望まれた面会
ノインの上官であるイーリクからの意外なお願いに、私は驚きを隠せずにいた。
「会ってほしい人物?」
「ああ、そうだ。カオルとほぼ同い年……おそらく15・6歳くらいの少年だから、きっと話も合うと思うのだが」
私はキョトンとした顔で「なぜ私なんですか?」と尋ねた。
そもそも城に私と同い年くらい――本当の私の年齢は25歳なのだが――の少年がいる、というのも何だか可笑しな話だ。下働きの少年だとでも言われれば納得できるだろうが、もしそうならば今度は下働きの少年と私が会う必要性が見えてこない。
結局「会えば分かる」とだけ言われてイーリクに付いてきたが、私が通されたのは中々に広く立派な一室だった。
何か裏がありそうな予感がして、私はそばに控えるノインに無意識に身を寄せる。
私の不安を感じたのか、大丈夫とでも言いたげに肩をポンポンと叩かれ、私は少しだけ緊張を解いた。正直、右も左も分からないこの城内では、ノインだけが頼りだ。
イーリクも頼もしげな雰囲気を持った男ではあるが、まだ信用が置けるとまでは思えない。
ネストに関しては小説でよく見知った人物なだけにある意味安心感を抱いていたが、彼はいつの間にかどこかへ消えてしまっていた。きっと忙しいのだろう。
「ここで待っていろ。今、連れてくる」
イーリクさんが連れに行くんですか?と思わず問いそうになって、しかし寸でのところで私は口を噤んだ。
第二騎士団長自らがわざわざ迎えに行く相手。
きな臭いにおいがプンプンするではないか。
(うわ、止めてよ~~~私、本当に、一般庶民なんだからぁ)
少し半泣きになりつつも待つこと10分ほど。
手持無沙汰に室内をウロウロとしていた私の耳に「コンコン」という軽いノックが届いた。
ノックが終わるか否かのタイミングで、ドアが勢いよく外側に開く。
「待たせたな。連れてきたぞ」
その言葉に視線を向けると、イーリクの後ろに立つ少年が目に入った。
大柄なイーリクの影に隠れて良く見えないが、注視してみればそれは、黒髪に黒目の10代くらいの少年に見えた。
(………まさか)
私は「まさか」と「ひょっとして」という気持ちを同時に抱きながら、二人にゆっくりと近づいていく。
ここは、ワルズガルド王国の王城だ。
勇者召喚の儀も、ここで行われている。
そして小説では、主人公である黒崎誠司が召喚され、1カ月間言葉と魔術の勉強に缶ずめになっていた場所でもある。
もしかしたら。
いや、おそらくは。
『おい、オッサン!なんで俺をここに連れてきたんだよ、今度は一体なんだってい………』
室内を見回していた少年はしきりにイーリクに『オッサン』と呼びかけていたが、少年は私に目を留めた途端、口をアングリと開いて私の顔を凝視した。
そして私もまた、彼の口から出た『日本語』に大きく動揺していた。
あぁ、そうだ。
やっぱり、間違いない。
『ちょ…まさか、お前日本人?!もしかして、俺の言葉分かったりする?!ああもう英語でもいい、分かるか?ハロー?』
私の黒髪と黒い目を見て、彼はほとんど掴みかからんばかりの勢いで話しかけてくる。
そのあまりの勢いに、目の端でノインが色めき立って剣の柄に手をかけたのを確認して、私は慌てて「大丈夫」と一言声をかけると、一度深く息を吐いてから少年に向き直った。
『…………分かるよ。日本語、だよね』
そう。
目の前の少年。彼は――――――――
―――――彼は、愛読小説『異世界少年』の中の主人公、黒崎誠司、なのだった。
『マジで日本人に会えるとは思わなかった!』
黒崎誠司は、そう言って私の手をしっかりと握りこんだ。
彼の表情には同じ日本人を見つけたこともあってか、希望の輝きが灯っており、私はまさか「正確には同じ日本人でも私とあなたは違う存在なんですよ」とは言えずに曖昧な笑顔を浮かべた。
私はこの小説の外の人間だ。
