ストーカー
腐肉の山の中から現れた吸血族の男。
その男の顔をまじまじと見つめていたプラウディアは、やがて震える唇からぽつりと言葉を紡ぎ出した。
「………………………………………………だ、誰?」
その瞬間。
プラウディアに尋ねられた吸血族の男と、二人の様子を固唾を飲んで見守っていた『真っ直ぐコガネ』は思わず絶句した。
それまで周囲で騒がしかった野生の獣や、虫たちの声までもがぴたりと止み、辺りに静寂が訪れた。
「き、君は僕を覚えていないのかいっ!? ほ、ほら、子供の頃、同じ賢者の私塾で共に学んだこの僕をっ!?」
本来、プラウディアのような貴族の子弟は、家庭教師を雇うものである。だが、クリノクロア伯爵の「市民と触れ合わねば、本当の信頼は得られない」という教育方針の元、彼女は市井の私塾で基礎学問を学んだのだ。
男にそう言われたプラウディアは、その美麗な眉をハの時に寄せながらも、数歩屍の巨人へと近づいて改めて男の顔を眺めた。
そして。
「………………………………………………だ、誰?」
やっぱり、プラウディアは男に見覚えがないらしかった。
ただでさえ青白い顔色を更に青くして、男の顔に悲しそうな表情が浮かぶ。
そんな男を、『真っ直ぐコガネ』たちは黙って見つめる。
彼らの視線は「可哀想なもの」を見る、それでいてどこか優しげなもので。
「ま、まあ、そういうことってよくあるッスよ? 自分は知っているけど、相手は自分が思っているように自分のことを知らないことなんて……まあ、何て言うか……ドンマイ?」
気休めなのか、慰めなのか。コルトは吸血族の男に向かって、無駄にいい笑顔を浮かべながらびしっと右手の親指をおっ立てた。
「ね、ねえ、プラウディア? 本当に彼のこと、覚えていないの?」
「確かに、わたくしは父の教育方針で基礎的な読み書き計算といった学問は、城下のとある賢者様が開かれていた私塾で学びました。そこには私以外にも数人の生徒がいましたが……」
ソリオに尋ねられ、そう答えながらプラウディアの視線は件の男へと向けられるが、その顔はゆっくりと横に振られた。
「……彼には全く見覚えがありません」
「……ま、全く見覚えがねえのかよ……以外ときついな、このお嬢様は……それとも、あいつがよっぽど影が薄かったのか……」
呆れたように呟いたヴェルファイアの言葉に、彼の姉貴分もふわふわと漂いながらうんうんと頷いている。
一方、吸血族の男の表情は、悲しみを通り越して既に涙目だった。まあ、無理もない。それまで一方的に熱を上げていた異性から、全く見覚えがないと言われたのだから。
「ほ……本当に君は僕を覚えていないのかっ!? 時には隣に机を並べて学んだこともあったのだぞっ!? 薬草学の授業で外で自生している薬草を取ってくる課題を出された時、一緒に近隣の森へ出かけたじゃないかっ!!」
「……確かに、そんな課題を出された記憶はありますが……あの時は数人で共に森へ出かけたので……」
「じゃ、じゃあ、いつも一緒に昼食を食べていたよねっ!?」
「昼食はいつも数人と一緒に食べていたはず……」
「授業に必要な書物を一緒に町で探したじゃないかっ!?」
「書物探しをしたことはありますが、その時は我が家の家令と一緒に……」
「算術の試験で互いに上位を争った記憶はっ!?」
「はて……算術はいつもわたくしが単独で首位だったはずでは?」
「…………」
男は、性も根も尽き果てた顔でがっくりと肩を落とした。
そんな男に向けられる『真っ直ぐコガネ』の視線は、既に同情の域に達している。
「……まあ、あれだ。俺もそんなに女にモテる方じゃねえからよ? あんたの気持ちは良く分かるぜ」
