伯爵令嬢
太陽が完全に沈み、夜の帳に覆われた頃。
それはアパタイトの街が最も賑わいを見せる時刻である。
主だった通りには人が溢れ、店先からは活気のある呼び込みの声が響く。
その光景は、昼夜が逆転していることを除けば、どこの街でも見かけられる普通なもの。
だがただ一つ、この街が他の街と違う点がある。
それは、通りを行き交う人々の殆どが全裸であることだった。
そんなアパタイトの人波の中を、ヴェルファイアとポルテ、そしてコルトは歩いていた。
彼らの周囲を歩いている者のほとんどが裸。老いも若いも男も女も。吸血族らしき者たちは全員が恥ずかし気もなく全裸で堂々と街の中を歩いている。それでもなぜか靴だけは履いているから不思議だ。
中には他種族であるにも拘わらず、吸血族同様に全裸でいる者も見受けられる。当然、彼らも恥ずかしそうな素振りは一切見られない。
また、吸血族は美形揃いでも知られる種族である。そんな吸血族たちが全裸でいるのだから、美感の似通った他種族から見ればある意味天国だろう。
現にヴェルファイアは鼻の下を伸ばしきって、道ゆく全裸の美女たちに熱い視線を注ぎまくっている。
ポルテはというと、顔を真っ赤にしてどこを見たらいいのか分からずにふらふらと宙を漂っているし、コルトは元奴隷であるためか、周囲の者が裸でいてもあまり気にならないようだった。
確かにこのアパタイトの街は、人口の殆どが吸血族であるが、それでも他種族の者も暮らしている。今も人波の中にちらほらとヴェルファイアたちのように着衣した者が目につくが、彼らは人目を避けるように道の隅をこそこそと顔を伏せて、足早に歩いていく。
まるで、服を着ていることが恥ずかしいかのように。
「……所変われば何とやら……ね。まさか、服を着ている方が奇異な目で見られるとは思いもしなかったわ……」
堂々と裸身を晒して道をゆく人々を盗み見ながら、ポルテが呟いた。
街の住人の中には、服を着ているポルテたちを明白に指差しながら、ぼそぼそと何やら囁き合っている者たちもいて、彼らは侮蔑や嘲笑といった表情を浮かべている。おそらく、服を着ていることをあざ笑っているのだろう。
「……大丈夫かしら、ソリオ……」
背後に聳えるクリノクロア伯爵の居城を振り返りつつ、城に残して来た仲間のことを心の中で思い浮かべた。
見事に自爆をかましたクリノクロア伯爵だったが、それでも彼の娘と会うだけでも会ってくれないかとソリオに懇願した。
今にも土下座でもしそうな勢いの伯爵に、逆にソリオの方がいたたまれなくなってしまい、伯爵のその申し出を受け入れることにした。
ただし、交換条件というわけでもないが、一つだけ条件を付け加えた上で。
「お嬢様とお会いする時は、お嬢様にはきちんと服を着せてください。何も着ていないお嬢様とは、とてもじゃないけどお会いできません!」
というのが、ソリオが付け加えた条件だった。聞く者が聞けば何ともヘタレた条件に聞こえるかもしれないが、ソリオとしてはそれが精一杯の譲歩だった。
だが、ソリオがこの条件を出した時、クリノクロア伯爵はなぜか喜色満面な顔でこの条件を了承した。
「お、おお! いいのである! 構わないのである! まさか、ソリオ君の方からそんなことを言い出してくれるとは……これは脈アリとみていいのであるか?」
伯爵は早速娘に準備させるからと、客間を退出した。
そのまましばらく『真っ直ぐコガネ』は客間で待たされたが、令嬢の準備が整ったようで件のパルサーという名前の人狼族の執事が迎えに現れた。
ただし、伯爵の令嬢と会うのはソリオのみ。他の面々はその間に城下の街並みでも見物してきては、とパルサーから提案された。
彼は口調こそ丁寧なものだったが、その真意は明らかである。ソリオの気を引きたい伯爵側としては、令嬢と二人きりで会わせたいのだろう。
婿入りを望むソリオにそうそう無体な真似もしないだろうと、ヴェルファイアたちはこの提案を受け入れた。
仮に伯爵側にソリオに危害を加えるつもりがあっても、彼には紋章術がある。そう簡単にソリオに害を与えることなど不可能だ、という思いもある。
こうして他の面子と別れたソリオは、一人きりでクリノクロア伯爵令嬢の待つ部屋へと案内されていった。
意外なことに、ソリオが通された部屋は、令嬢の自室だった。
その事に首を捻りつつも、ソリオは通された部屋の中をざっと眺める。
内装は年若い娘の部屋らしく、明るく華やかな雰囲気だった。置かれている家具はきっと高価なものなのだろうが、ソリオにはそこは判断できない。
