魔獣追跡
それは空腹だった。
永い永い時間、封印という名の檻に閉じ込められていたそれは、酷く空腹だった。
そのため、それが封印から解放されると、まず最初にしたことが食事だったのは無理もないことだろう。
本能的に封印されていた場所から遠ざかったそれは、目に付くものを片っ端から齧っていく。
山の木々が食われ、そこに住む動物や魔獣たちが食われ、岩が食われ、土が食われ……最後には山そのものも食われた。
それが山一つを平らげるのにかかった時間は一晩。たった一晩で山ひとつを食い尽くしたそれは、まだまだ満腹を覚えることはなかった。
当然、その光景は山の麓にある村々からも見えていた。だが、それを村人たちがどこかに伝えることは遂にできなかった。
なぜならば。
山を平らげ、尚も空腹を感じていたそれが、次に目をつけたのは麓に点在する村々だったからだ。
「……何だと……?」
パイライト帝国の皇帝であるグランディスは、その顔から表情というものを消して部下の報告を聞いていた。
そのグランディス皇帝の背後には、ソリオたち『真っ直ぐコガネ』の面々もいる。
彼は今、封印から解き放たれた異界の魔獣の行方を探すべく方々に散った斥候が帰還したという話を聞き、その斥候の報告を聞くためにこの部屋に集まっていた。
「山が……山一つが丸ごとなくなっていただと……?」
「はい。それだけではなく、その山の麓にあった村々も……村のあった場所は、大地が大きく抉れておりました……」
「それは……」
途中で言葉を途切らせるグランディス。
臨時の帝城となっている城下の高級旅館。その中でも最も豪華な一室の中に、何とも言えない沈黙が訪れた。
誰も何も言わないが、誰もが何が起きたのか推測していた。
間違いなく、封印から解かれた異界の魔獣が山や麓の村をどうにかしたのだ、と。
「……そういや、今更ながらに気になったンスけど……」
相変わらず空気を読んでいないのか、どこか暢気な口調で沈黙を破ったのはやっぱりコルトだった。
「……異界の魔獣が現れた時にできた、お城の下に開いた穴っぽこッスけど……あそこにあったはずの土ってどこいったンスかね?」
「何言っているのよ、コルトは。それならザフィーラさんが言っていたじゃない? 魔獣が封印されていた異空間と、空間ごと入れ替わったって」
「……ソレってどういう意味ッスか、ポルテさん?」
「…………私にもよく分からないわよ。でも、もしかするとその土も封印されていた魔獣が食べたかもしれないってザフィーラさんは言っていたっけ」
「だとしたら、魔獣は……なくなった山や村を丸ごと食べたかもしれないってことにならねぇか?」
姉貴分の言葉に、ヴェルファイアが腕を組みながら考え込む。
「まあ、相手は異界の魔獣だしね。動物や魚、一部の植物しか食べられないっていう俺たちの常識は通用しなくても不思議じゃないよ」
ソリオのその呟きに、グランディスも大きく頷いた。
「確かにソリオの言う通りだろうな。相手は異界の存在だ。俺たちと同じ常識が働いているとは考えない方がいいだろう」
グランディスは座っていた椅子から立ち上がると、彼の前に控えていた帝国の重鎮や騎士たちに指示を飛ばす。
「引き続き、魔獣の探索を続行しろ! ただし、発見した場合はすぐに報告に戻れ! 間違ってもこちらからは手を出すなよ! 相手がどんな力を持っているか分からないからな! 併せて、帝国軍の出撃準備も進めておけ!」
控えていた重鎮や騎士たちは、御意と応えてすぐさま行動へと移していく。
機敏に動き回る部下たちを満足そうに眺めながら、グランディスは背後に控えていた『真っ直ぐコガネ』へと振り返った。
「ソリオたちはこのまま待機していてくれ。魔獣を発見次第、軍とおまえたちの飛空船で一気に叩く」
「分かりました」
ソリオたちの『栄光なる我が息子号』には、強力な武装が実装されている。