ヴェルファイアが愛用の戦槌を肩に担ぎながら、男に優しい声をかける。もしも彼に手が届くものなら、その肩を優しく叩いてやっていただろう。
もしも当時のプラウディアの他の学友が、この場にいれば簡単に氷解する問題ではるが、さすがにこの場に学友を連れてくるわけにもいかない。。
やがて、力なく垂れ下がっていた男の首が、再びゆっくりと持ち上げられた。
持ち上げられた彼の顔には、涙ぐむまでの悲しみはすっかりなりを潜め、その代わりに明らかな怒りが浮かんでいる。
「…………貴様のせいだ……」
地の底から響くような、怨嗟に満ちた声が男の唇から零れ落ちる。
「……貴様がいるから、プラウディアは僕のことを思い出せないんだ……許さないぞ……絶対に許さないからなっ!!」
燃えるような視線をソリオに向けながら、男は屍の巨人の巨大な腕を振り上げた。
颶風を纏って振り下ろされる屍の巨人の右腕。その標的はまぎれもなくソリオ。だが、屍人で構成されたその腕がソリオを捕えることはなかった。
ソリオと巨腕の間に出現した、光輝く盾がその進行を阻んだのだ。
突如出現した光の盾に激突した巨人の腕は、その腕を構成している屍人をぶちぶちと押し潰しながら更に盾に圧力をかける。
だが、巨人がどれだけ力を込めようが、盾は決して突破を許さない。
「……どうして、そこで俺が関係するのかなぁ。それって完全に一方的な八つ当たりだよね?」
「煩いっ!! 煩いっ!! 煩いっ!! 煩いっ!! 煩いっ!! 煩いっ!! 煩いっ!! 煩いっ!! 煩いっ!! 煩いっ!! 煩いっ!! 煩いっ!! 僕は知っているぞっ!! 貴様とプラウディアが彼女の部屋で、服を着たまま二人きりでいたことをっ!! 貴様は……貴様は僕のプラウディアを穢したんだっ!!」
思わず互いに顔を見合わせるソリオとプラウディア。
そしてプラウディアは赤く染めた頬に自分の両手を添え、はにかむようにふとソリオから視線を逸らした。
その仕草はまるで逢瀬を楽しんだ後に、それまでの自分たちの行為を思い出して恥じらう恋人たちのようで。
『真っ直ぐコガネ』の面々は、ソリオとプラウディアの間にそんな恥じらうようなことは何もなかったことを知っているが、怒り狂う吸血族の男の目には恥じらい合う恋人同士以外の何者でもなく映る。
「や……やはり……やはり貴様がプラウディアを……僕のプラウディアの純潔を……っ!!」
「いや、俺とプラウディアの間には何もないから……って、プラウディアも誤解を招きそうな仕草をしないでくれるかなぁ?」
相変わらず頬に手を当て、微妙に身体をくねらせているプラウディアに、ソリオは呆れ混じりに告げる。
二人が最前線で茶番じみたことをしている間も、屍の巨人は巨大な両腕を交互に叩きつけてくる。
一撃で城壁さえ破壊しそうな威力を秘める巨人の攻撃。しかし、ソリオが作り出した盾はそれを全て受け止める。
「な……何だ、その盾は……そ、そんな盾が精霊術にあるなんて、聞いたこともないぞっ!!」
精霊術に於いて、土精や岩精の力を用いた防御魔法が、物理的な防御力に秀でていることは有名である。
だが、目の前で巨人の攻撃を受け止めている盾からは、土精や岩精などの精霊の力は一切感じられない。自身が岩の精霊術師である彼には、それがはっきりと分かっている。
それなのに正体不明の盾は、彼が操る屍の巨人の攻撃を完全に防いでいるのだ。
「な、何だ……? 一体何なんだその盾はああああああああああああああっ!?」
目の前の光景が理解できない──いや、理解したくない吸血族の男は、遮二無二攻撃を繰り返しながら、いつの間にかそう絶叫していた。
巨人の腕を形成する屍人たちは、前方に展開された盾に後ろから押しつけられる形となり、次々に潰されていく。
