蒼竜
ソリオは必死にその腕を伸ばす。
だが、魔獣の身体の一部と共に地上へと落下するスペーシアには、どうしたってその腕は届かない。
ソリオは慌てて飛行の紋章を描くものの、既にスペーシアとは距離がありすぎて、とてもではないが紋章は届かない。そして、ソリオ自身が空を飛んだとしても、落下するスペーシアに追いつくことは不可能だろう。
「くくく。そんなにあの女性が大事だったのかね?」
実に楽しそうな、アコード・ハイゼットの声。その整った顔は、醜くも嫌らしく歪んでいる。
だがそんな声も、『真っ直ぐコガネ』の耳には届いていない。彼らは呆然とした表情を浮かべて、スペーシアが落下した場所をただ見つめているだけだった。
いや、少し違う。
『真っ直ぐコガネ』の中でも、ソリオとオーリスの主従だけは、しっかりと足場を踏み締めて立ち、きっとした表情でアコードを見つめている。
「おや? オーリスとそちらの少年は、お仲間の女性が地上に落ちても平気なのかね? きっと今頃、彼女は地面に叩きつけられてぺしゃんこだよ? 気にならないのかね? 悲しくはないのかね?」
「悪いけど、そんな安い挑発には乗らないよ?」
ソリオはアコードの言葉に惑わされることなく、ぴたりと剣の切っ先を彼へと向けた。
「ソリオ様のおっしゃる通りだ。我らの目的はただ一つ……貴様を倒すことのみ!」
オーリスもまた、一度頭上で回転させた斧槍の切っ先をアコードへと向ける。
「お、おい……ソリオに旦那……二人は平気なのかよ……?」
「そ、そうッスよっ!! スペーシア様が落ちたンスよっ!? スペーシアのお腹の中には、ソリオ様の……っ!!」
ヴェルファイアとコルトの二人は、批難するような視線をソリオとオーリスの背中へと向けていた。
残るポルテは何も言わずにただじっと二人を見つめており、プラウディアは羆の姿のまま、おろおろとソリオたちとヴェルファイアたちを交互に見比べている。
「もちろん、俺だってスペーシアのことが心配だよ。でも今は……」
ソリオの視線は、アコードから揺らぐことはない。
「私とて、気持ちはソリオ様と同じだ。だが、ソリオ様のおっしゃる通り、今はアコードを倒すことに専念すべきだ。そのためには────」
オーリスは、傍らで風に靡いているソリオの戦旗を見た。
相変わらず戦旗には紋章が輝き、そこから魔素を周囲に放出している。
「スペーシアに瘴気を浄化してもらうことはできないけど……それは後でどうとでもなる。今はこの戦旗を死守して、魔獣の身体から魔素を奪う方が重大だよ」
背後を振り返ることなく、ソリオは仲間たちに告げた。
「ええいっ、分かったよ、クソっ!!」
納得いかない表情を浮かべながら、それでもヴェルファイアはしっかりと身構える。
コルトも同じように戦いの準備を行い、ポルテとプラウディアもそれに倣う。
そして、戦う準備を整えた『真っ直ぐコガネ』に、アコードの猛攻が襲いかかる。
ソリオたちの足元が弾け、漆黒の石礫のようなものが飛び出す。
他にも先程のように、鞭のような触手が飛び出したり、まるで槍のようなものまで飛び出してくる。
『真っ直ぐコガネ』は、それらを武器を用いて弾き、危なげなく回避していく。回避しきれないものは、ソリオが盾を作り出して防ぐ。
「コルトっ!! 多少の傷は無視してでも、ソリオの戦旗は死守しろよっ!!」
「了解ッス、ヴェルさんっ!!」
なんせ、相手の手数は多い。威力の弱い攻撃など多少の当たりは無視してでも、ソリオの戦旗は守らなくてはならない。
「ソリオ様っ!! この魔素を吸い出す紋章って、他にも作り出せないンスかっ!?」
迫る触手を盾で防ぎながら、コルトが問う。
「スペーシアが浄化できる量に限りがあるから、今まで一つの紋章だけだったけど……こうなったら、幾つあっても同じか……」
コルトの問いに答え、ソリオはゆらゆらと淡く輝く指先を踊らせた。
彼が宙に描いた紋章は五つ。いずれも戦旗に刻まれたものと同じ、対象から魔素を放出する効果を持つものだ。
だが、これ以上同じ紋章を用いれば、周囲に充満する瘴気があっと言う間に危険なレベルになる。スペーシアの神聖術の加護を受けているソリオたちはまだ大丈夫だが、今も尚周囲の空ではプラウディアの部下たちが小型の魔獣と戦闘中なのだ。
これ以上瘴気の濃度が上がってしまうと、彼らに悪影響を及ぼしかねない。
突き立てた戦旗の周囲に、五つの紋章が刻まれて光を放つ。そして、魔獣が体内に宿す魔素を勢いよく放出し始めた。
自分の身体の中から、勢いよく魔素が流出していくのをアコードははっきりと自覚した。
この巨大な魔獣がこの世界に存在するためには、膨大な魔素が必要である。
もともとこの世界の外側から召喚した魔獣だ。その身体を存在させるだけで魔素を消費していく。
もしもこのまま魔素の流出が続けば、身体を維持できなくなった魔獣はこの世界から消えるだろう。その時、この魔獣と同化しているアコードは、その命を終えるに違いない。