『栄光なる我が息子号』は、元はと言えば封印された異界の魔獣が解き放たれた場合をを想定して建造された船なのだ。
そのため、『栄光なる我が息子号』に積まれた武装の威力は、バリスタやカタパルトの比ではない。
言わば、『栄光なる我が息子号』はソリオたちやグランディスにとって切り札なのである。
それから十数日後。
遂に異界の魔獣の存在が明らかになった。
魔獣の発見そのものは決して難しくはなかった。なぜなら、一晩で消えた山から転々と痕跡が続き、それを追跡すれば良かったのだから。
それなのに、魔獣発見の報告が数日もかかってしまったのは、それだけ魔獣が帝都から離れていたからだ。
痕跡を追う帝国の密偵たちは、予想外に離れていた魔獣をようやく発見し、それを報告しに帝都に戻るのに時間を費やしてしまった。
とはいえ、これは仕方のないことであろう。どれだけ密偵が馬を飛ばしても、ソリオたちのように飛空船でも持っていない限り移動速度と移動距離はどうしたって限られてしまうのだから。
だが、魔獣発見の報はグランディス皇帝の元に届けられた。
グランディスは報告に戻った斥候に労いの言葉をかけると、全身から闘志を露にして席を立ち上がる。
「直ちに、帝国軍の出撃準備をしろ! 準備が整い次第、魔獣討伐に出兵する! 帝城とそこで散った者たちの借り、一気に叩き返すぞ!」
皇帝の言葉に、騎士たちが気勢を上げる。
「軍の準備ができるまで、俺たちは魔獣討伐の作戦を練る。ソリオたちはそちらに協力して欲しい。それから、聖域の大僧正殿にも智恵を貸して欲しいと打診してくれないか?」
「了解です」
ソリオを筆頭に『真っ直ぐコガネ』の面々は、闘志に満ちた表情で皇帝の言葉に頷いた。
「報告によると、魔獣の全長は20メートル程。全身真っ黒で手足はなく、印象としては蛇に似ているとのことだ」
斥候が持ち帰った魔獣の情報を、軍の幹部と『真っ直ぐコガネ』が参加する軍議でグランディスが読み上げていく。
「遠方からの観察のため細部までは不明だが、そ身体には蛇のような鱗は見受けられなかったらしい。その代り、魔獣の身体のあちこちには透き通った鉱石の柱……そうだな、水晶を思い浮かべればいいか。そんなものがでたらめに生えているそうだ。大僧正殿、魔獣のこの姿……間違いないかな?」
議場に居合わせた全員の視線が、美貌の楽師へと一斉に注がれる。
楽師は長く艶のある髪を掻き上げると、音もなく静かに立ち上がる。その仕草には何とも言えない気品が感じられ、同性であるはずの軍の幹部たちも、この楽師の一挙一動に思わず見惚れた。
「私は直接かの魔獣を見たことはありませんが、その姿形は伝え聞いております。私が聞いた魔獣の姿は、鯨……海に棲む巨大な獣に似ていたとのことです」
「鯨か……俺は話に聞いたことはあっても実物を見たことはないな。それは蛇とは似ていないのか?」
「そうですね……無理矢理似ていると言えなくもないでしょうが、普通ならば蛇と鯨を見間違えることはありません。ですが、相手は異界の魔獣です。その姿を変えることができても不思議ではないでしょう」
「確かにそれは考えられるか。よし、取り敢えず、斥候が見たという巨大な蛇を異界の魔獣として仮認定し、今後はそれに合わせて作戦を考える。それに異存はないな?」
グランディスは集まっている一同の顔を順に見回していくが、誰一人として皇帝の言葉に異を唱える者はいなかった。
「現在、魔獣はとある谷にて身体を休めているということだ。おそらくだが、食うだけ食って現在は消化中、といったところなのだろう。蛇だって獲物を丸呑みした後は、消化のためにじっとしているからな」
冗談めいて言うグランディスの言葉に、居合わせた面々から笑みが零れる。
見たこともない強大な敵と立ち向かう以上、緊張するのは止むを得ないことだ。そして、その緊張を上手く解してやるのもまた、上に立つ者の役目の一つである。
