第3話 - 本友だち
「ねえ、織くん」
結との本の話に夢中になっていると、紬が会話に割って入ってきた。
「二人、さっきからずっと本の話してない?」
「そうだな」
「私がいること忘れてない?」
「忘れてないよ」
それから紬は、好きな食べ物やこの学校のことなどを楽しそうに話し始めた。
図書室ということもあって、最初は声を抑えていたが、話が盛り上がるにつれて少しずつ大きくなっていく。
周りにいた数人の生徒がこちらを見ていることに気づいた結が、口元に人差し指を当てた。
「紬、ここ図書室です」
「あ、ごめん」
紬は慌てて声を小さくした。
それからは声の大きさに気をつけながら、三人で話を続けた。
少しして、結はカウンターで借りていた本を返し、そのまま文庫本の棚へ向かった。
俺と紬も結についていき、棚を見て回る。
紬は最初こそ何冊か本を手に取っていたが、やがて背表紙を眺めるだけになった。
「二人とも、よくそんなに読めるね」
「紬は読まないの?」
「漫画なら読むよ。小説は学校の課題くらい」
「それも立派な読書だろ」
紬は図書室にいることに飽きてきたのか、次第に口数が減っていった。
一方、結は自分の好きな本や、その感想を積極的に話すようになった。
ただ、自分が話すだけでなく、俺の感想も聞いてくる。
意見が違っていても否定せず、かといって無理に同意することもない。
一つの考え方として、しっかりと耳を傾けてくれた。
おかげで、自然と会話が続いていく。
普段はここまで本について語り合う機会がないので、楽しくてつい話し込んでしまった。
しばらくして、スマートフォンで時刻を確認した。
「俺、そろそろ行くよ」
「もう帰るのですか?」
結が少し残念そうに尋ねてきた。
「このあとバイトなんだ」
「アルバイトしてるんですね」
「前の学校にいた頃から。こっちでも新しいバイト先を探して、もう働き始めてる」
それまで静かにしていた紬が興味を示し、会話に入ってきた。
「へえ。何のバイト?」
「カフェで接客をしてる。たまにキッチン」
手にしていた文庫本を棚に戻そうとすると、結に呼び止められた。
「絹道くん。また、感想を交換しませんか?」
「もちろん」
考えるまでもなく答えた。
結は一瞬目を丸くしたあと、嬉しそうに笑った。
「私、昼休みと放課後は、ここに来ることが多いんです」
「じゃあ、俺も時間があったら来ようかな」
「ぜひ。おすすめしたい本もあります」
「ありがとう。じゃあ、明日のお昼にでも」
「はい。また明日です」
結はまだ帰るつもりはなさそうだった。
紬も挨拶をすると、大きく手を振って見送ってくれた。
* * *
翌日の昼休み、相田たちと昼食を取った。
食事を終え、図書室へ向かおうと席を立つと、相田が声をかけてきた。
「絹道、どこか行くのか?」
「ああ、図書室。結……白石 結さんと約束してる」
「お前、もう高嶺の花の白石と仲良くなったのかよ。しかも次女の結って、男子と話してるところあんまり見たことないぞ」
「そうなんだ。俺は結構話してるけどな。とりあえず行くわ」
相田との会話を切り上げ、図書室へ向かった。
図書室の扉を開けると、窓際の席に結がいた。
文庫本を開き、静かにページをめくっている。
声をかけると、結が顔を上げた。
「あ、絹道くん。こんにちは」
「こんにちは。その本、昨日の続き?」
「はい。先が気になったので、すぐに昼食を済ませて来ちゃいました」
結は本にしおりを挟んで閉じると、隣の椅子を少し引いた。
「ここ、座りますか?」
「いいの?」
「もちろんです」
俺は礼を言って座った。
結は鞄からメモ帳を取り出して開いた。
ページには文字がびっしりと並んでいる。
一つひとつ丁寧に書かれていて、几帳面な性格がうかがえた。
「昨日の話で、もう一つ聞いてみたいことがあるんです」
「何?」
「最初の章の、この台詞なんですけど……」
結は本を開き、ある一節を指さした。
俺はその文章を読み、少し考えてから感想を伝えた。
すると、結も自分の考えを聞かせてくれた。
しばらく感想を言い合ったところで、ふと相田の言葉を思い出した。
「そういえばさ、結って高嶺の花なんだね。男子とはほとんど話さないって聞いたけど」
「……そんなことはないです。話が合う人がいないだけです」
「そうなんだ。俺とは出会ってまだ数日なのに、もう何時間も話してるだろ」
結は少し考えてから、首を傾げた。
