マンティコア
自分が生み出した眷属たちと、この街の住民たちとの交戦が始まった。
獣の女王は、戦場から少し離れた地点より、ただじっとその戦いを見ていた。
街の住民──正確にはこの街を拠点にする冒険者──たちは、前方に盾を構えた兵士を壁にし、その背後から魔法使いたちが魔法を放つという戦法で、彼女の眷属たちを追い詰めていた。
「ふむ……妾とその眷属の特性をしっかりと理解しておるの。どうやら、なかなかの策士がおるとみえる」
彼女とその眷属には、魔素が込められていない武器は効果がない。それを理解しているからこそ、魔法を主体とした戦法を選んだのだろう。
楽しそうな笑みを浮かべながら、獣の女王は改めて戦場を見渡す。
眷属たちに任せるだけでは、やはりおもしろくない。やはり自らも参戦しようと相手を見定めていると、戦場から三人の男女が抜け出し、彼女へと駆け寄ってくる。
「ほうほう。先程の御子かも知れぬ男子とその手下どもか……あやつらは年若いが、なかなか歯ごたえのあるやつらよの。よし、決めた」
にぃ、と愉快げに口元を歪めた獣の女王は、彼ら──『真っ直ぐコガネ』を敵と見定め、彼らが近付いてくるのを待ち受けた。
ざしゃあああっ、と通りに敷き詰められた石と、ソリオのブーツの底が激しく擦れ合う。
ソリオたちを余裕の笑みを浮かべて待ち構えていた獣の女王は、『真っ直ぐコガネ』の三人の顔を順に見渡すと楽しそうな声を発した。
「さて、御子かも知れぬ男子とその仲間たちよ。お主らの実力は大体分かっておる。特に御子かも知れぬ男子──もう、面倒ゆえに御子と呼んでしまうが、お主の使う帝国の魔法はなかなか厄介よ。よって……」
にたぁり。
獣の女王の笑みが更に深くなる。
「ここは最初から全力でいく。少しでも長く持ち堪えておくれや?」
獣の女王がその言葉を言い終わると同時に、彼女が着ていた黒尽くめの衣服が全て弾け飛んだ。
下着さえも弾け飛び、獣の女王はそのしなやかで官能的な肢体を陽光の元に堂々と晒す。
だが、ソリオもヴェルファイアも、それをにやけた気分で見ているような余裕はない。
なぜなら、獣の女王の白い裸体が、見る見るうちに異形のモノへと変貌していくからだ。
雪のように白かった肌は黒い剛毛に覆われ、細くしなやかだった手足は奇妙に折れ曲がり、鋭い鉤爪を持った獣のそれへと取って代わる。
長く真っ直ぐだった漆黒の髪は、色こそ変わらないものの獅子の鬣のように変化し、その質も柔らかそうなものから鋼のような硬さのものへと変わった。
そして白い背中を突き破り皮膜状の一対の翼が生え、形の良い尻からはサソリのような尻尾が生える。
翼を打ち震わせてふわりと舞い上がった身体は、二回り以上も大きくなり、漆黒の体色を持つ巨大な獅子のような身体に変化した。
「これが妾の本当の姿よ。どうじゃ、御子よ? なかなか勇ましかろう?」
大きさこそ変われど、美しい容貌はそのままに。
翼を羽ばたかせながら宙に浮いた獣の女王は、すっかり嗄れた声でソリオたちにそう問いかけた。
空に浮かぶ異形を見上げ、嗄れた声を聞きながらソリオはぽつりと呟いた。
「……ま、マンティコア……」
「あれが獣の女王の正体か……」
マンティコア。
それは合成魔獣の一種であり、顔は人間、身体と四肢は獅子、背中にはコウモリの如き皮膜の翼、そしてサソリのような毒を有する尻尾を持つ。
今、そのマンティコアへと変化した獣の女王。顔だけはそれまでと同じ美しい──大きさは巨体に合わせて大きくなっている──が、身体は様々な獣の集合体である。ある意味、獣の女王と呼ぶに相応しいかもしれない。
ソリオたちは、『斬鉄剣』の唯一の生き残りである森妖族の弓兵から、獣の女王の本性については聞いてはいた。