当然、次第にその腕の長さは短くなり、今では当初の半分と少しほどしかない。
そして、そのことに『真っ直ぐコガネ』はしっかりと気づいていた。
「ねえ、ソリオ様。このまま攻撃を防ぎ続ければ、相手は自滅するんじゃないッスか?」
「うん……俺も盾を上手く使って巨人の身体を何とか削ろうかと思ったんだけど……」
盾を維持しながら、ソリオは仲間たちに自分が考えていたことを説明する。
半円形の全方位型の応用で、盾で球形や立方体の区切られた空間を作り出し、それを巨人の身体の一部を閉じ込めるように展開すれば、巨人の身体を切り分けることも可能だろう。
巨人の身体から零れ落ちた屍人は、自ら起き上がって巨人の身体に戻るようだが、閉じ込められた屍人は戻ることさえできない。
後は切り分けた空間の中の屍人を各個撃破していけば、最終的にこの屍の巨人でさえ倒すことができる。
理論上は、だが。
実際はそれを行うことは極めて難しい。
当然ながら、屍の巨人は常に動いている。
その動きを前もって予測し、巨人の身体が通過する空間に通過する瞬間を狙って盾を展開するのは、ソリオを以てしても決して容易なことではない。
もしくは巨人の動きが止まった瞬間を狙えばいいのかもしれないが、今、巨人を操っている吸血族の男は、怒りに我を忘れている状態だ。
そのため、巨人の身体は常に動いており、動きが止まる気配がない。
生物ならば休息のために止まることもあるだろうが、身体を構成するのが屍人である以上、巨人に休息は必要ないとみていい。
そして何より、ソリオ自身の魔素が残り少ない。
先程までは街中で屍人の大軍と戦っていたのだ。連戦となっている現在、魔素の残量も心許ない状態である。
「じゃあ、どうすんだ?」
降りかかる屍人の破片を戦槌を振り回して払いのけながら、ヴェルファイアが尋ねる。
心配そうな表情を浮かべているヴェルファイアに、ソリオはにかりと微笑む。
「こういう時は、敵の弱点を突くのがお約束だよね?」
そしてソリオは、ヴェルファイアに向けていた視線をポルテへと移動させた。
唐突に、目の前に存在していた忌々しい輝く盾が消失した。
「くくく…………はははははははははははははっ!! どんな仕掛けだったのかは知らないが、どうやら魔素が尽きたようだねぇっ!!」
地表から十メートル近い位置に存在する巨人の頭部。
その頭部に身体の半分ほどを埋め込んだ状態の吸血族の男が、実に楽しそうに笑う。
あの盾がどんな種類のものかは不明だが、それを発生させるには魔素を用いているのは明らかだ。その盾が突然消失したのは、術者の魔素が尽きたからだと男は推測した。
そして、その推測はほぼ的中していた。
自身の魔素の限界量ぎりぎりまで盾を展開していたソリオは、自発的に盾を消失させた。
そして同時に、盾の影から四つの人影がそれぞれの方角へと飛び出していく。
もちろん、その光景は地表を見下ろす吸血族の男からは丸見えだ。
飛び出した四つの影。その内の一つが憎むべき少年だと彼も気づいている。
「ふはははははっ!! 今度こそ押し潰されて挽き肉になるがいいっ!!」
当然彼はプラウディアを穢した少年に狙いを定めて、随分と短くなった巨人の腕を再度繰り出した。
いや、繰り出そうとした。
今まさに腕を繰り出して憎き少年を押し潰そうとした時。巨人の身体が不意にぐらりと揺れたのだ。そのため、繰り出した腕は目標である少年から大きくそれ、大地に叩きつけられた。
何ごとが起きたのかと吸血族の男性が地面へと目をやれば、そこには巨大な戦槌を振り抜いた姿勢の鬼人族の青年。
しかもよく見れば、彼が手にしている戦槌は先端の槌部分がほんのりと輝いている。