対して、黒崎誠司は「異世界に召喚された日本人」とはいえ、元々小説の中の人物なのだ。
同じ日本語こそ使えるが、私たちの間には大きな隔たりがある。
そんな私の内心には気付かず、言葉も分からないままに軟禁される日々だった黒崎誠司は、明るい笑顔を浮かべている。
『お前も気がついたらここにいたのかっ?!あっ俺ね、黒崎誠司。セージでいいから』
『私は松村薫、です。えーと、よろしく。セージさん』
小説の主人公だからと思って『黒崎誠司』と今まで心の中では呼んでいたが、本人に言われて『セージ』…と名前呼びをするのは存外恥ずかしいものがある。
そんな気持ちもあり「セージさん」と呼んだわけだが、黒崎誠司は久々に会えた同胞と仲良くしたいらしく、『セージでいいよ。俺もカオルって呼ぶから』と言って、先ほどから握り込んでいる手に少しだけ力を込めた。
『俺、カオルに会えてすっげ嬉しい!気がついたらこんな訳わかんないとこにいきなり居てさ、むちゃくちゃ焦ったし……、怖かったし』
『セージ…』
『言葉サッパリだし、なんか物騒なもん腰にぶら下げた奴らばっかりだし。俺、最初殺されるかと思って覚悟したもん。今は……、まぁ殺されることはないかな、って思ってるけど。待遇やたらといいし』
ハハッと笑うセージに、しかし私は彼の苦悩を垣間見て、少しの間言葉を継ぐことができなかった。
小説で彼がどんな目にあって、どんなことを思っていたのか、私は知っている。
それでもこうやって実際に彼の顔を見て、生の声を聞いて、私は彼がどれだけ辛い思いをしていたのかを改めて思い知った。
ただ外側から読んでいただけの物語とは違うのだ。
『もしかして―――』
『ん?』
日本語を話せることに喜ぶセージの肩越しに、じっと黙って聞いているイーリクとノインの姿が目に入り、私は「あっ」と声を上げた。
「イーリクさん………もしかして、セージと話をさせるために私を呼んだんですか?」
おかしいとは思っていたのだ。
いくら少しばかり私の剣舞が有名になったからと言って、わざわざ騎士団長クラスの人間が一介の冒険者を呼びつけるだろうかと。
おそらくイーリクは、私の黒髪を見て、言葉の通じぬ勇者・黒崎誠司と言葉が通じるのではないかと思ったから、私を呼び寄せたのではないのだろうか。
私の疑問にイーリクは苦笑すると、軽く肩をすくめた。
「否定はしない。だが、それだけが理由ではないぞ。カオルの剣の腕前を見たかったというのも理由の一つだ」
『なぁ、何話してるんだよ。ってか、お前なんで言葉通じてんの?』
「セージ、私の言葉が通じるのは――――」
言いかけて、日本語じゃなくこの世界の言語だったことに気付いて私は口を閉ざした。
私の言いかけた言葉にノインもイーリクも興味深そうな表情になったが、私はそれを無視してセージに日本語で『私の言葉が通じるのは、そういう魔法をかけているからだよ』と返事をした。
『魔法?』
『そう。言葉が通じて、文字も読めるようになる魔法』
『マジで?!そんなんあるんだ……ってか俺にもかけてよ、それ!』
セージに懇願されたが、私はしばらく考えてから『それはできないんだ』と首を振った。
『なんで!』
セージにしてみれば、言葉が通じるこの魔法は喉の奥から手が出るほどに欲しい能力だ。
言葉が通じない周囲の人間に世話をされ、何かを要求され、訳が分からないままに生活する。それはどんなにかストレスの溜まる、不安の大きい生活だろう。
私としても、彼の苦しみを小説で読んでいるだけに、手助けをしてあげたいとは思う。
でも。
もしも……私がここで彼に魔法をかけることで、物語の筋道が狂ってしまったら?
それを考えると、私の背筋を冷たいものが駆け抜けていく。
(物語が壊れたらどうなるの?主人公の旅は?ヒロインとの出会いは?それに、ドラゴンとの戦いは―――?)
