乱入者
「なんでもここの領主のご令嬢は、身の丈二メートルを超え、熊の如き怪力と豹の如き素早さを兼ね備えた、筋骨隆々でどこぞの英雄譚に出てくる世紀末覇者のような風貌の猛女だそうッス! しかも頭には六本の角があり、口にはぞろりと牙が並び、そして全身に目が百と八個あるまさに化け物だそうッスよっ!!」
ぎゃいぎゃいと喚くコルトを、ヴェルファイアとポルテは冷めた目で見ながら露店で買い込んだ串焼きを齧る。
「いや、いくらなんでもそんな化け物がいるわけがねえだろ? 本当にいるなら逆に見てみてえもんだ」
「嘘じゃないッスっ!! あっしがこの耳で、そこの露店の主人から確かに聞いたンスからっ!! それに角ならヴェルさんだってあるじゃないッスか!」
「俺の角は二本だっ!! 六本もねえよっ!!」
ヴェルファイアたち鬼人族に限らず、角を持つ種族は少なくはない。だが、それでも角の数は一本から二本が普通で、六本もの角を持つ種族などヴェルファイアもポルテも聞いたことがない。
もしかすると、この広い世界のどこかには角を六本持つ種族がいるかもしれないが。
「それよりも、早く伯爵の城に戻るッスっ!! でないと、ソリオ様が噂の猛女な令嬢に頭からがりがりと食べられちゃうッスっ!! 待っていてくださいソリオ様っ!! 今すぐ助けに行くッスからっ!!」
猛然と駆け出すコルト。その行き先はもちろんこの街を治める領主、クリノクロア伯爵の居城。
あっと言う間に遠ざかっていくコルトの背中を見ながら、ヴェルファイアとポルテは一度だけ互いに顔を見合わせると、串焼きを齧りながらコルトの後を追って歩き出した。
豪華な装飾の施された窓を突き破り、プラウディアの部屋に乱入してきた何か。
突然のできごとに思わず力が緩んだプラウディアの下から何とか抜け出し、ソリオはこのまま部屋から逃げ出そうかと一瞬だけ思うものの、乱入してきたものが危険なものである可能性に思い至り、プラウディアを庇うように前へと進み出た。
そんなソリオの意志を感じ取ったのか、我に返ったプラウディアは頬を染めて恍惚とした表情を浮かべ、意外に広いソリオの背中を見つめる。
背中に何か薄ら寒いものを感じつつ、それでもソリオは飛び込んで来たものへと目を向ける。それは部屋の片隅でもぞもぞと蠢いた後、ぎくしゃくとした挙動で立ち上がった。
ソリオの胸辺りまでしかない小柄な身体。頭髪がなく濁った緑色のごつごつとした皮膚をむき出しにした大きな頭。
「……妖鬼族……? でも、明らかに普通じゃないよね……」
確かに、それは妖鬼族の男性のようだった。行商人がよく着るような、ゆったりとした丈夫な布製の服を身に着けている。
だが、なぜか目は虚ろで手足は間接があり得ない方向に曲がっており、立っているのが不思議なくらいだ。
「ぎ……ぎぎ……ぐぁ……」
どろりとした生気のない瞳が、ぐりぐりと不気味に蠢きながら、その焦点を一点に定めた。
すなわち、ソリオの背後にいるプラウディアへ、と。
「ぷ……ぷラ……うで……ィア……ひ、ひさしぃ……ぶり……だね……ぇ……」
呂律の回らない妖鬼族の舌が、不鮮明な言葉を紡いでいく。
「……ほ……ら……見てご……ん? 僕……こんな……に強……力を得……たよぉ……?」
戯けるように身体を動かす妖鬼族。がくがくと彼の顎が揺れるたび、その口からどこか粘つくような言葉が零れ出る。
ソリオは不気味な妖鬼族から視線を逸らすことなく、背後のプラウディアへと声をかけた。
「プラウディアさんの知り合い?」
「いいえ……私の知人ではありませんわ」
こんな情況においても、プラウディアの声はしっかりとしていた。どうやら見かけによらず、なかなか肝の座った女性のようだ。
「でも、向こうはプラウディアさんを知っているっぽいけど……」
「本当に心当たりはありません。ですが……この妖鬼族をこのような姿にして、操っている術には心当たりがあります」
傀儡屍人。それが目の前の妖鬼族を操っている術の名称だとプラウディアは言う。
かつては、その名の通りに他者の血を吸い、己の力の源としていた吸血族。
吸血族に全身の血を吸われて死んだ者は、屍人と化して自分の血を吸った吸血族の命令通りに動く操り人形になったと伝えられている。
「──もちろん、今ではそんな術の使える吸血族はほとんどいません。使えるとすれば、我らが同胞の最長老か……先祖返りの……私……ぐらいでしょう……」