だが、こうしてその姿を目の当たりにすると、やはり迫力や禍々しさが聞くと見るとでは全然違う。
思わず呆然と獣の女王を見上げるソリオたちを前に、獣の女王は笑みが浮かべ、おもむろにその巨大になった口を開き、ぼっと真紅の火炎を吐き出した。
吐き出された炎はソリオたちまでは届かなかったものの、炎の熱波がソリオたちの髪を大きく揺らす。
「どうする、御子や? 妾はお主らの手の届かない空から、こうして一方的にお主らを焼き殺すことができるぞ? おやおや、まさか、卑怯などとは言うまいな? 相手の手の届かない所から攻撃するのは、兵法の基本の一つ。よもや御子がそれを知らぬことはあるまい?」
くつくつと上空で異形が笑う。
どうやら、先程吐き出した炎は届かなかったのではなく、敢えて届かせなかったようだ。
確かに獣の女王の言う通り、ソリオたちの攻撃が届かない上空から一方的に炎を吐かれれば、どう足掻いたところで『真っ直ぐコガネ』に勝ち目はないだろう。
「…………ぬ?」
それまで、にやにやとした笑いを浮かべていた獣の女王だったが、その流麗な眉を訝しげに寄せた。
なぜなら。
絶望的な状況を前にしながらも、ソリオたちの顔に笑みが浮かんでいたからだ。
何かまだ策があるというのか? 獣の女王は『真っ直ぐコガネ』を見下ろしながら考える。
最初に考えられるのは、魔法による遠隔攻撃だ。見たところ弓などの飛び道具を持っていないソリオたちが、遠距離攻撃をするとしたらそれしかない。
だがこれまでの戦いで、彼らは魔法による直接攻撃をしかけてはこなかった。今までの状況から、彼らが出し惜しみをしていたとは獣の女王には思えない。
となれば、この状況をひっくり返す何かが、彼らにはまだ残されているというのだろうか。
内心で思い悩む獣の女王を、ソリオたちは自信に満ちた笑顔で見上げていた。
「まさか、こうも早くあの特訓を活かせる場面が来るとはな」
「本当ッスね! でも、毎朝厳しい特訓をした甲斐があったってものッスっ!!」
「よしっ!! それじゃあ、行くよ、二人とも!」
「おうっ!!」
「了解ッスっ!!」
二人の返事に応えるように、ソリオの指先が宙を踊る。
今、ソリオが描いている紋章は、彼が『最初の一歩の遺跡』で見つけたプレートを解析したものである。
その効果は直接敵を攻撃するようなものではないが、汎用性にかけてはかなり有益な紋章術だろう。
そのため、ソリオたちは彼がその紋章の解析に成功してから、毎日その紋章の効果を発揮させるための特訓を行っていた。
ソリオの輝く指先が三つの紋章を描き出す。
もしもこの場にソリオ以外に紋章の意味を分かる者がいれば、彼が描いた紋章の意味に目を剥いただろう。
〈飛翔〉。
たった一つだけの事象を意味するその紋章。そして、その紋章がもたらす効果は説明するまでもない。
今、
ソリオとヴェルファイア、そしてコルトの身体が、大地の戒めから解き放たれ、大空という新たな空間を目指して舞い上がった。
「な、なんと────っ!!」
驚きの声を上げたのは、アゲート侯爵が率いる兵士と冒険者の連合軍の誰かだった。
隣でその声を聞いた者が、戦いの最中であることも忘れて思わず空を仰ぎ見る。
それに釣られて徐々に兵士や冒険者たちが空を見る。どういうわけか、敵である巨猿たちまでもが空を見上げていた。
「ひ、ヒトが空を飛ぶだと……?」
この世界には、空が飛べる種族はそれなりにいる。
ポルテのような小翅族に、鳥妖族や鳥人族など。中には吸血族のように、コウモリなどの動物に変化して空を飛ぶ者もいる。