そして、部屋に置かれたソファには、腰まである真っ直ぐな長い銀の髪をした、真紅の瞳の一人の女性──いや、少女の姿があった。
外見の年齢は、人間族ならば十五、六歳ほど。ただし、人間族よりも長命な吸血族なので、実際の年齢はもっと上かもしれない。
父親であるギャラン・クリノクロア伯爵の面影を宿した、とても美しい少女である。
ソリオの周囲にもポルテやコルトといった美少女と呼べる存在──約一名、美少女と呼んでいいのか判断に困るが──はいる。だが目の前の少女は、彼女たちとはまた違った美しさの持ち主であった。
ポルテたちが生命力に溢れた野の花ならば、目の前の少女は十分に管理されて育ったバラの花といったところか。
だが、吸血族特有の青白い肌ではあるものの、弱々しい印象は受けない。
彼女はソリオが部屋に入ってくると、にこやかな笑顔と共に立ち上がり、優雅に一礼した。
その際、彼女が身に着けている絹製と覚しき淡い紫を基調としたドレスが、さらりと耳障りのいい音を奏でる。
「お初にお目にかかります、ソリオ様。ギャラン・クリノクロアの娘、プラウディア・クリノクロアと申します」
初対面の男性と二人きりで会うためか、頬を赤く染めながら伯爵の令嬢──プラウディア・クリノクロアは、しっかりとソリオに挨拶する。
「あ、あの、どうも……ソリオ・ジェダイト……です」
貴族の令嬢であるにも拘わらず、庶民でしかないソリオに対しても丁寧な対応をするプラウディアに、ソリオの方が困り果ててしまう。
どうしたものか、とおろおろするソリオを見て、プラウディアはくすくすとまさに鈴が転がるような声で笑う。
「そんなに緊張なさらずとも結構ですよ? どうぞ、いつものように振る舞ってくださいな」
「あ……じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……」
ソリオはプラウディアに勧められるまま、ソファにその身を落ち着かせる。
腰を下ろしたソファは、これまで彼が座ったどのソファよりも柔らかく、その座り心地に思わずびくりと身を震わせる。
そんなソリオが殊の外おもしろいようで、プラウディアは再び朗らかに笑う。
「うふふふ。おもしろい方ですのね、ソリオ様は。私、父からソリオ様のことは聞かされていましたが、もっと気難しい方だとばかり思っておりました」
伯爵令嬢手ずからお茶の準備をし、淹れたお茶をそっとソリオの前に差し出しながらプラウディアは言う。
「お、俺……じゃない、僕のこと、伯爵から聞かされていたの……いたんですか?」
「あらあら。ご無理をなさらずに、いつも通りで構わないと申しましたわよ?」
上品な仕草で手で口元を隠し、くすくすとプラウディアは笑う。そして、笑顔のまま自分で淹れたお茶を一口飲む。
彼女のその動作を見て、ソリオは思わずおや、という表情を浮かべた。
「どうかなさいましたか? もしかして私の振る舞いが、人間族の方から見て何かおかしな点がありまして?」
「あ、い、いや、そうじゃないけど……俺、てっきり吸血族って血しか飲まないって思っていたから……」
「ああ、そうですわね。他の種族の方たちからは、よく誤解されますわ。確かに、昔……まだ、私たちが強い力を有していた時代には、強い吸血衝動もありました。ですが、今ではほとんどの吸血族に、そのような吸血衝動はありません。もちろん、時に他の種族の方の血を嗜む時もありますが……そうですね、他の種族の方でいえば、お酒や煙草みたいなものでしょうか」
ソリオの言葉を聞いても、プラウディアは気を悪くした風もなく穏やかに応える。
彼女の言葉通り、かつては強い吸血衝動を持っていた吸血族だが、その力が衰えると共に衝動も弱まっていった。
今では吸血族にとって血は、単なる嗜好品程度でしかない。
「ですが時々……かつてのような強い力と共に、抑えきれない吸血衝動を持った者が生まれることがあります。我々の識者の間では先祖返りだと言われておりますが、まさにかつての吸血族のように、恐ろしい化け物のような力を有した者が……」
手にしていた陶器製のカップをことりとテーブルの上の皿に戻しながら、プラウディアは真剣な表情でその真紅の瞳をじっとソリオに向けた。
「……そう……私のように……強い吸血衝動を持った者が生まれる時があるのです……」
「へ? 領主様のお嬢様の、お見合い相手……?」
「そうッス。あっしの今のご主人が、今頃ここの領主様の令嬢とお見合いをしているッスよ! もしもソリオ様……ご主人と令嬢が上手くいったら、あっしも晴れてお貴族様のどれ……いや、使用人ッスね!」
