悪夢の終わり
近距離から放たれた氷柱は、巨人の頭部目がけて真っ直ぐに打ち出された。
氷柱の大きさは人の腕一本分ほどとかなり大きい。太さも直径五センチ以上あり、これをまともにくらえば屍の巨人といえども、全くノーダメージというわけにはいかないだろう。
だが、それも巨人に命中すれば、である。
巨人とてむざむざと氷柱に貫かれたりはしない。当然、氷柱を避けようと試みる。
この時、巨人がとった回避行動は、そのまま前のめりに倒れ込むことだった。
上半身しかなく、しかも腕までもがかなり短くなっている巨人。その巨人が回避を試みるとすれば、それが一番効率的であることは間違いない。
そして、それはソリオの読み通りの行動でもあった。
巨大な氷柱をぎりぎりで回避した。
氷柱は前に倒れ込んだ彼の頭上を通過して、夜空へと消える。
そのことを気配で感じ取った吸血族の男は、にたりとした狂気じみた笑みを浮かべた。
おそらく、今の氷柱が敵の切り札だったに違いない。
もしもあの氷柱が自分に命中していたら、いくら今の自分が屍人たちから力を得ているとはいえ、さすがに無事ではいられなかっただろう。
それほどまでの威力を秘めた精霊術だった。
しかし、どんなに強力な魔法でも、当たらなければ意味がない。
これで相手は手詰まりだろう。後は一方的になぶり殺しにすればいい。
そう思って、彼は憎き少年の姿を探した。
だが。
すでに少年はその場から姿を消していた。
一体、いつの間に。
彼がそう考えた時、彼の耳に届いたものがある。
それは歌だった。
精霊師でもある彼がよく知る、精霊がその力をふるうときに奏でる声なき歌。
確かに、彼はその歌を先程も聞いた。先程回避した、巨大な氷柱を見た時だ。
この時、彼は改めて気づいた。巨大な氷柱を見た時から、今聞こえている歌はずっと歌われたままだったことを。
そして彼は見た。
目の前に広がる、彼に決定的な打撃を与えるだろうそれを。
切り札とは、最後の最後まで温存しておいてこそ価値がある。
ソリオにそれを教えたのは、養父であるスイフトだった。
だからこそ、ソリオはここで切り札を切った。屍の巨人を確実に倒すために。
スイフトは切り札を温存しろとソリオに教えた。ソリオも、それは正しいと思っている。
だが、何もその切り札を自分が所持している必要はないのだ。
紋章術を使えるソリオだが、なぜか攻撃系の紋章術は一切使えない。しかし、それでも構わない。
なぜなら、そんな時のために彼ら冒険者は仲間とチームを組むのだから。
だからソリオは切り札を信頼できる仲間に託した。
チームで最大の打撃力を持つ彼女に。
その小さな身体に大いなる魔法の才能を秘めた彼女──ポルテに。
ポルテは威力の低い精霊術を幾つも幾つも展開し、それらを全て制御していた。
彼女の意志に応えて、契約している氷精のエンジェライトも力の限りを尽くしてくれている。
ポルテは精霊術を制御しながら、エンジェライトに力の代償たる魔素を供給する。
今、ポルテは宙に浮かんではいない。
街道の傍らの木の根元に身を隠し、近くに置かれた三つの魔素含有水晶から魔素を取り出し、エンジェライトに供給していた。
これらの魔素含有水晶は、ソリオが所持していた二つと、コルトの杖の先端に嵌め込まれていたものである。
コルトと出会ったあの地下通路で、これら三つの魔素含有水晶が内包していた魔素は一度は使い果たした。
本来、魔素含有水晶が内包している魔素は、使いきったら回復しない。
だが世界でただ一人、紋章術が使えるソリオだけは、魔素含有水晶に魔素を充填する方法を知っていたのだ。
魔素含有水晶とは、元々紋章術を用いて作り出されているのだから、紋章術を知るソリオがその方法を知っていても不思議ではない。
とはいえ、魔素を魔素含有水晶に充填するにはかなりの時間が必要なので、いつでもどこでも行えるというものではないのだが。
今、ポルテが用いている三つの魔素含有水晶には十分に魔素が込められている。その魔素をエンジェライトに供給し、彼女に力を行使してもらうのだ。
精霊がその力を十分に発揮するには、精霊師の協力が不可欠である。
氷精であるエンジェライトと、精霊師のポルテ。二人が力を合わせることで、彼女たちが持つ最大級の魔法が完成する。
