石橋の下の伝言
逃げた貸主の弟は北の宿駅で身を隠しているらしかった。衛兵ヨエルは正式な手配書の到着を待ち、街道の関所へ情報を送った。シオンはその間、石橋の下で引き受けた船帆のほつれを縫っていた。水音が大きく、橋上の呼び声は届きにくい。
小舟の船頭から、町外で黒い花を描いた札が拾われたと聞く。札には『正しい恐怖を知れ』と書かれていた。シオンが使ったことのない言葉だった。誰かが印を真似している。船頭は面白半分で見せたのではない。札が置かれた荷には幼い奉公人の寝具があり、使い主が逃げたのだという。
シオンは現場を調べた。札は粗い木版で刷られ、花弁が七枚ある。彼の版は五枚だ。寝具の持ち主は宿屋から逃げた娘で、未払いの賃金を取り戻そうとして荷を持ち出していた。札を置いたのは宿の主人自身で、盗難を悪名高い黒花のせいにしたかったらしい。
娘の名はリエンといい、宿で炊事を手伝っていた。持ち物を返した後、相談員は未払い金の請求と次の働き口探しを別々に進めた。リエンは川下の親戚の家へ移るという。シオンの印がなければ彼女の困窮はなかったわけではない。その区別が彼には苦かった。
娘は町の労働相談所で保護され、持ち出した荷のうち本人の持ち物を返してもらった。宿の主人は自分の印の使い道を問われ、営業許可の再審査を受ける。シオンは口を出さなかった。黒い花はもう自分だけのものではなく、他人の都合に利用され始めている。
夜、彼は五枚の花弁を新しい木板に彫った。印を勝手に使った宿主を許すつもりはない。しかし印だけを奪い返しても、娘の賃金は戻らない。自分の憧れには何を守り、何を壊す覚悟があるのか。彫刻刀を置いたとき、答えはまだ定まっていなかった。