今の主人であるソリオは、自分が奴隷だと言うと嫌な顔をする。そのことを思い出したコルトは、自分のことを使用人と言い直す。
今、彼女は屋台で売っていた香ばしい匂いの美味しそうな串焼きを、ヴェルファイアたちの分も含めて買っているところだった。
服を着た他種族──岩妖族の店主は、コルトたちが裸でなくても普通に対応してくれた。
先程飲み物を買おうとした屋台の店主は吸血族で、服を着ているコルトたちを露骨に嫌そうな目で見ていたため、今度は他種族の店主の店を選んだのだ。
コルトたちから少し離れた通りの片隅で、ヴェルファイアが相変わらず鼻の下を伸ばしながら道ゆく裸の女性をガン見しているし、ポルテは顔を真っ赤にしながらふわふわとヴェルファイアの頭付近を漂っている。
「へえ。お嬢ちゃんのご主人を悪く言うつもりはないが、相当な物好きもいたもんだな」
「物好き? どういう意味ッスか?」
「ん? 知らねえのか? ここの領主のお嬢様といえば、とんでもなく恐ろしい化け物だって噂だぜ?」
「そ、それ、どういうことッスかっ!? 詳しく教えて欲しいッスっ!!」
差し出された串焼きを受け取ることも忘れ、コルトは店主に食ってかかった。
真紅の瞳が、真っ直ぐにソリオを射抜く。
それはまるで、かつての力ある吸血族が持っていたと言われる、魅了の魔眼のように。
だが当のソリオは、そんな視線をものともせずにプラウディアが淹れてくれたお茶を楽しんでいる。
「ソリオ様は……私が恐くはありませんの?」
「そうだね……恐いか恐くないかと聞かれたら、恐くないと答えるよ?」
真っ正面から恐くないと言われ、プラウディアが目を丸くする。
彼女が先祖返りと言われるような、強い力を有しているのは本当であった。
プラウディアはかつての吸血族のように複数の動物の姿に自在に変化することが可能だし、身体を霧のようにすることもできる。
反面、その吸血衝動は大きく、時に抑えきれずに他種族の血を吸わねばならない彼女は、この街に住む他種族だけでなく同胞たちからも尊敬されると共に畏怖されていた。
プラウディアが貴族の娘で結婚適齢期でありながらも、いまだに誰の元にも嫁いでいないのはそれが理由である。
「私は……私は、時に使用人たちの血を吸わねばならない恐ろしい化け物……まさに吸血鬼なのです……もちろん、使用人たちには予め血を吸うことを了承してもらっていますが……影で私のことを化け物扱いする者はやはり存在するのです……そう……同じ、吸血族の中にさえ……」
ソリオに向けられていた真紅の視線は、今では床へと向けられていた。その細い肩を小さく震わせながら、プラウディアは自身のことをぽつぽつと語る。
彼女の真紅の瞳が再びソリオへと向けられた時、それは小さな水滴に彩られて。
だから。
だからソリオは、迷うことなく告げる。彼女の真紅の瞳を彩る水滴が消えればいいと思いながら。
「うん。俺はプラウディアさんのことは恐くないよ? 俺、こと『守る』ことに関してはちょっと自信があるんだ。だから……だからもし、プラウディアさんが自分で言うような化け物で、血を吸うために俺に襲いかかってきたとしても……」
ソリオは、いつものようににかりと笑う。
「……俺は俺の身は自分で守れるから、プラウディさんのことは恐くはないよ? それに少しぐらいなら、血を分けてあげてもいいし。まさか、死ぬぐらい血を吸うってわけでもないでしょ?」
ソリオがはっきりとそう告げた時、プラウディアの瞳を彩る水滴はその数を増した。
だがそれは、今までのような冷たいものではなく。
今までに感じたこともないような、心の奥底からじんわりと湧き上がるようなもので。
「本当……本当に……ソリオ様が、想像していた通りの方でなくて良かった……」
「そう言えば、さっきもそんなこと言っていたね。俺のこと、どんな奴だと思っていたの?」
最初の緊張もすっかり消え去り、いつもの調子でプラウディアと接するソリオ。
プラウディアもそれが嬉しく、ハンカチで目尻の水滴を押さえながらもにこりと微笑む。
「父から聞かされていたのは、ソリオ様が世界でたった一人の紋章術師であると。だから私、研究者のようなもっと線の細い気難しい方を想像しておりましたのよ? ですが実際のソリオ様は、大らかで元気な方だったので安心しました」
「それって、俺が子供っぽいってこと?」
「さあ? どうでしょう?」
二人は顔を見合わせると、次いで大きく笑い合った。
その後、二人は取り止めもないことを語り合い、時に笑い、時に拗ねたりした。