なんせポルテ自身と三つの魔素含有水晶に含まれていた魔素の殆どをつぎ込んだのだ。その威力は先程飛ばした氷柱の比ではない。
そもそも、あの氷柱は今のこの状況を作り出すために、そして今展開している術のための時間稼ぎの布石に過ぎないのだから。
エンジェライトが奏でる精霊の歌が、最高潮に達する。
その時、ポルテは精霊術を一気に解放した。
ヴェルファイアは、目の前で展開している光景が信じられなかった。
それはおそらく、自分の隣で呆然とそれを見ているコルトも同じなのだろう。
彼らから少し離れた地点に、無数の煌めきが発生していた。
それらは一つひとつは決して大きくない。ヴェルファイアの人差し指程度の大きさだろう。
だが、その煌めきがとんなに小さくても、数が集まれば強烈な輝きとなる。
小さな輝き。それはポルテが魔法で作り出した無数の氷の鏃だった。
今、数百を超える氷の鏃が、月明かりに照らされてきらきらと煌めいているのだ。
そして、数百を超える輝きが一斉に解き放たれる。
標的はもちろん屍の巨人。
しかも標的は今、前のめりに倒れている。
倒れた状態では回避することなどできない。更には、倒れていることによって、頭部を無防備に氷の鏃に曝け出している状態だった。
一つひとつは小さな穴を穿つのが精々の氷の鏃。その威力は弓から放たれた矢と大差ない程度でしかない。
だが、小さな穴も無数に集まれば大きな穴となる。「点」が寄り集まり「面」となるように。
ポルテの放った低威力魔法の一斉解放は、まさに面の攻撃となって屍の巨人を瞬く間に頭から押し潰していった。
ポルテの精霊術は、屍の巨人の身体の半分ほどを文字通り削り取った。
屍の巨人の基点であった頭部を失ったことで、残った巨人の半身も見る間にぼろぼろと崩れていく。
だが、そんなポルテの魔法をまともにくらいながらも、吸血族の男はなんとか生き残っていた。
とはいえ、さすがに無傷というわけではない。ポルテの精霊術で左腕の肘から先を失い、腰から下をも失っている。
まるで先程までの屍の巨人によく似た姿だが、それでも彼が生きていられるのは右手に握り締めた魔法具のねじくれた杖の力だった。
杖に蓄えられた血が、彼の命を繋ぎ止めていた。さすがに失った手足を再生することはないものの、彼は残された右腕一本でずりずりと這いずりながら進んでいく。
そう。彼をこんな姿にした敵から逃げるために。
「…………まだだ……まだ僕は終わっていない……この杖さえあれば……この杖の力があれば、もう一度プラウディアと……」
「悪いけど、ここであんたを見逃すわけにはいかないんだ」
突然聞こえた声に、男は怯えた表情を浮かべながら振り返る。
彼の視線の先には、プラウディアを穢した──と彼が思い込んでいる──少年がいた。
その少年の背後には、彼の仲間らしき冒険者の姿も見える。
旗を取り付けた槍を手にした少年は、無警戒に彼に近づいてきた。
「よ……寄るな……寄るなあああああああああああっ!!」
彼は這いずって必死に逃げようとする。だが、今の彼では思うように動くこともままならず、少年は彼の傍らに立つと足で彼の右手首をぎりっと踏み締めた。
「ぐ………うぅぅぅ……っ!!」
今の彼でも痛みを感じないわけではない。
手首を踏みにじられる痛みに、彼の手から力が抜ける。
それを見透かしたように、少年は彼が手にしていた杖を蹴り飛ばした。
杖は彼の手元から離れ、少年の仲間たちがいる方へと飛ばされる。
「ヴェル」
「おう」
名を呼ばれた仲間の一人──鬼人族だった──が、足元に落ちた拗くれた杖に巨大な戦槌を振り下ろす。
ぱりん、と乾いた音と共に杖は先端に取り付けてあった貴石共々呆気なく砕け散る。
それと同時に、今までとは比べ物にならない激痛が彼の身体を駆け巡った。
身体の半分近くを失った彼が、今も尚生きていられたのはあの杖の魔力だ。その杖が砕けた以上、彼の命を繋ぎ止める力も失われたことになる。
彼は全身を襲う激痛に、声を発することさえできずに悶え、苦しみ、それでも必死に足掻きながら、その意識は徐々に徐々に二度と戻らぬ暗黒の底へと落ちていった。
「お帰りなさいませ、お父様」
「うむ。今帰ったのである」
居城に戻ったクリノクロア伯爵を、愛娘のプラウディアが労いの言葉と共に出迎えた。
あの後。
