この牙を私達が持ったままアレの中に帰った場合、この牙はいったいどういう扱いになるのかしら」


「む……」


 その質問の意図する内容に、ユフィは当然の事ながらすぐに気が付いた。

 もしかすると、ネコババは可能かもしれない、と。


 この牙をネコババする価値は、金銭的に考えれば当然ない。

 が、今後手に入るかもしれないレアアイテムをネコババ出来るかも知れないのであれば、この牙を今ネコババする価値は大いにあった。


 そして口に出しはしなかったが、シェイニーの瞳はこうも告げていた。

 今ここで牙を手に入れたという事実を、ヴァンに報告しないという提案。

 下手をすれば査定時にヴァンへ迷惑をかけてしまう事になる訳だが、迷宮紋章具を持っているヴァンにも犯行のリスクを背負わせてしまうよりかは何倍も良い。


「例えそれが出来たとしても、我は実行する気はないの」


 迷い無くユフィが答える。


「頭が硬いのね」


「それが我の心の強さじゃからの。曲げるわけにはいかぬ」


 僅かに逡巡して、言葉を繋げる。


「じゃが、それをぬしに強要することも我には出来ぬ。じゃから、もしそれをするのであれば我の知らぬ所で行ってくれぬかの?」


「私だけが悪者になるわね。フフッ……それも良いかもしれないわね」


「聖女から魔女に鞍替えするかや? 我は別に構わぬぞ」


「それはダメよ。それだと今度は私の心が折れてしまうじゃない」


 そう言った所でヴァンが2人のいる場所まで逃走してきたので、その話はそれで終わりとなった。


 そのあと牙がいったいどうなったのかをユフィは知らない。

 シェイニーの手に握られたままなのか、それとも後でヴァンと2人きりになった時に渡したのか。

 どちらにしても、ユフィの知らない所で何かが行われている事は確実だった。


「ところで、ぬしさまよ。あの数のスライムに、何故に手こずっておったんじゃ? あれぐらいならさっきも倒しておったろうに」


「いや、それがな」


 シェイニーが気付いてしまった疑念は本人の判断に委ね、ユフィは目の前にある疑念へと心を移す。

 移動速度の遅いゼリー状の集団は、悠長に会話をしていてもまるで問題なかった。

 問題があればすぐにシェイニーが矢を放っている。


「あいつらの中になんか見慣れない蜘蛛みたいなのが取り込まれていたから、そいつがちょっと気になってな。そいつ以外をまず片付けようとしてたら思いのほか難しくて」


「ふむ、蜘蛛かや」


 その言葉を聞いた瞬間。

 シェイニーがこっそりスライムから距離を取るが、2人はそれに気付かない。


「あやつらは雑食じゃからの。蜘蛛でも草でも何でも取り込んで栄養としよる。じゃから食事中の輩が混じっておっても別に珍しくないじゃろうに」


「まぁ、そうなんだがな。だがちょっと様子が変なんだ」


「ふむ?」


 そう言われてよくよく観察してみても、ユフィの目にはスライム達の動向は特に変わった所は発見出来なかった。


 いつもと変わりなく、ぶよぶよとしながらずるずると地面をゆっくりと這い寄ってくるだけ。

 壁や天井に張り付いている訳でもない。

 固有の形を取っている訳でもない。

 何の変哲もない最下級のスライム達が、得物を捕食しようという本能に従って向かってきているだけだった。


「あれじゃな」


 ようやく間合い近くまで近づいてきたスライム達の中に小さな蜘蛛を発見してユフィが鉄扇を構える。

 そして一閃。

 魔力で強化した一撃は、触手を伸ばしてきた前衛のスライム達数匹を、彼等の命ごとまとめて吹き飛ばす。


「何も無かったの」


 その前衛スライム群の中には、蜘蛛を体内で捕食していたスライムも混じっていた。


「いったい何が変だったのじゃ?」


 気化するように消滅していくスライム達と一緒に蜘蛛も黒い霧となって消えていく。

 その事にユフィは疑問を持つ事はない。


 一般的に、捕食され命を失ってから時間が経っていた場合、捕食者を倒すと捕食された者も一緒に消滅してしまう事は良くある事だった。

 ゾンビやスライム達を倒すとその残骸が残らないのは、彼等が魔瘴の気……所謂〈魔素〉と呼ばれるものが集まる事によって生まれた存在であり、核を失うとその形を保てなくなるからである。

 そんな瘴気の塊である存在に捕食された場合、捕食された者は時間とともに瘴気に侵され同一の存在となっていく。


 つまり捕食された蜘蛛が黒い霧となって消滅していく事は、ごく自然な一般現象だった。

 ――捕食者であるスライムとは異なる消滅の仕方をしていたのは、普通ではなかったが。


「あのスライムだけやたら好戦的だった」


「たまにはそういう輩もいるじゃろうの。そしてぬしさまは、そのスライムだけは倒さないように戦っておったから苦戦したと」


 ユフィが、確認するように聞いてくる。


「すべてがすべて同じ強さという訳ではないのか」


「スライムの個性も色々じゃ」


 その妙に現実味のない言葉に、ヴァンの口から思わず笑みが零れる。

 敢えてユフィは指摘せず、冗談のように言葉を続ける。


「我のような可愛いおなごを好んで捕食しようというスライムも多いと聞く。かと思えば、取り込んだ後は仮死状態にして永く保存しようとするスライムもおるらしいの」


「それはいったいどこのエロスライムだ……」


「きっとぬしさまのようなエロスライムじゃろうの。覗きはダメじゃぞ」


 それが風呂を覗きに行った件なのか、それとも偶然目に入った女将の下着を見ていた件なのか。

 流石に怖くてヴァンは聞けなかった。


「どこかにそんなスライムがいると良いな」


 ただ、何気なくそんな言葉をヴァンがポロッと呟いてから、暫くして――。


「た、たすけ……」


 まさにそういう場面に、偶然ヴァンは遭遇してしまった。


「……言ってみるものだな」


 フラグというのは口にするだけでも時に発生するのだな、と。

 スライムに捕らわれた美女を見ながら、ヴァンはつい思ってしまうのだった。

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