その点、グランディスは下の者を巧みに差配する才能を持っていると言っていいだろう。
「谷という地形上、騎兵の導入は難しい。よって、重装歩兵を主に置いて、弓隊と精霊術師隊が後方より援護する形を今作戦の骨格とする。さて、この骨格にどんな肉付けをするかだが……各自、思いついたことを自由に言え」
皇帝の言葉に従って、軍の幹部たちは思い思いのことを言い合う。
誰もが言いたいことを言い、その中から必要なこと、重要なことを取捨選択する。それがグランディスのやり方らしい。
ソリオたち『真っ直ぐコガネ』は、皇帝の信頼篤いとはいえ一介の冒険者でしかない。そのため軍議に口を挟む権利はなく、ただ、意見を求められた時のみ発言するに留まっていた。
全ての軍議が終わると、グランディスは護衛の近衛兵と『真っ直ぐコガネ』を連れて、自室として使っている部屋へと引き上げてきた。
「……ったく、まどろっこしい。軍を動かすってのは本当に時間と金と労力がかかるな。本来ならソリオたちに全部一任しちまってもいいんだが……さすがにそれだと国としてのメンツに関わるしな」
疲れた様子で椅子に腰を下ろしたグランディスは、誰に聞かせるでもなく虚空に向かって呟いた。
確かにグランディスの言う通り、軍というのは何かにつけて金と時間と労力がかかるものである。だが、国の象徴とも言うべき帝城を破壊されて、その後始末を全て一介の冒険者に任せたとあっては、国としての面目が立たない。
費用的にも、ソリオたちに任せた方が負担が少ないし、身軽に素早く動けるのは冒険者の利点の一つである。
しかも、今の『真っ直ぐコガネ』には『栄光なる我が息子号』がある。その戦力は空中機動戦力ということもあり、一隻で一軍にも匹敵するのだ。
「先程の軍議でも決まった通り、今回の魔獣討伐戦の主役はウチの軍となる。これは国のメンツの問題だからな。ソリオたちにも思うところはあるだろうが、悪いが今回はサポートに回ってもらうぞ?」
「構いません。俺たちはあくまでも冒険者ですから。依頼があればその依頼通りに動くだけです」
軍議で決まったことは、当初の予定通り魔獣が潜む場所の地形上歩兵が主力となるため、重装歩兵が300、軽装歩兵が100、弓兵200、精霊術師50の合計650という兵数。
巨大とはいえ相手は魔獣一体なので、十分な戦力と言えるだろう。
今回は皇帝であるグランディス自らも出陣し、彼の直属の護衛となる近衛50もこれに加わるため、総兵数は700となる計算だ。
そして、今作戦の最大の特徴は、輜重隊を用いないことにある。
食糧や予備の武器を運ぶ輜重隊は、軍行には欠かせない存在である。だが、今回はこの輜重隊の役割を『栄光なる我が息子号』が務めることになった。
輜重隊の最大の欠点である足の遅さ。だが『栄光なる我が息子号』はそれが当てはまらない上に、一度に運べる物資の量も通常の馬車などとは比べ物にならない。
しかも直接の打撃戦力としても期待できるとあって、グランディスは改めてソリオにこう言ったものだ。
「なあ、ソリオ? 飛空船ごと俺に部下になるつもりはないか?」
「いえ、前にも言った通り、俺は冒険者ですから」
ソリオがきっぱりと断った時、彼が浮かべた実に残念そうな表情。
果たして、彼が残念だと感じたのはソリオを部下にできなかったことか。それとも、飛空船を手に入れられなかったことか。
皇帝の個人的な思惑はともかくとして、パイライト帝国軍による異界の魔獣討伐は数日後に動き始めるのだった。
『無敵の盾』更新。
最初はソリオたちだけで異界の魔獣と戦ってもらう予定でしたが、考えてみれば、「一つの国が城を潰されたまま、黙っているのっておかしくね?」と思い直し、皇帝陛下に改めて出張ってもらうことになりました(笑)。
次回はパイライト帝国軍vs異界の魔獣です。
では、次回もよろしくお願いします。