本当だったら、そもそも私はセージと出会うべきではなかったんだと思う。
私が物語に介入してしまったことで、もうすでに物語の幾ばくかは変わってしまっているはずだ。
だが……。
私は小さく拳を握りしめる。
(……きっと、まだ引き返せる)
多少の小さな変化はあっても、大局が変わらなければ何とか物語も進んでいくだろう。
勇者・黒崎誠司が現れたと言う事は、きっとラシャの湖にもドラゴンが現れているはず。
だが、きちんと物語を進めていけば、いずれセージによりドラゴンは封印されて世界の平和は守られるのだろう。
そしてそれは、未だ見つからないサヤとミホの身を守ることにも繋がるかもしれない。
(セージに言語理解魔法は掛けられない。彼が流暢に言葉を話せるようになる影響は、たぶん大きいから)
しかしそれを彼に話すわけにはいかない。
仕方なく私は『この魔法は自分にしか掛けられないものなんだ。ごめんね?』と誤魔化して、目前で両手を合わせた。
もともと素直な性格なのだろう、セージは『それじゃあ仕方ないよな…』としょんぼりしながらも諦めてくれる。
(本当に、ごめんね)
肩を落としているセージがあまりに可哀想に思えたので、『たまに言葉の勉強、手伝ってあげる』と約束を交わし、私はセージとの話を切り上げた。
視線を横へ向ければ、そこには言葉が分からないながらも黙って私たちの話を聞いていた二人。こうなっては、ノインやイーリクにも多少のことは……説明しないわけにはいかないだろう。
しかしまずは、と私は口を開いた。
「時々、お城に来てもいいですか?セージの言葉の勉強を手伝うことになったので」
私の言葉に二人は少し意表を突かれたような顔をしながらも、すぐに頷く。
「かまわないだろう。というより、むしろここに住み込んでほしいのだが」
「いえそれは……遠慮させてください」
首を振る私に、二人とも意外そうな顔をした。
私がお金に困っていることも知っているためか、住まいが保証されるこの機会を断るとは思っていなかったのだろう。
「カオル、なぜです?わざわざ城まで来るのは大変でしょうし、ここに住んだほうがいろいろと楽でしょうに」
ノインが私の顔を覗き込むように目線を近付けてくる。
私は目が泳ぐのを自覚しつつも、ノインの視線から逃れるように「あー…えぇとですねー…」と言葉を濁した。
言えるわけがない。
私は妄想魔法で男になっていて、寝ている間は女に戻ってしまうから性別がバレてしまう可能性がある、だなんて!
(それに妄想魔法ってこの世界には無い魔法だし…あんまり知られたくないしね)
とりあえずこの場をうまく誤魔化さなくてはならないだろう。
私はいい言い訳がないものかと頭を捻り、そして――――名案を思いついた。
「イーリクさん、ノインさん」
「なんだ」
「なんでしょう」
一呼吸置くと、私は意気揚々と先ほど思いついたばかりの言い訳を述べる。
「私、寝ボケると辺りを徘徊する癖があるんです」
「………………あ?」
「………………はい?」
「こんな広いところで徘徊してたら、どんなところまで行ってしまうか分かりません。それにお城でそんなことをして不審者と間違われたら、私、立ち直れません。あまりのショックに、徘徊癖が酷くなるかもしれません…」
お城で真夜中に徘徊する、素性の知れない黒髪の男。
自分で想像してみてもこれ以上無いくらいの怪しさだ。
嘘だけどね、と心の中で舌を出しつつ二人の様子を窺うと、さすがにこうまで言われては二人とも「城に住め」とは言えなくなったようだ。
揃って溜息をつくと「大変だな」「仕方ありませんね…」と私の肩をポンと叩いて、憐みの視線を送ってくれる。
……引き下がってくれたのは助かったが、自分の言い出したことながら憐憫の情を向けられると微妙な気持ちになるのは何故だろう。
『なぁ、カオルは何言ったんだ?この二人の目が、なんか可哀想なモノを見る目になってねぇ?』
『あー大したことじゃないよ、大したことじゃ…』
本当に大したことじゃないんだけど、なんとなく虚しい…。
アハハと空笑いをしつつ、私はこみ上げてくる溜息を飲み込むのに苦労したのだった。