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絶対無敵の盾  作者: ムク文鳥
妖女覚醒編
46/97

漆黒の魔犬

 夜の闇を集めたような漆黒の毛並み。

 禍々しい光を放つ紅玉(ルビー)のような双眸。

 硫黄の匂いと共に赤い炎が吐き出されるぞろりと牙が生え揃った口腔。

 体高は上背のあるオーリスよりも更に高く。

 その高所にある紅玉のような双眸が、ぎょろりと足元で槍斧(ハルバード)を構えるオーリスを見下ろした。

「では、竜王の第一の騎士殿。改めて勝負といきましょうか」

 漆黒の魔犬と化したエアウェイブの言葉には応えもせず、オーリスは手にした槍斧を真一文字に横に薙ぐ。

 しかし魔犬は、その巨体からは想像もできないほど身軽に背後に飛び退ってその一撃を躱すと、巨大な口をかっと開いてそこから真紅の炎を吐き出した。

 迸った炎は周囲を赤く染めながら、オーリスを抱き締めようとその灼熱の腕を広げる。

 だが、オーリスは槍斧を地面に突き刺し、棒高跳びの要領で空へと舞い上がり、灼熱の抱擁を回避した。

 空中で見事にとんぼを切り、オーリスは魔犬から距離を取って着地する。

 ただし、その手に愛用の得物である槍斧はない。空へと舞い上がった時に手放してしまったのだ。

 更には、魔犬がその前脚で放棄された槍斧を踏みつける。

「さて、どうします、第一の騎士殿? いくらあなたと言っても、素手のままでは勝ち目はありませんが?」

 嘲るように、煽るように言う魔犬。しかし、オーリスに焦った様子は見られない。

 彼はその指先に淡い光を宿すと、さらさらと宙に指を滑らせる。

 空中に留まった光が紋章(ルーン)となり、その効力を発揮する。

〈呼寄〉

 描かれた紋章の効果に従い、魔犬の足の下にある槍斧が消え失せ、次いでオーリスの手の中に出現する。

 以前、似たような紋章術をソリオも使用したことがある。予め紋章術で印を付けておいた物を、手元に引き寄せる効果の紋章術だ。

 だが、ソリオの紋章術が空間を飛び越えて得物を取り寄せたのに対し、オーリスの紋章術は得物を手元へ瞬間移動させた。

 術の内容と難易度としては、ソリオが使用した〈引寄〉の上位版といえるものだ。

 予め印をつけておくことや、呼び寄せることができる大きさに制限がある点などは、ソリオの紋章術と同様である。

「やれやれ。相変わらず帝国の魔法技術は厄介ですね。しかも、竜王の第一の騎士であるあなたがそれを駆使するとなると、その厄介さも倍といったところですか」

 犬の姿にもかかわらず、魔犬は器用にも呆れたような表情を浮かべた。

「そうか。ならば、もっと厄介な目に合わせてやろう」

 オーリスが再び紋章を描く。

 一つ、二つ、三つ、四つ……彼の前の空間は、あっというまに光り輝く紋章で埋め尽くされていく。

 この時、魔犬もただぼうっと紋章が増えるのを見つめていたわけではない。

 描かれていく紋章がどのような効果を持つのか不明だが、魔犬にとって歓迎するようなものではないのは明らかだ。

 だから魔犬はその大きな口を開けてオーリスへと飛びかかった。

 いや。

 飛びかかろうとした。

 だが魔犬の足は、まるで縫い止められたかのように地面から離れない。

 どうしたことかと足元を確認した魔犬は、両の前脚の周囲に数個の光り輝く紋章が纏わり付いていることに初めて気づいた。

「こ、これは……いつの間に……っ!!」

 明らかに足止めの効果を持つであろう紋章たち。

 魔犬は気づかなかったのだ。魔犬の意識がオーリスが描き出す紋章に向いている僅かな隙に、宙に留まる紋章の中に足止めの効果を持つ紋章を紛れ込ませていたことに。

 魔犬はすぐに移動することを諦めると、再び口から灼熱の炎を吐き出した。

 しかし。

 その炎もまた、紋章の中に紛れ込んでいた防御用の紋章に阻まれる。

 目の前の目立つ紋章に注意を引き寄せている間に、補助効果を持つ紋章を幾つも紛れ込ませる。まるで手品師か詐欺師の手口のような戦法だが、これを汚いとか卑怯と呼ぶのは間違っているだろう。

 常に二歩も三歩も先を読み、的確な紋章を予め用意しておく。ソリオほどに高速で紋章術を展開できないオーリスの、騎士として幾つもの戦場を駆け抜けた経験を用いた彼なりの紋章術だった。