それまでしっかりしていたプラウディアの声が、不意に震えた。ソリオからは見えていないが、今の彼女は顔を伏せ、辛そうな表情をしている。
彼女自身、自分に宿った強すぎる力を嫌悪しているからだろう。
「プラウディアさん……」
「で、ですがっ!! 私は生まれてこの方、そんな邪悪な術を使ったことは一切ありませんっ!! 本当ですっ!! 信じてくださいっ!!」
「うん。信じるよ。プラウディアさんはそんなことをする人じゃなさそうだからね」
「そ……ソリオ様……」
影では同胞からでさえ化け物呼ばわりされているプラウディア。先祖返りとして確かにそれだけの力を有してはいるものの、決して望んで得た力ではない。
そんな彼女の心情を知ってか知らずか、ソリオはプラウディアの言葉をすんなりと受け入れた。そのことがプラウディアの表情から暗い影を駆逐する。
再びプラウディアが恍惚とした表情をソリオの背中に向けた時、妖鬼族の濁りきった眼が再度ぐりぐりと動き出す。
「ああ……着……飾っ……きみ……じ……つ……美……しい……」
ぐりぐりと動いていた妖鬼族の眼球が、まるで飛び出さん勢いで見開かれる。
「だ……れか……一緒……いる……?」
白く濁った眼球が、プラウディアを庇うようにして立つソリオに、この時初めて向けられた。
暗い暗い部屋の中。一欠片の光も存在しないそこで、その男性は手にした禍々しい杖に一心不乱に集中する。
最愛にして将来この手に入れるはずの女性の元へと送った、彼の屍人。その屍人の眼を通して、愛しき女性の部屋の光景が男の脳裏に浮かび上がる。
「プラウディア……久しぶりだねぇ」
愛しい女性の姿を眼にして、男は思わず口ずさむ。
伯爵家の令嬢らしい豪華な部屋。だが決して華美ではない品の良い部屋の中に、愛する彼女はいた。
その彼女に見せつけるように、男は屍人を操る
「ほら、見てごん? 僕はこんなに強い力を得たんだよ?」
部屋の中の彼女は、淡い紫の絹製の豪華なドレス姿だった。そのことが否応なしに彼の眼を引きつける。
「ああ……着飾った君は実に美しい……」
そして同時に、着衣している彼女の姿は、男の下劣な欲情までもを激しく刺激した。
今すぐに彼女の元へと駆けつけ、劣情のままに彼女を押し倒し、貪り尽くしたい。そんな欲望が男の全身を駆け抜ける。
何とか欲情を押さえ込み、男は美しく着飾った愛しき女性をもっとよく見ようと更に手にした杖に集中する。
この時、男は部屋の中に彼女以外にも誰かがいることに初めて気づいた。
「誰かが一緒にいる……?」
最初は侍女だろうと思った。だが、よくよく見れば、それは侍女どころではなく、一人の見慣れない種族の少年のようだ。
しかも、二人は部屋の中でしっかりと着衣しているではないか!
男女がふたりだけで部屋の中で着衣姿でいる。それは他の種族なら大したことではないのだが、吸血族である男には大問題だった。
「あ……ああ……プラウディア……ま、まさか……まさか君にそんな男がいたなんて……」
男は泣いた。誰もいない真っ暗な部屋の中で、声を上げてみっともなく泣きわめいた。
しばらく泣き続けた男は、涙を拭うこともせずに脳裏に浮かび上がっている男へと、憎々しい視線を向けた。
「殺す……プラウディアを穢した貴様を……絶対八つ裂きにしてやる……」
がくりと首を項垂れ、ぶつぶつと何か零しているものの、それきり動かなくなった妖鬼族の屍人。
「どうしたんだろう?」
「さあ……? 私にも分かりませんわ」
二人して首を傾げていると、再び屍人の顔が持ち上がった。
大きく見開いた眼を更に見開いて。口元も裂けんばかりに大きく開いて。
どろりとした濁った眼で、明確な殺意を込めた視線を屍人はソリオへと向けた。
「ごろ……す……ぷらウデぃ……穢し……さまを……絶対……八つ……きに……る……」
言い終わると同時に、まるで猿のように素早い身のこなしでソリオへと襲いかかる屍人。
屍人は天井近くまで跳躍すると、今度は天井を蹴って急降下する。
裂けんばかりに大きく開かれた口腔には、ぞろりと何本も鋭い牙が生えそろっている。間近に迫ったソリオからは、それがとてもよく見えた。
だらだらと涎の滴る牙から目を離さず、ソリオが右手の人差し指と中指を重ねて立てる。同時に、その指先に淡い魔素の輝きが灯る。
輝きを灯した指先で、ソリオは空中にさらさらと紋章を描いていく。
〈対物〉〈防御〉