「ほんとですね。……本友だち、ですから」
結は自分で言ってから、少し笑った。
その笑顔を見て、返事が一瞬遅れた。
「変ですか?」
「いいんじゃない?本友だち」
結も嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、これからもよろしくお願いします。絹道くん」
「こちらこそ、結」
「ちなみに、学校の男の子で私を名前で呼ぶのは、絹道くんだけです」
「……そうなのか。三人とも白石だからな。嫌だったら名字で呼ぶけど」
「いえ、そのままで大丈夫です」
そう答えると、結は本へ視線を落とした。
それからしばらく、言葉を交わさず、それぞれ読書を楽しんだ。
◇ ◇ ◇
昼休みの終わりを知らせる予鈴が鳴った。
昼食を済ませてから来たこともあり、読書に使えた時間はそれほど長くなかった。
急いで読むつもりもなかったので、数ページしか進んでいない。
「教室戻ろうか」
「はい。あの、今日の放課後もここにいます」
「そうなんだ。今日はバイトないし、来られたら来るよ」
「ほんとですか?そのとき、おすすめの本を教えてほしいです」
気づけば、高嶺の花と呼ばれる結と放課後の約束までしていた。
相田あたりに話したら、また驚かれるだろう。
椅子を戻し、二人で図書室を出た。
廊下の曲がり角で、見覚えのある女子と鉢合わせた。
紬か綴のどちらかだということは分かる。
ただ、どちらなのかまでは見分けがつかなかった。
「あら、結……と絹道くん」
その落ち着いた話し方から、綴だと分かった。
紬なら、もっと明るく勢いよく話しかけてくるだろう。
「何してたの?」
「図書室にいました。綴は?」
「先生に呼ばれてた。絹道くんと一緒にいたの?」
「はい。一緒に読書してました」
綴は結から俺へと視線を移した。
その目つきは、睨んでいると言ってもおかしくないほど鋭かった。
「そう。絹道くんは結を見分けられるんですもんね。それに、紬も家であなたの話をするし」
一体、どんな話をされているんだろう。
少なくとも、今の綴の表情を見る限り、いい話ばかりではなさそうだ。
「まあいいわ。結、授業に遅れないように戻るのよ」
そう言い残して、綴は足早に去っていった。
「俺、嫌われてる?」
「綴は男の子に対してはあんな感じです。特に、私と紬に話しかけてくる男の子には」
なるほど。長女として妹たちを心配しているのか。
ということは、俺も警戒対象に入っているわけだ。
「私と紬は、絹道くんのことを警戒してませんよ。そろそろ授業に遅れそうなので、急ぎましょう」
そう言って、結は少し足早に歩き始めた。
俺もその後を追い、それぞれの教室へ向かった。
* * *
次の授業が始まるまで、まだ少し時間に余裕があった。
自分の席で授業の準備をしていると、男子生徒から声をかけられた。
「絹道、さっき白石さんと一緒に廊下歩いてた?」
その会話を聞きつけた相田も、話に加わってきた。
「そういえば、図書室に白石 結さんに会いに行くって言ってたよな」
「うん。結と一緒に読書して、教室まで戻ってきただけ」
「マジか。羨ましい。しかも、名前で呼んでるのかよ」
予想していた通りの反応だった。
それだけ結が、この学校で高嶺の花として見られているのだろう。
ただ、色恋の話なんてしていない。
一緒に本を読んで、感想を言い合っていただけなのだが。
隣の席から、紬も会話に入ってきた。
何か面白いものを見つけたような表情で、楽しそうにしている。
「織くん、結と仲いいもんね!昨日の放課後に続いて、お昼も一緒にいるなんて」
「紬が思ってるような関係じゃないよ。それに、家で俺の話をしてるらしいな。さっき長女に聞いたんだけど」
そのやり取りを聞いていた男子生徒が、驚いたように口を挟んだ。
「ちょっと待て。『織くん』『紬』って、お前らもう名前で呼び合ってんのかよ。いつからだ?」
「いつからって、昨日転校してきたばっかなんだけど」
「たった一日で?どうやったんだよ」
「何もしてないって。……ただ、結が名前で呼ばれるのを嫌がってないことは、今日確認したな」
「白石さん。俺たちも名前で呼んでいい?」
「えー、やだ!」
男子たちはがっくりと肩を落とした。
まさに絵に描いたような落胆ぶりだ。
思わず笑いそうになったが、ここで笑えば反感を買いそうなので、必死にこらえた。
そんな男子たちの反応をよそに、紬は変わらず楽しそうに俺に話しかけてきた。