 そしてそれは、彼に紋章術を教えた師の戦い方でもある。

 オーリスの描いた紋章は三種類。

〈灼熱〉〈閃光〉〈直進〉

 それはソリオにはなぜか展開することのできない、明確な攻撃的な紋章術だった。




 オーリスの前に浮かぶ無数の紋章。

 それらの紋章から、赤銅色の無数の熱線が魔犬に向かって放たれた。

 熱線は魔犬の毛皮と皮膚と筋肉を易々と貫き、同時に穿った穴の周囲を高熱で焼く。

 魔犬に向かって集束される無数の赤い熱線。

 瞬く間に魔犬の身体のあちこに穴が穿たれ、ぶずぶすと焦げた匂いを周囲に撒き散らす。

 おおおおおおおおん、と魔犬の口から苦悶の声があがる。

 それまでの人としての声ではなく、獣のような咆哮。明らかに魔犬は苦しんでいた。

 宙に描いた無数の紋章が、その役目を果たして消滅する。だが、その紋章の向こうにオーリスの姿はない。

 そのことを魔犬が不審に思うより早く、上空から魔犬の頭部に向かって稲妻が落雷した。

 その稲妻は赤光を宿した槍斧の形をしており、その槍斧の柄の部分には槍斧を操る騎士の姿もある。

 赤い熱線が魔犬の身体を穿つと同時に、上空へと舞い上がったオーリスが落下し様に魔犬の顔面を切り裂いたのだ。

 魔素の光を宿した槍斧の分厚い刃は、魔犬の左目から頬、そして口元までを切り裂いた。

 どす黒い血を傷口から撒き散らし、魔犬が再び咆哮する。

 この時になって、魔犬の前脚を地面に縫いつけていた紋章が、その効果を失って消滅した。

 ようやく自由になった身体を激痛を紛らわせるように捩らせ、魔犬は残された右目でかつての戦友を睨み付ける。

「お、おのれ……おのれ、オーリス・カルサナイト……っ!!」

 怨嗟の込められた真紅の瞳が、燃えるように輝く。

 だが、オーリスはそれに全く動じることなく、油断なく愛用の槍斧を構える。

 魔犬がオーリス目がけて突進し、間合いに入ったところでその鋭い爪の生えた前脚を振り下ろす。

 対して、オーリスは再び宙に紋章を描く。今度の紋章はソリオもよく用いる物理的な防御用の盾だ。

 空中に現れた光り輝く盾が、黒犬の前脚を受け止める。だが、ソリオの盾ほどは強度のないオーリスの盾は、あっけなく魔犬の前脚で粉砕された。

 だが、それで十分なのだ。

 ほんの一時、盾が魔犬の前脚を防いだその瞬間、オーリスは高速で移動していた。

 後ろへ下がるのではなく、前へと。

 魔犬の巨体の下へと潜り込んだオーリスは、槍斧を力一杯振り上げる。

 槍斧の先端に取り付けられた槍の穂先と、斧の分厚い刃が魔犬の腹を深々と切り裂く。

 手の中で槍斧をくるりと回転させたオーリスは、次いで横一線の薙ぎ払いを繰り出し、魔犬の右の後脚を半ばまで断ち斬った。




 余りにも一方的に攻め続けられて、魔犬は──いや、エアウェイブは明らかに狼狽していた。

 オーリスはかつて……二千年前には、共に肩を並べて帝国と戦った戦友でもある。その彼の実力は十分把握していた。していたはずだった。

 確かに二千年前同様、いや、それ以上に彼の振るう槍斧は鋭く重い。

 だが、それだけならば幾らでも対処する方法はあったのだ。

 問題は、その彼が帝国の魔法技術──紋章術までもを駆使して戦っていることだった。

 かつては竜王の第一の騎士とまで呼ばれた武勇の持ち主が、帝国の魔法を織り交ぜて戦うのだ。

 その脅威は二千年前とは比較にならない。

 紋章術によって直接的な攻撃や補助的な効果を得ながら、その鋭い槍斧が稲妻のような速度で襲いかかってくる。

 これにはさすがのエアウェイブも焦りを覚えずにはいられなかった。

 (じゅう)の女王──彼の生みの親である彼女から与えられた強靭な肉体と驚異的な再生能力がなければ、とっくに彼は破れていただろう。

 だが、再生能力にも限度がある。体内に蓄えた魔素を使いきってしまえば、その再生も適わなくなるのだ。

 これまでの戦闘で、既に大半の魔素を再生で消費してしまった。

 残された魔素はあと僅か。ならば、エアウェイブの取る行動はその僅かな魔素を用いて攻勢に出ることだ。

 彼は内心で、己に残された切り札を切る決心を固めた。




 魔犬の腹の下に潜り込んだオーリスが、再び魔犬の腹を斬り裂いた。

 どす黒い血が斬り裂いた腹から零れ落ち、オーリスの身体を汚していく。

 流れ落ちる血の向こう。そこにオーリスは異変を見た。

 今彼が斬り裂いた腹の傷が、ぐにぐにと突然蠢いたかと思うと、斬り裂いた傷口にびっしりと細かくも鋭い牙が生え揃った。