ソリオが描く紋章が完成すると同時に、ソリオと屍人の間に光り輝く盾が出現。突然現れたその光の盾に、空中で軌道変更できない屍人は頭から勢いよく激突した。
ぐちゃり、と何かが潰れるような音が、ソリオとプラウディアの耳に届く。
輝く盾に頭から激突した屍人は、頭を熟れすぎたトマトのように潰したまま、ずるりと豪華な絨毯の敷かれている床へと崩れ落ちる。
どす黒い血がとろとろと頭から流れ出し、その絨毯を汚していく。
「あ、しまった! 絨毯……」
「お気になさらないでください。ソリオ様は私を守ってくださったのですから」
ソリオとプラウディアが何やら場違いなやり取りをしている間に、屍人は再び立ち上がった。
普通ならば即死級のダメージのはずだが、屍人の偽りの命はこれぐらいで消えることはない。
激突した時に首の骨も折れたのだろう。不自然に首を傾げたまま、屍人が二人へと振り返る。
ソリオの指先が、再び宙に紋章を描く。
「これが噂に聞いたソリオ様の紋章術……なんて綺麗な……それでいて優しい光……まるでソリオ様自身のよう……」
ソリオの描く紋章の意味は分からなくても、その光の軌跡はプラウディアにも見えている。彼女が淡い魔素の輝きをうっとりと見入っていると、その紋章からにょっきりと細長い何かが飛び出した。
プラウディアが両手で口元を覆って驚くが、ソリオは当然とばかりにその飛び出した細長いものを掴んで、紋章からするりと引き抜いた。
ソリオの手に握られたもの。
それは彼の愛用の戦旗だ。
今、彼が用いたのは〈引寄〉と呼ばれる紋章術である。
例の『最初の一歩の遺跡』の地下部分で発見した記憶装置。そこに記されていた紋章の中で、いくつか解析できたものの一つである。
この紋章術は、予め目印となる紋章を刻んでおいた物体を任意に手元に取り寄せる術であり、ソリオはプラウディアとの面会の前、彼女が準備を整えている間に愛用の戦旗に目印を刻んでおいたのだ。
先程、クリノクロア伯爵が悪戯でコウモリに化けてソリオたちが控えていた客間に飛び込んで来た時、武器を持っていなかったことを反省し、いつでも取り寄せられるようにしたのである。
とはいえ、引き寄せることができる物には大きさ的な制限があり、両手用の武器ぐらいの大きさのものまでしか効果を現さない。そして、目印を刻んでおけるものも一つに限られる。それでも、このような時には極めて有効な紋章術と言えるだろう。
改めて握り締めた愛用の戦旗を、ソリオは手の中でくるりと回転させて腰撓めに構える。立ち上がり、再び飛びかかって来た屍人の身体を、紺地に緑でコガネムシを染め抜いた戦旗でふわりと包み込む。
そのままぐるんと一回転。戦旗から放り出された屍人は、壁に背中から激突する。
もちろん、屍人がこの程度で活動を停止させるわけがない。だからソリオは素早く踏み込むと、戦旗の穂先で以て屍人の身体を壁に縫い止めた。
「ふう……養父が屍人は身体をばらばらにするまで動き続ける、って言っていたけど本当だなぁ」
壁に縫い止められてもじたばたと手足を動かし続ける屍人を見ながら、ソリオははぁと溜め息を吐いた。
その後、すぐに何かに思い至り、ばつの悪い顔をしながらプラウディアに向き直る。
「……ごめん。絨毯だけじゃなく、壁まで汚しちゃった」
「いえ、ですからソリオ様がお気になさるようなことではありませんわ。絨毯や壁など、いくらでも替えが利くのですから」
金持ちならではの発言だが、決して嫌味には感じられない。ソリオとしても、ここで絨毯や壁を弁償しろと言われると困るので、プラウディアの言葉に甘えることにする。
「ですが……優しいだけではなく、強さも兼ね備えているなんて……本当に……本当にソリオ様は……」
プラウディアが、その赤い瞳を熱く潤ませてソリオを見る。
それは誰が見ても、また、どこから見ても「恋する乙女」以外の何者でもなく。
だが、当のソリオは肉食獣に狙いを定められた草食獣の心境がとてもよく理解できた。なぜか。
「あー、そうだ、うん! 誰か呼んで来ないと! 伯爵の城にこんな侵入者が現れるなんて、ただ事じゃないもんね! うんうんっ!!」
慌ててそう言ったソリオは、脱兎の如くプラウディアの部屋を飛び出すと、侵入者を知らせるために大声を上げたのだった。
『無敵の盾』更新しました。
今回は、黒幕とソリオの邂逅の回。とはいえ、黒幕が一方的にソリオを敵認識しただけですが。
これで、黒幕もいろいろと動き出します。
では、次回もよろしくお願いします。