それだけは避けねばならない。
アコードはそう決断し、先程のように魔獣の表皮一枚を引っぺがす。
先程はこの手であの忌々しい女を地上へと叩き落とした。今度もまた、体表に刻まれた紋章を身体から剥がすことができるだろう。
だが、突き立てられた旗の周囲と、刻まれた五つの紋章の周囲には、彼の支配が及ばない。
おそらくは刻まれた紋章に含まれた魔素が、魔獣の身体に作用して彼の支配を阻害しているのだろう。もしかすると、あの紋章には彼の支配を阻害する効果も含まれているのかもしれない。
どちらにしろ、あの紋章を身体から剥がすのは無理のようだ。ならば、体内の魔素が尽きる前に、あの連中を殺すしかない。
アコードは殺意を秘めた目で改めて連中を見据える。そして、その手を動かして宙に紋章を刻んでいく。
彼もまた、紋章術師である。それもクリソコラ文明期の術者である。その実力はオーリスやソリオよりも遥かに上だろう。
彼の指先が複雑な紋章を描き、その紋章に魔素の輝きが宿る。
紋章が意味するところは、実に単純。すなわち、〈破壊〉だけ。
宙に描かれた紋章の輝きが増し、その秘めた力を解放しようとした時。
不意に、アコードの周囲に影が差した。
そのことを不審に感じた彼がちらりと上を見れば。
そこに────それはいた。
上空を飛ぶ巨大な異界の魔獣。その魔獣よりも更に高い空に、それはいた。
陽光を受けてきらきらと蒼玉のような鱗が輝き、巨体とそれを支える巨大な翼が魔獣の上に影を投げかけている。
鋭い眼光を浮かべる両の瞳には、爬虫類のような縦長の瞳孔。頭部から突き出した鋭い角と、手足に生えそろった剣呑な爪。
「りゅ……竜……?」
それを見て思わず呟いたのは、果たして誰であっただろうか。
アコードだけではなく、『真っ直ぐコガネ』たちも呆然と見つめるその先。そこに一体の蒼竜がいた。
「あ、あれって……まさか……」
「も、もしかして……スペーシア様……ッスか……?」
唖然とした表情を浮かべたヴェルファイアとコルト。まるで顎が外れたかのように大口を開けた二人は、ただただ現れた蒼竜を見つめていた。
「そうか……道理でソリオとオーリスが落ち着いていると思ったら……こんな裏があったのね」
宙に浮かんだまま、腕を組んで呆れた顔なのはもちろんポルテである。
彼女は疑問だったのだ。スペーシアが地上へと落ちたというのに、ソリオとオーリスが妙に落ち着いていたことが。
おそらく、二人は以前から知っていたのだろう。スペーシアが蒼竜へとその身を変じることができるようになっていたことを。
ソリオの母親である竜王もまた、竜へと変じることができたと言う。ならば、薄いとはいえその血を引くスペーシアも、竜へと変じることができても不思議ではない。
そもそも、彼女の身体には竜の兆候が現れていたのだ。
『真っ直ぐコガネ』とスペーシアが出会った時、彼女はその腕と瞳に竜の特徴を宿していたではないか。
その後、オーリスの指導を受けたスペーシアは、その竜の特徴を消すことに成功した。ならば、その逆も可能も可能だったのだろう。
その証拠に彼女は今、竜となって目の前にいる。
どうしてソリオたちがこのことを秘密にしていたのかは、ポルテには分からない。だが、おそらくはスペーシアが秘密にしておいて欲しいとでも言ったのだろう。
彼女にとっては、竜の特徴は忌わしいものでしかないのだから。
ポルテがちょっと批難を込めた視線をソリオへと向ければ、彼はまるで悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべてそれに応えた。
「りゅ、竜王っ!? どうして……どうして竜王がこの時代にっ!?」
一方、スペーシアが竜王の末裔であることを知らないアコードは、極度の混乱に陥っていた。
アコードにとって、魔道皇と竜王は忌々しい存在である。
かつては彼の研究を否定し、牢獄へと繋ぎ止めた。更には、その牢獄から抜け出して異界の魔獣を召喚した後、魔獣もろとも長い時間を封印されていたのだ。
その憎い二王の片割れが、目の前にいる。この時代にいるはずのない竜王が、そこにいる。
アコードが思わず混乱したとしても、それは仕方のないことだろう。
しかし、実際には彼が混乱していた時間はそれほど長くはない。だがアコードが混乱より回復するより早く、蒼竜の方が動いた。
蒼竜は翼を大きくはためかせると、一気に降下してアコードを襲う。
その鋭い牙の生えそろった口で、アコードの上半身が生えている魔獣の角を、彼の身体ごとあっさりと噛み砕いたのだ。
『無敵の盾』更新。
今回も遅くなりましたが、何とか更新。
そして、遂にスペーシアが本領発揮(笑)。いや、この展開もばればれだったことでしょう。
そろそろ最終決戦も終りが見えてきましたかね。
では、あと少しですが、おつきあいください。よろしくお願いします。