二人の間に流れる空気は、今日会ったばかりとは思えない、まるで旧来の友人同士のような穏やかなもので。
しばらくそうして楽しく語り合っていたが、ひょんなことで会話の間が空いてしまった。会話と会話の間に時折訪れる、会話の静寂という奴である。
突然生じた空白に、どちらからともなくくすりと笑う。
そして。
「本当に……本当にソリオ様と出会えて良かった……ソリオ様を私の元に導いてくださったお父様には、感謝してもしきれませんわ」
「うん。俺もプラウディアさんとこうして出会えて良かったと思うよ。俺って同じくらいの歳の友達がほとんどいなくて、ヴェルたちぐらいなんだ。だから友達が増えたのは素直に嬉しいな」
「あら、友達だなんて他人行儀な」
「は?」
「だって、そうでしょう? ソリオ様は私の夫となられる方なのですから……」
「…………へ?」
思わず、ぽかんとした顔でプラウディアを見つめるソリオ。
「私、父から聞いておりますわ。ソリオ様と私は、近い将来結ばれる関係にあると」
「い、いや、確かに伯爵はそんなことを考えていたようだけど、俺は別に……」
「それに、こうして服を着たまま、二人きりでいるのが何よりの証拠でしょう?」
「…………へ?」
ソリオは再び、思わず呆然とした顔を晒した。自分自身でも、きっと今の自分は間抜けな顔してるだろうなー、と頭の片隅で他人事のように思いながら。
「私たち吸血族の間では、男女が着衣のまま二人きりになるのは……そ、その……せ、性交渉を前提とした場合でして……」
「な、なんじゃそりゃああああああああああああっ!?」
思わず叫ぶソリオ。
普段から裸で暮らす吸血族は、異性の裸を見ても性的に興奮することはなく、逆に着衣した異性を目にした方が性的に興奮するという。
そのため今のソリオたちのように、密室に服を着た異性が二人きりになるということは、性交渉が前提しているという意味を持っている。
当然、ソリオが吸血族のそんなしきたりを知るわけがなく、単に全裸の伯爵令嬢と二人きりで会うのが恥ずかしいからという理由で着衣での対面を要求したわけだが、伯爵側からすればソリオに「その気」があると思われても仕方がない。
ソリオがこの条件を出した時、クリノクロア伯爵が思わず嬉しそうな顔をした理由がこれであった。
プラウディアは、青白い頬を朱に染めながら、じりじりとソリオの傍へとにじり寄って来る。
「それに……それに……私、ソリオ様が夫で本当に嬉しいのです。こんな……今まで化け物と呼ばれていた私を恐くないと言ってくださったソリオ様が……わ、私は……私はソリオ様のことが……」
今、プラウディアの真紅の瞳は、先程のような涙を浮かべていたどこか弱々しい印象はまるでなく。
今の彼女の瞳は、獲物を狙う猟犬のそれだ。
「さあ……ソリオ様……私の全てを受け入れてください……」
プラウディアの細い腕が、ソリオの肩を押して彼の身体をソファへと押し倒す。
「どうしたのですか、ソリオ様? うふふ。子兔のように震えて……ソリオ様は私が恐くはないのでしょう……?」
「い、いやっ!! 今は恐いっ!! すっげー恐いっ!! さっきまでとは別の意味でっ!!」
プラウディアの細い指先が、ソリオの頬をつぅと撫ぜる。
そして指は顎先を通り過ぎ、首元をゆっくりと何度も往復する。
その都度、ソリオの身体をぞくぞくとした何かが走り抜けるのだが、プラウディアへの恐怖が勝ってそれどころではない。
指先は徐々に彼の身体を下がっていき、胸を越え、腹を通り過ぎていよいよ下半身へと辿り着く。
「さあ、ソリオ様……わたしをあなたのものにしてください……」
「い、いやいや、言っていることとやっていることが逆だからっ!! このままでは、俺の方がプラウディアさんに食べられちゃうからっ!!」
ソリオは渾身の力でプラウディアの身体を押しのけようとするが、彼女はその細い身体のどこから湧いてくるのか不思議なほどの怪力で、逆にソリオをからめ取っていく。
この怪力もまた、吸血族の先祖返りがもたらした力の一つである。
「ソリオ様……」
プラウディアの薔薇の花弁のような唇が、ソリオのそれといよいよ重なろうとした時。
不意に部屋の窓を突き破り、何かが飛び込んで来た。
『無敵の盾』更新。
予告通り、伯爵令嬢プラウディアさん登場。
うん、これまた予告通り、早速今章のヒロインの座からスピンアウトしそうな勢いです(笑)。
ある意味、彼女もまた残念な美形か。やっぱり親子だ(笑)。
では、次回もよろしくお願いします。