だが、翼を持たない種族が空を飛ぶなど、これまで誰も考えたことはない。もちろん、中には空を飛びたいと思った者もいるだろうが、それを実現するための方法は皆無だったのだ。
風精と契約した精霊師でさえ、空を自由に飛翔する魔法は存在しないのだから。
翼を持たない種族は空を飛べない。その常識が今、ソリオたちによって覆された。
これには、空を悠然と舞っていた獣の女王も驚愕した。
「お、おのれ……こんなところまであの憎っくき魔道皇と一緒とは……っ!?」
ぎりりと歯を噛みしめ、忌々しそうにどんどんと上昇してくるソリオたちを見つめる獣の女王。
二千年前、かつて宿敵と戦った時も、その宿敵は今のソリオたちのように飛翔して彼女を苦しめたのだから。
それぞれの得物に魔素の輝きを宿したソリオたちは、三方から押し潰すようにマンティコアへと変化した獣の女王に襲いかかっていった。
安定して空を飛ぶヴェルファイアとコルトを見て、ソリオはこっそりと胸を撫で下ろしていた。
今、彼らは紋章術の力で空を飛んでいる。だが、この〈飛翔〉の効果を持つ紋章術は、極めて扱いが難しいのだ。
別にソリオに多大な負担がかかるというわけではない。では何が難しいのかといえば、それは空中での姿勢の制御だった。
元々、ソリオやヴェルファイアたち翼を持たない種族には、空中で姿勢を制御するという感覚がない。
ポルテなどのように、生まれつき翼や翅を持つ種族ならばなんでもないことなのだが、ソリオたちではそうはいかなかった。
確かに〈飛翔〉の効果で空を飛ぶことはできる。だが、それで自在に空中で機動できるかどうかは別問題だったのだ。
〈飛翔〉を使い始めた当初は、浮かびさえすれども思った方向に移動できず、明後日の方へと飛んで行ってしまったり、危うく墜落しかけたこともある。
空中で安定して姿勢を制御し、思った通りに移動する。それができるようになるまで、ソリオとヴェルファイア、そしてコルトは毎朝少しずつ訓練を重ねていったのだ。
その努力が実り、こうして何とか自在に空中で移動できるようになった。今では、かなりの速度を出すことも可能である。
この紋章の持続時間もかなり正確に把握している。そうでなければ、空を飛んでいる途中で効果が切れて墜落してしまうため、この紋章を使う時は持続時間を管理することも重要だ。
様々な面倒な要素を持つ反面、やはり空を飛べるという事実の利点は大きい。
今のように空を飛ぶ敵と戦うだけではなく、いろいろな局面で役立つに違いない。
「でも今はまず、あの敵を倒さなくちゃね」
愛用の戦旗を破壊されたため、予備の武器である幅広剣を握り締めながら、ソリオは獣の女王に襲いかかるヴェルファイアとコルトを援護すべく、彼らの戦いを片時も見逃さないように注視していった。
『無敵の盾』更新。
昔、とある漫画で「空を飛ぶ能力はあるけど、『空を飛ぶ』という事実をうまく認識できない──空を飛ぶという感覚が理解できないため、空を飛べない」という話を読んだことがあります。もう随分と昔の漫画なのでタイトルも覚えていない。確か、宇宙人に何らかの理由で力をもらって、ヒーローになるというストーリーだったはず(シグナルマンとかそんな名前だった)。
魔法などで空を飛ぶシーンは多くありますが、ふとその昔の漫画のことを思い出したのでネタにしてみました。
魔法で空を飛ぶって、「あ、こっちに行こう」という意識だけで飛ぶんだよなぁ。改めて考えると結構不思議。まあ、魔法だから不思議で当然ですけど。
もしも一つだけ魔法が使えるようになるとしたら、飛行魔法か瞬間移動魔法のどちらかがいいな。
もしくは、何でも透視できる覗き見魔法も男の浪漫ですよね? うひひ。
では、これからもよろしくお願いします。




