春泥の敷金
シオンが移った下宿の裏庭には、雨がやむたび大きな水溜まりが残った。家主オルデは石を敷く費用を惜しみ、借り手に長靴を用意させていた。ある朝、隣室の粉挽き職人が転倒し、麦袋を濡らした。オルデは壁へ染みが付いたと文句を言い、敷金から修繕費を引くと告げた。
シオンは苦情の相談を持ちかけられたわけではない。ただ、その請求が気になった。彼も拘禁後の身で、敷金を高く預けている。裏庭の土を掘ると、排水路は三軒先の洗濯場へ繋がっていた。目詰まりの原因は古い木箱で、洗濯場の女主人は流れ込む泥水を嫌って箱を置いたのだという。家主一人を脅しても片付かない。
シオンは修繕屋として両方へ見積書を出した。仕事を受けたのは下宿の隣人たちで、石敷きの賃金は住人と家主が分担した。オルデは渋々払ったが、粉挽き職人への請求は取り下げなかった。荷袋を放置した責任があると主張したからだ。
石敷きに使った石のうち二枚は、住人の一人が余らせた庭石だった。オルデは買い取りを嫌がったが、元の持ち主は運賃だけでよいと言った。シオンは代金の欄へその事情を書き、使わなかった石は返した。修繕は相手を負かす競技ではない。
シオンはその晩、手帳へ二種類の請求を書き写した。悪が誰かの弱みにつけこむなら、相手が抗えない状況を正確に選ぶものだろう。家主の小さな強欲は腹立たしい。しかし、理屈を破ってまで彼を断罪すれば、自分もかつての金髪の男と変わらなくなる。
雨が戻る前に、粉挽き職人は乾いた荷袋を物置へ運んだ。修繕の終わった石畳には誰の印もない。翌朝、下宿の幼い姉弟がそこで縄跳びを始め、オルデは騒音を注意した。シオンは窓を閉め、受け取った工賃から賠償の積立分を小さな箱に分けた。自分の名を広めるためではない支払いが、今は彼の毎日に混じっていた。