鬼人族の青年が振り抜いた戦槌が、巨人の胴体を身体を構成している屍人を纏めてごっそりと抉り取ったのだ。
そのため、バランスを崩した巨人の身体が傾ぎ、狙いが逸れてしまったのだ。
「お、おのれっ!! 魔素が付加された武器を持っていたのかっ!?」
いくら鬼人族が怪力を誇り、戦槌が高い攻撃力を持っていたとしても、巨人の身体となっている屍人を纏めて吹き飛ばすことは不可能だ。
それを可能する何らかの力が、彼が持っている戦槌には秘められている。吸血族の男はそう判断した。
実際はソリオが、紋章術でヴェルファイアの戦槌に魔素を付加して一時的に攻撃力を高め、同時にヴェルファイアの身体もその身体能力を向上させた。
それらの効果が相乗されて、通常では考えられない攻撃力を発揮し、巨人の身体の一部を一撃で吹き飛ばしたのだ。だが、その絡繰を知らない彼は、単にヴェルファイアが持つ戦槌が秘めた力だと判断した。ソリオが紋章術の使い手であることを知らない以上、それは妥当な判断と言えるだろう。
そして、巨人の身体に攻撃を与えるのはフェルファイアだけではない。
同じように魔素を付加された鎖分銅を振り回したコルトが、身体能力を向上させ羆に変化したプラウディアが、僅かずつではあるが巨人の身体を形成する屍人を削っていく。
ちなみに、正体が骸骨であるコルトは筋肉がないため身体能力を上げることはできず、武器を持たないプラウディアは攻撃力を上昇させられない。そのためコルトは武器を、プラウディアは身体能力のみを向上させていた。
「おのれ……羽虫の分際でちょこまかとっ!!」
再び巨人の腕を振り上げ、足元──正確には胴元とでも言うべきか?──でちくちくと攻撃を繰り返す連中を押し潰そうと試みる。
その時。
紺地に緑の昆虫のようなものを染め抜いた旗が、視界の端でふわりと揺らめくのが見えた。
反射的にそちらへと目を向ければ、そこには例のプラウディアを穢した少年が、槍の柄に旗を取り付けたようなものを手にして挑発的な笑みを浮かべていた。
彼が持つ戦旗──吸血族の男は、それが戦旗と呼ばれる武具であることを知らない──は、その石突きを大地にしっかりと立て、戦場を流れる風に戦旗が大きく旗めいている。
「おまえの標的は俺だろ? だったら余所見しちゃいけないんじゃないか?」
ご丁寧に指先をくいくいと曲げて挑発するソリオ。
そしてその挑発に、怒り心頭の吸血族の男は易々と引っかかる。
「いいだろうっ!! 予定通り、まずは貴様から血祭りに上げてやるっ!!」
屍の巨人が、ずずいっとソリオの方へとその巨体を乗り出すように全身させる。
その時、下半身がなく腕も短くなった巨人の身体は、自然と以前よりも前のめりになり、吸血族の男が半身を融合させている頭部は、地表から四メートルほどの地点まで下がっていた。
それを見たソリオは、にかりと不敵に笑う。
吸血族の男がそのことを不審に思うよりも早く、ソリオは大地に突き立てていた愛用の戦旗さっと引き抜く。
自然、翻る『真っ直ぐコガネ』の旗印。
その時、吸血族の男は見た。
翻った戦旗の向こうに、巨大な氷柱が浮かんでいたのを。
精霊術師でもある彼の耳に、精霊の歌が遠くから静かに響いた。
『無敵の盾』更新。
前回言っていた仕掛け発動。
某伯爵令嬢は、黒幕のことなんて全く覚えていませんでしたとさ(笑)。
これで今回の黒幕は、心底可哀想なひとに。そういや、いまだに名前さえ出てきてないな。きっとこのまま名前さえ出ずに終わるんじゃないかな?
もうすぐ今章も終わりです。具体的にはあと一回ぐらいで。その次は魔獣急襲編となる予定。
では、次回もよろしくお願いします。