 それはまるで口だった。腹の傷がもう一つの口へと変貌し、斬り裂いた以上に大きく口腔を広げてオーリスの身体を飲み込もうと迫る。

「黒犬……っ!! 貴様、自分の身体を変貌させたのかっ!?」

 驚愕でオーリスの動きが僅かに鈍り、回避が遅れた。

 その僅かな隙を逃すことなく、魔犬の腹にできた口がオーリスが持つ槍斧を捕えた。

 ばくん、と口が閉じ、次いで木と金属が砕ける音が響く。

「……き、貴様とて分かっているだろう? あまりにも無茶な変貌は、貴様らの身体といえどもその存在を根本的に歪める! 腹にもう一つの口なぞ作りだせば、貴様は二度と人の姿には……っ!!」

 槍斧の残骸となった柄を放り捨て、オーリスは厳しい視線で魔犬を睨む。

「それがどうしました?」

 魔犬は左側を裂かれた頭部に、どこか人間じみたにたりとした粘ついた笑みを浮かべた。

「人の姿になれなくなることが何だと言うのです? あなたさえ仕留めることができれば、私はそれでいいのですよっ!! お忘れですか? 私は……我々は作り出された呪われた存在です。今更人の姿に拘る必要など………………どこにもないっ!!」

 魔犬は更に変貌を続け、身体中から鉤爪の生えた無数の腕を生み出し、その腕でオーリスをからめ取ろうとする。

 オーリスは腰に()(ばさ)んでいた肉厚の鉈を引き抜くと、その鉈で迫り来る無数の黒い腕を弾いて捌いていく。

 だが、その全てを捌くことはできず、鉈を潜り抜けた鋭い爪が彼が身に着けた防具を容易く切り裂き、その下の肉体に幾つもの朱色の溝を穿った。

 明らかにオーリスの動きが鈍くなる。深くはないとはいえ、数多くの傷が彼の体力を奪っているのだ。

「ふはははははははっ!! 竜王の第一の騎士もこうなると脆いもの! 所詮はあなたも人間に過ぎないのですよっ!!」

 魔犬の頭部の口が大きく広げられ、その喉の奥にちらちらと揺らめく炎が垣間見える。

 傷によって動きが鈍り、無数の腕によって戒められたオーリスを、一気に焼き尽くすつもりなのだろう。

 オーリスは何とか動かすことのできる腕を必死に使い、鉈の表面に紋章を刻む。

「無駄ですよっ!! どのような紋章を刻もうが、そんな小さな鉈では効果はたかが知れている」

 頭部の口ではなく、腹部にできた口で魔犬がオーリスを嘲り笑う。

 その嘲笑を聞きながら、オーリスは最後の力を振り絞って手にした鉈を投擲した。

 投擲された鉈は、くるくると回転しながら魔犬の顔面めがけて飛翔する。

「ですから無駄なんですよっ!!」

 魔犬は器用にも大きく開けた口で、飛来する鉈を受け止めた。いや、飲み込んだという方が正しいか。

「おやおや、最後の武器さえも失っては、もう勝負は決しましたかねぇ?」

「そうだな。もう勝負はついたよ」

 だらりと身体を弛緩させるオーリス。その様子はまるで、敗けを悟って覚悟を決めたかのようだった。

「さすがは竜王の第一の騎士。潔い散り際です」

 勝利を確信した魔犬が、再び頭部の口を大きく開く。今度こそ、オーリスを焼き殺すつもりなのだろう。

 そして、魔犬の喉の奥の炎が激しく膨れ上がった。

「ああ。勝負は私の勝ちだ」

 オーリスがそう告げると同時に、魔犬の頭部と身体の前半分が内側から弾け飛ぶように爆散した。

 腹部にできた口からも炎と煙を盛大に吐き出しながら、魔犬の残された身体が大地に沈む。

 先程オーリスが投擲した鉈。彼がそこに描き込んだ紋章は、高威力の爆発を生じさせるものだったのだ。

 その紋章を鉈ごと魔犬は飲み込んでしまった。いや、元よりオーリスが魔犬の口目がけて投擲したのである。

 無数の腕により戒めも解け、自由を取り戻したオーリスは何の感慨もなく魔犬の亡骸に背中を向けた。

 彼の戦いはまだ終わっていない。これから彼の主である人物を探しだし、その助力をせねばならないのだから。

「だがその前に……新しい武器を調達せねばな……」

 オーリスは周囲を見回した。幸い、この辺りは職人たちの工房が集まっている区画だ。さがせば武器職人の工房もあるだろう。

 周囲に立ち並ぶ工房の中を覗き込みながら、オーリスの心は逸る。

「もうすぐ……もうすぐ再会できますぞ、ソリオ様……っ!!」



 『無敵の盾』更新。


 ソリオたちの裏で行われていた戦いに決着。

 次回より、再び視点はソリオたちと獣の女王との戦いに戻ります。


 では、これからもよろしくお願いします。


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