ソリオたちが屍人を操っていた吸血族の青年を倒すと同時に、彼に支配されていた屍人も活動を停止し、ただの死体へと戻った。
屍人を操っていた杖が壊れたことで、その魔力が途切れたからだろう。
戦闘はそこで終了したのだが、伯爵の仕事がそれで終わったわけではない。破壊された街の復興や、死体の埋葬、そして避難した市民の帰還の誘導など、伯爵と配下の兵士たちは事件後も数日は多忙を極めた。
そして今日、ようやく彼らの仕事も一段落ついたのである。
出迎えた娘の顔に寂しそうな影があることを見抜いた伯爵は、自身も少し寂しそうに愛娘に告げる。
「行ってしまったのか、彼は」
「はい。すっぱりと振られましたわ」
そう言いながら笑顔を浮かべるプラウディアだが、やはり寂しさは拭いきれない。
ソリオがプラウディアを妻とできない理由。それは寿命だった。
長くても七十年ほどの寿命しかない人間族と、三百年以上の寿命を持つ吸血族。あまりにも寿命が違いすぎた。
結婚して人生を共に歩む以上は、同じように老いていきたい。それが自分の望みであり、同族との結婚に拘る理由だと、ソリオはプラウディアに告げたのだ。
それを聞かされては、クリノクロア伯爵も納得せざるをえなかった。
貴族としてソリオにプラウディアとの婚姻を強制することもできなくはないが、そんなことをすればソリオは隣国へでも逃げ出すだろう。
彼らは自由を常とする冒険者なのだから。
「惜しい男を逃がしたものであるな」
「はい。本当に」
父と娘は、そう言ってやはり少し寂しそうに笑い合うのだった。
アパタイトからコーラルへと続く街道を、『真っ直ぐコガネ』は意気揚々と歩いて行く。
「なあ、ソリオ? あのお嬢さん、本当に振っちまってよかったのか?」
ヴェルファイアは隣を歩くソリオに、にやにやとした笑いを浮かべながら尋ねた。
「うん、いいんだ。プラウディアにも納得してもらったからね」
「やれやれ、勿体ねえなぁ。あのままプラウディアと結婚していれば、将来は伯爵様だぜ?」
「だから、いいんだってば。やっぱり俺は同じ人間族の嫁を探すからさ」
その後もあれこれと言い合いを続けるソリオとヴェルファイア。
彼ら『真っ直ぐコガネ』は、アパタイトの街へ向かう時同様に防具や武器を身に着けている。
だが、行きとはその内容が少々違った。
ヴェルファイアは愛用の巨大な戦槌を肩に担ぐようにしているが、その背には一本の大剣が背負われていた。
同じようにソリオとコルトは腰に幅広剣を佩き、ポルテはその身体に合わせた小剣を帯びている。
彼らは授剣したのだ。
彼らはアパタイトの街を屍人や屍の巨人から救った功績を認められ、領主であるクリノクロア伯爵から剣を帯びることを許可された。
もちろん、彼らが授けられた剣の柄頭にはクリノクロア家の紋章が入れられており、これらの剣が正式に授剣されたものであることを証明していた。
「足止めどころか、たった五人であの巨人を倒してしまうとは……正直恐れ入ったのである!」
クリノクロア伯爵は、そう言って『真っ直ぐコガネ』の功績を正式にアパタイトの住民にも宣言し、住民たちも彼らを諸手を挙げて褒め称えた。
確かに彼らが冒険者となったのはまだまだ最近のことである。冒険者となり授剣するまでの期間は、異例と呼べるほどに短いものだ。だが、彼らが授剣するに相応しいだけの実績を示したのも事実であった。
同時に、ヴェルファイアもコルトもポルテもクリノクロア家に士官しないかと勧誘も受けたが、彼らはソリオと共に冒険者を続ける道を選んだ。
彼らが出会ってまだまだ日は浅い。彼らの冒険者としての活躍はこれからなのだから。
『無敵の盾』更新。
今回を持ちまして、「吸血姫編」は終了です。
いやしかし、今回の「吸血姫編」は本当に不評でした(笑)。
吸血族が裸族だったのが受け入れられなかったのか、単にプラウディアが嫌われたのか、それとも他に原因があったのかもしれませんが、お気に入り登録が「吸血姫編」に入ってから確実に百人以上減りました。
でも、自分的には書きたいこと──吸血族が裸族──が書けたので後悔はしていません。ええ。
さて、次章は「妖女強襲編」で行こうと思います。
『無敵の盾』もそろそろ折返し地点。ソリオの過去に関わる重要なキャラクターもどこかで登場する予定です。
では、次回もよろしくお願いします。




